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倭の国 まほろばツアー  作者: 葉月みこと
4/18

古代で生き抜くのは大変な気がした

 5人は池をあとにした。

 池のすぐそばに松林があり、オウスたちはその林の中に入った。3人も後を追った。

 林の中にはけもの道が続いていた。その脇を細い川が静かに流れている。川霧が周囲を覆っている。

 太陽は昇っているが、林の中はきんと冷えていた。

「今は朝なんかな」

周囲の景色を見ながら岳斗が言った。

「そうじゃ。夜が明けたばかり。みそぎをするには、最もよい時じゃ」

「オウスさん。みそぎをしていたんか。だから、あんな格好で池ん中におったんやな。

俺も滝行する時は、白い浴衣や。あれもある意味、みそぎやもんな」

丈琉(たける)も道場の行事で、毎年滝に打たれる“みそぎ”を体験しているのだった。


 岳斗(やまと)は腕時計を見た。

「時計、動いているん?」

美殊(みこと)が覗き込んだ。

「ああ。今、あっちの世界での時間を刻んどる。電波時計やったらどうなっとるんやろな」

「今、何時なん?」

「2時や」

「2時って夜中? 昼間?」

「昼やろ。昼に病院出て、すぐに阿波岐原公園行ったから。それからすぐやったし。ここに来たの」

「うん……」

美殊は目を伏せて黙り込んでしまった。


 少しの沈黙は丈琉の大きな声で破られた。

「じゃ、あれか。こっちは、夜明けくらいの時間なんやろ」

そう言いながら、丈琉は指折り何かを数え始めた。

「……。 時差、16時間ってとこやな」

「海外旅行かい」

岳斗がツッこむと、落ち込んだ様子の美殊もニコッと微笑んだ。


 松林を抜ける頃、きょうだいとオウスの手の光は消えていた。


「なぁ。オウス。俺、眼鏡外しといた方がいいんやろか。さっきみたく、敵に思われたらかなわんしな」

ミヤトヒコは申し訳なさそうに、下を向いた。

「そうじゃな。それが良かろう。最初にめがねのない顔をみせておけば、刺青とは思わぬであろう」

「あぁ、コンタクト持ってくればよかった。俺、外すと、ほとんど見えんのやけどなぁ」

岳斗はため息をついて、眼鏡を外した。

「丈、タケヒ」

岳斗もついうっかりと、本名を呼びそうになる。

「俺、足元とか、ほとんど見えておらんからな。なんかあったら教えてくれよな」

「手、繋いだろか?」

「そこまでせんでいいわ」

岳斗は笑いながら丈琉の肩を叩いた。


 林を抜けると、川原が広がっていた。そこにオウスは陣を張っていた。

 川に沿うように、テントのようなものが並んでいる。高い木を数本、地面に打ち付け、その間に厚い布を張っただけの簡単なものだった。

 テントの前には数人の男がいた。オウスを見つけると片膝をついて、頭を下げた。そして突然の来訪者を、訝しげな目で追った。

 

