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倭の国 まほろばツアー  作者: 葉月みこと
17/18

白鳥は纒向(まきむく)に飛んで行った

 尾張を出発して、2回目の朝を迎えた。

 今日も冷え込んでいる、。目の前の川からは、金色に輝いた川霧が立ち上がっていた。

 丈琉(たける)岳斗(やまと)は、川の水で顔を洗っていた。川の水は今にも氷が張るのではないかと思うほど冷たかった。

「みぃがいたら、この水、マイナスイオンっていうんやろな」

岳斗は冷たさに耐えながら、軽口をたたいた。

「確かにな」

丈琉も同意した。


 その直後、丈琉はまた呼ばれている感じを覚えた。

「剣や。きっと」

手を見ると赤く光っている。丈琉は確信を得て、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を置いた場所に急いだ。

 そして剣を手にした途端スサノオの声。

『何をしている!』

丈琉は「うわっ」と叫び、尻餅をついた。

 そして丈琉は暗闇の中に放り投げられていた。

『お前たち。伊勢に向かっているであろう』

「待った。勘弁。頼む、その声、小さく……」

丈琉は目を閉じて、哀願した。

『せっかく、伊勢から離れたというのに、戻ってどうする。これだから、ゆっくりと眠りにつく事もできぬ!』

怒りのためか、スサノオは声を小さくしてはくれなかった。

「わかってるって。伊勢には急用ができたんや。絶対に、この剣を伊勢には置いとかんから。

 オウスに届けるんや。この剣、オウスが主人やって、そう言っとるんや」

『おぬし。剣の声が聞こえるのか』

やっと、声を和らげてくれた。

「いや。聞こえるってわけやない。感じるだけや」

しんと、沈黙する。丈琉はおそるおそる目を開いた。スサノオは達磨の様な丸い目で、丈琉をじっと見つめた。

『わかった。おぬしを信じよう。

 しかし、それならば急がねばなるまい。急げ。この道をまっすぐ行くのじゃ。鈴鹿(すずか)の川まで…』


 丈琉の目の前が、急に明るくなった。眩しくて、手で目を覆った。

「どうした? 大丈夫か」

岳斗が丈琉の肩を抱えた。丈琉は剣を手にしたまま、突然、座り込んだのだった。

「あっ。ヤマ。ああ、大丈夫や。

 また、スサノオのお告げや」

丈琉は汗を拭って、笑いながら立ち上がった。


 丈琉は草薙剣を腰に提げながら、スサノオとの会話を話した。

「で、剣がオウスが主人やって言っとる、オウスに届けるだけやって言ったら、それならば急がないといけない。急げって。それと、鈴鹿川って言いかけて、途中で切れたな。

 それにしても、何を急げって言ったんやろ」

2人の騒ぎを聞きつけ、オトタチバナヒメが駆け寄ってきた。


 岳斗は眼鏡のブリッジに触れて、じっくりと考えた。

「オウスに剣を届けるなら、急げって事やろ。急がないと、間に合わないって事か」

岳斗はブツブツと声に出して、考えをまとめた。

「待てよ、鈴鹿川か。ってことは、能褒野(のぼの)も近くやな。

 って事は。オウスか? 急がないと間に合わんて、オウスのことか?」

「オウスがどうしたって」

「オウスが、やばいんかもしれん」

「やばいって、どういう事や」

「オトヒメの前では言われん事や!」

岳斗は丈琉には聞こえない様に注意しながら、声に力を込めた。

 さすがの丈琉も察しがついた。

「わかった。とにかく急ご。出発や」


 自然と歩く速度が速くなった。オトタチバナヒメはついてくるのが精一杯だった。

 途中から、ヒメを丈琉が背負う事になった。十握剣(とつかのつるぎ)は肩に掛け、荷物の半分は岳斗に持ってもらった。そして半分に減らした荷物はオトタチバナヒメに背負ってもらった。


