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倭の国 まほろばツアー  作者: 葉月みこと
16/18

伊勢(いせ)までの、不安な旅に出発した

(吐く!)

丈琉(たける)は握っていた誰かの腕を離し、顔を脇に向けた。しかし胃から酸っぱい空気が上がってきただけで、内容物は出てこなかった。目を固く閉じ、胸に手を当てて大きく息を吐いた。

(んっ? なんか、安定感がある)

と、思った瞬間。耳元に岳斗(やまと)の声が聞こえてきた。

「ここ。どこや?」

ひどく、戸惑った声である。丈琉は今まで握っていたのは、岳斗の腕であったと思った。

 それから丈琉はゆっくりと目を開いた。しかしまだ脳内も身体の中も揺れていると感じた。

 うっすらと岳斗が見えた。その後ろに幹の太い木も。

「木? 木がある!」

丈琉は目を完全に見開いた。

 船の上でもない。海の中でもない。陸の上にいるのだ。

 

 丈琉の目に入ってくる情報をとりあえず確認した。自分たちは今、木々に囲まれている。そして座ってはいるが、腰まで水に浸かっている。岸はすぐ近くに見える。小さな湖か泉のようである。空からは大きな雪が落ちてきている。吐く息は真っ白で、凍える寒さだった。

 空には白い雲が夕日に照らされほんのりピンク色になって浮かんでいた。

 ずぶ濡れの髪からはしょっぱい水が流れ、口の中に入ってきた。

 隣には岳斗とオトタチバナヒメが肩を組んで座っている。やはり2人ともずぶ濡れで、ヒメは寒さで震えていた。


「いつの間に、上陸したんや」

丈琉はまだ、思考力が戻っていない。

「また、移動したんやろな。スサノオの言う、時空を超える力とやらで」

岳斗はすでに冷静に分析できている。

「嵐からどれ位の時間を超えたんやろ。場所も移動しとるし。一体、ここはどこや。

 あれ、俺ら3人だけか? みぃがおらんんな」」

丈琉は岳斗に言われ、初めて美殊(みこと)の姿が見えない事に気がついた。

「えっ? みぃ! みぃ! どこや? どこにいる?」

丈琉は船酔いも忘れて、立ち上がった。そして周囲をぐるっと見回した。


「とにかく、池から上がろ。寒くて凍えてしまうわ」

岳斗はオトタチバナヒメの手を引き、立ち上がった。3人はバシャバシャと音を立てて泉から出た。

 小さな泉は清涼な水で満たされていた。

 泉の真ん中には、小さな島があり、四角に囲われた結界が施されている。

 冬にもかかわらず、木々は深い緑色に茂っている。丈琉に余裕があれば、“空気が違う”と叫んだ事だろう。

 しかし混乱している丈琉には、神聖な空気を感じる余裕はなかった。


 岳斗はゆっくりと周囲を見回した。背後に建物を見つけた。高床式の家のようだった。自分たちが見ているのは、家の裏側のようだった。玄関が見当たらない。

「この家の感じからすると、今までいた時代とおんなじくらいやな。何100年も飛び越えたとは思えんな。

 とりあえずあの家を訪ねてみんか。寒くてどうしようもないわ。服乾かさんと、死んでしまいそうや」

岳斗は腕を抱えて震えていた。オトタチバナヒメもガチガチと歯の根が合わずにいた。

 

 3人は周囲に注意しながら、屋敷の正面に回った。この家が特別大きな家で、その他の家は、簡単で粗末な家が立ち並んでいた。

「どうしよ。誰かおらんかな」

家の前で、キョロキョロした。

「誰じゃ!」

女性の甲高い声が響いた。3人は飛び上がらんばかりに驚いた。一斉に振り返ると、そこには見覚えのある、つり目の女性が立っていた。

「ミヤスヒメ!」

丈琉が叫んだ。

「ここ、尾張か」

岳斗は冷静に言った。

 ミヤスヒメは顔を紅潮させ、口元を震わせた。

「オトタチバナヒメ様! 伊勢に行かれたのでないのですか?」

「伊勢?」

3人が同時に首を傾げた。

「オトタチバナヒメ様は、伊勢にいると、ミコヒメ様が言っておった」

「ミコヒメ! みぃもここにおるんか? よかった。どこにおるんや」

丈琉はミヤスヒメの肩に手を乗せ、顔を近づけた。

 