 並ぶテントが途切れると、一番奥にはテントよりは立派な小屋のような物が建てらていた。円錐形の建物で、外壁はワラで覆われていた。

竪穴式(たてあなしき)住居や。教科書でみたまんまや」

丈流は大きな声をあげ、指差した。

 岳斗は興味に勝てず、眼鏡をかけた。

「そやな。まさか実物見られるとはな」


 オウスはその竪穴式住居に向かい、入り口にかけられた布をまくり上げた。

「ここで吾が寝泊まりしておる。入ってくるが良い」

皆はオウスに続いて、竪穴式の住居に入った。

 住居の中は日中にもかかわらず、薄暗い。

 真ん中には囲炉裏があり、火が焚かれている。炎はぼんやりと建物の内部を照らしている。

 地面はむき出して、ワラが敷いてあるだけだった。


 オウスは奥に進み、あぐらをかいた。火を挟んで3人は美殊を真ん中にして、横に並んで座った。ミヤトヒコは入り口の近くに控えていた。

 そこへ勢いよく中に入ってきた人がいる。岳斗は慌てて眼鏡をはずした。

 体格の良い、中年の男性だ。オウスよりは確実に年上であろう。

「おお、タケヒコ。良い所に来た。紹介しよう。ここにおるはタケヒ、ヤマヒコ、そしてミコヒメ様じゃ。

 吾が阿波岐原の水場で(みそぎ)をしていた時に会った者たちじゃ。イザナギ様のお導きと、吾は考えておる。

 そして、吾ら、ヤマトに勝利を導いてくださるお三方なのじゃ」

 オウスの言葉にタケヒコは一瞬、驚いた顔をした。しかしすぐに真顔に戻り、3人に頭を下げた。

吉備(きび)タケヒコにございます」

「吾が軍の大将じゃ。吉備のクニに居れば、国造(くにのみやつこ)になるべき者じゃ。

 しかし、こうして吾と共に、熊襲にきてくれた。吾は本当にタケヒコには感謝しておるのだ」

「勿体ない、お言葉」

タケヒコはオウスに向かって、深々と頭を下げた。


 タケヒコが一瞬躊躇したような顔をして、3人を見た。しかしすぐに、まっすぐにオウスに顔を向けた。

「オウス様。お客人の前ではございますが、ご報告がございます」

「俺ら、出た方がいいんか?」

岳斗が場の雰囲気を気遣う。

「いや。構わぬ。続けろ」

「はいっ。

 今ほど、偵察隊のチヂカとタゴが戻ってまいりました。カワカミノタケルの陣地を見つけたそうです。

 奴らはまだ、吾らの動向をつかめていないようです。ここ日向(ひむか)にも偵察は送ってきているようですが、吾らの少人数が幸いしている様子でございます。

 さらに、周辺部族と結束し、吾らと相対する準備も始めています。その一つに(とりで)を築いている最中との事。かなり大きな物のようです。これが完成する前に、攻め込んだ方が良いと思われます」

 オウスの目が光った。

「よし。早速、出陣じゃ。

 ミヤトヒコ。皆に申し伝えよ」

「はっ」

ミヤトヒコは力強く返事をし、外へ駆けて行った。


 このやり取りを聞いていた、3人。お互いの顔を見合わせる。同時にごくっと唾を飲み込んだ。

「あの……。 ちょっといいか? 

 攻め込むとか、出陣とか言っとったようやけど、これから戦争っていうのか、戦っていうのか、そんなんがあるんやろうか」

「そうじゃ。吾らは熊襲を従えるために、ここに来ておる。

 熊襲の頭領、カワカミノタケルは大和にまつろわぬ、不届き者。大和の国家統一に大きな障壁となっておるのじゃ。

 吾らと一戦交えるつもりで準備もしているらしいと、報告も入ってきた。

 吾らは大王より命を受けてここに来ておる。熊襲がまつろわぬのなら、滅ぼしてしまえと」


「マジかよ」

丈流が頭を掻きながら、つぶやいた。

「戦争、真っ只中に来てしまったんか。俺らも、巻き込まれるんか」

岳斗はため息をつく。

 美殊は右手に左手を重ね、少し下を向き、その手を顎につけた。微かに手が震えた。


「タケヒ。おぬしの剣の力。期待しておるぞ」

突然、丈流に話が向けられた。

「えええっ! 俺っ?

 いや。無理。無理無理無理無理。絶対っ、無理!」

「大丈夫じゃ。

 おぬしの強さなら、誰にも負けん。吾が軍の強者。ミヤトヒコを一撃にしたではないか」

「なんと、ミヤトヒコを!」

タケヒコは感嘆の声をあげ、丈琉を食い入るように見つめた。

「いや。人殺しは、絶対にできん」

現代に生きる人間として、さらには警察官を志す者としての、信念だ。


 丈琉の宣言に、オウスとタケヒコは怪訝そうに丈流を見つめた。丈琉は岳斗に耳打ちする。

「なぁ。この時代の人にとっちゃ、人殺しとか殺し合いとか、そういうんは、日常茶飯事なんやろか」

「そうかもしれんな。

 お前みたいに強い人間が、参戦しないのは、考えられん事かもしれん」

丈琉と岳斗が自分の頭の上で、話しているのを聞いていた美殊が、突然切り出した。

「じゃあ、オウスさんは人を斬ることができるん? 殺すことも?」

「戦じゃ。当たり前であろう」

「オウス様の剣は、最強でございます」

タケヒコは恭しく頭を下げた。

「そんな綺麗な顔して、人、殺すんや……」

(顔は関係ないやろ)

岳斗は美殊の小さなつぶやきを、聞き逃さなかった。


「よい。これは吾らの戦である。タケヒに無理強いはせん」

オウスは笑顔で話を終わらせた。しかしタケヒコはくいついてきた。

「では、ここで、吾と戦っていただけませんか?」

「はぁ?」

丈琉は突拍子もない声を出した。

「はい。吾は強いと言われる方とは、戦ってみたくなるのです。もちろん、木刀です。

 オウス様。よろしいでしょうか」

「タケヒコの悪い癖が出た。強い者とはすぐに剣を交えたがる。

 まぁ。よいであろう。のう、タケヒ」

「マジかよ。勘弁してくれよ」

「いいではないか。吾もみてみたい。タケヒの力を。

 タケヒコは強いぞ。吾軍の大将になるくらいなのだから」

オウスは楽しそうに笑った。

「では、急がなくては。準備してまいります」

タケヒコは勢いよく、家を飛び出した。


「待て。俺、やるとは言っとらんやろ」

丈琉が後を追おうと、振り向きながら立ち上がった。

“どんっ”