 太陽が真上に昇ってきた。今日は暖かい。2人の額に汗がにじんだ。

 突然、丈琉が立ち止まった。オトタチバナヒメをゆっくりと背中からおろし、しゃがみ込んで頭を抱えた。

「どした?」

岳斗が心配そうに駆け寄ってきた。丈琉は額を押さえたまま、固まっていた。

(スサノオか)

何もしてあげられない岳斗は、丈琉の傍でただ見守っていた。

 

 程なく、丈琉は脱力して、ぺたんと座り込んだ。

「スサノオやな」

岳斗が声をかけると、丈琉はうなずいた。

「あそこ、川が見えるやろ。あれ鈴鹿川らしいわ。川に沿って上流に向かうんやって。

 ああ。参った。頭、ガンガンするわ」

「大変やな。それにしても、お前、よくオトヒメの事、落とさんかったな。今までなら、びっくりして、一緒にひっくり返ってたかもしれんな。

 ようやく、スサノオにも慣れてきたんか」

「勝手な事、言うな。お前も1回、聞いてみろ」

丈琉は投げやりに言った。


 まだ息が切れている丈琉だったが、何も言わずに立ち上がり、もう一度支度を整え歩き始めた。

 疲れはピークに達していたが、丈琉と岳斗は下を向き、無言で歩いた。

「あの。私。歩きます。頑張ります」

オトタチバナヒメが申し訳なさそうに、丈琉に声をかけた。

「大丈夫や。気にすんな。こんくらい、警察学校の訓練でよくやっとる」

丈琉はオトタチバナヒメを背負い直した。オトタチバナヒメも姿勢をただして、正面を見た。

「あっ! 煙。煙が上がっています」

オトタチバナヒメが叫んだ。下ばかりを見ていた丈琉と岳斗は立ち止まり、顔をあげた。オトタチバナヒメの指差す方向に、煙が一筋、立ち上っていた。


「オウス達かもしれん。俺、先に行ってみる。

 えっと、これ、いいや」

岳斗は背負っていた荷物をその場に投げ捨てて、身一つで駆け出した。

 元短距離選手は、あっという間に小さくなった。

「オトヒメ。一緒に走った方が早いかもしれん。頑張れるな」

丈琉はオトタチバナヒメを背中から下ろした。そしてヒメの背負っていた荷物を下ろして、地面に置いた。そして自分は十握剣を斜めがけにして背中に回した。

 丈琉とオトタチバナヒメは手を繋いで駆け出した。


 岳斗は重い足を必死に動かし、全速力で駆けた。煙のあがっている焚き火の周りに人の姿が見えた。走りながら、目を凝らした。

「ミヤーー」

真っ先に目についた人物に向かって、岳斗は声の限りに叫んだ。ミヤトヒコはその声を聞き取ったらしい。立ち上がりキョロキョロと見回している。

 もう1度名前を呼ぶと、今度は声の発生源を見つける事ができたらしい。距離があるが2人の視線が合った。

 ミヤトヒコは1回こっちに向かって走り始めたが、すぐに立ち止まり引き返した。そして少し奥にいてしゃがんでいる人の手をひっぱった。美殊だ。

「美殊ぉ!」

岳斗は大きく手を振った。

 美殊とミヤトヒコは2人で岳斗に向かって走ってきた。

「岳斗ぉ」

美殊は走りながら、大泣きしていた。距離が縮まり、美殊は岳斗に抱きついてきた。

 岳斗は美殊の背中をポンポンと叩いた。

「よかった。無事やったな」

岳斗は笑って美殊に声をかけた。

 しかし美殊は涙を流しながら、叫んだ。

「岳斗! 助けて! オウス君が大変なんや」

丈琉の袖をしかっと握り、引っ張った。

「そや。具合が悪いって聞いた。どんな具合や」

「呼吸が苦しそうで、見てられん。

 それに爪の色が悪いんや。チアノーゼって言うんやろ。宮崎のおばあちゃんと、おんなじ色をしとるんや。

 岳斗。チアノーゼって、亡くなる前になるって言ったやんか。どうしよう!」

岳斗は美殊がつかんいる手を離し、一目散に駆け出した。


 岳斗が駆けつけると、オウスは大きな木の根元に寄りかかっていた。目を閉じぐったりとしている。オウスの姿を見て岳斗は立ち止まってしまった。息を大きく飲み込むと、そのまま呼吸を止めてしまった。そして直立不動のまま、オウスを凝視していた。動くこともできない。それほどにオウスの状態は酷かった。


