第49話 グランデ領の魅力、見つけます!
時刻は昼の午後三時。
騎士達への差し入れにティータイムの準備を済ませ、フォルティアナはクリストファーが実験を行っている別邸に向かった。
本邸の裏にある馬小屋や温室のさらに奥と、少し離れた場所に元々は親族が住んでいた屋敷がいくつかある。
グランデ伯爵家では何故か昔から女児が生まれやすい。そのため使われることのない邸宅を、今は使用人用の宿舎として改装して解放していた。
クリストファーの連れてきた使用人や護衛騎士達が寝泊まりしている別邸の部屋はまだ余っていて、空き部屋を実験用に使われているのだ。
別邸に近づくにつれ、パコンとリーフゴムの実の表皮を削る音が聞こえてくる。
庭先では騎士達がナタを手にし、何とも素早い動きで見事にリーフゴムの表皮を削ぎ落とす作業をしていた。
「殿下、見てください!」
「いいやこっちを!」
騎士達がクリストファーに自分が削いだリーフゴムの実の入った籠を見せて競いあっていた。
「皆、ありがとう。それじゃあ次は……」
削られたリーフゴムの実を見て騎士達の癖を瞬時に理解したらしいクリストファーは、それぞれに適した作業を指示していた。
手先の器用な者には内皮をくり貫く作業、体力のある者には大きな濾し器に胚乳を注ぐ作業、慎重で丁寧な者には濾した胚乳をサイズの違う容器に注ぐ作業、力のある者にはレモン汁を混ぜた胚乳を混ぜてこねる作業と適材適所で作業が行われていた。
しかもその際クリストファーは、「さすがだね」「とても助かるよ」「ありがとう」と褒め言葉や労い、感謝の言葉を騎士達にかけていた。そのおかげか士気を高めた騎士達の作業もはかどり、プラスの相乗効果が働いているように見えた。
「すごい……」
(クリス様が皆に慕われているのも納得ね)
的確に皆の長所を見抜いて指示を出す優れた采配と、王族だからと傲ることのない気遣いに、フォルティアナは感銘を受けていた。それと同時に少しだけ、チクリとした痛みが胸に走る。
あの姿が本来あるべき第二王子クリストファーの姿で、自身の知るリヒトではない気がした。そこには越えられない一線があって、あの時のように連れ出そうとしても出来ない壁があるように感じた。
(はっ! 私は、何を考えているのかしら。連れ出したいなどと、なんて浅はかな……)
本来あるすべき姿に戻られただけ。クリストファーはあの時のように、囚われているわけじゃない。連れ出す必要も資格も、何も持ち合わせていないというのに。
皆と楽しそうに談笑を交わすクリストファーの姿を見ていると、こちらの視線に気付いたクリストファーが、優しく微笑みながら声をかけてくれた。
「ティア、来てたんだね」
分不相応なおこがましい気持ちを知られたくなくて、フォルティアナは笑顔を作り直して明るく答えた。
「はい! ティータイムの準備が整いましたので、お知らせに参りました」
「ありがとう」
身を翻したクリストファーが、騎士達へ「皆、そろそろ休憩にしようか」と声をかける。
別邸のサロンに案内すると、「こ、これを俺達のために!?」と騎士達が感嘆の声をあげた。
複数ある円卓のテーブルには白いレースのテーブルクロスが被せられ、三段プレートが置かれている。
プレートにはサクッとしたパイ生地にイチゴとカスタードクリームを挟んだミルフィーユに生のオレンジを贅沢に絞って使られたゼリー、生クリームやメロンにさくらんぼなど多くの果物で彩られた黄金に輝くプリン、ベリーを練り込みしっとりと焼かれたマフィンなどの他にも、気軽に摘まめるマカロンやクッキーなど美味しそうなお菓子が並べられていた。
サイドに添えられたガラスのティーポットには、果物や花で風味付けをしたグランデ特産のフレーバーティーを数種用意している。ティーパーティと言っても差し支えないほどの準備がされていた。
「あの短時間で、よくここまで準備してくれたね」
クリストファーが完璧に準備されたサロンを見て、大きく目を見張る。
「グランデ領のためにお手伝いしてくださる皆様に、少しでも感謝をお伝えしたくて。どうかごゆっくりお寛ぎください」
どこからともなく、「女神だ……」「天使だ……」と声が上がる。騎士達の好意的な視線に、フォルティアナは若干の気まずさを感じていた。
(ハーネルド様対策に用意していたお菓子だなんて、口が裂けても言えない……)
「ほら皆、ぼーっとしてないでいただこうか」
さりげなくクリストファーが前に出て、皆の視線を引き剥がしてくれた。
「ティアも一緒に付き合ってくれるかい?」
