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倭の国 まほろばツアー  作者: 葉月みこと
3/18

阿波岐原で運命の人と出会ってしまった

「冷たい。やだ、びしょ濡れやん。どうすんの?」

美殊(みこと)岳斗(やまと)を恨めしそうに見つめた。

「どうすんのって、落ちたのは、みぃやろ。俺は、巻き添えくっただけや」

岳斗の発言はもっともである。

「そうだけど……。

 ってか、だいたい、丈琉が悪いんや。池なんかのぞいとるから、落っこちるんや」

美殊は怒りの矛先を丈琉に向けた。


 それでも落ちたのは自分の不注意であり、美殊はそれ以上何も言わずに立ち上がろうとした。

「あれっ。手が光っとる」

美殊は自分の手が青く光っている事に気が付いた。つられて岳斗も自分の手を確認した。岳斗の手は緑色の光を灯していた。

 

“ピシャッ”

背後から水音がした。3人は反射的に振り返り、慌てて立ち上がった。

 浴衣姿の人物が、池の中に立っていた。

「さっきの、人や」

丈琉はつぶやいた。みそぎ池の中で見た人物だ。


 端正な顔立ちをしている。髪は黒光りするほどの綺麗なストレートヘア。前も後ろも同じ長さで、背中に垂らしてある。

 華奢な体で、背は美殊くらいしかない。

 そしてくっきりとした二重の目でこちらを凝視している。

(綺麗な顔をしとる。男か女かわからんな)

丈琉もその人に見入っていた。


「●◇※△◎×! *@■!」

今度は別の方向から、人の声が聞こえてきた。3人は同時に、声のした方へ視線を移した。

 視線の先にはもう一人、見知らぬ男がいた。その男は池のほとりに立っていた。うっすらと髭を生やし、奇妙な衣装と髪型をしていた。

 その服装は丈琉達との服とは随分違っている。生成りの色をしただっぷりとしたVネックのTシャツと袴。

 髪は長く、頭の真ん中で分けて縛ってある。ツインテールにしてある髪の束を、耳の脇でひょうたんの様な形にしてくくってある。

「夢ん中のスサノオとおんなじ格好や」

丈琉は思わず指をさして叫んだ。

「何? 誰と同じ格好やって?」

「いや、夢の話や」

「今、夢の話、しとる場合か!」

岳斗にしては珍しく、厳しいツッコミが入った。

 しかしそう言いつつ、岳斗も彼の衣装が気になった様子。

「なんか、古事記とか日本書紀とかに出てくるような格好やな」

岳斗はそうつぶやきながら、男をジッと見ていた。


 すると突然、男の表情が一変した。そして岳斗を指差して怒鳴り散らした。

「何、言っとんのか、さっぱりわからんな。中国語でもないし、ハングルでもないな。日本人みたいな顔しとるけど、日本人やないんか」

「岳斗。そんなのんきに分析しとる場合やないと思う。あの人、お前のこと、親の敵みたいにして睨んどる」

男はひどく興奮していた。黙ったかと思うと、右手を腰にやった。腰には剣の鞘と思われる物が提げられていた。

「まさか、刀か?」

緊張が走った。男が右手に持った物は、恐れていた通り刃物だった、

 50cm程の短い物で、真ん中が少し盛り上がっている。厚みがあり、重量を感じる。刀身の両側に刃があるが、金属特有の輝きはなく、切れ味は感じない。

 時代劇でよく目にする、日本刀とは全く違っていた。


 男の殺気立った瞳が、逆に丈琉を冷静にさせた。丈琉は美殊のトートバックを岳斗に渡し、2人の前に進み出た。赤く光る左手を横に広げ、美殊と丈琉を後ろにかばった。

 男は叫びながら刀を振り上げて池の中に入って、丈琉たちに向かってきた。

「きゃっ」

美殊は岳斗にしがみついた。


 丈琉は男の振り下ろしてきた剣を、最小限の動きでやり過ごした。男が前のめりによろけたその瞬間に、丈琉は剣を持つ男の手首を拳で叩いた。剣は水しぶきをあげて、池の中に落ちた。男は手首を抑えて、水の中で片膝をつく。丈琉を見上げて見開かれた瞳には、戦意は全く消えていた。