 走水で別れた時の面影もないほどに浮腫んだ顔。まぶたも浮腫み目に垂れ下がっている。目のしたには濃いクマができている。顔の色も唇の色もなく、皮膚は全て青冷めていた。

 オウスの目がうっすらと開き、岳斗の姿を認識した。するとオウスは弱々しい笑顔を作り、震えながら左手を岳斗に差し出した。岳斗が脈をとりに来た時にする、いつもと同じ仕草だった。

 岳斗の目から涙がこぼれた。


 岳斗がオウスの元に駆けつけた後、丈琉とオトタチバナヒメも追いついてきた。

「美殊!」

丈琉は美殊を勢いよく抱きしめた。美殊はまた、涙がこぼれ落ちた。

「よかった。無事やったな」

そう言って、美殊の背中をポンポンと叩いた。

 泣いていた美殊だったが、少し落ち着いていた。腕を伸ばして丈琉の体から自分の体を引き離した。そしてまっすぐに丈琉の顔を見た。

「丈琉と岳斗、おんなじ事言って、おんなじ事をするんやもん」

そう言って、涙を拭いた。

 美殊は隣で息を切らせているオトタチバナヒメに気が着いた。

「オトちゃん。よかった。やっぱり2人と一緒やったんや。

 それよか、早く来て。

 早く、オトちゃんの顔見せてあげて。オウス君。ずっと、会いたがってたんや」

 3人はオウスの元に駆けつけた。


「ヤマトタケル様」

オトタチバナヒメは震える声で名を呼んだ。やはり変わり果てた姿に、それ以上の言葉が出てこなかった。

「ヒメ……」

オウスの表情は大きくは変わらなかったが、心から安堵した声でオトタチバナヒメを呼んだ。

 オトタチバナヒメは立ち尽くしている岳斗の脇を抜け、オウスの元へ歩いた。そしてオウスの前で膝をつき、ゆっくりとオウスの胸に顔を埋めた。オウスはヒメの髪をゆっくりと撫でた。