その瞬間に中に入って来た男とぶつかった。運の悪いことに、男は大きな壺を持っていた。

「うわっ」

丈琉は男の手から落ちた壺を、スライディングしながら拾った。

「ナイスキャッチ」

岳斗が囃す。

「す、すまん」

丈琉は寝転んだまま、謝った。


「おお、ナナツカハギ。ご苦労。まずは、腹ごしらえじゃ」

 ナナツカハギは頭を下げ、丈流の掴んだ壺を受け取った。

 丈琉は手渡した壺をまじまじと見つめた。素焼きで、所々ヒビが入っている。

「なあ、これって、弥生式土器ってやつじゃね?」

岳斗は土器をさすった。

「すごいな。教科書でしかみた事ない物を、実際に触れるって、すごくない?」

美殊も興味深そうに、土器に触ってみた。


 ナナツカハギは手際よく、食事の準備をした。

「オウス様。今日は米が手に入りました」

「それは丁度よかった。今日は豪華な飯じゃ。

 この陣の飯は、このナナツカハギがまかなっている。ナナツカハギの作る食事はうまいぞ。さぁ、食べてくれ」

岳斗は食事がよく見えないため、眼鏡をかけた。

 目の前には、お粥と名も知らぬ川魚の焼き物。丈琉のため息が聞こえた。

「これが、豪華な食事ってか。じゃ、普段はどんな食事なんや」

大食いの丈琉。明らかに足りなさそうである。しかし、気がつけばお腹は空いていた。

「俺って、図太いんかな。こんな状況に陥っても、腹は減っとる」

「食欲は人間が生きてくための、基本的欲求や」

「生きていくためには、食べないとね。いただきます」

美殊も手を合わせて挨拶し、思い切って食事に手をつけた。温かいお粥が、冷えた体と胃袋に染み渡った。3人はあっという間に食べてしまった。


「ごちそうさま。思ったより、って言うと失礼かもしれんけど、とにかくうまかった」

食事が終わると丈琉は手を合わせて言った。

「そうであろう。ナナツカハギの手にかかれば、どのような食材も素晴らしい料理になるのだ」

オウスは自分が褒められたかのように、嬉しそうに笑った。

 丈琉もオウスにつられて微笑んだ。

(オウスの笑顔は、人を和ませるな)

そう思いながら、隣の美殊を見ると、美殊もオウスの顔をじっと見つめながら、微笑んでいた。

「みぃ。なに、オウスに見惚れとるんや」

丈琉にからかうように言われ、美殊は真っ赤になった。

「なっ? 見惚れとるんと違うわ!

 オウスさんの笑顔って、可愛いって思っとったんや。って、やだ、なに言っとんのや」

美殊は丈琉の肩をバシバシと叩いた。言い訳にもなっていない自分の発言に気がつき、美殊は我を失った。1人であたふたとしていた。

「まぁ、落ち着けや」

岳斗が美殊の背中をポンポンと叩いた。


「まぁ、そやな。可愛いって言うか、幼い感じもするな。あっ。失礼しました」

岳斗は笑いながら頭を下げた。

「幼いか? 吾はもう、16なのだが」

「16歳?」

3人の声がそろった。

「マジか? 俺らよか、7つも下なんか。その口調に騙されたな」

「そうか。タケヒたちの方が年上なのだな」

オウスは顎に手を当て、驚いた顔をしていた。

 岳斗は隣の美殊をみた。やはり衝撃を受けた様である。

(そうだよな。美殊、やばいよな。16って言ったら高校生やんか。

 ショタコン一歩手前か?)