 ミヤスヒメは肩にかけられた丈琉の手を、激しく振り払った。顔を真っ赤にし、さらに目を釣り上げた。

「いません! 誰もいません」

ミヤスヒメはヒステリックに叫んだ。

「いないってことはないやろ。さっき、みぃと話したようなこと、言ったやんか」

丈琉が詰め寄った。

「出て行きました。皆、ここから、出て行きました!」

そう叫ぶと、その場に腰を下ろし、両手で顔を覆って号泣し始めた。手がつけられないほどの大泣き。丈琉達は聞きたいことがたくさんあったが、遠巻きに見ているしかなかった。

 思う存分泣いたのか、ミヤスヒメは突然、泣き止んだ。しかし、釣り上げた目は、地面を見るばかりで、何の反応も示さなかった。

「声、かけてもいいんやろか。お前の方が、女の扱いは慣れとるやろ。何とかしてくれ」

丈琉は岳斗の肘をつついた。

「俺やって、そんなに慣れとるわけやないって。

 それに古代の女の心情なんて、想像もできんて」

そうは言ったものの、結局は岳斗が声をかける事になった。

「……。 あの、ミヤスヒメさん。

 お願いがあって。俺ら、ものすごく寒いんです。体を温めさせてもらえませんか」


 ミヤスヒメは黙って立ち上がり、後ろの高床式の家の階段を登り始めた、3人は何も言われなかったが、黙って後を追いかけた。

 短い階段を登りきると、すぐに部屋があった。

 四角い部屋で、真ん中に囲炉裏がある。部屋の端っこには薪や木箱などが置かれている。壁には藁を布で巻いた、大きな枕の様なものが置かれていた。その前に布団が乱れてたまま置かれていた。ついさっきまで、誰かが使っていたようだ。


 岳斗は囲炉裏に近寄った。そしてミヤスヒメの顔を覗き込み、

「……。 これに火をつけていいですか?」

と、気を使いながら尋ねた。

 しかしそう尋ねたが、返事を聞く前に丈琉が火を起こし始めていた。丈琉も岳斗も、木が2本あれば、火を起こせるようになっていた。

 囲炉裏に小さな火が灯った。丈琉は部屋の隅に乱雑に置かれている薪を集め始めた。


“……”

「はいっ?」 

丈琉は誰かに呼ばれた気がして、思わず返事をした。岳斗とオトタチバナヒメが訝しげに丈琉を見た。

「えっ。だれも呼んどらんのか」

岳斗は軽くうなずいた。丈琉は首を傾げながら、頭を掻いた。

(そういえば、誰の声も聞こえんかったよな。

 でも、確かに、誰が俺を呼んどる)


 丈琉はその誰かの気配を感じながら薪を集め、囲炉裏にくべた。囲炉裏の火は勢いを増した。岳斗とオトタチバナヒメは火傷するかと思われるほど火の近くで体を温めた。

 しかし丈琉は火にあたらず、部屋の隅をウロウロしていた。

「おい。タケ。何しとるん。火に当たらんのか」

濡れたままでいる丈琉を心配して、岳斗が声をかけた。

 丈琉は火に温まるより、さっきから感じる気配が気になっていた。それは気のせいではない。そう確信していた。

 

 丈琉は壁際に置いてある大きな枕と布団の脇に、木の箱が雑然と積み重ねられている事に気が付いた。

 (あの箱や。あの辺から、何か感じる)