 一瞬の出来事だった。美殊は何が起きたかわからなかった。気がついたら決着がついていた。

(丈琉って、こんなに強いんや)

美殊は弟の顔が別人に見えた。


「丈琉。無理すんな。あんな重たそうなヤツ。当たれば、大けがや」

岳斗は丈琉の腕を引いた。

「あんな雑な構えで、真っ直ぐな太刀さばき。一瞬で見極められるわ。全然、問題ないって」

丈琉は事もなげに笑った。

(それに、なんか、いつもと違う感じがする。

 相手の動きがスローモーションみたいに見えたし。俺の手の動きもいつもより鋭いような感じや。

 この手の光も、なんか強くないか? 赤色が濃い気がする)

丈琉はまだ赤く光る手を、一心に見つめた。


 浴衣を着た人物が、ひょうたんのまげを結った男に声をかけた。

 まげの男は浴衣の人に頭を下げた。そして池の中に落ちた剣を拾い上げ、池からあがった。

「あの人が命令したみたいや。小さい人の方が偉って感じやな」

丈琉は独り言のようにつぶやいた。


 丈琉と浴衣の人の視線がピタリと合った。そしてその人から視線を外す事ができなくなった。

(綺麗な瞳や。真っ黒で、キラキラしとる)

丈琉はその瞳に吸い込まれる感覚に陥った。

 

 すると2人の赤い光が伸び、相手を照らした。

 丈琉は自分以外の人物の赤い光を見たのは初めてだったし、その光を浴びるのはもちろん初めての経験だった。

(なんだ。体が熱い。胸が燃えているようだ)

真紅に輝き出した右手を胸に当て、硬く拳を握った。

 すると2人の赤い光は、美殊の青い光と、岳斗の緑色の光をも引き寄せた。

“キーン”

3人は耳鳴りを感じた。

 それはほんの2、3秒で治った。

 そして4人の手から伸びていた光は、それぞれの手の中に収まった。しかしその光はこれまでとは比べものにならないほど、鮮やかな色を呈していた。


「おぬし。強いな」

ロングヘアの人物の凜とした声。

「えっ。あ、あざっす」

丈琉はペコっと頭を下げた。

「こっちは、いきなり襲われたんやで。何、お礼言っとんのや」

岳斗は丈琉の肩を、裏手で軽く叩いた。そこで、はたと気がついた。

「言葉がわかる!」


 次から次へと襲ってくる、摩訶不思議な現象。3人のきょうだいは頭がついていけなくなってきた。


 ヒュッと、冬の冷たい風が吹き込んできた。

「さぶっ」

美殊が体を震わせた。丈琉は美殊の肩を抱いた。

「とにかく、ここから上がろ。いつまでも池ん中にいたら、体温が奪われてしまう」

丈琉は美殊を支えるようにして、池からあがった。岳斗もその後に続いた。


「ミヤトヒコ。火が消えておる」

ロングヘアの人物が、まげの男に声をかけた。

「はっ。オウス様」

“ミヤトヒコ”と呼ばれた男は頭を下げた。そして池のほとりに積み上げられてある、枯れ木の山のそばに腰をおろした。枯れ木は所々、黒く焼け焦げていた。

 ミヤトヒコは細い木の枝と太めの木、そして枯れ草を手に取った。太い木は地面に置き、その上に枯れ草を乗せた。そして枯れ草に細い枝の先端を合わせ、太い木に垂直に当てた。

 両手で枝を挟み、高速ですり合わせた。間もなくして、摩擦された木の接点から煙が上がってきた。ミヤトヒコが煙に息を吹きかけると、小さな枝に小さな火が燃え移った。

 その種火を積み上げられている木々の中に入れた。さらに息を吹きかけると、煙と共に、炎が大きくなり、枯れ枝が勢いよく燃え出した。


 3人は火に手をかざし、暖を取った。

 “オウス様”と呼ばれた人物は火には当たらず1人離れていた。濡れた浴衣を脱ぎ、足元に置いてあった着物に着替えた。その服はミヤトヒコと同じ作りだった。

(男やった)

丈琉はオウスの着替えを横目で見て、しっかりチェックした。


 美殊はブルブルと震えた。

「おい。みぃ。大丈夫か」

丈琉は美殊の肩を揺すった。

「あ、うん。大丈夫」

「体、冷えきったか?