美殊は両手を重ねて、顎につけ、深刻な表情で思い悩んでいる様子だった。しばらくの沈黙の後、美殊が口を開いた。

「そしたら、オウスさんやなくって、オウス君の方がいいかな」

(気にするの、そこかよ)

岳斗は全身の力が抜けた気がした。

「サンだの、クンだの、吾にはよくわからぬ。好きなように呼ぶが良い」

オウスはまた、人懐こい笑顔を見せた。


 対戦の準備ができたと、タケヒコが呼びに来た。

「すっかり忘れとった」

丈琉は渋々と立ち上がった。

 皆、家の外に出た。外には大勢の男たちが集まっていた。

 岳斗は慌てて眼鏡を外した。

「好きな木刀を選んでください」

木の枝を適当な長さに切っただけの木刀が地面に並べてある。短剣程に短いものから、槍のように長いものまで様々な形の物が準備されていた。

 丈琉は「俺は、やるって同意したわけやいのに」と、ブツブツ言っている。

 しかし、木刀を選び始めるとその目は真剣になる。結局、竹刀と同じ長さ程の木刀を手に取った。

 それを見てタケヒコは、それよりも少し短めの木刀を選んだ。

「鎧をつけた方が良いであろう。怪我をするわけにはいかぬ」

オウスの提案で、鎧が運ばれてきた。木製で剣道の防具のような形をしている。2人とも体幹に鎧をつけた。

「防具は体だけか。面は付けんなら、胴しか攻められんな。コテもなしか……」

丈琉はすっかり対戦する気になっていた。


 岳斗は対戦を見逃すわけにはいかない。思い切って大声をあげた。

「あのですね。これから俺がつけるのは眼鏡という道具です。物を見るために、俺には必要な道具で、刺青ではないですからね」

そう言って、みんなの前で眼鏡をつけてみせた。その直後、ざわめきが起きたが、オウスが審判をするように2人の間に立ったため、皆の意識は試合に戻った。

「これで、公認や。いちいち外したり付けたりせんでええ」


 いやいや応じていた丈琉だが、タケヒコと向き合うと、顔が引き締まった。瞳と瞳がぶつかる。

(確かに、このおっさん。強いのかもしれん。でも……)

背筋がピンと伸びた。右手に堤刀(さげとう)し、一礼する。

 タケヒコは顔の高さに木刀を構えている。丈琉は自然に、中段の構えをとった。

 しんと、物音ひとつしなかった。

「はじめ!」

オウスの透き通った声が、響き渡った。

 丈琉は小刻みにステップを踏んだ。タケヒコは見慣れぬ動きに戸惑っている様子。しかし、大きな鼻息を吐き出すと、一気に攻め込んできた。上から木刀が振り下ろされた。

(速っ)

タケヒコは丈琉が想像していた以上に、動きが機敏だった。しかし、丈琉はスッと避けた。何事もなかったかの様に冷静だ。

 少し体制を崩したタケヒコはすぐに構え直し、今度は慎重に向き合った。もう一度、木刀を振り上げた時、その瞬間に丈琉は音もなく一歩を踏み込み、あっという間に“胴”を決めた。一瞬の出来事だった。

 その辺にある木の枝でしかない弱い木刀は、鎧に打ち付けられ、真っ二つに折れた。粉々に砕けた木片が、宙に舞った。


 誰も声を出せなかった。周囲は静まり返った。

「見事!」

オウスが第一声を発した。すると試合を囲んでいた者たちから一気に歓声があがった。

「すごい……。 丈琉」

美殊は両手を口に当てて、感嘆の声を漏らした。

「丈琉やない。タケヒや」

岳斗が美殊をつついた。

「そやったな」

美殊は「タケヒ。タケヒ。ヤマヒコ。ヤマヒコ」と、繰り返しつぶやいた。


「参りました」

タケヒコは丈琉に頭を下げた。短い試合だったにも関わらず、汗だくだった。

 丈琉は汗ひとつかいていない。タケヒコは丈琉に歩み寄ると、肩をバシバシと叩いた。

「お見事。タケヒ様の動きがまるで見えませんでした。気が付いた時には打たれていました」

「でも、ホントに、丈、タケヒって強いんやね。池のトコでもそう思ったけど」

美殊がそう言うと、岳斗は池での丈琉の言葉を思い出した。

“あんな雑な構えで、真っ直ぐな太刀さばき。一瞬で見極められるわ”

(現代の洗練された剣術には、古代のワイルドな剣は叶わんやろな)


「よし。皆。集まっておるな」

オウスの声が響いた。試合の会場となっていた場所には、大勢の男が集まってきていた。30人ほどであろうか。

 皆、髭をたくわえ、みずらを結っている。背は低く、がっしりとした体型の者が多かった。

 男たちは決められた様に、整然と並んだ。その光景に美殊は怯え、丈琉の腕をしっかりと握った。


 オウスは列の前で仁王立ちした。

「皆の者。これから熊襲に向け、出発する」

「おおーー!」

男たちの雄叫び。美殊は地鳴りがしたのかと思った。

「吾は阿波岐原でイザナギ様の御加護を受けた。

 それが、ここにおるお三方じゃ。

 今、目にした通り、剣の達人もおる。

 さらには素晴らしき鏡をお持ちの巫女様。

そうじゃ、ミコヒメ様。先ほどの素晴らしい鏡を、皆に披露してもらえませんか?」

「えっ? 鏡って、私の持っている鏡の事?