 丈琉はひとつひとつ箱の中身を確認し、感じる何かを探し始めた。

「な、何をしているのですか! 勝手に触らないでください」

ミヤスヒメが甲高い声で叫んだ。

「すみません。別に泥棒しようってわけじゃないんで。なんか、ここにあるんや。それが、俺を呼んでいるような気がするんや」

丈琉はミヤスヒメを見る事なく、作業を続けながら答えた。そして最後に細長い箱だけが残った。


「この箱の中から感じる」

丈琉は箱を開けようとしたが、この箱には蓋が見当たらなかった。丈琉は箱を持ち上げてみた。

 すると箱だけが持ち上がり、床に置かれた剣があらわになった。剣に箱が被せられているだけだった。

草薙剣(くさなぎのつるぎ)や」

丈琉は大きな声をあげた。その声に、オトタチバナヒメも大きく反応した。

「では、ヤマトタケル様もここにおいでなのですね」

オトタチバナヒメはやっと声を出した。


「だから、出ていったと言ったでしょう。

 私が止めたのに。

 草薙剣も隠したのに。探しもしないで。大切にしていたから、剣が見つからないうちは、どこにも行かないと思ったのに」

(あれ、隠してあったんか。隠し方も幼稚やけど、それで引き止めようと考えるあたり、子供とおんなじやな)

岳斗はため息をついた。

「あの様に、具合が悪かったのに……」

「えっ? ヤマトタケル様は、ご病気だったのですか?」

「それもご存知なかったのですね。ヤマトタケル様のご寵愛を、独り占めされている方とは思えませんね」

ミヤスヒメの言葉には皮肉が込められていた。

「オトヒメは、自分の意思でオウスと離れていたんと違う。自分ではどうにもならんかったんや」

丈琉が声を荒げた。ミヤスヒメは丈琉を睨みつけた。

「きょうだいで、同じ様な事を」


「それよか、オウスの具合が悪いって。どんな具合やったん?」

岳斗の声に緊張が混じった。

 ミヤスヒメは岳斗に視線を移した。岳斗の瞳には、非難めいた物はなかった。ミヤスヒメの気持ちが、一つほどけた。

「ここに着いてから、すぐに、倒れたのです。

 顔も足もひどく浮腫んで、お顔の色は青白くて、人相も変わっている様に思いました。

 ずっと咳をされていて、横になると、余計にひどくなるので、それを」

そう言って、壁の前に置かれた藁の枕を指差した。

「それを、背中に当てて、座ったまま眠っておられました」

「やばい。心不全になっとるんや。起座呼吸(きざこきゅう)って……。 相当、悪くなっとる」

岳斗は息を飲んだ。眼鏡の位置を直しながら、考え込んだ。


「えっ? 皇子様は、そんなに具合が悪いのですか」

オトタチバナヒメは口に手を当て、泣きそうな表情になった。

「ミヤスヒメ様。皇子様は伊勢に向かわれたのですか?」

オトタチバナヒメの問いかけに、ミヤスヒメは答えなかった。

 オトタチバナヒメは、ミヤスヒメの前に来て、瞳を真正面からのぞき込んだ。

「ミヤスヒメ様。

 先ほど、ヒメ様は、私が皇子様のご寵愛を1人で受けていると、おっしゃいましたが、それは誠ではありません。

 私は正妃ではありませんし、お子もなしておりません。正妃であるフタジノイリビメ様は、お世継ぎも産んでおられます。私などは、側室の1人でしかないのです。

 気持ちを隠してはいましたが、本当は悲しくて、悔しかった。その様に思う事は、はしたない事です。でも、私は抑える事ができなかった。

 だから、皆に、反対されても、危険とわかっていても、この旅について来てしまったのです。

 でも、でも、それは、私のわがままでした。皇子様の迷惑にしかならなかったのです」

オトタチバナヒメはポロポロと涙をこぼした。

「えっと、何を言いたかったのか、よくわからなくなってしまったのですが。

 私は皇子様から、そんなにご寵愛を受けているわけではなくって…」

「いえ!」

ミヤスヒメの甲高い声が響いた。

「ヤマトタケル様は、オトタチバナヒメを愛しておいでです。だから、私は悔しかったのです。

 でも愛しているからと言って、私には戦の旅について行く勇気はありません。

 わかっていたはずなのに。あなた様には、決してかなわないと」

ミヤスヒメは涙を拭って、微笑んだ。

(このヒメの笑い顔。初めて見たな)