 みぃの事やから、このでかいバックの中にタオルかなんか入っとるんやろ。早よ出して、体拭け」

岳斗は持っていたバックを美殊に手渡した。

「あっ。うん」

美殊はゴソゴソとバックを探った。バックはビニール素材で、中まで浸水してはいなかった。

「タオル、2枚あるわ。2人で1枚使って」

そう言って、タオルを岳斗に渡した。


 美殊はゆっくりと、顔や髪を拭いた。

 そこへ着替えの終わったオウスが戻ってきた。焚き火を挟んで美殊の正面に座った。

 美殊は視線を感じ、顔を上げた。オウスと目が合った。オウスは何かに驚いたように、美殊の顔を見つめた。

 オウスの端正な顔立ちの、きりっとした瞳にじっと見つめられ、美殊は固まってしまった。顔が真っ赤になり、頬が火照った。今まで寒さに震えていたはずなのに、今度は汗が出てきた。

 美殊は慌てて視線を外した。


 岳斗は先にタオルを使わせてもらった。眼鏡を外し、顔を拭いた。

「ああー!」

ミヤトヒコの大きな声。

 皆、驚いて、ミヤトヒコを見た。

刺青(いれずみ)が、顔の刺青が消えました。えっ、どうして?」

ミヤトヒコは岳斗を指差していた。

「顔の刺青? 俺、刺青なんかしとらんで」

そう言って、岳斗は一瞬考え込んだ。

「まさか、これの事か?」

岳斗は外した眼鏡を前に掲げた。

「そう。その模様でした。確か顔に描いてあったはずです!」

「いや。描いてるんやない。かけていたんや。眼鏡、かけていただけや」

「め、めがね?」

岳斗は太い黒縁の大きめの眼鏡をかけてみせた。

「ああっ! 刺青がまた現れた」

「だから、刺青やないんやって。これな、眼鏡っちゅうて、視力の悪いモンがかけると、よく見えるようになるんや。

 って、何でこんな事、説明せんとあかんのや。

 まさか、眼鏡知らんのか……」

岳斗は眼鏡のブリッジを中指で持ち上げて、位置を直した。


 オウスは顎に手を当て、思案していた。そして、大きく1回頷いて、岳斗の前に進み出た。

「先ほどは申し訳ないことをした。

 そのめがねとやらを刺青と勘違いしてしまったのだ」

オウスは深々と頭を下げた。

「吾らには敵がおるのだ。熊襲(くまそ)のクニじゃ。

その熊襲の者は顔に刺青をしている。故に、おぬしを熊襲の者と思ってしまったのだ」

「オウス様は関係ありません。吾が、勝手に早とちりしたのです。

 本当に、申し訳ありませんでした」

ミヤトヒコは地面に顔がつきそうな程に、頭を下げた。

「いや、もういいって。何ともなかったわけやし」

岳斗は軽く笑ってみせた。

 岳斗の笑顔にホッとして、ミヤトヒコの顔が明るくなった。そして薪の補充にバタバタと動き出した。


 その隙に、岳斗は美殊と丈琉の肩をたたき、3人で固まった。

「なぁ。あの人たちと、全く話がかみ合わないよな」

「ああ。なんか、おかしいってか、わけわからんっていうか」

丈琉も混乱している。

「うん。それにあの服。あれって、コスプレ? なんかの撮影? 役になりきっとんの?」

美殊はチラッと2人に目を向けた。

「そんなんで、あんなにマジで攻撃されたら、たまったモンやないって」

「そうだよな。でも、ふざけている感じでもないし、撮影とかしている感じでもないよな。

撮影のスタッフとか、おらんみたいやし」

岳斗は眼鏡の位置を直しながら、注意深く周囲をみわたした。

「うん。

そしたら、あの格好って、なんなん? あれ、ものすごい昔の服装やんか。あんな服、流行ってもいないし、普段着とる人なんかおらんって」

「しっ」

岳斗が口に人差し指を当てた。美殊の声が大きくなっていたのだ。

 しかしオウスもミヤトヒコも気にしていない様子。


 岳斗は一息吐いてから、再び話し始めた。

「あの服、弥生時代とか古墳時代の服装って思わんか?」

「そやな。大昔の服って感じや」

丈琉が小さく数回うなずいた。岳斗は話を続ける。

「それに、さっきの火の起こし方や。あれも、大昔のやり方やんか。それなのに、えらい慣れた感じでやっとった」

「それと、あの刀や!」

今度は丈琉が大きな声で叫んでしまった。自分の声が響き渡り、慌てて口を押さえた。

 オウスとミヤトヒコが驚いた様にこちらを見た。

「あっ、すみません。なんでもないんです」

丈琉は頭を下げて作り笑いをした。


 丈琉は話を再開した。

「いや、あの刀。日本刀とは違うやろ。もっと昔の物やと思うんや」

「そやな。古墳とかから出土された、剣って感じやな」

「うーーん。って事は、あの人達、大昔の人って事よね」

美殊の言葉に、二人は神妙な顔をしながらうなずいた。

一刻の間の後、岳斗がゆっくりと口を開いた。

「……。 タイムスリップか?」


「やっぱ、そう思う?

