第39話 出来ることから一歩ずつ頑張ります
農道を抜けると、グランデ領の主要都市グラースが見えてきた。本来ならそこで一泊してから屋敷に向かう予定だったが、ハーネルドが用意してくれた蒸気自動車のおかげで予定より早く辿り着いた。
「ティア、確かグラースで一泊してから屋敷に向かう予定だったよね?」
「はい。当初はその予定でしたが、ハーネルド様のおかげでかなり時間を短縮出来ました。ゆっくり食事を取っても、夕方までには屋敷に辿り着けると思います」
そんな話をしている間に、一行を乗せた蒸気自動車はグランデ領の主要都市グラースに到着した。
窓から街並みを眺めるクリストファーから、思わず感嘆のため息が漏れる。
「わぁ、色彩豊かで美しい街並みだね」
街の景観を保つために白を基調とした建物の並ぶ王都から見たら、カラフルなグラースの街並みは珍しいのかもしれない。
「木の組み方や色彩にもこだわりを持って作られた建物は、グランデ領の伝統文化なんです」
グランデ領では主に、木で造られた壁の骨組みの間に、石やレンガを入れて漆喰で固めて作る木骨造りの建物が一般的だ。
他との差別化を図るために、同じ色の家が隣に並ぶ事がまずない。同じ系統の色だとしても、色彩が濃かったり薄かったりとその色調は様々だった。
確かにこの街並みを見たら、カーネル卿が色彩実験したくなるのも頷けるな……とクリストファーはカラフルな建物を見て納得していた。
「そうなんだね」
「はい。昔はもっと街の活気もあったのですが、今は空き家も多くなってしまいまして……」
手入れの行き届いていない民家の壁にはつたが巻き付き、老朽化が進んでいた。
グランデ領で一番栄えている都市でさえ、そうした空き家がポツポツと点在して目立っている。
「ここはアシュリー領から近いし、道中の砂利道さえ綺麗に整えれば観光客を連れてくる事はそこまで難しくないと思う」
「観光客を、ですか?」
「この街並みを眺めてるとワクワクするし、ネルが言ってたんだけど、食事もすごく美味しいって聞いたんだ」
「ハーネルド様が、そう仰っていたのですか?!」
「うん。あーもしかして……」
驚くフォルティアナを見て、クリストファーは何かを悟ったように頬をポリポリと掻いている。
「いつも厳しいお言葉をいただくので、てっきりお口に合わないのかとばかり……」
そのわりに手を動かして全て完食していたハーネルドを思い出す。
嫌いなものでも完食するその姿勢を見て、普段から体作りに余念がない方なのだとフォルティアナは別の意味で感心していた。
「でもそのおかげで、我が家のシェフの料理の腕はとても上達したんですよ」
「それは楽しみだな」
それからグラースでお昼休憩を取り、夕方を迎える頃にはグランデ伯爵邸に着いた。
◇
到着してすぐ、急ぎクリストファーの訪問を伝えにサーシャが屋敷へと向かった。
(慎重派のお父様のことだし、準備は出来ているわよね……?)
予定より早く到着してしまったことに一抹の不安を覚えつつも、フォルティアナはクリストファーを屋敷へ案内した。
火急の知らせを受けた両親と使用人達が、クリストファーをお迎えすべくエントランスで待機していた。
「ようこそお越しくださいました、クリストファー殿下」
「お待ちしておりました! クリストファー殿下」
緊張した面持ちの父レオナルドとは対照的に、母オリヴィアは満面の笑みを浮かべていた。
「グランデ伯爵に伯爵夫人、お迎えいただきありがとうございます。予定より早く着いてしまいましたが、大丈夫でしょうか?」
グランデ伯爵邸を訪れる貴族と言えば、ハーネルドくらいだった。
我が屋敷のごとく侵入してくるハーネルドと違い、心配そうにこちらを気遣う言葉を投げ掛けてくれるクリストファーに、オリヴィアと使用人一同の心は一瞬で掴まれてしまっていた。
「もちろんです、何の問題もございませんわ! 長旅でお疲れでしょう。眺めの良い部屋をご用意しておりますので、早速ご案内いたします」
「お心遣い感謝いたします」
そのままオリヴィアと使用人達に囲まれながら、クリストファーは部屋へ案内されていった。護衛のラルフもそれに随伴する。
そんなクリストファーの背中を眺めながら、ようやく任された大役を無事に終える事が出来たと、フォルティアナはほっと安堵の息を漏らした。
「おかえり、ティア。急に大変な役目を与えてすまなかったね」
「最初は緊張しましたが、クリストファー様が気さくに話しかけてくださるので楽しかったです。それよりお父様、一つお聞きしたいことが……」
「何かあったのかい?」
「ここだと人目がありますので」
「分かった、続きは私の書斎で話そう」
場所を移動し、レオナルドの書斎へと向かう。
(あの首飾り、お父様はまだお持ちなのかしら?)