 夫婦の静かな時間が流れていた。

 どれくらい経ったか、オウスが苦しそうに唸った。

 岳斗は気合を入れるように拳を強く握り、オウスの元に歩み寄った。そしてオトタチバナヒメの肩を叩いた。

「ヒメ、ちょっといいか」

岳斗は無粋な事をしていると思いながらも、オトタチバナヒメの場所を譲ってもらった。

「みぃ。頼む」

そう言って、美殊にオトタチバナヒメを任せた。 

 岳斗はオウスの前にかがみ込んだ。

 ゆっくりとオウスの手をとった。手首に触れて脈をとり、爪を色を見た。そしてオウスの胸に耳を当て、呼吸音を聞いた。その後でオウスの服の足元をまくり、足を触った。

「オウス。苦しいやろ」

岳斗の問いかけに、オウスは目を閉じて顔を左右に振った。

「オトタチバナヒメに、会えたのじゃ。もう、どこも苦しい事はない」

幸せそうに微笑んだ。

「悪かったな。オトヒメ。オウスのそばにいてやってくれ」

岳斗はオトタチバナヒメにそう言うと、その場を立ち去った。


 岳斗は丈琉と美殊を連れて、少し離れたところまで歩いた。

 難しい顔をしている岳斗の顔を、2人はのぞき込んだ。岳斗が美殊の視線に気がつき、顔を見つめた。

「みぃ。ほんの2、3日で、お前もえらいやつれたな。どっか悪いんか?」

「2、3日って何? いつからの話や」

「俺らが離れてからのことやけど」

「何、言っとんの。私らが離れてしまってから、1ヶ月近く経っとる。

 岳斗達は違うんか?」

丈琉と岳斗は顔を見合わせた。丈琉は「そっか」と、小さく呟いた後、美殊に話しかけた。

「俺らは、気がついたら尾張にいたんだ。オウス達が伊吹に行ってしまった2日後やったって、ミヤスヒメが言ってたな。

 で、オウス達が伊吹山の後に伊勢に向かうって聞いたから、俺たちも伊勢神宮を目指して来たんや。

 だから、俺らは嵐の後、3日位しか経っていないってことか。

 そっか、お前は1ヶ月も1人で過ごしていたんか。大変やったな」

美殊は優しい言葉に泣きそうになりながらも、「ううん」と言って、顔を左右に振った。


 岳斗は美殊をの肩をそっと掴んだ。

「みぃ。オウスはいつからあんなに具合が悪くなった? 顔も足もパンパンや」

「いつからって、言われてもわからん。本当に徐々に徐々悪くなったんや。

 そうや。伊吹でな、オウス君、急に話ができなくなってしまったことがあったんや。左手と左足が動かんくなってな。おじいちゃんみたいになってたから、てっきり脳梗塞になったんかと思って、心配したんやけど、数分で治ったんや。今も体の動きが悪いとこはないんやけど、あれってなんだったのかな」

「TIAかもしれん」

「なに、それ?」

一過性(いっかせい)脳虚血(のうきょけつ)

 1回、脳の血管が詰まってしまったけど、血流が回復して、すぐに元に戻ることや。