私も、そう思ったんやけどな。でも、現実的やないから、言いだせんかった」

美殊が神妙な顔をして、数回まばたきをした。

「マジかよ。

あの人たち、どうすんのや。昔の世界から、未来の世界に来てしまったんやろ。

困るやろうな」

丈琉が同情を込めた視線を向けた。

岳斗は深いため息をついて、丈琉と美殊に向き直った。

「俺らが、って可能性もあるんやで」

「はっ?」

丈琉と美殊は同時に声をあげた。

「だから、俺らが、タイムスリップしたんかもしれんって言っとんのや。

見てみぃ。なんか、景色が違うと思わんか?」

岳斗にそう言われ、二人はお互いの顔を見合わせた。そして、慌てて周囲を見渡した。二人の動作はシンクロしていた。


池の反対側にはすぐに小径が見えるはずだった。たった今、歩いて来た道だ。

しかし、背後には大きな林があり、木々が池を囲んでいた。林の木は背が高く、数が多い。威圧感を感じるほどだった。

「なんや。どうなっとんのや!」

丈琉は大きな声を上げ、勢いよく立ち上がった。そして、さっき歩いて来た方へ駆け出した。


すぐに林に行き着いた。木々が欝蒼と生い茂り、背の高い草もボウボウと生えている。中は薄暗く、先は見渡せなかった。

すぐ近くにあったはずの舗装された小径は見当たらなかった。獣が歩いて、自然にできたような道の跡しかなかった。

ガサッと音がした。びっくりして目を向けると、リスだろうか、小動物が奥に逃げて行く影が見えた。


美殊と岳斗が追いついて来た。

「違う。俺らがいたトコと、全然違っとる」

丈琉は激しく頭を掻きむしった。

「タイムスリップしたんは、俺たちや」


3人は呆然自失となった。

「どうしたのじゃ? もう、帰るのか」

オウスがゆっくりと後を追いかけて来ていた。

丈琉は絶望的な顔をオウスに向けた。オウスは一瞬、首を傾げたが、すぐにニコッと微笑んだ。

「急ぐのでなければ戻って来て、火に当たったらどうじゃ。

まだ、濡れておるではないか」

落ち着いたオウスの声と、穏やかな笑顔に促され、3人はたき火の所に戻って来た。


 3人は一列に並んで腰をおろした。そして、同時に大きなため息をついた。

 美殊はリュックの中を探って、煙草とライターを取り出した。煙草をくわえ、ライターで火をつけた。美味しそうに煙草を吸い込み、深く煙を吐いた。

「俺の前で吸うなって言ったやろ」

丈琉は大げさに、煙を仰ぐ仕草をしてみせた。

「1本だけや」

丈琉と美殊がもめていると、オウスとミヤトヒコが絶叫した。

「妖術か!」

「火が、火が、一瞬で」

ミヤトヒコは腰が抜けていた。

「えっ」

あまりの騒ぎに、美殊は人差し指と中指に煙草を挟んだまま、キョトンとした。

「アホか。ライターや。ライターであっという間に火をつけたから、びっくりしとんのや」

「あっ。ごめん」

美殊は慌てて、ライターをコートのポケットに隠し、携帯灰皿で煙草をもみ消した。

 しかし、オウスたちの記憶を消す事はできなかった。


「えっと……」

引きつった笑顔を作った美殊だが、言い訳が出てこなかった。

 あんぐりと口を開いたまま放心していたオウスだったが、「もしや」と、一言つぶやいて、手を顎に当て目を閉じた。

 みんなの視線が集まる中、しばらくして、パッと目を見開いた。

「もしや。アマテラス様。そうだ、あなた様はアマテラス様なのでしょう。

 この様に美しく、光輝いておられる。女神様に間違いありません」

そう言って、美殊の前でひれ伏した。ミヤトヒコも慌ててオウスの後ろで平服した。

「えっ? 美しいって、私?」

美殊は“美しい”と言う言葉に過剰に反応した。物心ついた時から、可愛いとか美しいと言われた事はない。そう言った言葉とは縁遠い顔貌である事は、しっかりと自覚していた。

 それを、美しい顔をしたオウスに言われ、すっかりテンパった。

 丈琉は大笑いだ。

「煙草ふかした女神って。どんな女神や」

「うるさい!」

美殊は思い切り丈琉の肩を叩いた。


 オウスは2人の駆け引きを気にもせず、熱く語りかけた。

「おお、そうだ。アマテラス様だけでなく、ツクヨミ様、スサノオ様もおられる。

 スサノオ様。その身のこなし。八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した、スサノオ様に間違いありません」

そう言って、丈琉の前に進み出た。

「俺がスサノオ?」

「はい」

オウスのまっすぐな視線から、逃れられない。

「お三方はこの、阿波岐原の地に、白き光と共に降臨されました。まさに、まさに伝説の通り」


 丈琉はオウスの脇でしゃがみこんで、顔を上げる様に言った。

「あの、ほんとに俺ら、違うんやって。神様とかじゃないし、普通の人間や。

 正直に話すとな。俺ら、未来の世界からやって来たんやと思っとる」

「ミライ? それは何のことでしょう?」

オウスの質問に丈琉は何と答えて良いのかわからなくなった。救いの目を岳斗に向ける。岳斗は眼鏡のブリッジに触れながら思案した。

「えっと。先の時代って言えばいいのかな。今、この時よりも、時間が経った世界、これから起きるはずの世界。って言って、わかるかな?

