第15話 思いがけぬ再会に嬉し涙が止まりません
楽団の音楽に合わせてダンスをしたり、豪華な料理に舌鼓をうったり、歓談を楽しんだり、自由な時間となった。
クリストファーの元には多くの参加者が押し寄せていた。見事に快気をはたした王子に、一目ご挨拶をしたいと集ったのだ。
「殿下、この日をとても心待ちにしておりました」
クリストファーは一人一人に丁寧に対応し、笑顔でお礼を述べていた。ハーネルドと共にフォルティアナも挨拶に伺ったものの、とてもじゃないがお話を出来る雰囲気ではない。社交辞令の挨拶をすませて、その場を後にした。
「ティア、すまない。少しだけここで待っていてくれ」
そう言ってハーネルドは、颯爽と群れの中を突き進んだ。中心に居た人物を連れてくると、そのままパーティー会場を出て行ってしまった。彼が連れて行ったのは、少し顔色の悪そうなクリストファーだった。
病み上がりのクリストファーにとって、ダンスを一曲踊りきり始終ホールに立っているのは、本来ならかなり身体に負荷のかかること。しかし本日の主役であるため、そう簡単にはその場を離れる事も出来ない。ひっきりなしに訪れる招待客を無下にも出来ず、対応するしかない。
その姿を見るにみかねて、ハーネルドはクリストファーを連れ出したのだった。
(クリストファー様……大丈夫かしら……)
ハーネルドに任せておけば大丈夫だと分かっていても、フォルティアナは心配せずには居られなかった。その時──
「キャア!」
女性の派手な悲鳴が聞こえた瞬間、ひんやりとした液体が身体をつたう感覚がした。ポタポタとドレスから滴り落ちる赤い液体は、芳醇な甘い香りとアルコールの匂いを含んでいた。
「ごめんなさい、大丈夫かしら?! まぁ……素敵なドレスが……! すぐに着替えを、こちらにいらして!」
間髪入れずに喋り続ける令嬢によって、フォルティアナはとある個室へと連れて来られた。
「すぐに侍女を呼んでくるから、少しここで待っててもらえる?」
そう言い残して、令嬢は部屋を出て行った。
(あの方は確か……ブロッサム公爵令嬢のリリアンヌ様……)
よくハーネルドの周囲に居た令嬢の一人だった。
待っていてといわれた手前、勝手に部屋を出る事は出来ない。かといえ、この姿ではソファにもシミが付く可能性があるため座れない。必然的に立って待つしかなかった。
(ハーネルド様がわざわざご用意して下さったドレスが……)
少しでもシミ抜きをしようと試みた時、扉を誰かが思いっきりノックしてくる音が聞こえた。
「ここに居ると危険よ! お願い、出てきて!」
尋常ではないその声に、フォルティアナが扉を開けると、そこにはリリアンヌの姉、ミレーユが立っていた。
「すぐにこちらへ」
「み、ミレーユ様?!」
手を引かれ今度は違う個室に連れて行かれた。状況が飲み込めないフォルティアナが、されるがままになっていると、廊下の方からヒステリックな女性の声が聞こえてきた。
「あの女、何処行ったのよ! 折角閉じ込めておいたのに! お前がのろのろしているからよ! 本当に役立たずね!」
「申し訳ありません。リリアンヌ様」
「折角灸を据えてあげる良い機会だったのに! もういいわ、帰る!」
「お待ち下さい、リリアンヌ様。あまり勝手な行動をされますとミレーユ様のお立場が……」
「婚約なんて破断になってしまえば良いのよ! 姉様がライオネル様と婚約したせいで、私は王家に嫁げないのよ! 折角クリストファー様が戻ってこられたというのに! ハーネルド様も全然相手にしてくれないし!」
怒りを露わにしながら、遠ざかっていく足音が聞こえた。
フォルティアナはいたたまれない気持ちになっていた。自分を助けたばかりに、ミレーユに不快な言葉を聞かせてしまったことに。
「妹が迷惑をかけて、すまなかったわね。すぐに着替えを手配するから、もう少しだけここで待っていてもらえるかしら?」
「ありがとうございます。あの……ミレーユ様!」
差し出がましい事かもしれない。けれど、フォルティアナは声をかけずにいられなかった。
「私はすごくお似合いだと思っています。誕生パーティで拝見させて頂いた、ライオネル様とミレーユ様のダンス、とても素敵で私の憧れで……」
「気を遣ってくれなくていいのよ。あの子はいつもああだから。でもありがとう。貴女は相変わらず、優しいのね」