岳斗も思わず微笑んでしまった。


 ミヤスヒメは「全てお話しします」と言って、話し始めた。

「ヤマトタケル様はこの部屋ですっと休んでおられました。座ったまま寝ていればいいのか、意識をなくしたように眠っておられました。

 その間に、タケヒコ様のお考えで、伊吹山に出陣されたのです。ここにはヤマトタケル様とミコヒメ様。そしてもう1人、痩せた男の方は残られました。

 それから、ヤマトタケル様のお兄様と言われる方が来られました。本当にそっくりで、同じ顔をされていました」

「兄さんって、オオウスさんの事か?」

「はい。確かそう、呼んでおられました。

 そのお兄様が、ヤマトタケル様の鎧を着て、出陣されました。ただ、それを知っておられるのは大将のタケヒコ様とミヤトヒコ様だけです。他の方々は、オオウス様のことをヤマトタケル様と思っておられました。そしてヤマトタケル様が元気になったと言って、喜んでおられました。

 その後、目が覚めたヤマトタケル様は、それを聞いて伊吹山に向かいました。もう、二日前の事です。

 私は引き止めました。ここにずっといて欲しかったというのが本心でしたが、あれほど具合が悪そうなのに、冬の伊吹山に行くなんて、とても無理だと思ったのも本当です。

 でも、ここには、もう、戻って来られないでしょう。

 伊勢に行くとおっしゃって、とても焦っておいででした。伊吹でタケヒコ様達とお会いになったら、そのまま伊勢に行かれると思います」

「じゃ、俺らはどうする。オウス達を追いかけるか? 伊吹山って琵琶湖の近くやろ。結構、遠いな。どん位かかるんやろ」

矢継ぎ早に、丈琉は岳斗に問いかけた。

「落ち着けって。

 ミヤスヒメ様。ここから伊吹までって、どれ位かかりますか?」

「父は、2、3日はかかるだろうと、言っておりました」

「えっと、オウスは2日前にここ出発したんだよな。って事は、もう伊吹山についた頃かもしれん。

 うまく、タケヒコさん達と会えたかな。会って、もう伊勢に向かっている頃かもしれん」

「じゃ、俺らはここから、伊勢に向かえばいいって事か。

 俺らが先に着いたら、待っていればいいけど。向こうが先に着いてしまったら、また、よそに行ってしまうかもしれんな。

 オウス達より早く、伊勢神宮に着いとらんと。会えなくなってしまう」

丈琉はすぐにでも出発しそうな勢いで立ち上がった。

「待て。俺らだけで行くんか。俺と、お前と、オトヒメと。この3人で伊勢に向かうって、無理やろ。こっから伊勢神宮までの道順も知らんのやで。地図やナビがあるわけやないし、どうやって行くんや」

岳斗の言葉に丈琉は足を止めて、「うっ」と、唸った。


「父に相談してみましょう」

ミヤスヒメは立ち上がり、部屋を出て行った。

 ミヤスヒメを見送っていると、不意に丈琉はブルッと震えた。アドレナリンが放出していた時は寒さをそれほど感じていなかったが、少し冷静になってみるとやはり体が凍えている。