 俺たち、時間の流れを遡って、ここに来たってことや」

「時間を遡る……。 その様な所業ができるのでしょうか」

「できるのかできないのか、って言われても。俺らは実際に遡ってしまったんやから、できるって言うしかないな」

「確かに」

オウスは戸惑いながらも微笑んだ。


「だからな、もう、そんな風にひざまずいたりするの、やめてくれんかな。

 さっきみたく、普通に話そうって」

丈琉はオウスの肩をポンポンとたたいた。

 オウスは丈琉の目をまっすぐに見つめた。そして、美殊、岳斗と順々にその瞳を覗き込んだ。

 そして丈琉に視線を戻し、数秒間、無言のまま丈琉と見つめ合っていた。


 長い沈黙の後、オウスは突然ニコッと微笑み、大きくうなずいた。

「吾には理解しかねることばかりじゃ。時を遡るということも、正直、何のことかわからぬ。

 しかし、お主らに嘘、偽りはない。それだけは、はっきりとわかる」

3人はホッと息を吐き、体の力を抜いた。


 オウスは足を崩して、あぐらをかいた。

「では、お主ら、どれ程先の代から来たのじゃ」

今度は身を乗り出して尋ねて来た。岳斗が唸りながら答える。

「うーん。それを考えるには、まずここが、いつの時代かわからんとな。

 今って、何時代なんやろ」

「ジダイとは?」

「そっか。まだ時代とかの概念がないんかな。年号とかもないやろし……。

 じゃ、天皇…いや、天皇って言わんか。えっと、この国を治めている乗って、誰なんやろ。それに国の中心ってどこやろ」

「ヤマトの国の中心は纒向(まきむく)にある。そこで、吾が父、オシロワケの大王(おおきみ)(まつりごと)()り行っておる。

「大王が天皇のことなんかな?」

美殊の問いかけに、岳斗も首を傾げた。

「そうなんやろな。でもオシロワケ天皇なんて聞いた事ないな」

「俺もやけど。……んっ?」


 岳斗はオウスの顔を覗き込んで、視線を動かしながら目を細めた。

「待てよ。今、我が父って言わんかったか。我が父、オシロワケの大王って。

 えっと、オウス、さん。って、大王の子供なんか?」

岳斗の問いかけには、ミヤトヒコが答えた。

「はい。オウス様はオシロワケの大王様の皇子(みこ)様です。日嗣(ひつぎ)の皇子様でおられます」

「皇族って事? まさか日嗣の皇子様っていうのは、次の天皇になる人の事か!? まさか、皇太子?

 えっと……。 オウスさんは次の大王になるって事ですか」

「いや。吾は日嗣の皇子という訳では……」

オウスは言い淀んでいたが、誰も気づかない。


「皇太子様に、タメ口きいてたら、あかんかな」

