第47話 託された夢
納屋に戻ろうとした時、フォルティアナは後ろから視線を感じて振り向いた。そこには建物に隠れてこちらを窺うキースとミランダの姿がある。
「キース、ミランダ。さっきはごめんね」
二人を刺激しないよう、フォルティアナは笑顔で優しく声をかけた。
「姫様は、悪くない……僕の方こそ、ごめんなさい」
「姫様、怪我してない? 大丈夫?」
「私は大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
よしよしと頭を撫でると、キースとミランダは「よかった……」と声を揃えてほっとしたように安堵のため息を漏らした。
「姫様にこれ、渡したくて」
キースは古びた一冊の手帳をこちらに差し出してきた。中身をめくると水に濡れてしまったのか、紙が縮んでごわごわしていた。何かのイラストと文字が刻まれているようだが、所々インクが滲んで中身がまともに読めない。
(何が書かれているのかしら……?)
「トーマ叔父さんの冒険日記。じっちゃんも父ちゃんも、定職につかずふらふらしてってトーマ叔父さんのこと悪く言ってたけど、僕はそうは思わない!」
「私も! トーマ叔父さんは夢を追いかけてたの! いつかこの土地を、誰もが羨む発展都市にしてみせるって、頑張ってたの!」
(二人とも、トーマさんのことが大好きだったのね)
キースとミランダがトーマを語るその瞳には、強い尊敬の念が籠っているように見えた。
「この手帳には、トーマさんのこれまでの頑張りが記されているのね」
「うん! 僕達にはまだ字が読めないから、姫様に役立ててほしいと思って持ってきた」
「さっき、じっちゃんとの話……実は裏で聞いてたの。だから!」
「ありがとう。必ず役立ててみせるわ」
二人と別れた後、フォルティアナはパラパラと再び手帳を開いてみる。
(これは解読に時間がかかりそうね。ハーネルド様一人ではきっと大変だろうし、今は手伝いに行こう)
フォルティアナは手帳を大事にポケットにしまうと、急いでハーネルドの後を追いかけた。
納屋に入るなり汚れないよう袖をまくって、止められるより先に雑巾を手にして身体を動かしたフォルティアナは、何とか追い出されずにすんだ。
そうして納屋の掃除を手伝い終わった頃、パナマが先に戻ってきた。その腕にはかごが抱えられており、白い綿布が被せられている。
「納屋がこんなにも綺麗に!? お二人で掃除をしてくださったのですか!?」
ピカピカになった納屋を見て、パナマが驚きの声を上げる。
「埃っぽかったからついでにな。それにあの坊主のボール、作ってやらないといけないだろう」
(ハーネルド様、キースのことを気にしてらしたのね)
「あのボールは愚息の特別製でして、普通に作るより弾力が遥かに強く、亡くなったトーマにしか作れないものだったのです」
作業台にレモンのかごを置きながらパナマが悲しそうに表情を歪めた。
「もしかしてパナマ村長も、作り方をご存じないのですか?」
「はい。教わる間もなく愚息は落石事故で……ろくに働きもせずふらふらしておった息子で、もっと厳しく叱っておけばよかったと後悔しております」
(パナマ村長は、トーマさんの夢に反対されていたのね……)
「……そうか」
噛み締めるように呟きながら、ハーネルドが目を伏せる。辺りにはしんみりとした空気が流れ、皆が言葉に詰まっていた。
そんな空気を取り払ったのは「諦めるのはまだ早いよ」というクリストファーの明るい声だった。
「大丈夫。お手本があるんだから、きっと再現出来るよ」
ラフな軽装着に着替えたクリストファーを見て、フォルティアナは思わず目を見張る。
(あの格好は……!)
