第11話 猫かぶり王子と孤高の一匹狼(side クリストファー)
オルレンシア王国の第二王子として生まれたクリストファーは、幼心に自分の存在価値を悟っていた。
あくまでも自分は第一王子であるライオネルに何かあった時の替え玉でしかないと。
力を持ちすぎれば、変な軋轢を生んで王位継承権を巡って争いに巻き込まれる。
そんな事は望んでいない。聡明であるが故に、自分の立ち位置がどうあるべきかを常に考えながら行動していた。それなのに──
「クリス、危ない! 怪我はないか?」
「僕は大丈夫です。それより兄上の方が……」
「これくらいどうって事はない。軽い水浴びをしただけだ」
将来王になるはずのライオネルは、何より危険から遠ざけねばいけない己の身体を、何の惜しげもなく他者のために使う。
守られる存在であるはずのなのに。自身の立ち位置というものを全く理解していない。そんな兄に少なからず苛立ちを抱えていた。
腹立たしいのに、なぜか憎めない。それは、そんな兄を誇りに思っていたからだ。
武芸に秀でて努力を惜しまない。民からの支持も厚く、人を引き寄せる人徳を持ち、真っ直ぐな強い意志で周りを引っ張って導くカリスマ性。まさしくリーダーになるために、生まれてきたような人だった。
「兄上、貴方は将来王になられるのですよ。自分の身の安全を一番に考えて下さい! どうして僕なんかを、庇ったりしたのですか……」
クリストファーはその日、朝から体調が優れなかった。それでも無理をして、園遊会の準備をする兄について庭園を共に歩いていた。
軽いめまいがして身体がふらつき、噴水の方へ倒れようとしたのを、兄ライオネルが身を挺して助けてくれたのだ。そのせいで、ライオネルの身体は噴水に浸かり全身びしょ濡れ状態だった。
自分の落ち度だと分かっている。まず言うべきは感謝の言葉のはずなのに、苛立ちを抱えていたクリストファーは、素直に言えなかった。それどころか、日頃の不満をぶちまけてしまった。
そんな弟に対し、水分を含んだジャケットを脱いで軽く手で絞りながら、ライオネルは何事もなかったかのように普通に声をかける。
「大事な弟が目の前で怪我をしそうになっていたら、兄として助けるのは当然だ」
聞いているこっちが間違っていたのかと錯覚しそうになるほど、真顔でそう返されてしまっては、これ以上何も言えなくなる。大切にされているのが、馬鹿でも分かるくらい伝わってくるから。
「いいか? クリス。俺はお前みたいに頭はよくないから難しい事はさっぱりだ。でも目の前で困っている人が居るのに、それを見捨てるような男にはなりたくない」
大事な弟が、大事な友人が、大事な家臣が、そうやって誰にでも手を差し伸べる兄が危なっかしくてしょうがなかった。
だから支えなければいけない。この危なっかしい兄がきちんと王になれるように。悪意のある他者に騙される事がないように。
脳筋な部分がある兄の知能になろうと、それが自分の使命だと、クリストファーは幼心に思っていた。
催事の度にクリストファーの元には、彼を次期王に仕立てて権力を握ろうと、近寄ってくる卑しい貴族が後を絶たなかった。
そんな彼等の遠回しなお誘いをのらりくらりとかわしながら、その真意に気付かないフリをして牽制するのが専らの日課になっていた。もちろんその際、嫌味にとられないよう無邪気な笑顔で相手をするのを忘れない。
何を言われようが、兄であるライオネルを立てるその姿勢は決して崩さず、サポート役に徹するのだ。本当に仲の良い兄弟であることを、周囲に知らしめ、余計な争いの火種にならないように。
その作業に一役かってくれるのが、親友の侯爵子息ハーネルドだった。
漆黒の黒髪に、紫紺色の切れ長の瞳と端正な顔立ちを併せ持ち、良く言えばクール。悪く言えば悪人顔。そんな彼の隣に立てば、対比されてよく引き立つのだ。笑顔を絶やさない心優しき王子という印象が。