美殊はオウスから目が離せなかった。顔はオウスに向いたまま、体は丈流に向いていた。

 丈琉はガリガリと頭をかいた。

「うーん。どうせ、昔の世界の事やし、俺ら関係なくないか。

 なぁ、岳斗、どう思う?」

「俺に聞くなよ」

岳斗も困ったようにオウスの顔を見た。


「なんだ。さっき、普通に話してくれと言ったのはお主達ではないか。

 お主達の話しやすい様に、これまでと同じ様に話してくれれば良い」

オウスは清々しく微笑んだ。

「はい。じゃ、そうさせてもらうわ」

丈流は快活に笑った。


「なぁ。岳斗。で、結局、今っていつなんや」

「あっ。そっか」

岳斗は最初の問題を忘れてしまっていた。

「えっと、そのオシロワケ天皇ってのはわからんけど、纒向が政治の中心なんやな」

「纒向って、奈良県よね。確か、古墳とかたくさんあるトコ」

「そやな。この服装からしても、弥生時代。古墳時代って感じか。

 俺も歴史ってあんま得意やないけど、多分2、3世紀くらいなんやないかな。そうすると、1500年くらい昔になるんやないかな」

岳斗は自分で言いながら、気が遠くなった。

「……。 1000年以上昔の世界って、想像つかん。これから、どうなるんやろ」

美殊には絶望的な年数に思えた。涙が浮かんできた。

「俺ら、生きていけるんか?」

丈流は激しく頭をかいた。

「どうすれば元の時代に戻れるのか、さっぱりわからんしな」

岳斗も不安が口をついて出た。

 3人とも黙り込み、大きなため息をついた。


「行くあてがないのであれば、吾らと共に来るが良い。

 吾らの陣はここからすぐじゃ」

「ホンマに? オウスさん、助けてくれるん?」

美殊の目からとうとう涙が流れてきた。

「そうしてもらえるなら、助かります。ホンマに、今、俺らが頼れるのはオウスさんしかおらんし。それしかないやろ。なぁ、丈琉。」

 岳斗が丈琉の名を呼ぶと、急にオウスの表情が厳しくなった。

「今、タケルと申したか? それはお主の名か?」

「あ、はい。そっか、俺らまだ名前、言っとらんかったな。俺は若林丈琉。

 ってか、そういや、オウスって苗字? 名前?」

丈琉の質問にオウスは答えず、深刻な顔をしている。

「この時代、まだ苗字なんてないやろ。名前だけでいいんとちがうか」

「そっか。じゃ、俺は丈琉」

「俺は岳斗と言います」

「美殊です」

美殊は涙を拭って、笑顔で言った。


「なんと。タケル、ヤマト、ミコト!」

オウスの声が響いた。

「なに? なに? どこが驚くポイント?」

「それが、名だと?

