第53話 過信が招いた悲劇
◆side.クリストファー
オルレンシア王国で王族が神に近い存在だと尊ばれるのには、大きな理由が二つあった。
一つ目は、王族はかつて建国の立役者である浄化の聖女に遣えていた忠臣であり、イシュメリダ神の加護を色濃く受け、何かしらの優れた力に恵まれていること。
二つ目は、王家の男児は誕生の際、聖物と呼ばれる特殊な宝玉を握りしめて生まれてくること。
聖物は十歳の誕生日に、その者を象徴する武器や防具へと変化し、代々王族はその武器や防具を用いて、邪悪な意思の宿る呪物から民を守ってきた。
聖物から誕生した武器や防具には聖なる力が宿っており、神の意に反してこの世にとどまる邪悪な意思を封印したり、守護する力がある。
第一王子であるライオネルの聖物は聖剣へと変化し、第二王子であるクリストファーの聖物は聖銃へと変化した。
(兄上と対になるような剣、もしくは守れるような盾だったら、嬉しいな)
そんな淡い期待を抱いて望んだ十歳の誕生日。兄の持つ神々しい聖剣とは真逆の小さな聖銃に変化した聖物を見て、クリストファーはひどく落胆した。
近距離で正々堂々と対峙する剣と違い、遠くから一方的に攻撃する銃は、臆病な自身を体現しているようで、ひどく腹立たしかったのだ。
十歳の誕生日の翌日。クリストファーは国王カインに連れられ、王城の一角にある聖堂を訪れていた。
イシュメリダ神を奉るこの聖堂は、聖域と呼ばれており、最も神の加護が強く宿る場所だ。
神に全てを見透かされているような気分になって、クリストファーにとっては正直あまり落ち着かない場所でもあった。
祭壇の奥には地下へと続く隠し扉があり、厳重に施錠された部屋には年季の入った装飾品や骨董品、武具などが丁重にクリアケースの中に収められていた。
「ここは……」
聖域なのに、禍々しい嫌な気配がして背中にぞくりと悪寒が走る。
「代々王家がこれまで封印した呪物を保管しておる部屋だ。二度と世に出回らぬよう、我々王族はこれを管理せねばならぬのだ」
呪物は人々を操り、様々な凶悪事件を起こしてきた。歴史に残るおぞましい事件の裏には必ずといっていいほど、この呪物が絡んでいる。
イシュメリダ神の加護のある王族は、呪いの干渉を受けにくいとはいえ……クリストファーの視線が、カインの身につけるブルーサファイアの指輪に注がれる。
「魔女の怨念は、聖物でも封印出来ないのですか?」
クリストファーの質問に、何故かカインは指輪を見つめ「これは……封印してはならぬ。我々に残された、最後の希望となるやもしれぬ」と悲しそうに目を伏せた。
(呪われた宝石が、最後の希望?)
言葉の真意を測りかねていると、一番嫌な気配のする宝剣のクリアケースを開け、カインが言った。
「クリスや、昨日授かった聖銃でこれを撃ってみよ」
「はい、父上」
懐から聖銃を取り出し、構える。引き金を引くと装填もしていないのに、白い光の玉が飛び出した。宝剣に当たった瞬間、先ほどまで感じていた嫌な気配がすっと消えた。
「ライオネルには及ばぬが、見事だ」
(あぁ、まただ)
何かを褒めてくれる時、必ず父はそう言う。【兄には及ばない】――幼い頃から聞き続けたその言葉は、クリストファーの自己評価を下げ続けてきた。
所詮自分は、兄に何かあった時の替え玉でしかないと。自分の立場をわきまえ行動するようにと、諌められているような気分になる。
昔はそれが腹立たしかったが、兄を認めた今となっては軽く受け流すことが出来る。笑顔を作ってクリストファーは口を開いた。
「はい! 兄上を見習って、精進します」
「そうだな、頑張りなさい」
聖域に封印された呪物は定期的に確認し、もし封印が解けそうになっているものがあれば、再びその力を封じ込める必要がある。
遠い昔に【浄化】の力を持つ聖女が滅びてしまってから、オルレンシア王国はそうして呪いに抗ってきた。
だからこそ、【聖女】の名を語り人を謀る者――【魔女】に関しては、厳しい制裁を加えてきた。
部屋に戻ったクリストファーは、生まれた時からある自身の左腕に嵌められたブルーサファイアの腕輪をじっと眺めていた。
父カインの右手には指輪、兄ライオネルの右耳にはイヤーカフ、そしてクリストファーの左手には腕輪。それは王家の血を引く男児に必ず与えられる、魔女の怨念の籠ったブルーサファイアの装身具だった。
そっと右手で触れてみても、あの宝剣のように嫌な感じは微塵もしない。
「本当にこの宝石に、魔女の怨念が籠っているのかなー?」
聖女の名を騙り、人々を謀り魔女として処刑された一族が肌身離さず付けていたと言われる、曰く付きの宝石ブルーサファイア。美しく輝く青い宝石を見ていると、不思議と心が落ち着いた。
書物庫で過去の歴史を調べても、人々を謀り騙した魔女の伝承しか出てこない。関係のない数多の女性達まで犠牲になり、五百年前に起きた最悪の凶悪事件として現代まで語り継がれている。
どうして彼女達は、これを肌身離さず身につけていたのだろう?
