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星の海

 給水所で鉢巻を巻いたおじさんと談笑している奈々美さんを見つけ、走ってきたことで乱れた服と息を整える。


「奈々美さん」

「あ、宝くん。いまそっちに行こうと思ってたんだよね。休憩無かったんだって? ほら、飲み物貰っておいたよ」


 いつも通りの優しさと笑顔で迎えてくれる。それだけで満足だった。でも今は少しだけ、欲張りになってしまっているみたいだ。

 一度深呼吸。仕事疲れに見せかけて、別の鼓動を落ち着ける。

 大丈夫、男だろ宝。


「あの、奈々美さん」

「なに?」


 浴衣姿がいつもよりずっと色っぽく見えて、いくら気持ちを整えても追いつかない。

 一挙手一投足に反応してる暇はないんだけどな……。


「見せたいものがあるんだ」

「あら、見せたいもの? 何かな? 」

「こっちだよ」


 まだ手も繋げなくて、俺は手招きをすることで彼女を誘導する。どこへ行くのだろうとワクワクしているところを見ると、これから告白されるなんて夢にも思っていないのだろう。恋愛対象にすら入っていないという表れ。そう思うと、俺のしている事は何なのだろうと虚しさが込み上げる。


 屋台すら立っていない少し奥まった社の側面。森の入口。いくら整備したとはいえ、もともとは獣道。浴衣の彼女を連れていくことに抵抗を感じる。


「こんな道あったんだね」

「うん、少し入ると見せたい場所に着くよ。……入って、大丈夫?」

「もちろん! 宝くんの秘密基地だね。お姉さん気合い入れて山登りしちゃうぞ〜」


 お淑やかな腕まくりに少し笑いそうになった。いつもはもっと大人しいのに、今日は上機嫌だ。お酒でも呑んだのかな?

 予め用意しておいた小型のライトで足元を照らし、俺たちは森へと入り込んだ。




 ただの一本道。丁寧に整備した甲斐あって、奈々美さんは鼻歌交じりで楽々と後ろをついてきた。

 はぐれないように俺の服の裾を掴む彼女。ちゃんと後ろにいるか、疲れていないかを確認する為に時折振り向くが、その度に満面の笑みで返してくれる。


 一歩進む事に道が伸びていくような感覚。

 鼓動が服から伝わらないか冷や冷やする。

 昼なら入り口からでも見える目的地が、途方もなく長い。


 あぁ、駄目かもしれない。


 彼女は俺を『男』として見ていない。そんな事はわかっている。だけど、踏み出した足はもう止められない。

 不安と焦り、嬉しさと恥ずかしさで頭は軽いパニックだ。どうしようという言葉だけがずっと駆け回っている。

 目の周りに熱を感じ、俺は慌てて手で押さえる。

 泣いている、わけじゃない。

 不意に思い出したのは、香里の後ろ姿。彼女も、同じ気持ちで歩いていたのかもしれない。


 こんなに、胸が締め付けられる。

 こんなに、空気が冷たい。

 こんなに、寂しい。

 こんなに、怖い。


 だからこそ、頑張らなければならない。目的地から漏れ出すぼんやりとした光が俺の背を押した。





「すごい…………」


 奈々美さんは口を押さえて、その光景に圧倒されていた。

 そこには、直径十五メートル程の泉があり、真ん中には線を引くような小さな橋がかかっていた。泉には倒木の名残や、土砂崩れに巻き込まれたように所々岩が出っ張っている。泉を丸々隠すように生えた水草が埋めつくし、日中目にしたって酷い有様だ。

 だけど、この時期の夜だけは違う。


「これ、全部ホタル?」

「うん。綺麗だろ」

「えぇ、本当に……」


 泉を隠す草木や岩。それに止まっている無数のホタルはまるで夜空の星を散りばめたように、あたかも天の川の橋のように、俺たちの足元を幻想的に彩っていた。

 その光景に魅力されながらも、奈々美さんは歩き出す。ホタルが飛び去らないようにゆっくりと。


 俺がこれを見つけた時、心が奪われた。家に帰ることも忘れ、その光が空に帰るまでこの場を動けなかった。

 そんな景色を二人で見たかった。奈々美さんと二人で。その夢は、いま目の前にある。

 光の橋を渡る浴衣姿の奈々美さんは美しくて、まるで美術館で豪華な額縁をあつらえて飾られる一枚の絵画。現実から遠く離れた存在のように思えた。

 織姫。彼女がそうであるように。

 僕が彦星になりたい。


「な……奈々美さん」

「ん? なぁに?」


 振り返る彼女の微笑みに、心臓がカラカラと空虚な回転を始める。冷たく感じる呼吸が足の力を奪っていく。

 一言、一言だけだ。


「あの……」

「……………」


 この意気地無しめ!

 なんでここで詰まるんだ!

 なんで少しの勇気が出ないんだ!


「宝くん……」

「…………」

「ちゃんと、聞いてるよ」


 目が覚めるように、俺はいつの間にか伏せていた顔を上げる。

 綺麗で、優しくて、ちょっとお調子者な奈々美さん。彼女は察している。俺の言葉を。それでも、しっかり受け取るために微笑んでいる。

 一歩、前に進める力をもらった。


「……俺、奈々美さんが好きなんだ」

「…………」

「ずっと、ずっと前から奈々美さんは俺の中で特別で、憧れとかあるけど、ずっと、一人の女性として好きだった!」

「宝くん……」


 走ってもいないのに、息が切れた。

 ちゃんと言えたのか?

 何て言ったんだ?

 頭が真っ白で覚えていない。

 何年も何年も、言いたくても言えなくて、積もりに積もった想いを打ち明けた。目を見て、本人に直接伝えた。

 彼女は困ったような笑顔で、俺に近づこうとした。

 その時だった。




 ドォーン。




 唐突に始まった花火の爆発音に、俺は自分の心臓が爆発してしまったのかと思った。空を見上げると巨大な星の雨。かなりの近距離で始まる花火は凄まじい音で、木々や橋にも振動を伝えていた。



「うわぁ……っ!」


 奈々美さんの声に、視線は元の場所へ。

 そこに広がるのは、無数のホタルが一斉に飛び立った事で生み出した広大な『星の海』だった。

 地面に広がる天の川は、あっという間に立体的に俺たちを飲み込み、星の海を泳ぐ銀河の魚になったような錯覚を与えられた。

 海の中で目が合う。

 彼女は、堪らず笑っていた。

 俺もつられて笑った。

 これは、神様の贈り物だ。彼女の笑顔。たったそれだけをくれるために、こんなサプライズを用意するなんて。


 もう、十分だよ。


「宝くん…………」


 彼女は歩を進める。俺も、近付くために足を前に出した。そうすることで、手の届く距離にお互いを捉えた。

 近過ぎる花火の音で掻き消えた彼女の答えを聞けたのは、きっと俺だけしかいない。




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