庭園で共に過ごした、リヒトと同じ格好をしたクリストファーがそこには居た。
「待たせたね。続きをしようか」
クリストファーの掛け声で、ボール作りの続きが始まった。
ザル、ガラスの容器、混ぜるのに使う細い竹と必要な道具を先に集めて、いざリーフゴムボール作りの幕開けだ。
「クリス、作業は俺に任せろ。また汚れると面倒だろ? お前はじっくり観察しててくれ」
「分かった。頼んだよ、ネル」
「パナマ、お前は指示を出せ」
「かりこまりました。まずはリーフゴムの種から採れる白い液体を、ザルでこしてこちらの容器にお願いします」
パナマがガラスの容器の上にザルを置いた後、かごから薄い綿布を取って乗せる。
(レモンと果汁絞り器具が入っていたのね)
わかったと返事をしたハーネルドは、クリストファーが表皮を削いだリーフゴムにノコギリで慎重に刃を入れて穴を空ける。
「ハーネルド様、支えてますのでこちらへ」
ザルが動かないようフォルティアナが固定して補助をすると、「ああ、ありがとう」とハーネルドが素直にお礼を述べた。
(何かに集中していらっしゃる時は、意外と素直なのよね、ハーネルド様……)
中身をこぼさないよう慎重に、ハーネルドが胚乳をザルでこしていく。その作業の行程を見ながら、パナマが説明をしてくれた。
「こねる時に怪我しないように、こうして不純物を取り除いております」
ガラスの容器にたまっていく白い液体をまじまじと見ながら、クリストファーが口を開く。
「綺麗に濾しても、白い濁りは取れないのですね」
「はい。ここでこれを使います」
パナマはそう言って、かごから黄色い果実を取り出した。
「このレモンの絞り汁を入れてかき混ぜることで、その濁りがリーフゴムボールの原型となる塊に変わるのです」
全てを濾し終えたところで、パナマがレモンを半分にカットして果汁を絞り器具で抽出する。
「いれる量に関しては、少しずつ調整をお願いします」
レモン汁の入ったカップを受け取ったフォルティアナは、コクリと頷き白い液体の中に注いでいく。ハーネルドがそれをゆっくりと細い竹でかき混ぜると、白い塊が出来てきた。
「出来上がった白い塊をよくこねます」
ハーネルドが白い塊を作業台の上でよくこねる。
「これが本当にあのボールみたいになるのか?」
引っ張るとブチブチとちぎれる白い塊を見て、ハーネルドが疑問を呈する。
「トーマはこの後、そこにあるすり鉢とめん棒を使って何かを加えてさらに練り込み、竈でそれを焼いておりました」
「つまり、何を加えたのか現状分からないということですね」
「ええ、殿下の仰る通りです。この塊に慎重に空気を含ませて乾燥し、ボールにすることも出来ますが、中々あそこまでの弾力性は手に入りません」
すり鉢とめん棒を手にして注意深く観察していたクリストファーは、うっと顔を一瞬しかめた。
「どうした?」
「独特の香りがするなと思ってね」
クリストファーのその言葉で、皆の視線がトーマが使っていた道具に集まる。綺麗に洗ってある道具には、うっすらと使い込まれた黄色い染みがある。
「……っ! なんだこの臭いは!」
鼻をつまむハーネルドを見て、フォルティアナもめん棒を手に取りその香りを確認する。
(鼻につんとするこの香りは……)
「温泉の香りがしますね」
「温泉?」
首をかしげるクリストファーを見て、王都にはないものなのだとフォルティアナは気付いた。
「南部のサウスニアには、自然の温泉が湧き出る保養地があるんです。その香りと少し似ているなと思いまして」
「そういえばトーマもよく、温泉に通っていましたな。自然の中でゆったりと温泉につかるのは、まさに極楽だと」
「なるほど、トーマさんが通われていた温泉……ティア、視察のついでに行くことは可能かな?」
「はい、勿論です!」
「パナマ村長、森の様子も見せていただいてもよろしいですか?」
「勿論でございます」
その後、エスト村の西部にある密林を視察した。落ちているリーフゴムの実を荷馬車に乗せて運び出す作業員達に、現状を聞いて回りつつ、荷馬車一つ分のリーフゴムの実を実験用に伯爵邸に送ってもらえるよう手配した。
帰りに村人達と話をしながら、これから育てるのに適した野菜などを教えてもらい、雑貨屋で苗を手に入れて、エスト村の視察は幕を閉じた。
◇
その日の夜、フォルティアナはキースとミランダから預かったトーマの冒険日記の解読をしていた。読める部分を繋ぎ合わせて分かったのは、トーマが冒険の途中で見つけた自然の植物や鉱石に関する考察と実験結果が記されていることだった。
「リミー草には鎮痛や解熱効果があったのね」
知らなかった知識がそこには詰まっていて、読むのが楽しくなっていく。
冒険を通して得た知識がそこには余すことなく記されており、危険な毒草でも使い方によっては薬になること、新たな香料や染料の素材として使える可能性がある植物や鉱石の考察まである。
さらに森の恵みである果実や木の実、山菜、狩猟で得た獲物の美味しい食べ方などまで記されていた。
(本当に冒険している気分になるわね!)
ページをめくる手が止まらない。楽しく読み進めていくフォルティアナの手が、とあるページで止まった。
「リーフゴムの実の記述があるわ!」
読み進めて分かったのは、従来のリーフゴムボールで子供達と遊んでいたら、それを温泉に落としてしまったこと。遊んで壊れたボールの残骸を小さく丸めてポケットに入れていたら、誤って焚き火の中に落として燃やしてしまったこと。
燃えカスから出てきたリーフゴムの残骸が、以前よりよく伸びて縮むようになったことが書かれていたところで、手帳は終わっている。
(鍵はやはり、温泉にあるのね)