 でもな、また詰まる事が多いんや。血栓の予防をせんと、今度は本格的に詰まってしまう。そうすると、脳の死んだ組織は元に戻らんから、麻痺が残ったり、じいさんみたいに寝たきりになってしまう事もある。命に関わるくらいの大きな梗塞を起こす事もあるんや。

 それに心不全(しんふぜん)を起こしとる。みぃの言ったとおり、チアノーゼになっとる。喘鳴(ぜんめい)も聞こえる。

 徐脈やし。えっと、脈がゆっくりになってしまっていてな、多分、心臓が弱ってしまったんや。そうすると、血栓ができる可能性もものすごく高くなるし。このままやったら、マジでやばいと思う」

岳斗は下を向いてしまった。

「どうにか、ならんのか」

丈琉が岳斗の肩を掴んだが、岳斗は首を左右に振った。

「ここじゃ、薬もないし、何もない。

 それに俺、まだ学生で、一般的な知識しかないし。もしかして父さんみたいに、循環器の専門医で経験もあれば、なんか考えられるかもしれんけど。

 今の俺じゃ、無理や。

 どんな状態なのか推測する事はできても、ここでできることは…… ない」


 そこへミヤトヒコとオオウスが歩いて来た。

「オウスが兄。オオウスじゃ。タケヒ殿、ヤマヒコ殿。初めてお目にかかる。

 オウスが、大いに世話になっていると聞いた。一言、お礼を言いたい」

オオウスは2人に深々と頭をさげた。

「いえ。とんでもない」

丈琉と岳斗は、一緒に首を振った。

「ヤマヒコ殿は、1度、命を落としたオウスを生き返らせたと聞いた。

 タケヒ殿は、オウスと力を合わせ炎の龍を出現させて、皆の危機を救ってくれたそうじゃの。

 不思議な力を持つ者たちよ。その力でオウスを救ってくれた。本当に感謝している」

もう1度、オオウスは頭をさげた。


「いえ、俺らこそ、オウスにはお世話になっているんです。そんな、お礼なんて言われたら、申し訳ないくらいです」

岳斗は慌てて返事をしたが、何かを思い出したように声をあげた。

「そうや」

そう言って、腰に提げてある剣を外した。

「オオウスさん。これ、俺が借りていたんです。オオウスさんの剣です。

 色々あるみたいやけど、やっぱ、これはオオウスさんが持っていた方かいいと思うんです」

オオウスは岳斗から母の守り刀を受け取った。懐かしい、ずっしりとした重さのある剣。

「……。吾が身をかくす時に、オウスに託した剣じゃ。しかし、それがオウスを追い詰める事にもなってしまった。

 これは母が吾を守るようにと、くださった物であった。

 吾がきちんと持っているべきだったかもしれぬ。

 うむ。ヤマヒコ殿。感謝致す。これまで、大切に持っていてくれた事。」

オオウスは大切そうに剣を受け取りった。

(私、そんな大事な剣で、野菜を切ってたんだっけ。そんな事、絶対に言えんな)

