阿波岐原で運命の人と出会ってしまった
「冷たい。やだ、びしょ濡れやん。どうすんの?」
美殊は岳斗を恨めしそうに見つめた。
「どうすんのって、落ちたのは、みぃやろ。俺は、巻き添えくっただけや」
岳斗の発言はもっともである。
「そうだけど……。
ってか、だいたい、丈琉が悪いんや。池なんかのぞいとるから、落っこちるんや」
美殊は怒りの矛先を丈琉に向けた。
それでも落ちたのは自分の不注意であり、美殊はそれ以上何も言わずに立ち上がろうとした。
「あれっ。手が光っとる」
美殊は自分の手が青く光っている事に気が付いた。つられて岳斗も自分の手を確認した。岳斗の手は緑色の光を灯していた。
“ピシャッ”
背後から水音がした。3人は反射的に振り返り、慌てて立ち上がった。
浴衣姿の人物が、池の中に立っていた。
「さっきの、人や」
丈琉はつぶやいた。みそぎ池の中で見た人物だ。
端正な顔立ちをしている。髪は黒光りするほどの綺麗なストレートヘア。前も後ろも同じ長さで、背中に垂らしてある。
華奢な体で、背は美殊くらいしかない。
そしてくっきりとした二重の目でこちらを凝視している。
(綺麗な顔をしとる。男か女かわからんな)
丈琉もその人に見入っていた。
「●◇※△◎×! *@■!」
今度は別の方向から、人の声が聞こえてきた。3人は同時に、声のした方へ視線を移した。
視線の先にはもう一人、見知らぬ男がいた。その男は池のほとりに立っていた。うっすらと髭を生やし、奇妙な衣装と髪型をしていた。
その服装は丈琉達との服とは随分違っている。生成りの色をしただっぷりとしたVネックのTシャツと袴。
髪は長く、頭の真ん中で分けて縛ってある。ツインテールにしてある髪の束を、耳の脇でひょうたんの様な形にしてくくってある。
「夢ん中のスサノオとおんなじ格好や」
丈琉は思わず指をさして叫んだ。
「何? 誰と同じ格好やって?」
「いや、夢の話や」
「今、夢の話、しとる場合か!」
岳斗にしては珍しく、厳しいツッコミが入った。
しかしそう言いつつ、岳斗も彼の衣装が気になった様子。
「なんか、古事記とか日本書紀とかに出てくるような格好やな」
岳斗はそうつぶやきながら、男をジッと見ていた。
すると突然、男の表情が一変した。そして岳斗を指差して怒鳴り散らした。
「何、言っとんのか、さっぱりわからんな。中国語でもないし、ハングルでもないな。日本人みたいな顔しとるけど、日本人やないんか」
「岳斗。そんなのんきに分析しとる場合やないと思う。あの人、お前のこと、親の敵みたいにして睨んどる」
男はひどく興奮していた。黙ったかと思うと、右手を腰にやった。腰には剣の鞘と思われる物が提げられていた。
「まさか、刀か?」
緊張が走った。男が右手に持った物は、恐れていた通り刃物だった、
50cm程の短い物で、真ん中が少し盛り上がっている。厚みがあり、重量を感じる。刀身の両側に刃があるが、金属特有の輝きはなく、切れ味は感じない。
時代劇でよく目にする、日本刀とは全く違っていた。
男の殺気立った瞳が、逆に丈琉を冷静にさせた。丈琉は美殊のトートバックを岳斗に渡し、2人の前に進み出た。赤く光る左手を横に広げ、美殊と丈琉を後ろにかばった。
男は叫びながら刀を振り上げて池の中に入って、丈琉たちに向かってきた。
「きゃっ」
美殊は岳斗にしがみついた。
丈琉は男の振り下ろしてきた剣を、最小限の動きでやり過ごした。男が前のめりによろけたその瞬間に、丈琉は剣を持つ男の手首を拳で叩いた。剣は水しぶきをあげて、池の中に落ちた。男は手首を抑えて、水の中で片膝をつく。丈琉を見上げて見開かれた瞳には、戦意は全く消えていた。
一瞬の出来事だった。美殊は何が起きたかわからなかった。気がついたら決着がついていた。