何故父は、これが我々に残された最後の希望だと言ったのだろう?
本物の聖女の末裔に、守るためとはいえ魔女の汚名を着せ滅ぼした――結局本当の史実を知っても、子供の頃に抱いたその疑問の答えだけは出なかった。
◇
露天風呂の潜入調査に向かうフォルティアナとハーネルドを見送った後、クリストファーは聖銃を手にしながら、朧気に昔のことを思い出していた。
兄のように屈強ではない自身の身体には聖銃が一番馴染むのもまた事実で、遠くから敵を仕留めることの出来る銃は存外役立った。
兵器に詳しいシャドウのメンバーと共に麻酔弾や催涙弾などを秘密裏に開発し、用途によって使い分ける。
本来の使い方以上に聖銃を便利に使いこなしていたクリストファーにとって、聖銃はいつしか手放せない相棒のような存在になっていた。
平和な治世が保たれるようになり、呪物の数も減少した。それに合わせて現在では、本来の意図で使われることもかなり減っていた。
そんな中、まさかグランデ領で呪物に出くわすとは……思いがけない所で聖銃本来の力を発揮できる機会を得て、クリストファーは張り切っていた。
(この聖銃で必ず呪物を封印して、ティアの不安を取り除いてみせる)
いつでも駆けつけられるよう護衛騎士達と共に脱衣場前の廊下で控えながら、クリストファーは怪異発生の合図を待った。
フォルティアナの悲鳴を聞き急いで駆けつけたクリストファーが見たものは、黒々とした鎖のような邪気が彼女に絡み付いた姿だった。
最悪なことに、それはハーネルドの指に嵌められたルビーの指輪から発生している。
(まさか、憑依型呪物がまだ残っていたなんて……)
おそらくあの指輪が呪物だというのは、これまでの経験から容易に見てとれた。呪いの多くは、宝石に宿ることが多いから。
射的の腕には自信がある。しかし装着された呪物の指輪を直接撃てば、ハーネルドもただでは済まない。
聖物による封印は、その力を封じ込め永い眠りに誘うこと。装着者ごと封印してしまえば、ハーネルドはそのまま目を覚まさなくなるだろう。
やむを得ず、クリストファーは二人を繋ぐ黒い鎖を撃ち抜いた。そして気を失っている二人を引き離し、温泉宿の一室へと運んだ。
聖銃で呪物を撃つことが出来たなら、すぐさま二人を救えただろう。しかしハーネルドの指に取り憑いた呪物は、密接に彼と結び付き外すことが出来なかった。
「ラルフ! 急ぎ神殿へ要請して、憑依解呪の準備を」
急がなければ、最悪ハーネルドの片手ごと切断しなければならなくなる。指輪の嵌まったハーネルドの指の周辺が血走ったように赤黒く蠢いて、じわじわとその範囲を広げていく。
「はっ、かしこまりました」
大神官を呼ぶよう部下に命じ、ハーネルドに取り憑いた呪物がこれ以上悪さできないよう、彼が眠るベッドの周囲に簡易聖域を作る準備を行った。
神の祝福が宿る輝石を五芒星の突起に当たる部分に起き、それらを結ぶように聖水をかける。そうすることで簡易聖域を作り、呪物の影響を遮断することが出来る。
簡易聖域で影響を遅らせられるのは、せいぜい二日が限界だ。今から使いを出して、憑依解呪の儀式の準備をさせた上で王都から大神官を呼び寄せるのは、正直ギリギリだった。
(どうか間に合ってくれ……)
ハーネルドを部下に見張らせ、クリストファーは急ぎフォルティアナの眠る部屋へと向かった。
まるで眠り姫のように、ベッドで眠るフォルティアナを見て、クリストファーは顔に苦渋を滲ませる。
ハーネルドの解呪を済ませない限り、影響を受けているフォルティアナも目を覚ますことはないだろう。
大神官が間に合えばよいが、もし間に合わなかった場合、優しいフォルティアナはきっと、片手を失ったハーネルドを見て自身を責め続けるに違いない。
責任を取って、それこそ一生傷を抱えながら従者のように尽くしていく姿が脳裏に浮かぶ。
これでは、誰も幸せになれない。そんな形でフォルティアナを手に入れることを、ハーネルドが望んでいるはずがないというのに……
「すまない、ティア、ネル……僕が過信さえしなければ……」
