オウスが語った美濃(みの)でのできごとに、衝撃を受けた
冬の日暮れは速い。
丈琉と岳斗は木陰に腰掛けていた。木の間からは、川が見える。
2人が一息ついている間にも周囲はどんどん薄暗くなってきた。
川から吹いてくる冷たい風が、濡れた肌に突き刺さる。
火を起こして服を乾かしたいところだが、敵の近くで煙を上げるわけにはいかない。
皆、寒さに耐えながら、夜を待っていた。日がすっかり暮れてから、熊襲に攻め込む事になっていた。
丈琉は正面を見据えながら、岳斗に話しかけた。
「オウスたちはこれからあそこに攻撃を仕掛けるんや」
丈琉は集落を指差した。
「俺もオウスと一緒に行ってくるから。必ず、みぃの事、助けてくるからな」
「やっぱ、気は変わらんか」
岳斗の声は落ち着いていた。
「ああ。大丈夫や。俺はオウスたちの攻撃には加わらんから。みぃを探して、助ける事だけに集中するから」
丈琉は岳斗の肩をポンと叩いた。
しばらくの沈黙のあと、岳斗が口を開いた。
「じゃ、俺も行くわ」
「あっ、あっさりと、何、言っとる。剣道も武道もなんもできんお前が行くのは危険や。ここで待っとれ」
「いや。俺やってこんなトコで、1人で待っとるなんてできん。
それに俺ら、3人は一緒にいた方がいいと思う。離れん方が、絶対にいいって。
大丈夫や。俺、短距離の選手やったから、持久力はないかわり、逃げ足は早いで」
岳斗は冗談めかして言ったが、その言葉には揺るぎない決心が込められていた。
「わかった。しかし、決して無理はするな」
突然、背後から声がした。2人はびっくりして振り返ると、そこにはオウスが立っていた。
オウスは丈琉の前に立った。そして、丈琉に剣を差し出した。
「えっ?」
丈琉は剣を受け取ってはみたが、戸惑っていた。オウスはニコッと微笑み、今度は丈琉の隣に座った。
「タケヒ。この剣を受け取ってくれ。戦じゃ。何があるかわからん。武器は持っていた方が良い。
タケヒであれば、使いこなせる」
丈琉は剣をじっくりと見た。柄には、飾りが施されている。鞘から剣を抜き取って見た。
刀身は30cm以上はありそうでだ。諸刃の剣で、ずっしりとした重みがある。鉄でできていると思われた。汚れひとつ付いてはいないが、刃はそれほど鋭くない。
「なんか、俺の使っている包丁より、切れんかもしれんな」
丈琉は剣の刃を見ながらつぶやいた。
「これは、オオウスが使っていた剣じゃ。母から授かった守り刀でもある」
(やばっ。そんな大事な剣と俺の包丁を比べたなんて)
丈琉は慌てて、剣を鞘に戻した。カチャと、剣が鞘に収まった音を聞いた時、丈琉は“はた”と思い出した。
「あっ。じゃ、これ、お兄さんの形見やろ。そんな大事なモン、俺、受け取れん」
「えっ? 形見って事は、オウスのお兄さんって亡くなっとんのか。ってか、まず、お兄さんがいたんや」
岳斗が言うと、オウスは丈琉を見つめた。自分は兄について話した事はなかったと、気がついたのだ。
「タケヒ。おぬし、吾に兄がおった事を知っていたのか」
(やばっ!)