(丈琉って、こんなに強いんや)
美殊は弟の顔が別人に見えた。
「丈琉。無理すんな。あんな重たそうなヤツ。当たれば、大けがや」
岳斗は丈琉の腕を引いた。
「あんな雑な構えで、真っ直ぐな太刀さばき。一瞬で見極められるわ。全然、問題ないって」
丈琉は事もなげに笑った。
(それに、なんか、いつもと違う感じがする。
相手の動きがスローモーションみたいに見えたし。俺の手の動きもいつもより鋭いような感じや。
この手の光も、なんか強くないか? 赤色が濃い気がする)
丈琉はまだ赤く光る手を、一心に見つめた。
浴衣を着た人物が、ひょうたんのまげを結った男に声をかけた。
まげの男は浴衣の人に頭を下げた。そして池の中に落ちた剣を拾い上げ、池からあがった。
「あの人が命令したみたいや。小さい人の方が偉って感じやな」
丈琉は独り言のようにつぶやいた。
丈琉と浴衣の人の視線がピタリと合った。そしてその人から視線を外す事ができなくなった。
(綺麗な瞳や。真っ黒で、キラキラしとる)
丈琉はその瞳に吸い込まれる感覚に陥った。
すると2人の赤い光が伸び、相手を照らした。
丈琉は自分以外の人物の赤い光を見たのは初めてだったし、その光を浴びるのはもちろん初めての経験だった。
(なんだ。体が熱い。胸が燃えているようだ)
真紅に輝き出した右手を胸に当て、硬く拳を握った。
すると2人の赤い光は、美殊の青い光と、岳斗の緑色の光をも引き寄せた。
“キーン”
3人は耳鳴りを感じた。
それはほんの2、3秒で治った。
そして4人の手から伸びていた光は、それぞれの手の中に収まった。しかしその光はこれまでとは比べものにならないほど、鮮やかな色を呈していた。
「おぬし。強いな」
ロングヘアの人物の凜とした声。
「えっ。あ、あざっす」
丈琉はペコっと頭を下げた。
「こっちは、いきなり襲われたんやで。何、お礼言っとんのや」
岳斗は丈琉の肩を、裏手で軽く叩いた。そこで、はたと気がついた。
「言葉がわかる!」
次から次へと襲ってくる、摩訶不思議な現象。3人のきょうだいは頭がついていけなくなってきた。
ヒュッと、冬の冷たい風が吹き込んできた。
「さぶっ」
美殊が体を震わせた。丈琉は美殊の肩を抱いた。
「とにかく、ここから上がろ。いつまでも池ん中にいたら、体温が奪われてしまう」
丈琉は美殊を支えるようにして、池からあがった。岳斗もその後に続いた。
「ミヤトヒコ。火が消えておる」
ロングヘアの人物が、まげの男に声をかけた。
「はっ。オウス様」
“ミヤトヒコ”と呼ばれた男は頭を下げた。そして池のほとりに積み上げられてある、枯れ木の山のそばに腰をおろした。枯れ木は所々、黒く焼け焦げていた。
ミヤトヒコは細い木の枝と太めの木、そして枯れ草を手に取った。太い木は地面に置き、その上に枯れ草を乗せた。そして枯れ草に細い枝の先端を合わせ、太い木に垂直に当てた。
両手で枝を挟み、高速ですり合わせた。間もなくして、摩擦された木の接点から煙が上がってきた。ミヤトヒコが煙に息を吹きかけると、小さな枝に小さな火が燃え移った。
その種火を積み上げられている木々の中に入れた。さらに息を吹きかけると、煙と共に、炎が大きくなり、枯れ枝が勢いよく燃え出した。
3人は火に手をかざし、暖を取った。
“オウス様”と呼ばれた人物は火には当たらず1人離れていた。濡れた浴衣を脱ぎ、足元に置いてあった着物に着替えた。その服はミヤトヒコと同じ作りだった。
(男やった)
丈琉はオウスの着替えを横目で見て、しっかりチェックした。
美殊はブルブルと震えた。
「おい。みぃ。大丈夫か」
丈琉は美殊の肩を揺すった。
「あ、うん。大丈夫」
「体、冷えきったか?
