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倭の国 まほろばツアー  作者: 葉月みこと
13/18

走水(はしりみず)の嵐で、船酔いしてしまった

「そろそろ、走水(はしりみず)に出るはずなのですが」

タケヒコの声は大きいが、なんとなく不案内そうだった。

「走水な。それがどこだかわからんな。やっぱ、関東方面の地理は弱いな」

「静岡通ったんやから、次は神奈川に出るやろ」

丈琉(たける)岳斗(やまと)は小声で話した。


 夕闇が周囲を覆い始めた。

 タケヒコ達は、今日中に走水に到着したかったらしい。しかし山賊の襲撃にあった事もあり、思った様に進めていなかった。

 冬の日暮れは早い。無理は禁物だった。一行は野宿の準備に取り掛かろうとしたが、林の奥に集落と思われるの灯りが見えた。

 タケヒコとタケイナダネが偵察に行くことになった。


 そこは長老がまとめる、ほんの数十人の小さなムラだった。どこのクニにも属さず、人々は山の恵でひっそり暮らしていた。

 そこへ思いもよらぬ高貴な人物の来訪。駿河での事件はこのムラにも聞こえてきていた。

 さらに山賊との戦いで発せられた巨大な火柱は、ここまで見えていた。それがヤマトタケルが起こした炎とわかると、皆が怯えてしまった。

「焼かれたら、たまったもんじゃない」

そんな囁きも聞こえてきた。

  

 ムラ中が大騒ぎとなった。粗末ではあったが、精一杯の食事が準備された。きょうだい3人も食事の席に招かれ、並んで食事を食べることになった。

「なぁ。ここの人たち、私らの事、犯罪人っていうか、ヤクザでも見る様な感じと思わない?」

「そやな。さっきの火も、ヤマトタケルのした事だってわかったら、ものすごく怯えとったもんな。焼かないでくれなんて、言ってたヤツもおったしな」

岳斗が苦々しそうに笑った。

「そやけど、そのおかげで、この時代にしちゃ豪華な食事やし。割り切ってしまえばいいんと違うか」

丈琉は出された大きな焼き魚を、美味しそうにほおばった。

 美殊(みこと)は釈然としなかったが、空腹には勝てず、魚を口にした。


「ところで、なぁ。

 山賊もそうやったけど、オウスのこと“草薙剣(くさなぎのつるぎ)のヤマトタケル”って、呼んどったよな。

 いつの間に、オウスの持っている剣が草薙剣になったんやろ」

岳斗はふと思い出して丈琉に尋ねた。

「うーん。草薙、くさなぎな」

今度は肉を食べながら、丈琉は思い返した。

「そういえば、駿河で焼き討ちにあった時、オウスが“草を薙ぎ払え”って、叫んだな。草を薙ぎ払う。で、“くさなぎ”か。

 なんか、単純なネーミングやな」

「でも、その名前って、結構知れ渡っておるんやな。“草薙剣のヤマトタケル”って言えば、みんな逃げて行くみたいな。

 かなりなネームバリューがついた感じや」

「黄門様の印籠みたいやな」

2人は笑った。


 そこに、タケヒコが深刻な顔をしてやって来た。

「あれ。オウスは?」

タケヒコはオウスのそばを離れたことがなかったのだ。もてなしの最中に、タケヒコ1人になっているのは珍しかった。

「ヤマトタケル様はお休みになられました。今、ミヤトヒコがついております」

そう言って、一呼吸おいた。

「ヤマヒコ様。お尋ねしたい事がございます。

 ヤマトタケル様は、どこかお悪いのでございましょう。ヤマヒコ様なら、ご存知のはず」

3人の食事をする手が止まった。

 お互いに顔を見合わせて、気まずそうにしていた。

「正直に言って下さい。ヤマトタケル様の体調が悪いのは、明らかです。

 しかし、皇子様は自ら、それをおっしゃる方ではありません。

 でも、ヤマヒコ様はしょっちゅう、ヤマトタケル様の体調を心配されて、話しかけてくださっていますよね」

(タケヒコも気がついとったか。

 しかも、ミヤみたいに、俺がオウスに惚れてるとか思わんと、ちゃんと、具合をみているんだってわかっとるし。

 やっぱ、年の功ってやつかな)