そんなに強い呪物がこの世に残っているはずがない。自分一人で対処出来る。そんな侮りが、今回の結果を招いた。
(ここに居たのが兄上だったら、こんなことにはならなかっただろう……)
「イシュメリダ神様。どうか僕の大切な者達を、お守りください」
眠り続けるフォルティアナの手を両手で握りしめながら、クリストファーは目を閉じて祈り続けた。
だからこそ気付かなかった。自身の左腕につけられたブルーサファイアの腕輪が、祈りに呼応するよう温かな光りを放っていたことに――。
◆side.フォルティアナ
目を開けると、誰かに手を握られているような温かな感覚がした。
祈るように両手を握りしめて、額に手を当てる綺麗な銀髪の男性を見てフォルティアナは彼の名を呼んだ。
「クリス、様……?」
「ティア! よかった、目を覚ましてくれて……!」
心配そうに眉尻を下げてこちらを見つめるクリストファーの姿が、そこにはあった。その目元にはうっすらと涙が滲んでいて、水晶のように輝いて見えた。
(クリス様の瞳から水晶が……これは夢なのかしら?)
確かめたくて、フォルティアナはそっと手を伸ばす。触れるとそれは水晶でも何でもなくて、指先を濡らした。
そのまま涙を拭うと、クリストファーの白い頬が赤く染まり、目尻が優しく細められる。
(もしかして、夢じゃない!? だったら私は今、とんでもなく不敬なことをしているのでは……)
「も、申し訳ありません! 夢だと思って!」
はっとして手を引っ込めようとしたら、優しく手を重ねられて、まるで子猫が甘えるかのようにすりすりと頬擦りされた。
「無事で本当によかった……」
目を閉じて、そうして手にすがり付くクリストファーの姿を見て、フォルティアナはぎゅっと胸が締め付けられたかのように苦しくなった。
「ご心配をおかけしました。私は大丈夫です」
クリストファーを安心させたくて、フォルティアナはベッドから上体を起こした。
「まさかあんなに邪悪な呪物がこの地にあったなんて、思いもしなかったんだ」
邪悪な呪物……と聞いて、フォルティアナは思わず息を呑む。
「クリス様! ハーネルド様はご無事ですか?!」
「ネルは今、別室で休ませているよ。大神官を至急呼び寄せているけど、指に憑依した呪物を取り外すまで目を覚まさないだろう」
青ざめた顔をしているクリストファーを見て、フォルティアナは嫌な予感がした。
「クリス様、お顔の色が……」
「簡易聖域で呪いの影響を抑えてはいるけど、持って後二日。それまでに大神官が間に合わなければ、最悪呪いの影響を受けている手を切り落とさないといけない。悪化した呪いは、誰も解くことが出来ないから」
「そんな……っ!」
フォルティアナの脳裏に、先日もらった鳥の機械人形が浮かんだ。
それだけじゃない。
妹達のために作ってくれたクマの機械人形や、何度も改良を重ねてくれた四輪車の玩具達。
生活を便利にしてくれた、アシュリー領で開発された新商品の数々。
そして、もの作りに誰よりも真摯に向き合って努力していたハーネルドの姿を思い出す。
(片手を失ってしまったらハーネルド様は、今までのように作ることが出来なくなってしまう……)
いてもたってもいられなかった。
自分に出来ることがあるのかどうかも分からない。けれど今は、ハーネルドの傍に付いていてあげたかった。
(あの時ハーネルド様は、私を逃がそうとしてくれた)
「クリス様、私をハーネルド様の元へ連れていってくれませんか?」
閉じ込められた空間で、呪物に宿っていた黒い人は確かにお礼を言って消えたはずだ。
もしハーネルドも同じように囚われているのだとしたら……干渉できるかもしれない。確かめに行かなければ。
「わかった、案内するよ」
クリストファーと共に、急いでハーネルドの元へ向かった。
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まんが王国様……8話(先行配信)
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