あんなん、見せたからって、なんになるん?」

「あれほど素晴らしい鏡です。

目にするだけで、きっと、身が清められます。

さあ。ミコヒメ様。こちらへ」

オウスは清しく微笑み、招く様に美殊に向けて手を差し伸ばした。

美殊はオウスの笑みに魂を握られた。美殊は魂につけられた紐を引っ張れた様に、真っ直ぐにオウスの元に進んだ。

 そして、差し伸ばされた手を取った。

「みぃが男の手、握っとる。

 男なんて、俺ら以外、近寄る事もできんかったのに」

丈琉は信じられないという表情で、つぶやいた。


 美殊はオウスの隣に立った。陽射しが真っ直ぐに目を刺してきた。反射的に目を閉じ、手で光を遮った。

 はたと気が付けば、一糸乱れずに並んでいる男たちが目の前に迫っている。美殊は怯え、後ずさった。しかしオウスが美殊の手をぎゅっと握った。そして美殊の顔を真っ直ぐに見つめ、穏やかに微笑んだ。その笑顔で美殊はすっかり落ち着いた。


「この鏡、見せればいいんやね」

美殊はリュックの中から、コンパクトミラーを取り出した。

 オウスはゆっくりとうなずいた。

 美殊はコンパクトミラーの蓋を開け、鏡面を男たちに向けた。

 この時、美殊は太陽が自分の正面にあることは、少しも気に止めていなかった。


 鏡を向けた瞬間、鏡は真正面に昇っている太陽を反射させた。反射光は美殊の真正面に立っていた男の目を直撃した。

「ウォッ!」

大きな悲鳴があがった。男は手で目を覆い、倒れた。

「目が! 目が見えん!」

叫びながら、もんどりうっている。その場はパニックに陥った。

「きゃっ。ごめんなさい!」

美殊は慌ててミラーを後ろに隠した。

 オウスも光の強さに戸惑っていた。しかし、すぐに気を取り直した。

「うろたえるな。これが吾らに勝利をもたらす、ミコヒメ様の鏡じゃ」

オウスの声が響き渡る。混乱はあっという間に収まった。

 男たちは一斉に、美殊の前にひれ伏した。

 美殊はその異様な光景にすっかり萎縮してしまった・


 熊襲に向かう準備が始まった。

 美殊のために 輿(こし)が作られた。幅の広い担架の様な物だ。二本の棒の間に板を渡し、その上に美殊が座る。そして前後の棒を、4人で持ち、美殊を運ぶのだ。

「あれにのって、移動するん? なんか恥ずいわ」

輿に乗ることはためらわれた。しかしオウスに女の足で熊襲までの山道を歩くのは無理だと諭された。

 

 オウスの言った通り、厳しい道のりだった。道とは言えない道を進むのだ。

 丈琉は幼い頃から体を鍛えている。今も警察学校で厳しい訓練を積んでいる。精一杯ではあるが、なんとかついて行くことはできた。

 しかし、岳斗には無理だった。高校まで陸上をやっていたが、大学では運動らしい運動は、何もしていなかった。一行の行進にはついていけなかった。2、3時間で根をあげた。

(やま)、ヒコ…。ヤマヒコ。顔色悪いで」

丈琉が心配そうに覗き込んだ。

「無理や。もう足、ガクガクやし、息も切れるし。肺が爆発しそうや」


 岳斗を輿に乗せるのは無理である。185cmもあり、今、この場にいる誰よりも大きいのである。現代でも体格はいい方であるが、この時代の小柄な人たちでは、岳斗を担ぐことはできないであろう。