みぃの事やから、このでかいバックの中にタオルかなんか入っとるんやろ。早よ出して、体拭け」
岳斗は持っていたバックを美殊に手渡した。
「あっ。うん」
美殊はゴソゴソとバックを探った。バックはビニール素材で、中まで浸水してはいなかった。
「タオル、2枚あるわ。2人で1枚使って」
そう言って、タオルを岳斗に渡した。
美殊はゆっくりと、顔や髪を拭いた。
そこへ着替えの終わったオウスが戻ってきた。焚き火を挟んで美殊の正面に座った。
美殊は視線を感じ、顔を上げた。オウスと目が合った。オウスは何かに驚いたように、美殊の顔を見つめた。
オウスの端正な顔立ちの、きりっとした瞳にじっと見つめられ、美殊は固まってしまった。顔が真っ赤になり、頬が火照った。今まで寒さに震えていたはずなのに、今度は汗が出てきた。
美殊は慌てて視線を外した。
岳斗は先にタオルを使わせてもらった。眼鏡を外し、顔を拭いた。
「ああー!」
ミヤトヒコの大きな声。
皆、驚いて、ミヤトヒコを見た。
「刺青が、顔の刺青が消えました。えっ、どうして?」
ミヤトヒコは岳斗を指差していた。
「顔の刺青? 俺、刺青なんかしとらんで」
そう言って、岳斗は一瞬考え込んだ。
「まさか、これの事か?」
岳斗は外した眼鏡を前に掲げた。
「そう。その模様でした。確か顔に描いてあったはずです!」
「いや。描いてるんやない。かけていたんや。眼鏡、かけていただけや」
「め、めがね?」
岳斗は太い黒縁の大きめの眼鏡をかけてみせた。
「ああっ! 刺青がまた現れた」
「だから、刺青やないんやって。これな、眼鏡っちゅうて、視力の悪いモンがかけると、よく見えるようになるんや。
って、何でこんな事、説明せんとあかんのや。
まさか、眼鏡知らんのか……」
岳斗は眼鏡のブリッジを中指で持ち上げて、位置を直した。
オウスは顎に手を当て、思案していた。そして、大きく1回頷いて、岳斗の前に進み出た。
「先ほどは申し訳ないことをした。
そのめがねとやらを刺青と勘違いしてしまったのだ」
オウスは深々と頭を下げた。
「吾らには敵がおるのだ。熊襲のクニじゃ。
その熊襲の者は顔に刺青をしている。故に、おぬしを熊襲の者と思ってしまったのだ」
「オウス様は関係ありません。吾が、勝手に早とちりしたのです。
本当に、申し訳ありませんでした」
ミヤトヒコは地面に顔がつきそうな程に、頭を下げた。
「いや、もういいって。何ともなかったわけやし」
岳斗は軽く笑ってみせた。
岳斗の笑顔にホッとして、ミヤトヒコの顔が明るくなった。そして薪の補充にバタバタと動き出した。
その隙に、岳斗は美殊と丈琉の肩をたたき、3人で固まった。
「なぁ。あの人たちと、全く話がかみ合わないよな」
「ああ。なんか、おかしいってか、わけわからんっていうか」
丈琉も混乱している。
「うん。それにあの服。あれって、コスプレ? なんかの撮影? 役になりきっとんの?」
美殊はチラッと2人に目を向けた。
「そんなんで、あんなにマジで攻撃されたら、たまったモンやないって」
「そうだよな。でも、ふざけている感じでもないし、撮影とかしている感じでもないよな。
撮影のスタッフとか、おらんみたいやし」