「はい、喜んで」
「ありがとう」
差し出されたクリストファーの手を取ると、そのままエスコートされて席に座るよう促される。
椅子を引いてくれたクリストファーにお礼を言って、フォルティアナは席に着いた。
(クリス様はとても紳士的ね)
もし共にいるのがハーネルドだったらさっさと自分が席につき、「何をしている、早く座れ」と眉間に皺を寄せて睨まれていただろう。
「グランデ領ではお茶に果物を入れて飲むんだね」
クリストファーの視線が、彩り鮮やかなガラスのティーポットに注がれていた。透明なガラスのティーポットには、摘みたての春茶葉から抽出した緑茶の他に、オレンジやイチゴ、レモンなどの果実が贅沢にカットされて入っているフレーバーティーが用意されている。
「はい、普段は季節の果物をブレンドさせて飲んでいます。夜はワインやはちみつ酒に果物を混ぜてサングリアにしても美味しいんですよ」
「確かにお酒にも合いそうだね。王都に流通しているのはドライフルーツばかりだから、こうして新鮮な果物をふんだんに使ったものはすごく珍しいんだ」
そう言われてみると確かに王都では、生の果物で直接彩ったお菓子は見かけない。ドライフルーツとして練り込んである焼き菓子や、シンプルなクッキーやスコーンに日持ちのするクロテッドクリームやジャムが添えられていることが多い。
その時、フォルティアナは駅前で大繁盛している菓子店アナスタシアを思い出した。
(リンゴをまるごと一個使った数量限定タルトが王都で人気があるのも、そのせいかしら?)
もしこのお菓子を王都で売り出すことが出来たら……と考えて、すぐに頭を振った。そもそも果物がそこまで日持ちをしないと。収穫して輸送する間に腐ってしまうだろう。たから王都では、ドライフルーツが多く消費されているというのに。
「それぞれ違った味が楽しめますので、お菓子と共に是非飲み比べてみてください」
「うん、楽しみだな」
飲み物が行き渡った所で、クリストファー皆に声をかけてティータイムが始まった。
「こんなに美味しい菓子、食べたことない……!」
隣のテーブルに座る騎士の一人が感嘆の声をあげた。それを皮切りに、他の騎士達からも絶賛の声が鳴り止まない。
「このプリン、舌の上でとろけるぞ!」
「ゼリーも食ってみろよ、酸味と甘味の黄金比!」
「このお茶も菓子によく合ってうまい!」
騎士達の評価は上々のようだ。
フォルティアナは緊張した面持ちで、クリストファーの感想を待った。
ミルフィーユをナイフで一口大に切ったクリストファーが、美しい所作でそれを口へと運ぶ。
「すごく美味しいね。イチゴの酸味がカスタードクリームと相まって、サクサクのパイ生地が良いアクセントになってる」
「お口に合ったようで嬉しいです」
「それにこのフレーバーも、さっぱりとした飲み心地がよく合って美味しい」
ミックスフレーバーティーを飲んだ後、嬉しそうに笑みを浮かべるクリストファーを見て、フォルティアナはほっと胸を撫で下ろした。
「こんなに美味しいものが食べられるなら、ずっとここに居たくなるな」
「ああ、空気も食べ物もうまいし最高だな!」
隣のテーブルに座る騎士達の何気ない会話が、フォルティアナの耳に残った。
(どうにかして都会で何か売れるものをと考えていたけど、魅力ある場所だと人々に認知してもらえれば観光客を見込めるのでは……?)
ものを運ぶのではなく、人を呼び込む。逆転の発想であった。
幸いなことに隣のアシュリー領までの交通の利便性は整っている。主要都市グラースに寄った時、クリストファーも言っていた。観光客を連れてくるのはそこまで難しくはないと。
あの時は寂れた田舎のグランデ領へ観光に来るほどの魅力がないと思い、その言葉を軽く聞き流していた。しかし今ならそれも、グランデ領を復興させる道の一つとなりえるのではないかと思えてきた。
この土地にしかない魅力をもっと知ってもらって、観光の要になりそうなものを見つけていこう!
「何か良いアイデアが浮かんだようだね」
「はっ! 顔に、出ていましたか?」
「嬉しそうに、笑っていたから」
「皆さんが美味しそうに召し上がってくださるのがとても嬉しくて! もしかしたら、新鮮な果物を使ったお菓子やお茶がグランデ領の強みになるかもしれないと思いまして」
「一度食べたらきっと、たちまち虜になるだろうね。僕達のように」
クリストファーの視線の先では、美味しそうにお菓子を食べる騎士達の姿がある。
(まさかハーネルド様対策に費やしたザック達の努力が、こんなところで役に立つなんて……!)
