第41話 猫かぶり王子と慎重派の伯爵(side クリストファー&レオナルド)
夕食後、書斎にはレオナルドとクリストファーの姿があった。
使用人に給仕をさせ下がらせた室内には、ピンと張りつめた空気が漂っている。
「それで、お話とは?」
レオナルドの緊張で強張った声が、書斎に響く。
「自然豊かで食事も美味しく、素敵な領地で療養出来て嬉しい限りです。迎え入れてくださり、ありがとうございます」
まずはレオナルドの緊張を解くことから。
クリストファーはにこやかな笑みを浮かべてお礼を述べた。
「お気に召していただけたようで、光栄にございます。もし何か不都合がございましたら、何なりとお申し付けください」
しかし身構えたレオナルドの警戒はそう簡単には解けない。
「実は道中フォルティアナ嬢にお聞きしまして、領地の過疎化に大変心を痛められていると……」
娘の名前を出された事に、レオナルドの眉がピクリと動く。
「確かに過疎化は深刻ですが、殿下のご心配には及びません」
「一年間お世話になるのです。よければ私に、ご協力させていただけませんか?」
「そうして心を傾けてくださるのは大変光栄にございますが、どうか殿下はご自身の体調を一番にお考えください」
踏み込むな。
丁寧にやんわりと、レオナルドはそう主張したのだ。
(やはり、一筋縄ではいかないね……)
一見心配そうに眉根を寄せるレオナルドだが、その瞳の奥には冷たい拒絶の意が籠っていた。
そんな彼の表情を見て、クリストファーは瞬時に理解した。上辺だけの言葉を重ねても、レオナルドには届かないと。
(それなら、品行方正な王子の仮面は要らない)
「身体に障るといけません。どうかお早めにお休みください」
レオナルドは席を立ち、そう言ってクリストファーを出口へ促す。
「申し訳ありません、順序が逆でした」
ドアノブに手を掛けたレオナルドの前に足を進めたクリストファーは、その場で膝をつき頭を垂れた。
「まずは過去の非礼をお詫びさせてください。不当な冤罪を着せ、今まで不自由な生活を強いてきたこと、王族として深くお詫び申し上げます」
「殿下!? ど、どうか顔をお上げください!」
高貴な身分である王族が家臣に向かって膝を床について頭を下げるなど、本来あってはならないこと。
レオナルドは慌ててドアノブから手を離し、クリストファーに掛けよった。
「フォルティアナ嬢は、危険を顧みず僕を助けてくれました。だから今度は僕が、彼女の力になりたい。幸せを、本当の自由を手にしてほしい。そのために、魔女と汚名を着せ滅ぼした過去の冤罪を晴らしたいのです」
嘘偽りなく、それはクリストファーの本心であった。
真っ直ぐに注がれるクリストファーの青い瞳を見て、レオナルドは思わずギリッと唇を強く噛んだ。
「それは王家としてのお言葉ですか? それとも、殿下個人のお言葉ですか?」
そう簡単に信じてもらえるとは思っていない。今自分に出来ることは、出来る限り誠実であること。そしてそれを貫き通して信じてもらうしかない。
「両方です。王家としても僕個人としても、持てる力の全てを使って彼女の笑顔を守りたい。そのためには伯爵、貴方の協力が必要なのです。どうかご再考いただけることを願っております」
「娘達は、自分が聖女の末裔だと言うことを知りません。どうか少し、考える時間をください」
「分かりました、また出直します」
退室した後、クリストファーは動悸を抑えるべく自身の胸に手を当て渇いた笑いを漏らした。
「ははっ、情けないな。本心をさらけ出すのが、こんなに怖いことなんて知らなかった」
それでも、いつものように仮面を被っていてはレオナルドには届かないと思った。
たった一年しかない。
これは時間との勝負でもある。
なりふりなど構っていられない。
領民達の幸せがフォルティアナの幸せに繋がると言うのなら、今後もその幸せが続くように伯爵の協力は不可欠だ。
計画と目標を具体的に示さない事には交渉も出来ない。信じてもらうには根拠も必要だ。
自室に戻ったクリストファーは、実際に見たグランデ領の特徴を書き出し、把握した限りの問題点をまとめた。
とはいえ、まだまだ情報が少ない。もう少し詳しい視察をしないと見えてこない点もある。
「こういう時こそ猫の手を借りよう。あ……犬の手かな?」
◇
クリストファーが退室した後、レオナルドは思わず深いため息を漏らした。
「まさか殿下が、娘の事を……本気で……」
とても演技には見えなかった。
あの第二王子があそこまで必死になりふり構わずお願いしてくるとは、完全に予想外でレオナルドの想像をはるかに越えていた。
腹の探りあいの多い貴族の会話は、笑顔の仮面を被りながら決して隙を見せてはならない。それは足元をすくわれないようにするための、最大の防御だ。
それが王族ともなればなおのこと。
誰よりもその仮面を被るのが上手いクリストファーが、フォルティアナの前でだけはその仮面を取り外し砕けた口調で話している。
その態度がレオナルドには【お前の娘を奪ってやる】と主張されているようで、歯痒かった。
単なる興味本位だけで手を出そうとするなら、それは何としても守らねばならないと構えていた。
しかし蓋を開けてみれば、そこに居たのは切実に娘の幸せを願う青年の姿だった。
協力すれば、本当に魔女の汚名を返上させてくれるかもしれない。
その一方で、これまで何もしてこなかった王家が今さら……という気持ちも拭えない。
魔女の一族だと正体がバレるのを恐れ、オルレンシア王国の隅っこで、目立たないよう慎ましく生活してきた。
グランデ領の主な産業は農業だった。畜産や酪農、養蜂もやっているが、それはあくまで自領で消費する分を賄うのみ。
オルレンシア王国の主食として一般的なのは小麦から作られたパンだ。しかし近年南部では米の栽培が盛んに行われており、じわじわと人気が出て米を食べる人の割合が増えた。
そのため小麦の過剰生産や在庫を削減し、価格低下を防ぐために減反政策が国の方針として行われており、グランデ領も例外ではなかった。
そんな減反政策の影響や、アシュリー領の行う産業改革によって、仕事のない田舎から都会に出稼ぎに行く若者も増えた。
農村部では深刻な過疎化と高齢化が進み、これ以上領民達に不自由な生活を継続させるのは領主としても心苦しかった。
何かしら新たな手をうたなければならないと思っていた。クリストファーの提案は、レオナルドにとってはまさに渡りに船のようなものであるのも事実。
私情と現実を天秤にかけ、悩むこと数時間。
まずは話を聞くだけなら……実行するかはその時に再び考えよう。
慎重派のレオナルドは、熟考した上で結論を先延ばしにしたのだった。