「タケ。火に当たろうや。濡れたままじゃ、マジで風邪ひくって」

「確かに、寒いわ」

丈琉は囲炉裏に駆け寄り、手を火にかざした。

 オトヒコは突然の来訪者に驚いた様子だった。

 しかし岳斗達の質問に、丁寧に答えてくれた。

「伊吹から伊勢に行くにはまず伊吹の山を下り、東に進むでしょう。そして、海に沿って進むと思います。道が平ですから、その方が楽です」

「道っておっしゃいましたが、道ってあるんですか? 人が歩ける、伊吹山から伊勢湾に出る道」

「イセワン、ですか?」

「あっ。すみません。その海に出る道の事です」

まだ伊勢湾という名称はない。

「はい。道はあります。真っ直ぐですし、途中に幾つかの小さなムラもあるでしょうから、地元の人間を頼ることもできるでしょう」

岳斗は眼鏡をおさえてじっと考え込んだ。そして床に指で地図を書きながら、丈琉と小さな声で相談した。

「えっと琵琶湖から、伊勢湾、四日市のあたりに出るんかな」

「で、その後は伊勢湾に沿って行くような感じか。

 オウスたちと一緒に、伊勢から尾張に来た時と同じルートを使うって事やな」

丈琉も地図を思い起こしながら指でルートを辿った。

「昔の道路事情がよう、わからんけど。多分そんな感じやないか。

 でも、琵琶湖と伊勢神宮の最短距離って、四日市あたりを通るより、菰野(こもの)とか亀山(かめやま)とか行った方が近くないか」

「でも結構な山道になるで」

と、話していてハッと気がついた。2人は目を合わせた。

 亀山。自分たちの家があり、“日本武尊”が死んだとされる能褒野(のぼの)御陵がある。


「いえ。山道は無理でしょう」

丈琉たちの会話が聞こえたらしい。オトヒコが静かに言った。

「ヤマトタケル様のあの状態で、長い山道を歩くのは無理と思います。普通に歩くのでさえ、大変そうでしたから。実は伊吹の山に行くのさえ心配でした」

「そんなに、具合が悪いって……」

岳斗は眼鏡のブリッジに指を当てた。丈琉は岳斗の腕をつかんで揺らした。

「やばいやんか!

 まさか、オウス達、山道のルート取って、能褒野とか通ったら。そこで、まさか……」

2人は最悪の事態を思い浮かべてしまった。


「はよ、出発せんと。ああ、でも、どこに行けばいいんや」

丈琉は頭をかきむしった。岳斗は眼鏡のブリッジを持ち上げ、一呼吸おいてから話し始めた。

「伊勢や。とにかく伊勢神宮に向かおう。そこにはオウス達が行くって、はっきりしとる。

 オトヒコさん。尾張から伊勢に行くには、海に沿った道が一番近いんですよね」

「はい。その通りです」

オトヒコはうなずいた。

「よし。決まりや。早よ出発しよ」

丈琉は立ち上がって部屋から出たが、外は真っ暗だった。すでに日は暮れていた。

「夜に出歩くことは危険です。朝になってからでないと」

オトヒコに言われ、丈琉は舌打ちをした。古代の世界にもだいぶ馴染んできていた。夜の旅が危険なことは十分わかるようになっていた。丈琉は顔を左右に振りながら、部屋の中に引き返した。