丈琉は気まずそうに視線を逸らした。オウスは深くため息をつき、目を伏せた。
「タケヒは知っておるのだな」
「…… 」
岳斗は瞬きを何度もしながら、オウスと丈琉の顔を交互に見た。
何か秘密があるのは察しがついたが、尋ねる事はできなかった。
キョロキョロと視線を動かし、落ち着かない岳斗を見て、オウスは微かに笑みを浮かべた。そして、また深く深呼吸をした。
「吾が、あ…」
「俺は信じない! 信じていないからな」
オウスの言葉を、丈琉が遮った。しかしオウスは構わず話を続けた。
「ヤマヒコよ。タケヒが言えずにいるのは、吾が兄を殺したという話じゃ。そうであろう。
吾が双胎の兄、オオウスを殺し、遺体を切り刻んで捨てたという事は、家来たちも皆、知っている事じゃ」
「だから、信じてないって言ったやろ!」
丈琉の声はますます大きくなった。
「さっきも、ミヤが死ぬかもしれんて、泣いていたやんか。血が止まって、もう大丈夫って言って目ぇウルウルさせて。
家来の命、こんなに大事に思ってくれる人が、兄さんの事を殺すなんて、絶対にありえん!
ミヤやって、オウスがそんな事するはずはないって、言い切ってた!」
丈琉は一気にまくし立てた。オウスは自分をまっすぐに見てくる丈琉の目から、視線を外せなかった。
オウスはゆっくりと目を伏せた。
「そうじゃ。吾は、オオウスを殺してなどおらぬ」
オウスは頭を数回、左右に振った。
「戦までには、まだ、時がある。
吾の話を聞いてもらえるか」
丈琉と岳斗は大きくうなずいた。
その時、3人の背後に近寄る者がいた。しかしその足音には誰も気が付かなかった。
「オオウスと吾は双胎でな、全く同じ顔をしていると、よく言われたものじゃ。
母は吾らの出産が負担だったらしく、出産後、すぐに亡くなってしまった。吾らは乳母の元で育てられ、寂しい思いをしたものじゃ。それゆえか、2人で過ごすことが多かった。吾らは仲の良い兄弟であった。
その上、吾らには秘密があった。2人とも手が赤く光る事じゃ。そう、タケヒと同じ光だ。その光は吾らと父にしか見えない、不思議な光だった」
「それ、俺らもおんなじや。俺らの光も父さんと母さんしか見えんかったや」
「うむ。これはそういうものなのか。
吾らも、これがどういう物はわからず、悩んだものじゃ。
しかし、わかった事もあった。吾はこの光が灯ると、剣の力が格段に上がる。剣の苦手なオオウスには、関係はなかったがな。
しかし、オオウスは赤く手が光った時に、神の大きな声が聞こえたという」
「神の大きな声?」
丈琉は、突然頭の中に響いたスサノオの声を思い出した。
「それ、俺も聞いた事がある。ホントでかい声で、頭が痛くなるんや。わオウスも聞いた事あるんか」
「いや。吾は聞いたことはない。
オオウスが初めてその声を聞いたのは、まだ幼少の頃と言っておった。森で迷った際に、その声が聞こえたそうじゃ。その声が聞こえなければ、崖から落ちていたと。命も落としていたかもしれないと、言っておった」
少し間が空いた。オウスは、ゆっくりと核心について話を始めた。
「あれは、半年ほど前の事であった……」
纒向。日代宮。
オシロワケの大王が政を執り行っている宮である。
オウスは大王に呼ばれ宮に参上していた。急な呼び出しであり、オウスは多少の不安を感じていた。
その日、いつにも増して大王の機嫌は悪そうだった。オウスは神妙に大王の前に座った。
大王は深いため息をついてから話し始めた。
「オウスよ。美濃へ行け」
「美濃。ですか?」
「そうじゃ。そこにオオウスがいるはずじゃ」
「オオウスが。美濃に?」
オウスはしばらくオオウスに会っていない事を気にかけていた。
「美濃の媛も連れて来い」
「美濃の媛ですか? オオウスは美濃で何を……」
「余計な詮索は要らぬ!」
大王は癇症に叫んだ。オウスは慌てて頭を下げた。
「本来であれば皇子であるお前の仕事には家来を付けるところだ。しかし信頼できる家来は今、他の任務に出向いておる。もうすぐ戻ると思われるが、それを待っている時間はない。
戻り次第、美濃に向かわせる。すぐにだ。すぐに行かせる。
オウスの皇子よ。今、すぐ美濃へ向かえ」
オシロワケはそう言い放つと、足早にその場から去った。
オウスは何の事情もわからないまま美濃に向かった。
(父上はなぜに、それほど急ぐのだ。
それに家来をすぐに向かわせるだと? 戦でもないのに大王の直属の家来をつけるなど、一体何事だ?)