柔らかに微笑むミレーユを見て、フォルティアナはそっと胸を撫で下ろす。
「冷えるでしょう? すぐに手配してくるわ」
その後、ミレーユの呼んできてくれた宮廷侍女の手により、フォルティアナの着替えは無事完了した。汚れたドレスはすぐにランドリーへと回され、染み抜きをしてもらえることになり、至れり尽くせりな状況に、フォルティアナはミレーユに感謝の気持ちで一杯だった。
「よかったら、少し付きあってくれないかしら?」
ミレーユのお誘いを、快諾したフォルティアナは、小休憩室で共にお茶をよばれることになった。
給仕をしてくれた宮廷侍女が退室した所で、フォルティアナは改めてお礼を述べた。
「ミレーユ様、先程は本当にありがとうございました」
「えらく他人行儀な呼び方をするのね、ティア」
目の前には、そういって悪戯な笑みを浮かべるミレーユの姿がある。
「ヴィヴィアナ……この名前に見覚えはない? 貴女が私につけてくれた名前よ」
「まさか……本当に……ヴィヴィアナなの? 王立図書館でよく一緒に本を読んでいた……」
「ええ、そうよ。ページがめくれない私の代わりに、貴女がめくってくれた。誰にも見つけてもらえなくて不安だった私に、優しく声をかけてくれた。今でもよく覚えているわ」
こんな嬉しい再会があっても良いのだろうか。クリストファーの事があって、光る人の正体が分かった今、フォルティアナはヴィヴィアナの身を案じてとても不安に駆られていた。
「良かった……無事で本当によかった……」
一年のうちのほとんどを領地で過ごすフォルティアナにとって、他の領地を治める貴族令嬢の友人は居ない。会えば挨拶を交わす顔見知り程度で、特に親しいというわけでもない。
領地に戻れば親しくしている同世代の友人は居る。しかし学園では常にトップの成績を維持し、領主の娘というステータスを持つフォルティアナは、対等な友人というよりは憧れの人といった感じで周囲に慕われており、純粋な友人とは言えなかった。
グランデ伯爵領という辺境の片田舎にやってくる貴族はその当時、婚約者であったハーネルドくらいだった。
そんなフォルティアナにとって、両親と共に王都へ出かけた際に、王立図書館で出会ったヴィヴィアナという少女は、本当に数少ない貴重な友人だった。
身分に囚われず、共に読んだ本の感想や意見を語り合う事ができる。彼女と過ごすその時間が、当時のフォルティアナにとって一番楽しみな時間であった。
いつか会いに来てくれると信じて待つも、何の音沙汰もない。王都に来た時は、必ず王立図書館へ足を運んだもののヴィヴィアナに会うことは出来なかった。
月日が経つにつれ、あれは夢の中の出来事だったんじゃないかと不安を抱くようになった。
夢ではない。ようやく会うことが出来た。フォルティアナの瞳から思わず嬉し涙があふれ出す。
「遅くなってごめんね。本当はもっと早くに声をかけたかったんだけど、色々事情があって出来なかった。本当にごめんなさいね」
何も知らなかった子供の頃なら、気兼ねなく声をかける事が出来ただろう。しかしその身分を知ってしまった今、公爵令嬢であるミレーユに昔のように馴れ馴れしく話しかける事は出来ない。
「ヴィヴィアナが……ミレーユ様がお元気なら、私はそれだけで大変嬉しく思います」
しかしフォルティアナのその態度に、ミレーユは不服だと言わんばかりに頬を膨らませる。
「折角またこうして会えたのに、そんな不粋な真似はよしてちょうだい。私はティアのこと、ずっと友達だと思ってたのに、貴女は違うのね? あー悲しい、すごく悲しいわ」
ハンカチを目元にあて、おめおめと泣き真似をするミレーユに、フォルティアナは慌てて声をかける。
「違うよ! 私もヴィヴィアナの事は、本当に大切な友達だと思ってる! だからお願い、泣かないで……」
おろおろとした様子で、思わず敬語を使うのを忘れてしまったフォルティアナに、ミレーユはにっこりと人懐っこい笑みを浮かべる。
「だったら敬語は不要よ。二人の時はミレーユって呼んでね」
騙されたと気付いた時にはもう手遅れで、それでもそんなやり取りがフォルティアナは懐かしく感じていた。
「分かったわ、ミレーユ」
満足そうに笑うミレーユにつられて、フォルティアナからも自然と笑みがこぼれていた。