 その時、丈琉は誰かに呼ばれた気がした。

 部屋の隅から感じる。そこには草薙剣が無造作に置かれたままになっていた。

「そうや。これ、忘れて行くとこやった。オウスに届けんとな」

そう言って、丈琉は剣を持ち上げた。

 軽々と剣を持つ丈琉の姿を見て、ミヤスヒメが驚嘆の声を漏らした。

「なんと。あなたは簡単にその剣を持つ事ができるのですね。

 私は剣に弾かれてしまうんです。持つどころが、近寄る事もできなかったんです」

剣から発せられる暴風のような圧力と戦い、必死に箱を被せた時のことを思い出していた。

「この剣、持つ人選ぶんや。」

丈琉はそう言って、草薙剣を鞘から抜き、自分の顔の正面に持ってきた。剣を真正面に見つめた。

 すると、ほのかに、丈琉の手が赤く光った。それがわかるのは丈琉と岳斗の2人だけだった。

 丈琉は遙か遠くを見るように剣に魅入った。

 長い時間、剣と向き合っていたが、誰も声をかけることができなかった。しばらくして丈琉の手の光が消えた。

 丈琉は剣を鞘に戻し、静かな声で岳斗に話しかけた。

「剣がな。オウスの元に帰りたがっている。この剣。主人のことが大好きみたいや。

 草薙剣がオウスの所に、導いてくれる」

丈琉の言葉に、岳斗は思わず微笑んだ。

「そんなら、大丈夫かな。道案内がいるって事やもんな」

岳斗はそう言ってから、眼鏡に触れながら考え込んだ。

(しかし、剣に導かれるって、どういうこっちゃって感じやな。それで安心できるって思った俺も、どうかと思うぞ。

 俺ら、すっかり不思議世界に慣らさてしまったな)

1人、心の中で笑った。


 翌朝、早朝から丈琉と岳斗、オトタチバナヒメの3人は尾張を出発した。

 その際、オトヒコが旅の必需品を準備してくれた。炒った米、木の実が原料の、味のしないクッキー、干し肉や干し魚。水筒代わりの竹筒。怪我をした時に塗るという、ガマの穂を乾燥させた粉。清潔な布。寝袋がわりの厚手の布など。それらを麻袋に詰めてもらい、丈琉と岳斗で二等分して持った。

 丈琉は背中に十握剣(とつかのつるぎ)、腰に草薙剣を提げていた。

「タケ。剣、二つも持っていて、重くないか? 俺、荷物もう少し持てるで」

「いや。大丈夫や。不思議なんやけど、こいつら、全然重くないんや。重力感じないほどや」

丈琉は明るく言った。

「よし。行こか。俺らが仕切って行くって、かなり心配やけど、行くしかないもんな。がんばろ」

頼りない決意表明であったが、3人は希望を胸に伊勢に出発した。


“前にオウス達と、伊勢から尾張に歩いた道を、逆に進むだけ”

丈琉と岳斗はこのフレーズを合言葉のようにして、旅を続けた。

 単調な景色で、前に通ったのかどうかも覚えていない。しかし、人が歩いて踏み固められたと思われる道のような物を、伊勢に続いていると信じ歩いた。

 そして無事、とりあえず1日を歩き通す事ができた。夜は火を焚き、丈琉と岳斗が交代で見張りをつとめた。


 寒さは厳しかったが、雨も雪も降らないのは幸いだった。

 冬の夜は長かった。岳斗の時計の時刻は全く意味がなかったが、何時間経過したかはわかる。夜の長さを12時間で計算し、6時間で見張りを交代するようにした。岳斗の時計にはアラーム機能がついており、それが大いに役にたった。


 後半の見張りをしていた丈琉の隣に、岳斗が座った。

「早起きやな。まだ。夜も明けとらん」

「こんなトコじゃ、熟睡できんからな」

2人は焚き火で手を温めた。

「時計って、いいもんやな。時間はわからんけど、どれくらい経ったかがわかるやんか。あてもなく、真っ暗ん中で、夜が明けるの待ってたら、辛かったと思うわ。日が沈んで12時間経ったから、後もうすぐで夜明けやってわかるだけで、気持ちが楽になるわ。

 しかも、針の時計ってのはいいもんやな。デジタルやと、後どれくらいって、引き算せんといかんけど、針やとあと、どん位ってのか、感覚でわかるもんな。

 岳斗がアナログ好きやとは知らんかったわ」

「これ、患者さんの脈を数えるのに必要なんや。俺、針の時計の方が数えやすいから、こっちにしたんや。ベテラン医師になると、時計なんか見んでも、だいたい脈が何回かわかるらしいけど、俺なんか、まだまだやから。