さらにオウスはオオウスが美濃のどこにいるもかも知らされていない。
オウスは最初に美濃の国造を訪ねる事にした。しかし偶然にも国造の屋敷で最初に目にしたのはオオウスだった。
「オオウス」
オウスは跳ねるようにして兄に駆け寄った。これほど長く顔を合わせない事はなかったのだ。
喜びを全身で示すオウスとは逆に、オオウスは驚き、戸惑っていた。
「オオウス?」
オウスは兄の態度がいつもと違う事にすぐに気が付いた。
「オオウス。何があったのだ。
吾は父上にお前を連れてこいと言われた。美濃の媛も一緒にとの命令だ。
しかし理由は話してもらえず、吾にはさっぱり事情がわからない」
オオウスはうつむいた。しばらくそのままでいたが、ひとつ大きく息を吐くと顔を上げた。そして口を噛みしめながら少し微笑んだ。
「すまなかった。
オウス。中に入ろう。そこで話す」
そう言ってオオウスは国造の屋敷にオウスを案内した。まるで我が家のように振る舞うオオウスに、オウスは違和感を感じた。
オウスは小さな部屋に通され、オオウスと向かい合った。オオウスはゆっくりと語り始めた。
「吾は父上に命じられて美濃に来た。美しいと評判の美濃の媛を大王の側室に迎えるために、吾が迎えに来たのだ。
しかし、美濃の媛は美しく、そして心優しい人じゃ。吾は出会った瞬間に媛に心を奪われたのだ。それは媛も同じだと言ってくれた。吾らは愛し合っておるのだ」
オウスは思いもかけないオオウスの告白に目を丸くするだけだった。オオウスは一呼吸おいて話を続けた。
「だから、大王に媛は渡せぬ。
お前も知っているであろう。大王には正室の他に側室が10人以上もおる。吾にもわからぬくらいじゃ。
さらに八坂入媛様は、大王の正室という権力を存分に使い、側室には辛く当たるお方じゃ。嫉妬深いお方で、野心も強い。吾らの母上が亡くなったために、正室となっただけだというに。
その様な所に媛はやれぬ。父上に媛を差し出すくらいなら、吾はここで2人で死ぬ」
オオウスの拳がブルブルと震えていた。
「ではなぜ、ここにおるのだ!」
オウスが大きな声をあげた。
「そこまでの覚悟がありながら、なぜ美濃に留まっているのだ。ここに居れば、すぐに大王に連れ戻される。そのような事、すぐにわかるであろう!」
オオウスは目を見開いてオウスを見た。穏やかなオウスとは思えぬ大きな声だった。
「すぐに大王の使者が来る。大王は吾の事を信用していないのだ。吾が命令を果たすのか、それを確認するのであろう。
死ぬ覚悟があるのならば、一刻も早く二人で美濃を出るのだ。大王から逃げるのだ。
産まれた時から共に生きて来たオオウスが死ぬなど、吾には耐えられない事だ。二度と会えなくてもいい。生きていてくれ!」
オウスの目には涙が溜まっていた。
オウスは涙をこらえながら、息を荒くして話し続けた。
「そうだ、猿投山のムラに行くのだ。美濃の配下であるし、人里から離れた隔離されている。身を隠すにはちょうど良い」
「だめだ。大王から逃げる事はできない」
「吾がうまくやってみせる」
「無理だ。お前に嘘をつくことなどできぬ。すぐに感情が顔にでる。正直なお前に大王を騙す事などできぬ」
「大丈夫だ。吾に任せろ」
オウスは笑ってみせた。
「オ、オウス……」
オオウスはオウスの腕を掴んで泣いた。
「オウス。お前がそこまでしてくれるというならば、吾も覚悟を決める。
これから吾は皇子という身分も、オオウスという名も捨てる。吾の身を示すものは全て捨てる」
そう言うとオオウスは腰にさげてあった剣をオウスに渡した。
オウスは驚いてその剣をオオウスに返そうとした。
「これは、吾らの母上から授かった守り刀。これは何があっても手放さぬと、誓い合ったものではないか。亡き母に何と申し開きをするのだ」
「いいのだ。吾は地獄に落ちても構わぬ。媛と二人。ただの人間として生きられればそれで良い。
