第31話 笑顔特訓とはなんでしょう?
(ハーネルド様……!?)
ハーネルドの大きな声に、反射的にフォルティアナの手に力が入る。
ぎゅっと握られたフォルティアナの手が、小刻みに震えている事に気付いたクリストファーは、不安を和らげるようにその手を優しく握り返してくれた。
全身真っ黒な大男に睨まれながら大きな声で呼び掛けられたら、普通の貴族女性なら驚きで気絶しても無理はない。
いつもこうして気丈に耐えてきたのだとしたら……フォルティアナの不憫な姿を見て、クリストファーはハーネルドに内心ため息をついた。
良好な関係が築けているなら、このように怯える事はないだろう。思っていた以上に、ハーネルドがフォルティアナに付けた傷は深そうだと。
「やぁ、ネル。そんなところで何してるの?」
「お前達を迎えに来たんだよ!」
こちらに歩み寄ってきたハーネルドの視線が、二人の繋がれたままの手に注がれる。
「ハーネルド様。駅近くの宿に予約を取っておりますので、わざわざお手を煩わせるつもりは……」
「安心しろ、キャンセルしておいてやった。第二王子殿下のご来訪だ、丁重にお迎えしないといけないだろ? 家に泊まればいい。それよりも……いつまで手を繋いでいる気だ!」
無理やり引き離そうとしたハーネルドに、クリストファーが氷のように鋭い視線を投げ掛けた。
「ネル、醜い嫉妬でティアを危険に巻き込むのは許さないよ」
ゾクリと背筋に悪寒を感じたハーネルドの動きが反射的に止まる。
「ここはプラットホームだ。君の短慮のせいで、ティアが怪我でもしたらどうするの」
その言葉で、ハーネルドは隣が危険な線路である事を思い出す。
「はっ! すまない……」
「分かったならほら、ネルは線路側に立って。女性をエスコートする時の基本でしょ」
クリストファーはハーネルドを目的の位置に誘導し、フォルティアナに声をかけた。
「ティア、ここからはネルがエスコートしてくれるって。不便な所があったら、どんどんダメ出ししていいからね」
(クリストファー様、笑顔でなんて事を仰るの……)
「ほ、ほら……行くぞ」
「はい!」
差し出されたハーネルドの手に、フォルティアナは自身の手を重ねた。
照れ臭さからか、ハーネルドはそそくさと歩き始める。
(足がもつれそう……)
ハーネルドに、引っ張られるようにして歩くフォルティアナを見兼ねて、クリストファーが後ろから待ったをかける。
「ネル、速度」
「分かっている!」
クリストファーのおかげで、少しハーネルドの歩く速度が落ちた。
「段差」
「分かっている!」
「視線」
「……視線!?」
「声が大きい」
「もはや文句ではないか!」
ブツブツと文句を言いながらも、ハーネルドは言われた所を改め無事にフォルティアナを蒸気自動車までエスコートした。
(クリストファー様の助言のおかげで、途中からとても歩きやすかったわ)
フォルティアナの視線が、斜め前に座るクリストファーに自然と向く。車窓から外の景色を眺めていたクリストファーは、フォルティアナの視線に気付くとパチッとウィンクして微笑んでくれた。
そんなクリストファーの隣からは、深いため息が聞こえてくる。ことごとくダメ出しをされ、ハーネルドはがっくりと肩を落としていた。恐る恐る顔を上げたハーネルドは、目の前に座るフォルティアナに問いかけた。
「そんなに俺のエスコートは、酷かったのか……?」
「い、いえ、そのような事は……」
視線を泳がせるフォルティアナを見て、クリストファーが笑顔でハーネルドに答える。
「うん、十点」
「じゅ、十点だと!?」
「三ヶ月は君達の仲が進展するよう手伝ってあげるって約束したから、正直に教えてあげたんだよ、ネル。さっき僕が指摘したところを直さないと十点だよ」
「ぐぬぬ……」
ハーネルドが悔しそうに歯ぎしりする。
「ティア、君は我慢しすぎる所があるようだね。辛い時は声を出していいんだよ。ネルに改善してほしい点があるなら、正直に言ってごらん」
クリストファーに優しく諭され、フォルティアナは意を決して普段感じていた事を口にした。
「ハーネルド様は身長が高く歩幅も大きいので、追い付くのに少し……苦労します。それと段差で睨まれると、怖くて足がすくみます……」
「そ、そうか……すまない。善処する……」
「いえ私こそ、我が儘を申し上げてすみません……」
車内には、ズーンと重苦しい雰囲気が漂ってしまった。
「ティア、すーごく分かりにくいんだけど、ネルが君に送る視線は決して睨んでるわけじゃないんだよ。緊張と心配が入り交じって鋭くなってるだけなんだ」
「そう、だったのですか……?」
目を丸々とさせて、フォルティアナは正面に座るハーネルドを仰ぎ見た。
フォルティアナの視線に気付いたハーネルドは、また怖がらせてしまうかもしれないと慌てて目を伏せて口を開く。
「ああ。怖がらせてしまって、すまない……」
「こちらこそ、勘違いしてしまって申し訳ありませんでした……」
(一緒に美術館に行った時は、もう少し話しやすい印象を受けたのだけど、今日のハーネルド様はまたピリピリとされているわ……)
車内に再びズーンと重たい暗雲が立ち込める。そんな暗雲を取り払ったのは、クリストファーのとある提案だった。
「そうだ、ネル。また笑顔の特訓してあげようか?」
「だ、断固拒否する……!」
「ティアを怖がらせないために必要そうだけど?」
「そ、それは……」
「ティアもこの仏頂面が少しは微笑んでたら、威圧感減るよね?」
「そうですね。ハーネルド様は、笑顔の特訓をされていたのですか……?」
「ネルって悪人顔でしょう? 表情筋硬いし目付きも悪くて色々勘違いされやすいから、昔よくやってあげてたんだ」
(そんな努力をされていたのね……知らなかったわ)
どのような特訓をされるのかと、フォルティアナは興味津々にハーネルドを見つめる。
「さぁ、ネル。まずは現状を見せて」
クリストファーに促され、ハーネルドは仕方なく笑顔を作る。
その時、車窓から差し込む街灯の光がハーネルドの顔を一際明るく照らした。浮かび上がる悪鬼の如く笑う恐ろしいハーネルドの顔。
「…………っ!」
口元を両手で押さえ、フォルティアナは悲鳴を何とか飲み込んだ。
何てタイミングの悪さだろう……二人の様子を見て、クリストファーはあちゃーと頭を抱える。
「ど、どうだ……?」
「ネル、振り出しに戻ってる」
「そ、そんな馬鹿な……」
時間帯を考えるべきだったと、クリストファーは苦笑いを漏らす。
何とも絶妙な空気を漂わせながら、一行を乗せた蒸気自動車はアシュリー侯爵邸へ着いた。存在感のある三階建ての屋敷を見て、クリストファーが口元に笑みを浮かべる。
「君の家、高さがあるしちょうどいいね。またやろうか、あれ」
意味を理解したハーネルドの顔が途端に青ざめる。
「お前はやっぱり悪魔だー!」
ガタガタと大きな体を震わせ狼狽えるハーネルドに、「心外だな、君のためを思って言ってるのにー?」とクリストファーが笑いかける。
(お二人とも、本当に仲がよろしいのね!)
二人のやり取りを眺めるフォルティアナからは、自然と笑みがこぼれていた。
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