第43話 力の加減って大事です
朝食を終え視察に出かける前、フォルティアナはエントランスでレオナルドに呼び止められた。
「ティア。視察の件だが、殿下に領地をよく見せようとする必要はない。現状をありのままお見せしてくれ。特に西部の現状も……」
「お父様、クリストファー様と領地の件で何かお話されたのですか?」
「ああ。昨夜殿下が、領地の改革を手伝わせて欲しいと仰られたのだ」
「そうだったのですね。分かりました、お任せください」
領地改革をする上で、西部の現状を見過ごす事は出来ない。あの光景を見て、クリストファーがどんな反応をするのかとフォルティアナは少し緊張していた。
外に出るとハーネルドとクリストファーが談笑していて、こちらに気付くと笑顔で迎えてくれた。
「ティア。俺はお前の婚約者だからな。領地の改革を俺も手伝ってやる」
「ハーネルド様も……?」
「人手は多い方が良いと思ってね。昨日の夜、ファロを使って僕が呼んだんだ。まさか翌日すぐ来るとは思いもしなかったけど」
(もしかして今朝のあの手紙は、ハーネルド様からだったのかしら?)
「移動時間の短縮に蒸気自動車を提供しよう。さらに視察を通して優位性のある作物や素材が見つかれば、高値で買取してもいい。どうだ、クリスより俺の方が頼りになるだろう?」
(同意しないと、さらに利点を並べ立ててはいと言わされそうな予感がする……)
自信満々な笑みを浮かべるハーネルドに、なんと答えるべきかとフォルティアナが固まっていると、クリストファーが助け船を出してくれた。
「アシュリー侯爵領は随分羽振りが良いみたいだし、最強のパトロンとしてすっごく頼りになるね~」
「ぱ、パトロン!?」
「さっき自分で言ってたじゃない。乗り物とお金を提供してくれるって。ティア、大いに有効活用しようか」
「クリス、貴様ー!」
「あれ、頼りになるって褒めてるのに何で怒るの?」
(ハーネルド様にあのような軽口が叩けるなんて、二人は本当に仲よしなのね)
そんな二人のやり取りを見て、フォルティアナからはいつの間にか笑みがこぼれていた。
「クリストファー様、ハーネルド様、お二人ともご協力ありがとうございます」
こうして心強い二人の協力者と共に、フォルティアナは西部地方の視察に向かった。
のどかな田園風景の広がる農道を走る道中、ガタガタと揺れる蒸気自動車にハーネルドは顔をしかめていた。
「この辺はやけに揺れるな」
「申し訳ありません。西部は荷馬車の往来が多く道も痛みやすくて……」
土と砂利を巻き、簡易的に平らにならしただけの農道は荒れやすくガタガタと揺れる。特に西部地方は密林に生えているとある植物の実の処分に手を焼いていた。そのせいで運び出すのに荷馬車の往来が多く、他と比べて道も痛みやすかった。
(リーフゴムの密林地帯を見たら、驚かれるでしょうね……)
窓から外を眺めるフォルティアナは、そこである異変に気付いた。本来出るはずべきではない所から煙が出ていることに。
「あの、下の方から煙が……」
その言葉にクリストファーは即座に窓から外を確認する。
「ネル、速度落として。これ以上無理させると車輪が痛むよ」
「ああ、分かった!」
運転席と近い方の窓を開けたハーネルドは、蒸気自動車の速度を落とすよう指示を出す。速度を抑えたことで、どうやら車輪と地面の摩擦で生じた煙は止まったようだ。
「この速度じゃ、普通の馬車とそう変わらないじゃないか……」
「そうだねーむしろ、乗り心地も悪くて馬車以下かもね。排気ガスも多くて自然にも優しくないし」
窓から外を眺めながら大きくため息をつくハーネルドに、にっこりと笑顔を浮かべてクリストファーが追い討ちをかける。
(クリストファー様、何故わざとハーネルド様を怒らせるようなことを!?)
「も、申し訳ありません! きちんと道の整備さえ出来ていれば、蒸気自動車は速度も出ますし、馬車より優れていると思います」
「そうだね。道さえ整っていれば、アシュリー産の蒸気自動車は素晴らしい乗り物だよね」
斜め前に座るクリストファーが、ぱちっとウィンクをしてくる。
もしかしてわざとなのかしら……と、何となくクリストファーの思惑が伝わってきた。
「そうだ! 道さえ綺麗に舗装されていれば、我が領地で作った蒸気自動車は一番なのだ!」
落とした後に持ち上げることで、案の定単純なハーネルドは上機嫌になった。
「じゃあ、ネル。道の舗装、よろしくね」
「…………は?」
「素晴らしいアシュリー産の乗り物を普及させるためにもさ、必要じゃない?」
「それはそうだが……」
「このだだっぴろい領地の道を、全て舗装しろと!?」
「それだと君にあまり利点がないでしょ? とりあえず、グランデ伯爵領とアシュリー侯爵領を結ぶ大きな街道と輸送路。ここを綺麗に舗装しておくことは、後々アシュリー侯爵領にも大きな利点になるはずだよ」
「大きな利点?」
「この自然豊かな領地には、君の領地では手に入らない自然由来の鉱石や染色に使う植物もある。視察を通して新たな交易品が見つかる可能性だってある。安全に早く輸送をするための先行投資だよ」
ふむ……と、ハーネルドは顎に手を置き熟考した上で、言葉を返した。
「まぁ、領地間を結ぶ街道は俺も不便だと思っていた。そこは引き受けても良いが、輸送路を全ては現実的じゃない」
「そうだね。僕も最初からそこまで君が引き受けてくれるとは思ってないし」
「まさか……」
「最初に無理を言えば、本当の目的を了承してもらいやすくなるからね~」