 一行は二手に分かれることにした。先行するオウスの隊。ミヤトヒコを中心とする、後から追いかける隊。きょうだい3人はミヤトヒコと一緒に進むことになった。

「悪かったな。俺のせいで、めんどくさい事になってしまった」

岳斗は申し訳なさそうに言った。

「いえ。ヤマヒコ様だけではありません。輿を担いでの移動も大変なのです。担ぎ手もきっと喜んでいます。

 実は、彼らの負担が大きい様であれば、二手に分かれる様、吾はオウス様に進言しようと思っていたくらいです」

「ミヤトヒコ。お前、良いヤツやな。そう言ってもらえると、俺も少しは気が楽や」

岳斗はミヤトヒコと肩を組んだ。

「それにしても、昔の人間って、どんだけ健脚なんやって、話や。

 重たい鎧着て、でかい荷物持って、それであの歩きは、ありえんやろ」

丈琉が話しに入ってきた。彼なりに岳斗を励ましているのだ。

「そやな。あの鎧とか重そうや」

鎧には、丈琉とタケヒコが剣の試合でつけた木製の鎧の他に、鉄製の鎧もある。オウスたち地位の高い者が主に装着している。

 下の者たちは木製や布製の鎧をつけている者がいた。中には毛皮製の鎧もあった。

「あの、布製のヤツじゃ、鎧の機能を果たさない気がするな」

岳斗が鎧と称するベストを指差した。

「でも、軽そうやな」

「命と重量と、どっちを取るかや」

丈琉のつぶやきに、岳斗が速攻で突っ込んだ。


「ねぇ。それに、この時代の人たちって、寒さにも強いわよね。

 こんな薄着で、平気な顔しているし」

美殊たちは濡れた自分たちの服を乾かして、白い服の下に着込んでいる。

「私、カイロがあと3個しかないし。カイロなくなったら、どうしようか」

美殊は持っていた貼るカイロを背中に1枚、貼っている。

「人間って、適応能力があるんや。この人たちは生まれた時から、この環境で生きているんやから、平気なんと違うか。

 そのうち、俺らも慣れるかもしれん」

「そんなもんに慣れる前に、元の世界に早く帰りたい」

美殊のつぶやきに、丈琉も岳斗も心の中で同意した。


「皆様。その様なことおっしゃらずに。どうか、吾らを助けてください」

ミヤトヒコが真剣な眼差しで願ってきた。

「えっ。私ら、足手まといになっとるだけで、何の役にも立っとらんよ。

 私なんて、4人の人の体力を借りまくっているし。岳斗が歩けないなんて、レベルじゃないくらい、迷惑かけているんやから」

「とんでもありません。

 オウス様もおっしゃっていましたが、皆様は吾らのために、イザナギ様が使わしてくださったのだと思っております。

 オウス様はあの様なお立場ですし、皆様のお力が必要なのです」

「あの様な? お立場?」

3人が尋ねたところで、ミヤトヒコは先頭を歩く、案内役のタゴに呼ばれた。ミヤトヒコは頭を下げて、小走りで先頭に向かって走って行った。

(なんの事やろ)

3人は頭の中で、モヤモヤとする事になった。


 タゴが道から少し外れたところに、生い茂った草が刈られているスペースを見つけたのだ。おそらくオウスたち第一陣が休憩をとった場所と思われた。

 ミヤトヒコの判断で、ここで休憩を取る事にした。太陽も真上に昇っていた。

 きょうだいは並んで腰を下ろした。岳斗はぐったりとしている。

「そろそろ、昼飯かな」

丈琉が太陽の位置を見ながら言った。

「この時代、食事は2食やないかな。3食になったんは、もっと後の時代や」

岳斗が足をさすりながら言った。

「ええっ。そんな。俺、腹減って仕方ないんやけど。朝やって、お粥だけや」

「無神経なやっちゃな。俺、食欲なんて、ちっともないわ」

「俺の最大の難関は、空腹かもしれん」

丈琉は大真面目に考え込んだ。

「大丈夫や。さっきも言ったやろ。人間は環境に適応できる生物や。そのうち、粗食と2食の食生活にも慣れるって」

「うーん。嬉しくないな」

丈琉と岳斗のやり取りを聞いていた美殊が、ガサゴソとリュックの中を探った。

「ほら、チョコがあったわ。でも、あとはガムしか残っとらんからな」

美殊はチョコレートを取り出し、丈流と岳斗に渡した。


“ガサッ、ガサ”