そうだ。この髪も持っていてくれ」
オオウスは自分の髪を1束切り、オウスに手渡した。
「髪など……。死ぬというのか」
「死にはせぬ。これを吾と思ってくれ」
オオウスは微笑んだ。清々しい笑顔に、死の影はなかった。オウスはその髪を受け取ると、自分の髪を縛っていた紐を解いた。そしてオオウスの髪を縛り、懐にしまった。
そして今度は自分の髪を少し切り、オオウスに渡した。
「吾と思ってくれ」
その日のうちにオオウスは美濃の媛と共に旅立った。生まれた時から共に生きてきた兄弟は、硬い握手をして別れた。
オウスが纒向に戻ると待っていたのは、オシロワケの大王の尋問だった。大王のほか、異母の兄弟たち、大王の皇子が並ぶ中、オウスは罪人のように座らされた。
オウスは決して真実を話さぬと心に決めていた。自分が美濃に着いた時にはオオウスはすでにいなくなっていた、何も知らないと言い張った。
「そうか。オオウスが行方知れずと言うのなら、捜索せねばならぬ」
オシロワケの目が怪しく光った。オシロワケの冷たい瞳にオウスは一瞬怯んだ。
「どうした? オウスの皇子よ。
そうだな、美濃の近辺から探すとするか」
(失敗した。吾の動揺を見抜かれてしまった!)
まだ若いオウスの狼狽は隠しきれなかった。
(オオウスは生きている限り、大王に追われる。それならば、死んだ事にするしかない)
「父……、 いえ、大王。申し訳ありませんでした。
正直にお話しします」
オウスは平頭して話し始めた。
「吾がオオウスを殺してしまったのです」
オウスは一気に捲し立てた。
「オオウスは美濃の媛を自分の妻にすると言いました。それはだめだと、吾はオオウスを諭しました。しかしオオウスは吾の説得には応じず、切り掛かってきたのです。
しかし、ご存知の通り、剣の腕は吾の方が上です。オオウスの剣を受け止めたのですが、ここで美濃の媛が吾に襲いかかってきたのです。
思いもよらぬ事で、吾はその場に膝をつきました。それを見たオオウスは再び吾に切り掛かってきました。切られる。とっさに思いました。吾は自分を守るため、無我夢中で剣をふるいました。
我に返ると、そこには息たえたオオウスと美濃の媛が横たわっていたのです」
オシロワケの頬が痙攣したように細かく動いた。そしてゆっくりと自分の顎髭を撫で回した。
「では、死体はどうした。ここに持って来い」
オウスは必死に考えを巡らせた。
「捨てました。
吾の失敗を隠すため。切り刻んで。川に流しました」
異母の兄弟たちから声が漏れた。そしてヒソヒソと話し始めた。
「うるさい!」
オシロワケが怒鳴った。その場は波を打ったように静まり返った。
オシロワケの形相が変わっていった。
「オウス。その話。どのように証明する」
オウスの右手が不意に懐に触れた。
「これを……」
オウスは懐から剣と一束の髪の毛を取り出し、床に置いた。
「オオウスの守り刀と頭髪でございます」
再びその場がざわめいた。
オオウスのその刀に対する愛着はその場にいる全員が知っていた。オオウスがその刀を手放すのは余程のことであると皆が察した。
また髪を持ち帰るのは遺髪としてであり、その者が亡くなった証とされている。
オシロワケの息が荒くなってきた。
非常に短気な気質であり、元々物事を深く考える人間ではない。オウスの話をすっかり信じてしまった。
「兄を殺して、切り刻むとは恐ろしい奴め。お前は、すぐにうろたえる小心者であったが、自分が何をしてしまったか、わからないのであろう。未熟者め!」
オシロワケは立ち上がると、頭を下げているオウスの頭を蹴飛ばした。オウスは勢いよく床に叩きつけられた。
「その手、その手じゃ! 手が光るなど、やはり人ではなかったのだ。この化け物め!」
興奮した大王は歯止めが効かなかった。目は血走り、口は釣り上がった。オウスの頭や体を思い切り踏みつけた。オウスは血を吐き出した。バキッと骨の折れる音も聞こえた。