岳斗は眼鏡の位置を直しながら、注意深く周囲をみわたした。
「うん。
そしたら、あの格好って、なんなん? あれ、ものすごい昔の服装やんか。あんな服、流行ってもいないし、普段着とる人なんかおらんって」
「しっ」
岳斗が口に人差し指を当てた。美殊の声が大きくなっていたのだ。
しかしオウスもミヤトヒコも気にしていない様子。
岳斗は一息吐いてから、再び話し始めた。
「あの服、弥生時代とか古墳時代の服装って思わんか?」
「そやな。大昔の服って感じや」
丈琉が小さく数回うなずいた。岳斗は話を続ける。
「それに、さっきの火の起こし方や。あれも、大昔のやり方やんか。それなのに、えらい慣れた感じでやっとった」
「それと、あの刀や!」
今度は丈琉が大きな声で叫んでしまった。自分の声が響き渡り、慌てて口を押さえた。
オウスとミヤトヒコが驚いた様にこちらを見た。
「あっ、すみません。なんでもないんです」
丈琉は頭を下げて作り笑いをした。
丈琉は話を再開した。
「いや、あの刀。日本刀とは違うやろ。もっと昔の物やと思うんや」
「そやな。古墳とかから出土された、剣って感じやな」
「うーーん。って事は、あの人達、大昔の人って事よね」
美殊の言葉に、二人は神妙な顔をしながらうなずいた。
一刻の間の後、岳斗がゆっくりと口を開いた。
「……。 タイムスリップか?」
「やっぱ、そう思う?
私も、そう思ったんやけどな。でも、現実的やないから、言いだせんかった」
美殊が神妙な顔をして、数回まばたきをした。
「マジかよ。
あの人たち、どうすんのや。昔の世界から、未来の世界に来てしまったんやろ。
困るやろうな」
丈琉が同情を込めた視線を向けた。
岳斗は深いため息をついて、丈琉と美殊に向き直った。
「俺らが、って可能性もあるんやで」
「はっ?」
丈琉と美殊は同時に声をあげた。
「だから、俺らが、タイムスリップしたんかもしれんって言っとんのや。
見てみぃ。なんか、景色が違うと思わんか?」
岳斗にそう言われ、二人はお互いの顔を見合わせた。そして、慌てて周囲を見渡した。二人の動作はシンクロしていた。
池の反対側にはすぐに小径が見えるはずだった。たった今、歩いて来た道だ。
しかし、背後には大きな林があり、木々が池を囲んでいた。林の木は背が高く、数が多い。威圧感を感じるほどだった。
「なんや。どうなっとんのや!」
丈琉は大きな声を上げ、勢いよく立ち上がった。そして、さっき歩いて来た方へ駆け出した。
すぐに林に行き着いた。木々が欝蒼と生い茂り、背の高い草もボウボウと生えている。中は薄暗く、先は見渡せなかった。
すぐ近くにあったはずの舗装された小径は見当たらなかった。獣が歩いて、自然にできたような道の跡しかなかった。
ガサッと音がした。びっくりして目を向けると、リスだろうか、小動物が奥に逃げて行く影が見えた。
美殊と岳斗が追いついて来た。
「違う。俺らがいたトコと、全然違っとる」
丈琉は激しく頭を掻きむしった。
「タイムスリップしたんは、俺たちや」
3人は呆然自失となった。
「どうしたのじゃ? もう、帰るのか」
オウスがゆっくりと後を追いかけて来ていた。