「クリス様、よければもっと感想や要望などをお聞かせ願えませんか? 参考にして、料理長に共有したいのです!」
「うん、わかったよ」
一つ一つクリストファーの言葉を脳裏に刻み込む。さらにクリストファーが騎士達にも声をかけてくれたおかげで、生の感想をたくさんもらうことが出来た。
どのような菓子が好まれるか、食べた感想や相性の良い飲み物の傾向や食べてみたいお菓子の要望などを分析しつつ、楽しいティータイムは幕を閉じた。
(クリス様と一緒だと、新たなひらめきが浮かんできて楽しい!)
道筋を照らしてくれる温かな光のようなクリストファーに、フォルティアナは深く感謝していた。
◇
夕食を終えて部屋に戻ると、サーシャが鼻歌混じりに明日の視察用の荷物を用意してくれていた。
「何か良いことでもあったの?」
「ティア様、水着の用意はばっちりです!」
「……水着?」
聞き間違いだろうか。何故水着という単語が出てきたのか、フォルティアナは思わず首を捻る。
「明日は南部のサウスニアに行かれるのでしょう?」
「ええ、その予定よ」
「南部と言えば温泉! この水着で、殿下の心を鷲掴みに!」
じゃーんとサーシャが見せてくるきわどい水着を見て思わず絶句した後、フォルティアナは慌てて頭を振った。
「あ、遊びに行くわけじゃないのよ!」
(ゆっくり温泉に浸かっている暇なんて……)
「でも温泉で実験をなさるのでしょう? 濡れても構わない格好の準備は必要かと思います」
確かにそれは一理ある。温泉に含まれる何かが、リーフゴムの胚乳により弾力性を持たせるきっかけになったのは、トーマの手帳にも記されていた。
温泉には水着着用がマナーであり、洋服を着たままでは入室できない。しかしサーシャの手にした水着を見て、フォルティアナは羞恥に頬を赤く染めた。
「で、出来ればもう少し控え目な水着に。ハーネルド様もご一緒だし、そんなものを身に付けて何と言われることか……」
過去のことを思い出し、フォルティアナの顔からさっと血の気が引いた。
「あーそうでしたね……視察の間、滞在されるんでしたね……今日は用事でお帰りのようですが」
(サーシャ、顔に出てる……昔からハーネルド様のことを嫌っているのはよく知ってはいたけど……)
「ティア様の水着姿を独占したいからって、やりすぎなんですよあの坊っちゃんは!」
「それは違う気が……」
約六年前、夏期休暇に近くの川の浅瀬で妹達や学友数人と皆で水遊びをしていた時に、ハーネルドが訪ねてきたことがある。
蒸気自動車で伯爵邸へ向かおうしていたらしいハーネルドと、窓越しにばっちりと目があった。
急ブレーキをかけさせ、鋭い眼光を光らせて慌ただしく蒸気自動車から降りてきたハーネルドは、何も言わずに着ていた上着を脱いでフォルティアナに被せると怒鳴った。
『み、みっともない! そんなに薄着で外に出るな!』
ろくに目も合わせず問答無用で手首を引かれ、そのまま蒸気自動車に乗せられて伯爵邸に連行された苦い記憶をフォルティアナは思い出していた。
(あの時は座席をびしょびしょにしてしまって、生きた心地がしなかったわね……)
グランデ伯爵領にあるリベルタ学園は、貴族も平民も分け隔てなく通える場所だった。田舎での生活には、何かと体力を使うことも多い。そのため運動の時間も多めに取られていた。
夏には水泳の授業もあり、フォルティアナは水辺で水着を着るのは当たり前のことだと認識している。
『安全のために水辺で適した服装をするのは、おかしなことでしょうか?』
車内で恐る恐る尋ねるフォルティアナに、ハーネルドは一目もくれず固く口を閉ざしていた。皮肉も飛んでこないのを見るに、ハーネルドは相当怒っているようで、自分の浅はかな勘違いに気付く。
(みっともないのは水着ではなく、きっと私の身体なのね……)
ショックを受けたフォルティアナは、震える喉を叱咤して謝るのが精一杯だった。
『醜いものをお見せして、誠に申し訳ありませんでした……』
それ以来フォルティアナは、ハーネルドの前で水着だけは着ないようにしていた。
「ではこちらならいかがでしょう?」
サーシャの問いかけに、フォルティアナは現実に引き戻される。
目の前には、さっきより露出を抑えたワンピースタイプの水着を見せるサーシャの姿があった。
「それなら、何とか……ありがとう。サーシャ」
(寝る前に少し、体を動かしておこうかしら……)
こんな短時間で筋肉などつくはずはない。無駄な抵抗なのは分かっている。
しかしそれはハーネルドに対する、フォルティアナのささやかな抵抗であった。