見かねた大王の皇子が止めに入り、意識を失ったオウスは引きずられてその場からさげられた。
丈琉と岳斗は喉が詰まったように、声を発する事もできなかった。呼吸すら苦しく感じた。
オウスは穏やかに話を続けた。
「その後、すぐに吾は大王より、熊襲討伐を命令された。しかも、戦さをするとは思えぬほどの少ない兵士と武器しか与えてもらえなかった。まともに戦えるわけがない。
吾が熊襲で死しても構わぬという事であろう」
オウスは言葉を詰まらせた。
「だから。吾は、タケヒコや、皆に、申し訳ないと思っているのだ。吾の浅はかな策の為に、この様に危険な戦をする事になってしまった」
「何を仰せになられます!」
背後からタケヒコの大声が聞こえた。タケヒコは3人の後ろで、ずっとオウスの話を聞いていたのだ。
タケヒコはオウスの正面に回りひざまずいた。
「吾らの事など、考えずとも良いのです。吾らはオウス様のためなら、命を捨てる覚悟でございます」
「タケヒコ……」
オウスの目から、涙がこぼれ落ちた。16歳の少年の、あどけない泣き顔だった。
タケヒコは続けた。
「もちろん、この地で死ぬ気など、毛頭ございません。ここまで無敗のオウス軍ではありませんか。戦は兵士や武器の数で決まる物ではありません。
今回も、見事、カワカミノタケルを討ち果たし、纒向に凱旋いたしましょう。
大王に、オウス様の力を見せつけてやれば良いのです」
オウスは涙をぬぐい、愛らしい笑顔をみせた。
「そうだな」
そう言って、ゆっくりと立ち上がった。そして、ひざまずいているタケヒコを見下ろした。
「タケヒコよ。今の話は吾が墓場まで持って行くべき事じゃ。一切の他言は無用。よいな」
オウスは語気を強めて言った。
タケヒコは何かを言いたげに顔をあげたが、オウスの有無を言わさぬ、厳しい表情。
「御意」
と言って、頭を下げるしかなかった。
「日も暮れた。そろそろ宴が始まるであろう。
出陣じゃ。皆を集めよ」
「ははっ」
タケヒコは一度頭を下げ、すぐに立ち上がり、踵を返して兵士の控えている所に駆けて行った。
オウスは無表情で体育座りをしている丈琉と岳斗の前にかがみ込んだ。そして、まっすぐに2人の目を覗き込んだ。
「よいか。戦の最中は、吾から離れるな」
オウスの強い声。
「はい」
2人は素直に返事をした。
オウスは大きくひとつうなずき、タケヒコの後を追った。
「なぁ。彼、まだ16歳なんだよな。俺たちの時代じや考えられんくらい、過酷な人生やな」
岳斗はオウスの背中を見送りながらつぶやいた。
「俺、16ん時なんか、自分の事しか考えてなかった。
俺が父さんに反抗するのと、レベルが違うわ」
丈琉もオウスを目で追った。
周囲を闇が覆った。出陣の準備は、すっかり整った。
雨は止み、雲の切れ間から、星が少し見えている。
今晩は新月である。
月明かりはなく、全くの暗闇。オウスは闇に紛れて侵入できる、好都合だと言った。
丈琉と岳斗は、木製の鎧を装着した。
さらに丈琉の腰には、オオウスの剣が提げてある。
(この剣。使うんか? 人、切れるんか? 俺。
でもみぃが危険な状態やったら……)
戦が始まる時になっても、丈琉の決心はつかなかった。
オウスたちは闇に紛れ、砦までやってきた。見張りはオウスが瞬殺した。
倒れている人間を見て、丈琉と岳斗は戦いが始まったと実感した。
嫌が応にも、緊張はマックスに達した。
真っ暗な中を、前の人の肩をつかんで、一列に並んで進んだ。ゆっくりとゆっくりと。足音を立てないように十分注意しながら歩いた。
すぐに明かりが見えてきた。
少し先に広場があり、そこで燃えている炎の明かりだった。広場の真ん中に木組みが組まれ、それが勢いよく燃えていた。
大勢の人が、その火を囲んでいた。
(でかいキャンプファイヤーみたいやな。
結構、明るいけど、みぃのヤツ、あの人だかりの中におるんか?)