丈琉は絶望的な顔をオウスに向けた。オウスは一瞬、首を傾げたが、すぐにニコッと微笑んだ。
「急ぐのでなければ戻って来て、火に当たったらどうじゃ。
まだ、濡れておるではないか」
落ち着いたオウスの声と、穏やかな笑顔に促され、3人はたき火の所に戻って来た。
3人は一列に並んで腰をおろした。そして、同時に大きなため息をついた。
美殊はリュックの中を探って、煙草とライターを取り出した。煙草をくわえ、ライターで火をつけた。美味しそうに煙草を吸い込み、深く煙を吐いた。
「俺の前で吸うなって言ったやろ」
丈琉は大げさに、煙を仰ぐ仕草をしてみせた。
「1本だけや」
丈琉と美殊がもめていると、オウスとミヤトヒコが絶叫した。
「妖術か!」
「火が、火が、一瞬で」
ミヤトヒコは腰が抜けていた。
「えっ」
あまりの騒ぎに、美殊は人差し指と中指に煙草を挟んだまま、キョトンとした。
「アホか。ライターや。ライターであっという間に火をつけたから、びっくりしとんのや」
「あっ。ごめん」
美殊は慌てて、ライターをコートのポケットに隠し、携帯灰皿で煙草をもみ消した。
しかし、オウスたちの記憶を消す事はできなかった。
「えっと……」
引きつった笑顔を作った美殊だが、言い訳が出てこなかった。
あんぐりと口を開いたまま放心していたオウスだったが、「もしや」と、一言つぶやいて、手を顎に当て目を閉じた。
みんなの視線が集まる中、しばらくして、パッと目を見開いた。
「もしや。アマテラス様。そうだ、あなた様はアマテラス様なのでしょう。
この様に美しく、光輝いておられる。女神様に間違いありません」
そう言って、美殊の前でひれ伏した。ミヤトヒコも慌ててオウスの後ろで平服した。
「えっ? 美しいって、私?」
美殊は“美しい”と言う言葉に過剰に反応した。物心ついた時から、可愛いとか美しいと言われた事はない。そう言った言葉とは縁遠い顔貌である事は、しっかりと自覚していた。
それを、美しい顔をしたオウスに言われ、すっかりテンパった。
丈琉は大笑いだ。
「煙草ふかした女神って。どんな女神や」
「うるさい!」
美殊は思い切り丈琉の肩を叩いた。
オウスは2人の駆け引きを気にもせず、熱く語りかけた。
「おお、そうだ。アマテラス様だけでなく、ツクヨミ様、スサノオ様もおられる。
スサノオ様。その身のこなし。八岐大蛇を退治した、スサノオ様に間違いありません」
そう言って、丈琉の前に進み出た。
「俺がスサノオ?」
「はい」
オウスのまっすぐな視線から、逃れられない。
「お三方はこの、阿波岐原の地に、白き光と共に降臨されました。まさに、まさに伝説の通り」
丈琉はオウスの脇でしゃがみこんで、顔を上げる様に言った。
「あの、ほんとに俺ら、違うんやって。神様とかじゃないし、普通の人間や。
正直に話すとな。俺ら、未来の世界からやって来たんやと思っとる」
「ミライ? それは何のことでしょう?」
オウスの質問に丈琉は何と答えて良いのかわからなくなった。救いの目を岳斗に向ける。岳斗は眼鏡のブリッジに触れながら思案した。
「えっと。先の時代って言えばいいのかな。今、この時よりも、時間が経った世界、これから起きるはずの世界。って言って、わかるかな?