 タケルは勇者の事。お主のように強い者であれば問題ないであろうが。

 しかしヤマトとは我らのクニの名称。ミコトとは大王、神の尊称である。個人が名乗るわけにはいかぬ」

「ええっ? 私の名前って、そんなに偉い名前やったん?」

「俺らの時代じゃ、なんの関係もないんやけどなぁ」

岳斗も困り顔だ。

「でも、ここにいる間は使えん名前っちゅうなら、変えるしかないやろ。

 なんか、いい名前ないかな。そっか、オウスさんに考えてもらえばいいんや。

 こっちで使える名前、俺らにつけてくれんかな」

「タケルはそのままで良いのか?」

「いや。勘弁してくれ。自分から勇者ですと名乗っているみたいで、どうかと思うし」

「うむ」

オウスは顎に手を当てしばらく考え混んだ。


「ではタケルはタケヒ。ヤマトはヤマヒコ」

「おお、タケとヤマ、使ってくれたんや。確かにそれなら、呼ばれた時に反応しやすいかも」

丈琉が感嘆の声をあげた。

 オウスは美殊に視線を移し、「ミコヒメ様」そう言って、美殊をじっと見つめた。

「このようにお美しいのだから、巫女様という事にすれば良い」

美殊の顔が真っ赤に染めあがった。

「ええ。みぃがヒメ?

 岳斗のヤマヒコはなんとかなる気はするけど、美殊がヒメか? ちょっと、俺は呼ばれんなぁ」

いつもなら、ここで美殊のシバきが入るところだが、美殊はオウスにみつめられ、戸惑っている最中。丈琉の言葉は耳に入っていなかった。

 丈琉は寂しいような、若干の違和感を感じた。

「俺らはみぃでいいような気がするけどな」

「あっ、ああ。そやな」

岳斗の提案に、丈琉はうなずいた。


 3人は衣服を着替える事にした。この時代で、ジーパンやダウンコートは異様な格好でしかない。

 ミヤトヒコがこの時代の衣装を、陣地から持ってきてくれた。

「お二人は、本当にお背が高い。一番大きな服を持ってきたのですが」

ミヤトヒコは服を着た丈琉と岳斗を、頭の上から足の先まで、まじまじと見つめながら言った。

 オウス達は袴の膝のあたりを紐で縛り、長さを調整しているようである。長い袴を自分の体に合わせる事ができるのだ。しかし185cmある丈琉と岳斗は、袴自体が短く、縛る部分などなかった。足首がすっかり露出している。上着の袖も短い。オウス達にはだっぷりと余裕のある服が、ジャストフィットであった。

「この時代の人って、ちっちゃいんやな。オウスもミヤトヒコも、美殊とそんなに身長、変わらんもんな」

岳斗は全てにおいて寸足らずな服を見つめた。


 ミヤトヒコは丈琉と岳斗の髪を見て、唸っていた。

「髪が短くて、みずらが結えません」

「みずらってなんや?」

「これです」

ミヤトヒコは自分の耳の脇にくくってある、髪の束を触った。

「あのちょんまげ、みずらって言うんや」

「仕方あるまい。髪はそのままでよい。しかし、なぜにそのように髪が短いのだ。まさか、伸びない訳ではあるまい」

「いえ、髪はちゃんと伸びますよ。伸びたら切るんで」

「切る? 髪をどうやって、そのように切る事ができる?」

2人はお互いの顔を見合わせ、少しの間、考え込んだ。岳斗が思い立ったように、目をパッと見開いた。

「そっか。ハサミがないんかもな。散髪できんから、2人とも、髪が長いんや」


 美殊が着替えを終え、木陰から出てきた。ミヤトヒコが持ってきた服は、白いサラサラした生地の、女性用の衣服だった。上着はチュニックの様な形で、腰の下まである。ウェストを紐で縛る様になっている。下はマキシ丈のロングスカート。美殊はその下に、ジーパンをはいたままだった。