丈琉は身を乗り出した。
途端、思い切り後ろに引っ張られた。
「タケヒ様。そんなに前に出てはいけません。やつらに見つかっては大変です」
タケヒコがささやくような声で、注意してきた。丈琉は両手を合わせて、謝る仕草をしてみせた。
炎の明かりが届かない所に、大きな茂みがあった。草の丈が高く、身を隠すには絶好の場所だった。
兵士たちはひと固まりになって、身をかがめた。
丈琉は息をするにも緊張していた。動いてはいけない束縛感で、全身がこわばっている。
知らないうちに、岳斗の腕をぎゅっと握っていた。岳斗も掴んできた丈琉の腕を、握り返す。手が小刻みに震えていた。
広場から、ひときわ大きな雄叫びが聞こえた。拍手と喝采が後に続いた。その後は、歌や踊りの音と、大きな笑い声と話し声。
オウスたちに動きが出てきた。ザッザッと動く足音、こそこそと話す声が聞こえてきた。
しばらくして、オウスから小さいながら、凛とした声で出撃の命令がでた。
一同の中に緊張が走った。
岳斗は自分の心臓の音が聞こえてきた気がした。全身が心臓になったようにも感じる。全身がガタガタと震えだし、額から汗が流れてきた。
「大丈夫や」
丈琉のささやきが聞こえた。丈琉は試合前のように落ち着いてきていた。
岳斗の背中をポンポンと叩いた。岳斗はフーッと大きく深呼吸をした。
(落ち着け、落ち着け)
と、自分の中で繰り返した。
「出撃ーー!」
オウスの大きな声が上がった。
「うおぉぉぉぉ!」
オウスを先頭に、兵士たちは雄叫びをあげながら、一斉に駆け出した。
丈琉と岳斗はオウスに言われた通り、オウスのすぐ後ろについていた。岳斗の隣にはタケヒコが並んで走っていた。
丈琉は剣を鞘から抜き、右手に持った。
広場に集まっていた人々は、砦の中にいたこともあってか、すっかり安心して、宴会に興じていた。
突然の襲撃には誰もが驚いた。
逃げるだけの者にオウスは目もくれない。剣を振りかざし反抗してくる者は、あっという間に切りつけていた。
丈琉と岳斗は、その度、目を閉じた。
「カワカミノタケルはあそこです。あの、壇の上です」
タケヒコは指をさして怒鳴った。燃え盛る木組みの反対側に、ステージが設営されていた。丈琉には見えなかったが、そこにいるのは確認できたらしい。
オウスたちは頭領たちを蹴散らし、中央を突破した。まっすぐにカワカミノタケルを目指した。
丈琉は逃げ惑う人々の中に、女がいることに気がついた。
「みぃ。どこや!」
走りながら、視線を忙しく動かした。しかし逃げ惑う女の中に美殊の姿はなかった。丈琉は血眼になって美殊を探した。
どこにも見つからなかった。
オウス軍の集団は、炎の脇を走り抜けた。正面にはっきりとステージが見えた。
壇上では慌ただしく人が動き回っていた。
丈琉は正面を向き、ステージを見つめた。
「あっ!」
ステージの上に、座り込んでいる女の姿を発見した。
「美殊!」
思わず、その名前を呼んでしまっていた。