「だ、騙された……!」
「嫌だな~人聞きが悪いこと言わないでよ。それにあの道が綺麗に舗装されれば、ティアの元にも通いやすくなるでしょ」
「そうだな! 帰ったらすぐに手配しておこう!」
(ハーネルド様がクリストファー様の手の上で転がされているわ……)
「ハーネルド様、そこまでご迷惑をおかけするわけにはまいりません」
道を舗装するにはそれなりの費用がかかる。領地改革を手伝ってくれるとは言われたものの、そこまでの負担はかけられないとフォルティアナは頭を振った。
「め、迷惑ではない! どちらにせよお前が嫁いでくれば、伯爵邸までの道は綺麗に整えようと思っていた。それが少し早まっただけだ」
「どうして、そのような事を……?」
目を丸くして尋ねるフォルティアナに、ハーネルドが赤面しながら答える。
「お前はいずれアシュリー侯爵夫人となるのだ。その……移動の際、安全に往来できるように」
(なるほど、侯爵夫人としての身を心配してくださっているのね)
身を引き締めたフォルティアナは姿勢を正してハーネルドに向き合う。
「ご配慮いただきありがとうございます。ですがハーネルド様、ご安心ください。私、田舎道には慣れておりますので!」
何故か口をあんぐりと開けて、ハーネルドがこちらを見ている。そんなハーネルドを見て、クリストファーが堪えきれずに笑い出してしまった。
「ネル、それじゃあティアには伝わらないよ。もっとストレートに伝えないと」
笑いすぎて目の端に滲む涙を拭うクリストファーを横目に、ハーネルドは咳払いする。
「ティア、お前自身の安全のためだ。それに領民のためになる事をすれば、お前が喜ぶと思ったからだ!」
(ハーネルド様が私のために、そのようなことを考えてくださっていたなんて……)
「あ、ありがとうございます。ハーネルド様」
耳を赤くしてそっぽを向いてしまったハーネルドに、フォルティアナは笑顔でお礼を述べた。
それから農道を走ること数十分、ようやく西部の集落エスト村が見えてきた。
「自然豊かでのどかなところだね」
「はい。エスト村はセーラ川周辺の森林地帯を開拓して出来た場所なんです。川で魚釣りをしたり、森で果物や山菜を採ったりと、グランデ伯爵領の中では一番自然を楽しめる場所でもあります」
村長の家に向かう途中、窓から外を眺めながらクリストファーが尋ねてきた。
「ところでティア、さっきからすごく気になってたんだけど、すれ違う荷馬車が運んでるあの作物は何?」
「あれはリーフゴムの実です。年中実のなる珍しい樹木から採れるのですが、繁殖力が強く放置しておくと密林が広がり森の生態系を壊してしまうので、定期的に拾い集めて焼却処分しているんです」
「くっそ硬くて食えもしない迷惑な果実だ」
「処分か……」
フォルティアナとハーネルドの言葉を聞いて、クリストファーは処分場へ向かうリーフゴムの実に再び視線を移した。
「実は西部では、年々量が増えるリーフゴムの実の処分に悩まされているんです」
「大きくて運ぶのも大変そうだし、放置も出来ないんじゃ大変だね」
そんな話をしていると蒸気自動車が止まり、どうやら村長の家に着いたようだ。
ハーネルドが先に降りて、「ほ、ほら、掴まれ」とエスコートしてくれた。
お礼を言って蒸気自動車を降りると、元気に遊ぶ子供達の声が聞こえてくる。
(あれはきっと、キースとミランダね。もうこんなに大きくなったのね)
かわいらしい双子の姉弟をフォルティアナが微笑ましく眺めていたその時、二人が遊んでいたボールがこちらへ飛んできた。
「ティア!」
咄嗟に目をつむると、後頭部に手を回され抱き寄せられた。頭上ではパシッとボールを受け止めた音が聞こえてくる。
(ハーネルド様、助けてくださったのね……そういえばあの時も、こうして私のことを守ってくださったわね)
デビュタントのダンスで盛大に転んだ時、咄嗟にハーネルドはフォルティアナが怪我をしないよう衝撃に備えて抱き寄せてくれた。
正直普段の言動はあまりほめられたものじゃないが、いざという時にはこうして守ってくれるハーネルドの優しさを少しだけ感じていたその時――
頭上から聞こえる「貴様等……」と地を這うようなハーネルドの恐ろしい声に、「ひぃぃ! ご、ごめんなさい!」とキースとミランダが揃って悲鳴のような叫びを上げた。
「ハーネルド様、お待ちください! 私は大丈夫ですから!」
今にも鬼の形相で二人を追い詰めそうなハーネルドの上着を掴み、フォルティアナは必死に止めた。
「だが!」と憤りを隠せないハーネルドに「リーフゴムボールはとても柔らかいんです。だからたとえぶつかってもそこまで痛くないんです」と訴える。
蒸気自動車から降りてハーネルドの手からひょいっとボールを取ったクリストファーは、その感触を確かめながら「本当だ。こんなボール初めて見たよ」と驚きで目を見張る。
「ネル、触ってみなよ」
クリストファーはそう言ってハーネルドの顔にボールをぐっと押し付けた。
「おい、クリス!」
「あはは、そんな顔で怒ったって威厳ない」
(ハーネルド様にあんなことを出来るのはきっと、クリストファー様くらいだわ……)
短くため息をつくと、ハーネルドはクリストファーの手からボールを奪った。
「なんだこのプヨプヨとした感触は! 中身が詰まってないのか?」
「あ、やめて。あまり乱暴にすると……」
ミランダが注意を促すが時既に遅し。パンッ! と大きな音を立てて、ハーネルドの手の中でボールが割れてしまった。
「あ……」