俺たち、時間の流れを遡って、ここに来たってことや」
「時間を遡る……。 その様な所業ができるのでしょうか」
「できるのかできないのか、って言われても。俺らは実際に遡ってしまったんやから、できるって言うしかないな」
「確かに」
オウスは戸惑いながらも微笑んだ。
「だからな、もう、そんな風にひざまずいたりするの、やめてくれんかな。
さっきみたく、普通に話そうって」
丈琉はオウスの肩をポンポンとたたいた。
オウスは丈琉の目をまっすぐに見つめた。そして、美殊、岳斗と順々にその瞳を覗き込んだ。
そして丈琉に視線を戻し、数秒間、無言のまま丈琉と見つめ合っていた。
長い沈黙の後、オウスは突然ニコッと微笑み、大きくうなずいた。
「吾には理解しかねることばかりじゃ。時を遡るということも、正直、何のことかわからぬ。
しかし、お主らに嘘、偽りはない。それだけは、はっきりとわかる」
3人はホッと息を吐き、体の力を抜いた。
オウスは足を崩して、あぐらをかいた。
「では、お主ら、どれ程先の代から来たのじゃ」
今度は身を乗り出して尋ねて来た。岳斗が唸りながら答える。
「うーん。それを考えるには、まずここが、いつの時代かわからんとな。
今って、何時代なんやろ」
「ジダイとは?」
「そっか。まだ時代とかの概念がないんかな。年号とかもないやろし……。
じゃ、天皇…いや、天皇って言わんか。えっと、この国を治めている乗って、誰なんやろ。それに国の中心ってどこやろ」
「ヤマトの国の中心は纒向にある。そこで、吾が父、オシロワケの大王が政を執り行っておる。
「大王が天皇のことなんかな?」
美殊の問いかけに、岳斗も首を傾げた。
「そうなんやろな。でもオシロワケ天皇なんて聞いた事ないな」
「俺もやけど。……んっ?」
岳斗はオウスの顔を覗き込んで、視線を動かしながら目を細めた。
「待てよ。今、我が父って言わんかったか。我が父、オシロワケの大王って。
えっと、オウス、さん。って、大王の子供なんか?」
岳斗の問いかけには、ミヤトヒコが答えた。
「はい。オウス様はオシロワケの大王様の皇子様です。日嗣の皇子様でおられます」
「皇族って事? まさか日嗣の皇子様っていうのは、次の天皇になる人の事か!? まさか、皇太子?
えっと……。 オウスさんは次の大王になるって事ですか」
「いや。吾は日嗣の皇子という訳では……」
オウスは言い淀んでいたが、誰も気づかない。
「皇太子様に、タメ口きいてたら、あかんかな」
美殊はオウスから目が離せなかった。顔はオウスに向いたまま、体は丈流に向いていた。
丈琉はガリガリと頭をかいた。
「うーん。どうせ、昔の世界の事やし、俺ら関係なくないか。
なぁ、岳斗、どう思う?」
「俺に聞くなよ」
岳斗も困ったようにオウスの顔を見た。
「なんだ。さっき、普通に話してくれと言ったのはお主達ではないか。
お主達の話しやすい様に、これまでと同じ様に話してくれれば良い」
オウスは清々しく微笑んだ。
「はい。じゃ、そうさせてもらうわ」
丈流は快活に笑った。
「なぁ。岳斗。で、結局、今っていつなんや」
「あっ。そっか」
岳斗は最初の問題を忘れてしまっていた。
「えっと、そのオシロワケ天皇ってのはわからんけど、纒向が政治の中心なんやな」
「纒向って、奈良県よね。確か、古墳とかたくさんあるトコ」
「そやな。この服装からしても、弥生時代。古墳時代って感じか。
俺も歴史ってあんま得意やないけど、多分2、3世紀くらいなんやないかな。そうすると、1500年くらい昔になるんやないかな」
岳斗は自分で言いながら、気が遠くなった。
「……。 1000年以上昔の世界って、想像つかん。これから、どうなるんやろ」
美殊には絶望的な年数に思えた。涙が浮かんできた。
「俺ら、生きていけるんか?」
丈流は激しく頭をかいた。
「どうすれば元の時代に戻れるのか、さっぱりわからんしな」
岳斗も不安が口をついて出た。
3人とも黙り込み、大きなため息をついた。
「行くあてがないのであれば、吾らと共に来るが良い。
吾らの陣はここからすぐじゃ」
「ホンマに? オウスさん、助けてくれるん?」
美殊の目からとうとう涙が流れてきた。
「そうしてもらえるなら、助かります。ホンマに、今、俺らが頼れるのはオウスさんしかおらんし。それしかないやろ。なぁ、丈琉。」
岳斗が丈琉の名を呼ぶと、急にオウスの表情が厳しくなった。
「今、タケルと申したか? それはお主の名か?」
「あ、はい。そっか、俺らまだ名前、言っとらんかったな。俺は若林丈琉。
ってか、そういや、オウスって苗字? 名前?」
丈琉の質問にオウスは答えず、深刻な顔をしている。
「この時代、まだ苗字なんてないやろ。名前だけでいいんとちがうか」
「そっか。じゃ、俺は丈琉」
「俺は岳斗と言います」
「美殊です」
美殊は涙を拭って、笑顔で言った。
「なんと。タケル、ヤマト、ミコト!」
オウスの声が響いた。
「なに? なに? どこが驚くポイント?」
「それが、名だと?