美殊は気まずそうにオオウスから距離を取ろうとしたが、思い出した事があった。


「そうや」と言って丈琉に話しかけた。

「オオウスさんな。今朝、スサノオさんの声を聞いたんやって。

 スサノオさんがな、ここで動かずに待っていろって言ったんやて。何を待つかは、何も言ってくれんかったけどな。

 オウス君は焦っていたけど、なんかだんだん苦しくなってきたみたいで、あそこから動けなくなったんや。

 そんで、ずっとここで休んでいたんや」


「今朝か。俺もスサノオの声を聞いたんや。もしかしたら同じくらいの時間かもしれんな」

「そうだ。タケヒ殿。おぬしはあの声を何回も聞いておると聞いた。

 あの声が頭の中に聞こえた時、吾はびっくりして、尻餅をついてしまった。

 頭はガンガンと痛むし、耳鳴りがした。もう、2度と聴きたくないと思っておる」

「俺もや」

丈琉はオオウスと共感しあった。


「そうか。そういえば、前にオウスが言ってたな。自分には神の声が聞こえた事はないけど、オオウスは聞いたって。

 オオウスさんには、スサノオの声が聞こえるんや」

岳斗は確認するように言った。

「それと、オオウスさんも手が赤く光るんですよね」

「うむ。オウスと吾だけの秘密であったが、ご存知なのですな」

「はい。俺も手が赤く光るんです。それにみぃは青いし、ヤマは緑色に光るんです」

「ふむ」

オオウスは顎に手を当て、何かを考えている様子だった。

「オオウスさん。

 俺らと同じ赤い光があるならば、オオウスさんもこの草薙剣を持つ事ができると思うんです。

 これ、スサノオの力を持つ者しか持てないって言われたんです。だからオウスと俺しか触れないんですけど」

丈琉はそう言って、腰に提げていた剣を、鞘がついたままオオウスの前に差し出した。

 オオウスは緊張した面持ちで、その剣に手を伸ばした。オオウスは思い切って、剣を握った。

 剣はオオウスを弾く事なく、オオウスの手に握られた。

「やっぱり」

丈琉は剣を持つ、オオウスの姿にオウスの姿を重ねた。

 オオウスは剣を目の前まで持ち上げて、じっと見入った。

「美しい剣じゃ。

 しかし、吾は剣が苦手じゃ。いくら鍛錬を積んでも、オウスのように強くはなれなかった」

オオウスは苦笑いをした。


 岳斗はオオウスの顔をじっと見ながら、「もしかして」とつぶやいた。

「タケ。お前は剣道もそこそこ強いし、」

「そこそこって、なんか気になる言い方やな」

「そこ。細かい事、気にすんな。それにスサノオの声も聞く事ができる。これって、実はワンセットなのかもしれんな。

 オウスとオオウスさんは双子やんか。こんなにおんなじ顔しとるんやから、きっと一卵性双生児なんやろ。

 もしかしてやけど、受精卵が分裂するときに、スサノオの力も別れたんかもしれんな。それで剣の力はオウスが、スサノオの声を聞くのは、オオウスさんが持ったんかもしれん」

「ヤマ。結構、理屈っぽいんやな。俺なんかはどうでもいいって感じなんやけど」

「いや。そこ、大事やろ」


 そんな押し問答をしているところへ、タケヒコが駆けてきた。

「ヤマトタケル様が、皆様をお呼びです。

 オオウス様。ヤマトタケル様が、纒向に帰りたいとおっしゃっております。どうされますか」

オオウスは全身でため息をついた。

「纒向。懐かしい故郷であるが、吾は帰る事はできぬ」

オオウスは遠い目をして、纒向の方角を見つめた。

 岳斗は迷ったが、思い切って口を開いた。

「あの。俺、正直に俺の考えを言います。

 皆さんも気がついているかもしれんけど、オウスの具合は本当に悪いんです。命に関わる、重篤な状態やと思います。

 だから、オウスが帰りたいと言うのなら、早く帰った方が良い。そうでないと、間に合わないかもしれません」

岳斗の言葉に皆、息を飲んだ。これまで命に関わる事で、不思議な力を発揮していた岳斗の言葉。そんな事はないと、否定する根拠はなかった。


「そうや。この前、オウス君な。自分はもう、長く生きられない。みたいな事、言っとったんや」

美殊の言葉を聞き、皆が一斉に走り出しオウスの元に駆けつけた。


 オウスは自分の周りに集まった人の顔を、ゆっくりと見つめた。

「皆。ここまで、吾と一緒に来てくれた事、本当に感謝している」

オウスの話は途切れ途切れで、もう声に力がなかった。

「オウス。纒向に帰ろう」

オオウスはオウスの頬をさすりながら叫んだ。

「オオウス。お前は纒向には、帰られぬ。大王に、殺されてしまう」

「吾のことなど、どうでも良い。おぬしの事は吾が背負ってでも、故郷に帰してやる。

 そうじゃ。ここに草薙剣がある」

さっき渡されて、持ったままになっていた剣をオウスの手に握らせた。

「おぬしの剣じゃ。タケヒ殿が持ってきてくれた。この剣がおぬしを助けてくれるであろう。

 よし。皆、いざ出発じゃ。ここから、纒向に向かう」

「はい」

大きな返事が響いた。


(やまと)は まほろば たたなづく 青垣(あおがき) 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし」


 オウスは小さな声だたが、しっかりと歌を詠んだ。そして側で聞いていた美殊に話しかけた。

「吾の故郷を、詠んでみた。綺麗なところじゃ。ミコヒメ様にも、見せて上げられると良いのだが。

 ああ、良い歌が詠めた。酒折宮(さかおりのみや)の火焚きの老人も、きっと褒めてくれるはずじゃ」

そう言うと、目尻に涙を浮かべた。


 オオウスはオウスの腰に草薙剣を提げた。そしてオウスを背負って出発した。オウスは自分で歩く事が困難だった。オウスの体はおんぶ紐でオオウスにしっかりと固定された。オウスにずっとつかまっている力はなかった。