だから、誰も気付かない。クリストファーの被るその天使の仮面が、実は偽物だということに。
そんなハーネルドとの出会いは、クリストファーが七歳の頃。王城で開かれていたお茶会の時まで遡る。
今でこそ互いを親友と呼べるようになっているが、その出会いは決して良いものと言えなかった。
***
人気の無い中庭で、一人の少年が必死に黒いジャケットの上着をバタバタと上下に振っていた。
(あの少年は確かさっきの……)
たまたまそこを通りかかったクリストファーは、その少年に声をかけた。
「ねぇ、君。そんな所で何してるの?」
突然話し掛けられた事に驚いたのか、少年は肩を大きく震わせながら手に持っていたジャケットを落としてしまった。
「……っ!!」
急いでジャケットを拾い上げた少年は、付いてしまった土埃を必死に手で払って落とすも、一部分だけどうしても取れない箇所があるようだった。
どうやらその部分は濡れていたようで、叩いたことで余計に泥が入り込んでしまったらしい。
白く汚れてしまったジャケットを見て、少年はこの世の終わりと言わんばかりの悲壮感を漂わせている。
「ご、ごめんね。僕が話しかけたせいで」
「お前のせいではない。手を離した俺のせいだ」
そう言うと、少年はその場を立ち去ってしまった。ジャケットを汚してしまった申し訳なさから、クリストファーはその少年の後を気付かれないように追った。
パーティー会場へ戻ったその少年は、アシュリー侯爵の元へ向かうと、ジャケットを汚してしまった事を謝っていた。
「ハーネルド、付いてきなさい」
ハーネルドと呼ばれた少年は言われた通り、侯爵の後を付いていく。人気の無い場所まで来ると、侯爵はハーネルドに癇癪を上げて怒鳴りつけていた。
「全く、お前という奴は!」
侯爵の手が振り上げられたのを見て、クリストファーは咄嗟に声をかけた。
「あっ! 君! こんな所に居たんだね。さっきはありがとう」
クリストファーを見るなり、侯爵はにこやかな笑みを浮かべて話しかけてくる。
「これはクリストファー殿下、我が愚息に何かご用でしょうか?」
「さっき、彼が僕を助けてくれたんだ。そのせいでその上着が汚れてしまって申し訳なくて」
「殿下の御身に比べればジャケットの一枚や二枚、どうとでもございません。どうかお気になさらないで下さい」
「お詫びにお城を案内してあげたいと思ったんだけど、少しハーネルド君を借りてもいい?」
「勿論でございます。ハーネルド、行ってきなさい」
「かしこまりました、父上」
会場に戻る侯爵と別れ、クリストファーは王城内にあるプライベートサロンにハーネルドを連れてきた。
「クリストファー殿下とは存じず、先程は失礼致しました」
サロンに入るなりハーネルドは跪いて頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。
「そんなかしこまらないでよ。僕は君と普通に話したくてここまで来たんだから。ここは、君と僕以外誰も居ない。この場で起こったことは全て無礼講だよ」
その言葉に立ち上がったハーネルドは、警戒しながらクリストファーに問いかける。
「……どうして、俺を庇った?」
「こちらの落ち度で君が怒られていたから」
「あれはお前のせいじゃないと言ったはずだが?」
「元はと言えば、君に誤ってお茶を引っかけたうちの新人侍女のせいだからね。君があの時、会場で騒げば大事になってた。それが分かってたから、人知れずその濡れた上着を乾かしてたんでしょ?」
「そこまで、見ていたのか……」
大きく瞳を見開いて驚きを露わにするハーネルドに、クリストファーはわざとらしくにっこりと笑ってみせる。