丈琉は微かな物音に気がついた。

「しっ」

ミヤトヒコも気づいた様子。口に人差し指を当てて、一同に動かない様指示した。緊張が走った。

 ミヤトヒコが木の影に隠れ、音のする方向に視線を向けた。

「人影が。

 熊襲の奴らかもしれぬ。皆、草陰に隠れろ」

皆、一斉に身をかがめ、草むらに隠れた。

 ミヤトヒコは1人立って、警戒をしていた。

「あっ」

ミヤトヒコが小さな声をあげた。

 皆、ビクッとしてミヤトヒコを見た。ミヤトヒコは顔を歪め、深刻な表情をしている。

「どうしたんや?」

小さな声で丈琉が問いかけた。

「いえ。

 いいか、ここで待っておれ。吾が戻るまで、動くでない。いいな!」

ミヤトヒコは家来の1人にきつく申し伝えると、腰を低くしたまま、草に隠れて走って行った。


 残された丈琉たちは気が気でなかった。緊張のために、話すこともできない。

 岳斗は時計を見た。ミヤトヒコがここを離れてから、ほんの1分しか経っていない。1分が1時間にも感じた。

 岳斗が時計を見ている時に、丈琉は人の動く気配を感じた。

 丈琉は中腰になり、音のした方向に顔を向けた。ミヤトヒコの家来、2人の姿が見えた。腰をかがめ、音を立てない様に歩いている。ミヤトヒコとは、逆の方向に向かっていた。

 丈琉は岳斗の肩を叩き、小さな声で話しかけた。

「ミヤトヒコの家来がな、なんか、向こうに歩いて行っとるんや。まるで逆に向かっとるし。俺、ちょっと、追いかけてくるわ」

「待て。今は動かん方がええって。味方追いかけて、敵とかち合ってしまったら、話にならん」

「それはわかるけどな。だけど、今、出て行ったヤツら。ミヤトヒコのこと追いかけてようとして、間違っとるんかもしれんし。

 無理はせんから、大丈夫や。みぃのこと頼むな」

岳斗の肩をポンと叩き、腰をかがめた姿勢で、走って行った。


 丈琉は2人の男たちにすぐに追いた。

「おい。どこ行くんや。動くなって言われたやろ。それに、ミヤトヒコが行ったんは、そっちやないし」

丈琉が声をかけると、まさに男たちは飛び上がった。小さい悲鳴をあげ、顔だけを丈琉に向けた。その顔は恐怖でひきつっていた。

 男たちは震えながら、小さな声で話し始めた。

「見逃してください。お、俺たちは、こんな辺境の土地で死にたくないんです」

「えっ? 死ぬ?」

丈琉が首を傾げていると、男たちは同時に大きく首を縦に振った。そして、代わる代わるに勢いよく話し始めた。

「オウス様は恐ろしい方です。熊襲の頭領は乱暴な奴と聞いています。

 戦いとなれば、きっと、オウス様は俺たちを盾にするはず。ご自分の命以外、どうでもいいと思っている方ですから」

「いや。ちょっと待て。オウスって、そんな人には見えんけど」

「あなたは、ここに来たばかりだから、わからんのです。オオウス様との事も知らないでしょう」

「オオウス?」

「そうだ! オオウス様とのことも知らないくせに、知ったような口をきくな」

男たちは徐々に興奮し、言葉が荒くなった。


「オウス様の兄上じゃ。オウス様に殺されたがな。双胎(そうたい)の、自分と同じ顔の兄を殺すなんて、俺らには考えられん!」

「その上、遺体をバラバラに切り刻んで、(かわや)に流したって話じゃ」

「はぁ?」

丈琉は嫌悪で顔を歪めた。

「本当なんだ。どうせ、オウス様は日嗣の皇子様の候補だったオオウス様を亡き者にすれば、いずれは自分が大王になれると思ったんだろうよ。

 だがな、それは裏目に出たんじゃ」

2人は顔を見合わせて、大きくうなずいた。

「オシロワケの大王様は、残忍なオウス様を疎んだって話だ。

 だから、こんな危険な熊襲の遠征にも、こんな小規模な軍しか与えられなかったんだ」

「大王様に疎まれては、日嗣の皇子様にはなれん」

「そんな皇子について行っても、何の得にもならん」

そう言い放つと、2人は一目散に駆けて行った。


 丈琉は唖然として、逃げていく2人の背中を見ていた。追いかける気にもならなかった。

(俺、確かにオウスと会って間もないけど。でも、オウスはそんな事するヤツじゃない。絶対に違う!)