 丈琉と岳斗、美殊は少し離れて歩いた。歩きながら、岳斗は川を見て言った。

「この川、鈴鹿川なんやって。このまま川に沿って歩くと、亀山に行ってしまうな」

「うん。そうやな」

丈琉が答える。

「“日本武尊”の墓があるところや。

 丈琉、お前、オウスが能褒野に行きたいって言ったら、止めてしまうかもしれんって、言ってたな」

「うん。けどな。あんなに生まれ故郷に帰りたいって言っとるオウスを見ると、止める事なんてできん」

丈琉は涙がこぼれそうになり、上を向いた。

「白鳥や」

丈琉がそう言うと、岳斗と美殊も空を見上げた。

 4羽の真っ白な白鳥が、真っ青な空に円を描いていた。


 オオウスはずっと1人でオウスを背負っていた。ミヤトヒコやタケヒコが代わると言っても、頑として受け入れなかった。

 陽が傾いてきた。冷たい風が頬をさすようになった。

 正面に見える山の、なだらかな稜線と空の境目が、淡いオレンジ色に変わっていく。

「オオウス様。日暮れでございます。ここは川の近くで、地面も平坦。野宿にはちょうど良い場所かと」

タケヒコに声をかけられ、オオウスは足を止めた。

「確かに。よし。今日はここで野宿じゃ」

タケヒコは川原が少し狭くなったところを選んで布を敷いた。土が盛り上がっているところを見つけ、そこにオウスがもたれかかれる様にと準備をした。

 オオウスは地面に敷かれた布の上にオウスをおろした。オウスはぐったりと土の壁に寄りかかり目を閉じた。


 ナナツカハギは食事の準備を始めた。岳斗と美殊は薪になる木を探しに行き、丈琉は大きなカメに水を汲みに行った。

「皇子様!」

オウスに付き添っていたオトタチバナヒメの悲鳴が聞こえた。皆、慌てて駆けつける。丈琉も水の入ったカメを抱えながら走った。

 オウスは力なく地面に倒れ込んでいた。弱い呼吸のたびに、顎と肩が動く。顔は真っ青で唇は紫色になってしまった。そして目は虚ろに開いているが、何も写っていない様だった。

 岳斗はオウスを仰向けに寝かせた。それから手首に触れ、脈をとった。途端に顔を歪めた。

「オウス。オウス!」

岳斗は必死で名を呼んだ。頬を軽く叩いた。オウスは視線を岳斗向けた。

 オウスは自分の腰にかけられた草薙剣に触れ、すがる様に岳斗を見た。

「この剣。これ、オオウスさんに渡せば良いんか」

岳斗がそう言うと、オウスは目を閉じた。岳斗はオウスの手をしっかりと握った。

 オウスを挟んで岳斗の正面に座ったオオウスは、激しく首を振った。

「これは、おぬしの剣じゃ。お前を守ってくれるのだ」

そう言ってオオウスはオウスの腰から剣を外し、オウスの腕に握らせた。


「皇子様。ヤマトタケル様」

オトタチバナヒメは岳斗の隣で、半狂乱で名前を呼んでいた。オウスは目を閉じたまま、何も言えなくなった。オトタチバナヒメは両手で顔を覆い、号泣した。

 タケヒコとミヤトヒコ、ナナツカハギはオウスの足元の方でオウスを呼んだ。両手を地面につき、できる限りの大きな声で。

 オオウスは立ち上がって数歩歩いた。そして天に向かって吠えた。


 丈琉は岳斗の後ろで、カメを持ったまま立ち尽くしていた。オウスの覇気のない顔と力なく倒れこんでいる姿に、生命の終焉を感じ取っていた。全身が震えた。カメの中の水が波打つほどに。

 傍にいた美殊は突然に立ち上り、横たわるオウスに駆け寄った。

 そして、オウスの耳元に顔を近づけた。

「オウス君。好きや」

生まれて初めての愛の告白だった。

 そして決心より先に、体が動いた。オウスの唇に、自分の唇を押し当てた。


 丈琉は一瞬のできごとに、何が起きたか理解できないでいた。カメを持っている事も忘れ、美殊の肩に手を触れた。

 カメは宙に放たれ、水を撒き散らした。水は夕焼け色に染まり、丈琉と岳斗と美殊、そして地面に横たわるオウスに降り注いだ。

 その瞬間に、4人の手が光った。

 

 3色の光が混じり合い、白い閃光が発せられた。白い光の柱は一気に天に伸びた。

 オオウスは反射的に光を目で追い、天を仰いだ。しかし白い光は一瞬で消えてしまった。

 光が消えた薄墨色の空には、4羽の白鳥が優雅に飛んでいた。


 オオウスが地上に視線を戻した時、オウスの姿は消えていた。丈琉と美殊と岳斗の3人の姿も。 

 地面には丈琉が持っていたカメが転がっているだけだった。

「オウス!」

オオウスの声が、川原に響き渡った。オウスの返事はなく、白鳥の鳴き声が聞こえてきただけだった。

「白鳥になったのか」

オオウスの言葉に、皆、天を仰いだ。

 ちょうど4羽の白鳥は円を描いて上空を飛んでいたが、突然隊列を崩し、横並びになり、飛び去って行った。

「向こうは、纒向です」

タケヒコがつぶやいた。オオウスはうなずいた。

「どうか。無事、纒向に……」

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