「こう見えても一応、この国の第二王子だからね。色んな事を知っておかなきゃいけないんだ。例えば、君のそのシャツで隠された部分に酷い傷があること、とかね」
「な、何のことだ?」
たじろぐハーネルドに近付いたクリストファーは、彼の腕を掴むと、袖を一気にまくりあげた。露わになったのは、かなりの広範囲にわたって包帯で巻かれた痛々しい腕だった。
「ごめんね、痛かった?」
一瞬顔を歪めたハーネルドにそう問いかけると、「別に」と誤魔化すように視線をそらされた。
「確かアシュリー侯爵家の跡取りは君しか居ないはずだよね。それなのに、あの侯爵はどうしてこんな酷いことするのかな?」
妥協を許さないアシュリー侯爵に厳しく躾けられ、貴族としての在り方を教わるハーネルドは、常に完璧であることを求められていた。
周囲を常に警戒し、決して誰にも弱みを見せず、強気な姿勢を崩せない。
もし何か一つでも粗相をすれば、アシュリー侯爵に厳しい折檻を受ける。そのため、衣類で隠されたハーネルドの手足はいつも可哀想な事になっていた。
「俺の代わりなど、腐るほど居る。俺が使い物にならなくなれば、父上はどこからともなく新しい奴を連れてくるだけだ」
「だから、そんなに酷いことされても耐えてるの?」
「今は、な。何れ文句のつけようがないぐらい完璧になって、見返してやる」
ハーネルドの瞳には、強い意志が感じられた。自身に抱くことは許されない、ギラギラと野心を燃やすそのハーネルドの瞳が、クリストファーには眩しく思えた。
この子はきっと将来、侯爵家を背負って立つ人間になる。それならば、今のうちに恩を売っておくのも悪くない。そう考えたクリストファーは、早速天使の仮面を被って話し掛ける。
「ねぇ、ハーネルド。僕と友達になってくれないかな? 君の力になりたいんだ」
辛い目に遭っているハーネルドを助けようとする心優しき王子を演じきるクリストファー。これで侯爵家も取り込めたと思っていた矢先に、信じられない言葉が返ってきた。
「断る」
聞き間違いではない。目の前の少年は今、きっぱりと拒絶したのだ。
「どうしてだい? 王子と親交があれば、それだけで箔が付く。僕を存分に利用してくれて構わないのに」
「誰の力も借りるものか。俺は自力でやってやる。それにお前みたいな腹黒い奴、傍に居るだけで不気味だ」
ハンと鼻を鳴らしながら、ハーネルドは鋭い視線を投げかけてくる。
伊達にあの猫かぶり侯爵の息子ではなかったらしい。いやむしろ、あの侯爵の変わり身の早さを間近で何度も見ているから、騙されなかったのだろう。
「心外だな。皆は僕のことを天使みたいだって言ってくれるのに」
もう取り繕っても無駄だと判断しながらも、クリストファーはわざとらしくにっこりと人懐っこい笑みを浮かべてみせる。
「天使の皮を被った悪魔、の間違いだろ? その笑顔も何もかも、全てが偽りのくせに。俺はお前のような偽善者が嫌いだ。その薄っぺらい言葉に、どれだけの意味がある?」
動じること無くズケズケと真実を口にするハーネルドのその度胸に感心し、クリストファーは堪えきれずに笑い出した。
「最高だね、君。ますます気に入ったよ。僕達、いい友達になれそうだね。ネル、これから僕のことはクリスって呼んでね。それは、命令」
「はぁ? さっき、無礼講だって言っただろ。今更命令とか聞くか。用が済んだなら俺は戻る」
「またおいで、ネル」
「誰が来るか! そして馴れ馴れしくネルって呼ぶな!」
周囲の者全てに牙を向け、まるで狼のようだ。でも、そこがいい。
誰の手も借りようとせず、自身の力のみで進もうとする。野心に満ちあふれた孤高の一匹狼。
(面白い子、みーつけた)
去って行くハーネルドの背中を眺めながら、クリストファーは口元に不敵な笑みをたたえていた。