 だから、奮発していいやつ買ったんや。防水機能付きやから、嵐の海に落っこちても大丈夫やったろ」

「そやな。スマホがあれば大丈夫なんて思っとったけど、この世界じゃ、なんも役に立たんかった」

「そら、当たり前や」

岳斗は裏手で丈琉の肩を叩いた。


「なぁ。みぃのやつ。大丈夫かな」

丈琉は焚き火に木をくべながら話しかけた。

「少なくとも、俺らよりかは安心と思うな。オウスやタケヒコさんと一緒やし」

「確かにな」

丈琉はクスッと笑った。

 ここで一瞬の沈黙があった。

「……。 あのな」

丈琉が意を決した感じで、話し始めた。

「俺な。確かに、みぃの事、好きやけど。でもな、なんか、最近は前と違う気がするんや」

「いきなり、なんや。弟の恋愛相談なんか、真面目に聞いてられんって」

「その様な事を言っては、タケヒ様がおかわいそうです」

後ろから、いきなりオトタチバナヒメが話しかけてきた。2人はびっくりして振り返った。

 丈琉は哀れなほどに、慌てふためき、顔が真っ赤に染まった。そんな丈琉を気にする事なく、オトタチバナヒメは続けた。

「タケヒ様はミコヒメ様の事を愛していらっしゃるのでしょう。でも、ミコヒメ様は皇子様の事を、思っていらっしゃいますし。

 タケヒ様。自分の思う人が、自分の事を愛して下さらないのは、悲しいですよね。辛い気持ちを助けて欲しいと思うのは、自然の事です。

 ヤマヒコ様も、お話くらい、聞いて差し上げてもいいのではないですか」

(このヒメ。全部、見通しとるな)

岳斗は意外に思った。どちらかと言うと普段はのんびりとしているヒメで、恋愛事情など気にしないタイプに思えた。

(でも、まぁ、みぃも丈琉も、感情がすぐ顔にでるからな。分かりやすい2人ではあるな)

岳斗は真っ赤な顔をしている丈琉を見て、クスッと笑った。

「でも、タケヒ様とミコヒメ様は同母でございましょう。同母のきょうだいでは、添い遂げることはできませんものね。

 それだけでも、辛い事だと思います」

「えっ? “どうぼ”って、母親が同じって事か? 母親が違えば、父親が同じでも、結婚できるんか。ここでは」

「えっ。もちろんではないですか。タケヒ様達のおクニでは違うのですか」

オトタチバナヒメに、逆に質問された。

「うん。きょうだいは絶対にダメや。そっか、この時代だと、きょうだいでも、結婚できるんや。羨ましいな」

丈琉はもう、隠す気もないらしい。

「アホか。羨ましいって、なんや! 俺ら、母親も一緒やろ。この時代でも無理や」

「でも、人を好きになるのは、理屈ではありませんし。同じ母親から生まれたきょうだいでも、好きになってしまうのは、自分ではどうしようもない事だと思います。それはタケヒ様のせいではありませんよね。

 愛する気持ちは、同母の姉だからと言っても、抑えることはできないでしょう。

 そう。ここなら、お二人が同母のきょうだいと知っている人はおりません。異母きょうだいと言う事にしておけば、誰にもわかりません。

 あっ。でも、ミコヒメ様のお気持ちを、無視してはいけませんね」

オトタチバナヒメは口元に手を当てて笑った。


「そっか、俺ら、ここでなら、付き合えるかもしれんのか。

 ……。 でもな、俺、さっきも言ったけどな、前よか冷静になった気がする。

 みぃがオウスの事思っているの見て、なんか微笑ましいっていうか。そんな風に思えたんや。

 俺、みぃの事、姉さんやって思う様になったんかもしれん。いや、違うな。妹やな。

 恋愛に不器用で、目が離せなくて、思わず世話を焼きたくなる、手のかかる妹や」

丈琉は屈託なく笑ってみせた。岳斗も笑いながら、丈琉の背中をポンポンと叩いた。

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