中に入ると自然と視線が飾棚に向かうも、見当たらない。
「それで話とは? まさか、クリストファー様に何か……」
「いえ、そうではありません」
ほっと胸を撫で下ろす父に、フォルティアナは尋ねた。
「実はルーブレイク美術館でブルーサファイアの首飾りを拝見しまして、呪われた宝石をお父様がまだお持ちだったらと心配していたのです」
「……大丈夫だ。あの後すぐに手放したから、何も心配する事はないよ」
一瞬目を泳がせた後、レオナルドは誤魔化すように笑って答えた。
「それなら良いのですが……」
魔女の怨念が籠った宝石ブルーサファイア。イシュメリダ神の加護を受けた王族しか触れる事が出来ない、呪われた宝石。
オルレンシア王国民を守るために、王家の男児は危険な宝石を肌身離さず身につけているとハーネルドは言っていた。
もし不当に所持している事がバレてしまえば、王家への不忠と捉えられてもおかしくない。
あらぬ誤解を招くものを父が処分していた事を確認して、フォルティアナの心は軽くなった。
「そうか、王都の美術館にはまだ展示されていたな……」
そんなフォルティアナとは対照的に、レオナルドの表情には暗い影が落ちている。
今まで必死に隠していた知識を娘が知ってしまった事実に、守るためには嘘を付かなければならない現実に、心を痛めていた。
「お父様?」
「何でもない。ティアも疲れただろう? 夕食まで部屋でゆっくり休んでいなさい」
「はい。それでは失礼します」
自室に戻ると、サーシャが荷解きをしてくれていた。
「ティア様。王都で買った今回の戦利品、こちらに置いておきますね!」
王都へ出掛ける際、フォルティアナは領地改革に使えそうな植物の種を購入して持ち帰っては、自領で量産出来ないか品種改良の実験を行っていた。
需要のある植物を領地で量産化出来るようになれば、安定的な収入を得ることに繋がる。
定期的に訪れる減反政策の時に困らないよう、他の稼ぎ頭となる第二、第三の作物を作りたかったのだ。
「ありがとう、サーシャ」
今回の戦利品は、潰れないよう大事に箱にしまって持ち帰った稀少なクリスタルローズの種。
「何度見ても美しいわね」
箱を開けると、まるでクリスタルのようにキラキラと輝きを放つ小さな種の姿がある。
「これが全て咲けば、大金持ちに……! オークションの競りが激しい時は、数千万リルで落札された事もあると噂されていましたよね!」
興奮気味なサーシャに、フォルティアナが頷きながら答える。
「そうね。多くの花栽培農家がロマンを求めて毎年挑戦しては、涙を流しているらしいわ」
クリスタルローズは、花びら一枚一枚が水晶のような美しい輝きを放つ。主に贈答品として使われており、育てるのが非常に難しく高値で取引されている稀少な花だ。
多くのクリスタルローズが開花する事なく、蕾のまま種となって枯れてしまう。そのため種は比較的安価で売られていた。
フォルティアナはそこに目を付けた。
いくら需要があっても薄利多売の作物では、多くの流通コストがかかる。
仕入値が安くて高値で販売出来るクリスタルローズは、多少世話をするのに手間がかかっても成功すれば多大な利益になる。
肥沃な大地のグランデ領は、作物の栽培に関してはどこよりも有利な土地柄だった。
(これを領地で育てられるようになれば……!)
「ロマンで終わらせないためにも、頑張るわ!」
「必要な物があれば仰ってください! 精一杯お手伝いします!」
「ふふっ、心強いわ」
フォルティアナは本棚から植物図鑑や花の育て方の本を取り、様々な薔薇の飼育方法を調べて実験ノートに書き記していく。
(クリストファー様も領地改革に協力してくださると仰っていたし、私も出来ることを頑張ろう!)
夕食を迎える頃には、実験ノートにはびっしりと薔薇の飼育方法がまとめられていた。