丈琉は逃げた男たちに対して、怒りが湧き出た。

 しばらく下を向いて、拳を強く握っていた。噛みしめた唇が切れそうになった。

「タケヒ様。なぜ、ここに?」

ミヤトヒコが息を切らせて戻って来た。

「危ないではないですか。待っててくださいと、申し上げたはずですが」

ミヤトヒコのきつい口調を初めて聞いた。

「すまんかったな。勝手して」

ミヤトヒコが心配してくれているのが胸に響いた。さっきの男たちに幻滅したばかりで、ミヤトヒコの心使いが嬉しくなった。


「あのな、言い訳する訳やないんやけど。

 ミヤトヒコ、お前の隊から逃げるヤツがおったんや。俺、そいつら、追いかけて来たんや」

「わ、吾の家来にも……」

ミヤトヒコは次の言葉が出てこなかった。

「奴らな、オウスには従えんって、そう言って、逃げて行ったんや」

「わ、吾が見つけたのも、脱走兵でした。先陣の隊から逃げたヤツらです。吾は追いつけず、今、戻って来た所なのです。タケヒ様は、奴らと何か話をしましたか?」

丈琉の体の中に、また怒りが湧き上がった。

「お、俺、信じとらんからな! あんなヤツらの言ったことなんか」

「まさか、奴ら……」

「うん。オウスがな、オウスが、その、兄さんを殺したとか……」

「オオウス様のことですね」

ミヤトヒコは唇を噛み締めた。

「オウス様は、その件について、何も語らないのです。ですから真偽の程は、未だわかりません。

 それなのに、悪い噂ばかりが一人歩きをしてしまい、どんどん広がってしまったのです。

 吾は信じておりません。しかし真に受けた者も大勢おりました。

 オウス様とオオウス様は双胎の、本当に同じ顔をした、仲の良いご兄弟でした。お互いを信じ合い、力を認め合う、そんなお二人だったのです。

 第一、オウス様と付き合っておれば、オウス様がその様な事をする方ではないと、わかるであろうに!」

ミヤトヒコは激しく足を地面に打ち付けた。

「俺も、そう思うんや。何で、そんなんがわからんのやろ」

ミヤトヒコは丈琉の瞳をまっすぐに見つめると、大きくうなずいた。

「もう、よい! そんな奴らが吾が隊におっては、士気を下げるだけじゃ。消えてくれて、ありがたいばかりじゃ」

「そやな。あんなヤツらの事、綺麗さっぱり忘れてしまえ。

 さ、みんなが待っとる。早よ、戻ろ」

丈琉がミヤトヒコの背中をバシッと叩いた。ミヤトヒコは笑いながら、顔をしかめた。かなり痛かった様だ。


「ところでな」

丈琉は思い出した様に、ミヤトヒコに話しかけた。

「ミヤトヒコって名前、長くて呼びづらいんや。ミヤとかそんな感じで呼んでもいいかな?」

「なんとでも。お好きなように呼んでくだされ」

ミヤトヒコは嬉しそうに笑った。


 日が暮れ、山道を進むことが困難となった。野宿の準備が始まった。

 丈琉は警察学校で野宿の経験はあるが、現代の野宿と、古代の時代の野宿ではまったく違う。現代の野宿は十分に快適であったのだと、丈琉は思い知らされた。

 美殊と岳斗は小学校の時のキャンプくらいである。美殊は憂鬱そうにため息をついた。

「下はすぐ地面で痛いし、寒いし。とっても眠られん」

支給された掛物は厚手の布だけである。綿入れの布団がある訳もなかった。

「俺らの間にはいれば、少しはあったかいと思うで。それに、バスタオルみたいにでっかいタオルがあったやろ。それ、下に敷けば、ちょっとはマシなんと違うか」

岳斗が寝る準備をしながら言った。美殊は大きなトートバックの中からタオルを取り出した。

 ブツブツ言いながらも寝る準備をしている美殊を横目に見ながら、岳斗が丈琉の耳元に話しかけてきた。

「まさかとは思うけどな。変な気、起こすんやないで」

「な、なに? どう言うことや?」

丈琉はすっかりうろたえた。岳斗は「いや。別に」と言って、ニヤッと笑った。


 3人は川の字になってくっついて横になった。3人、同じところで寝るのは、小学生以来。

 パチパチと焚き火の音が聞こえる。炎が森の木々を照らしていた。


 3人とも、疲れ切っているはずだったが、なかなか寝付かれなかった。岳斗は時計を見た。横になってから30分以上経っている。

 その時、美殊の小さな泣き声が聞こえてきた。

「おばあちゃん。大丈夫やろか。

 でも、なんかあっても、こんなトコにおったら駆けつける事もできん」

しゃくり上げる声が続く。

 丈琉は赤ちゃんをあやす様に、美殊の背中をポンポンと叩いた。美殊は小さく何度もうなずいた。

(こんな状況で、誰が変な気なんか起こすかって)

丈琉は薄目を開けて、岳斗を睨んだ。そして仰向けになって、空を見上げた。星を見つめていると、様々な思いが頭の中を巡った。

(俺たちが行方不明になったって気がつくのは、月曜日になってからやろな。

 捜索願とか出されてしまうんやろか。いや、あの体裁を気にする父さんが出すとは考えられんな)


 美殊のかすかな寝息が聞こえてきた。

 丈琉はホッとすると、不意にあくびが出た。目を瞑ると、いつしか、深い眠りに入った。


 3人の、長い長い時空を超えた1日が、終わった。



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