タケルは勇者の事。お主のように強い者であれば問題ないであろうが。
しかしヤマトとは我らのクニの名称。ミコトとは大王、神の尊称である。個人が名乗るわけにはいかぬ」
「ええっ? 私の名前って、そんなに偉い名前やったん?」
「俺らの時代じゃ、なんの関係もないんやけどなぁ」
岳斗も困り顔だ。
「でも、ここにいる間は使えん名前っちゅうなら、変えるしかないやろ。
なんか、いい名前ないかな。そっか、オウスさんに考えてもらえばいいんや。
こっちで使える名前、俺らにつけてくれんかな」
「タケルはそのままで良いのか?」
「いや。勘弁してくれ。自分から勇者ですと名乗っているみたいで、どうかと思うし」
「うむ」
オウスは顎に手を当てしばらく考え混んだ。
「ではタケルはタケヒ。ヤマトはヤマヒコ」
「おお、タケとヤマ、使ってくれたんや。確かにそれなら、呼ばれた時に反応しやすいかも」
丈琉が感嘆の声をあげた。
オウスは美殊に視線を移し、「ミコヒメ様」そう言って、美殊をじっと見つめた。
「このようにお美しいのだから、巫女様という事にすれば良い」
美殊の顔が真っ赤に染めあがった。
「ええ。みぃがヒメ?
岳斗のヤマヒコはなんとかなる気はするけど、美殊がヒメか? ちょっと、俺は呼ばれんなぁ」
いつもなら、ここで美殊のシバきが入るところだが、美殊はオウスにみつめられ、戸惑っている最中。丈琉の言葉は耳に入っていなかった。
丈琉は寂しいような、若干の違和感を感じた。
「俺らはみぃでいいような気がするけどな」
「あっ、ああ。そやな」
岳斗の提案に、丈琉はうなずいた。
3人は衣服を着替える事にした。この時代で、ジーパンやダウンコートは異様な格好でしかない。
ミヤトヒコがこの時代の衣装を、陣地から持ってきてくれた。
「お二人は、本当にお背が高い。一番大きな服を持ってきたのですが」
ミヤトヒコは服を着た丈琉と岳斗を、頭の上から足の先まで、まじまじと見つめながら言った。
オウス達は袴の膝のあたりを紐で縛り、長さを調整しているようである。長い袴を自分の体に合わせる事ができるのだ。しかし185cmある丈琉と岳斗は、袴自体が短く、縛る部分などなかった。足首がすっかり露出している。上着の袖も短い。オウス達にはだっぷりと余裕のある服が、ジャストフィットであった。
「この時代の人って、ちっちゃいんやな。オウスもミヤトヒコも、美殊とそんなに身長、変わらんもんな」
岳斗は全てにおいて寸足らずな服を見つめた。
ミヤトヒコは丈琉と岳斗の髪を見て、唸っていた。
「髪が短くて、みずらが結えません」
「みずらってなんや?」
「これです」
ミヤトヒコは自分の耳の脇にくくってある、髪の束を触った。
「あのちょんまげ、みずらって言うんや」
「仕方あるまい。髪はそのままでよい。しかし、なぜにそのように髪が短いのだ。まさか、伸びない訳ではあるまい」
「いえ、髪はちゃんと伸びますよ。伸びたら切るんで」
「切る? 髪をどうやって、そのように切る事ができる?」
2人はお互いの顔を見合わせ、少しの間、考え込んだ。岳斗が思い立ったように、目をパッと見開いた。
「そっか。ハサミがないんかもな。散髪できんから、2人とも、髪が長いんや」
美殊が着替えを終え、木陰から出てきた。ミヤトヒコが持ってきた服は、白いサラサラした生地の、女性用の衣服だった。上着はチュニックの様な形で、腰の下まである。ウェストを紐で縛る様になっている。下はマキシ丈のロングスカート。美殊はその下に、ジーパンをはいたままだった。
着替え終わった美殊の姿を見て、オウスが「おおぉ」と、感嘆の声をあげた。
「素晴らしい。なんと美しいことか。よく似合っておられる」
「ええっ?」
美殊は顔を両手で覆ってしまった。
(この人、なんてストレートに言ってくるんや)
真っ赤になっている美殊には気付かず、オウスは話を続けた。
「この衣装は、伊勢のヤマトヒメ様から授かった物じゃ。
男ばかりの吾らの軍に、なぜに女物の衣装をくださったのかわからなかったのだが。今、合点がいった。そう、ミコヒメ様のためだったのだ。
さすが伊勢の斎宮様。全て、お見通しだったのだ」
「ヤマトヒメ様といのは、超能力者かなんかか?」
丈琉の言葉に、オウスは首を傾げた。
「ヤマトヒメ様は、今の世で一番、位の高い巫女様である。吾の叔母上でもある。
神の声を聞き、そのお告げを吾らに教えてくださる」
「えっ? 巫女さんって、神様の声が聞こえるん?