 

 着替え終わった美殊の姿を見て、オウスが「おおぉ」と、感嘆の声をあげた。

「素晴らしい。なんと美しいことか。よく似合っておられる」

「ええっ?」

美殊は顔を両手で覆ってしまった。

(この人、なんてストレートに言ってくるんや)

真っ赤になっている美殊には気付かず、オウスは話を続けた。

「この衣装は、伊勢のヤマトヒメ様から授かった物じゃ。

 男ばかりの吾らの軍に、なぜに女物の衣装をくださったのかわからなかったのだが。今、合点がいった。そう、ミコヒメ様のためだったのだ。

 さすが伊勢の斎宮(さいぐう)様。全て、お見通しだったのだ」

「ヤマトヒメ様といのは、超能力者かなんかか?」

丈琉の言葉に、オウスは首を傾げた。

「ヤマトヒメ様は、今の世で一番、位の高い巫女様である。吾の叔母上でもある。

 神の声を聞き、そのお告げを吾らに教えてくださる」

「えっ? 巫女さんって、神様の声が聞こえるん?

 私、巫女って設定なんでしょ。神様の声なんて聞こえんし。どう、取り繕ったらいいのやろ」

「大丈夫じゃ。神の声が聞こえるのは、一部の巫女様だけじゃ」

「そんならいいけど」

美殊は落ち着かない様に自分の服に触った。

 

 美殊はおもむろにリュックからマリークワントのコンパクトミラーを取り出した。

「ああ、やっぱ、眉毛消えとるし。髪もボサボサや」

ブラシを取り出し、鏡を見ながら髪をとかし始めた。

「ん? それは?」

オウスは美殊の持っているミラーに気を惹かれた様子。美殊の隣に移動し、鏡を覗き込んだ。コツンと、肩が触れた。

「えっ? あっ、こ、これっ? これ、鏡や。鏡ってこの時代にもあるのかな」

美殊は一瞬、戸惑った表情をした。しかし、鏡を横にずらし、オウスに鏡面を向けた。


(みぃが、なんも言わん。男が自分に触れたってのに)

岳斗だけが気づいた。


「なんと!」

オウスの大きな声が、周辺に響き渡った。鏡に映った自分の姿に驚いた。

「なんと、この様に光り輝く鏡は見た事がない!

 素晴らしい鏡じゃ。おお、これなら、巫女様の持ち物として、ふさわしい。神の声もよく聞こえそうじゃ」

「ええ? 鏡って、神様の声を聞く道具なの? 

 これは自分の姿を映すもんやし。だいたい、私は神様の声なんて聞こえんって」

「神の御神託を受ける巫女様は、鏡の力でそのお声を聞くのだ。

 おお、そういえば、ミコヒメ様の手の光は、青い鏡の様じゃ」


「そっか、オウスさん。この光見えるのね。

 これ、私らきょうだいと、両親にしか見えんかったのに」

「うむ。そうじゃ。吾のこの手の光。兄と父王しか見えなかった」

オウスの顔が曇った。しかしその表情には誰も気がつかなかった。

「オウスさんの手の光は丈流とおんなじやね。赤くて、細長い光」

美殊はうっとりと見つめている。

「おい、みぃ。タケヒや。俺は、ヤマヒコ。普段から言っとかんと、ボロが出てしまうで」

「そやった。タケヒね。ああ、大変やわ」

オウスはきょうだいの会話を楽しそうに聞いていた。


「ヤマヒコ。お主の光は勾玉(まがたま)じゃ。翡翠(ひすい)の緑と同じ色じゃ」

オウスは自分の首にかけてある、首飾りの石を手にとってみせた。

「それ、勾玉っていうんか。

 聞いたことあったけど、実物見るの、初めてかもな」

首飾りには数個の勾玉が通してある。翡翠の石で作られてある。

「ほんまや。おんなじ形やな。胎児みたいな形やと思ってたけど、勾玉の方がカッコええな」

岳斗は自分の手の光を見て、微笑んだ。

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