私、巫女って設定なんでしょ。神様の声なんて聞こえんし。どう、取り繕ったらいいのやろ」
「大丈夫じゃ。神の声が聞こえるのは、一部の巫女様だけじゃ」
「そんならいいけど」
美殊は落ち着かない様に自分の服に触った。
美殊はおもむろにリュックからマリークワントのコンパクトミラーを取り出した。
「ああ、やっぱ、眉毛消えとるし。髪もボサボサや」
ブラシを取り出し、鏡を見ながら髪をとかし始めた。
「ん? それは?」
オウスは美殊の持っているミラーに気を惹かれた様子。美殊の隣に移動し、鏡を覗き込んだ。コツンと、肩が触れた。
「えっ? あっ、こ、これっ? これ、鏡や。鏡ってこの時代にもあるのかな」
美殊は一瞬、戸惑った表情をした。しかし、鏡を横にずらし、オウスに鏡面を向けた。
(みぃが、なんも言わん。男が自分に触れたってのに)
岳斗だけが気づいた。
「なんと!」
オウスの大きな声が、周辺に響き渡った。鏡に映った自分の姿に驚いた。
「なんと、この様に光り輝く鏡は見た事がない!
素晴らしい鏡じゃ。おお、これなら、巫女様の持ち物として、ふさわしい。神の声もよく聞こえそうじゃ」
「ええ? 鏡って、神様の声を聞く道具なの?
これは自分の姿を映すもんやし。だいたい、私は神様の声なんて聞こえんって」
「神の御神託を受ける巫女様は、鏡の力でそのお声を聞くのだ。
おお、そういえば、ミコヒメ様の手の光は、青い鏡の様じゃ」
「そっか、オウスさん。この光見えるのね。
これ、私らきょうだいと、両親にしか見えんかったのに」
「うむ。そうじゃ。吾のこの手の光。兄と父王しか見えなかった」
オウスの顔が曇った。しかしその表情には誰も気がつかなかった。
「オウスさんの手の光は丈流とおんなじやね。赤くて、細長い光」
美殊はうっとりと見つめている。
「おい、みぃ。タケヒや。俺は、ヤマヒコ。普段から言っとかんと、ボロが出てしまうで」
「そやった。タケヒね。ああ、大変やわ」
オウスはきょうだいの会話を楽しそうに聞いていた。
「ヤマヒコ。お主の光は勾玉じゃ。翡翠の緑と同じ色じゃ」
オウスは自分の首にかけてある、首飾りの石を手にとってみせた。
「それ、勾玉っていうんか。
聞いたことあったけど、実物見るの、初めてかもな」
首飾りには数個の勾玉が通してある。翡翠の石で作られてある。
「ほんまや。おんなじ形やな。胎児みたいな形やと思ってたけど、勾玉の方がカッコええな」
岳斗は自分の手の光を見て、微笑んだ。