岳斗は丈琉と美殊の顔をかわるがわるに見つめ、話すべきか、話さないべきか目で問いかけた。

 しかし2人の瞳は宙を泳ぐだけだった。


 はっきりとしない岳斗を見て、タケヒコは一歩前に出てきた。

「わかっております。ヤマトタケル様に口止めされているのでしょう。

 吾は、それを知っても、他言はしません。もちろん、ヤマトタケル様にも。

 吾は、この軍の大将。そして、ヤマトタケル様を大王にするためなら、なんでもすると誓っておる身でございます。

 ですから、お三方がこの時代に生きる人ではないと知っておりましても、何も言わずにおりました。

 あなた方はヤマトタケル様の助けになる、そして皇子様にとって必要な人物であると思っているからです」

3人は同じ表情をして、タケヒコの顔を見た。口は半開き。目は瞬きもせずにまん丸のまま。

 タケヒコはニッと微笑み、さらに続けた。

「そう。お名前も、違うはずです。ミコヒメ様は“みこと”様。ヤマヒコ様は“やまと”様。そしてタケヒ様は“たける”様でございましょう」

3人は一斉に笑い出した。緊張していた体から、一気に力が抜けた。

「負けたわ。やっぱ、タケヒコさんは大将やな」


 岳斗は笑って、タケヒコの肩をポンポンと叩いた。

「オウスはな、心臓が悪い」

「心臓?」

「そや。左胸にある臓器や。全身に血液を送る役目を担っていて、これが止まるって事は、つまり死ぬって事。

 その、心臓が弱ってきている」

「なんと。では、ヤマトタケル様は、まさか、し……」

はっきりと、言えるはずがない。

「いや。だからな、無理をしたらあかんのや。それなのに、オウスはなかなか休もうとせんし、先を急ごうとするし。

 まだ若いから、すぐにどうのこうのってのはないと思うけど。でもな、それやって、わからんことや」

「タケヒコさんの言う事ならきいてくれるかな。オウス君に、無理せんように言って欲しいんやけど」

「ヤマヒコ様でも、それを治す事はできないのですか」

「ここじゃ、無理や。なんもできん。できるのは、無理をしないようにしてもらう事だけや」

「無理をしなければ、治るのですか」

「そやな。今のこの状態からは、良くなるかもしれん。今のままじゃ、悪循環や」

タケヒコは腕組みをして考え込んだ。

 人々の話し声が遠くにしか聞こえないように思えた。4人は沈黙したまま、数分が過ぎた。

 しばらくして、タケヒコは突然に頭を下げた。そして「ありがとうございました」と、タケヒコにしては珍しく静かな声で言うと、その場を去って行った。


 翌日。

 タケヒコの様子は変わりがなかった。いつもと同じ大きな声で、出発の号令をかけた。

 その日のうちに海岸沿いのクニに来ることができた。

「ここが走水か」

オウスもタケヒコもホッとした様子だった。


 ここでも、一行は国造(くにのみやつこ)らの、大げさな出迎えを受けた。

 オウスは高い壇の上の、立派な椅子に腰掛けた。

 そして国造は壇の下で、深々と頭をさげた。声を震わせて歓迎の口上を述べ、今度は地面に額がつくほどに平伏した。

 オウスが口を開いた。

「走水からは、大和への貢物が滞っておるとの事。いかが致した」

オウスの抑えた声が、かえって怒りを表している様で、皆が震え上がった。

「も、申し訳ございません。大和に、ヤマトタケル様に逆らうなど、考えてもおりませぬ。

 どうか、どうか命ばかりは……」

「誰も、殺すなどとは言ってはおらぬ。大和に従い、忠誠を示せばいいだけじゃ」

オウスは穏やかに笑った。その笑みが、さらに恐怖心をあおった。国造は腰を抜かしてしまった。

「もう良い。さがれ。

 皆に、吾が兵士達に、食事をふるまってくれ」

オウスはそう言って壇上から降りた。

 オウスが去ったあと、国造は両腕を抱えられて立ち上がり、引きずられてその場を後にした。

 その後すぐに、食事の準備が整い、一行は移動した。


 きょうだい達はその光景を壇の脇で見ていた。

 美殊は皆が去ったあとも、国造が平伏していた場所をにらんでいた。

「み…」

と、後ろから声をかけられたと同時に、美殊は大きな声をあげた。

「なぁ、タケ! 私、やっぱ、納得できんのやけど。

 オウス君が、まるで鬼みたいな扱われようやんか。

 でもオウス君、優しいし、皇子様なのに偉ぶったところもないし、すっごい良い人なのに。

 なんで、みんなわからんのやろ!」

「それで良いのじゃ」

オウスの声だった。

 美殊は飛び上がって、後ろを振り向いた。さっきまで丈琉達がいたはずの所に、オウスが立っていた。

 美殊は顔だけでなく、耳まで真っ赤になった。

「鬼でも、蛇でも構わぬ。

 吾の名を聞き、戦意を失ってくれれば、余計な戦をしなくて済む。

 その様にミコヒメ様が思ってくださっておられたとは、嬉しいばかりじゃ」

オウスは美殊の肩をポンポンと叩き、その場を去った。美殊達がいつも慰める時にする仕草を、オウスも覚えてしまった。

(私。この気持ち、抑えられんかもしれん。

 オトちゃん、ごめん。どうしよ……)

美殊は胸の前でぎゅっと手を握りしめた。


 丈琉は偶然、その場に戻ってきてしまっていた。その光景を見てしまった。丈琉はポツンと立ち尽くし、唇をキュッとかみしめた。


 翌日、一行は海岸に集まった。

 青空が広がっている。晴天。寒さで凍えそうだが、気持ちが引き締まる。海の向こうの岸も見えている。

 海は静かで、波一つたっていない。


 海岸には船がつけてあった。次に向かう上総(かずさ)には船で渡るという。

 国造は船は4艘準備した。それぞれの船に舵取りと、船漕ぎの人夫もつけてくれた。

 船を見たきょうだいは、「待った!」と、叫んだ。

「船か。船で行くんか」

「はい。上総はこの海の向かい。向こう岸が微かに見えます。歩くよりもずっと速い」

と、タケヒコが満足そうに話した。


「やばいって。船は。

 オウスの妻が船の事故で死んでしまうって、オトヒメの事やろ」

丈琉が3人にだけ聞こえる様に、小さな声で言った。

 3人は丸く輪になって、小声で話し始めた。

「確か、嵐になって、オウスの妻が自分が身代わりになるとか言って、自分から海に飛び込むんや。

 そしたら、海が静かになって、みんなが助かるって話やったと思う」

「そんなん、ありえん。ナンセンスやろ」

「でもな、どういう経緯になるかわからんけど、妻が海で死んでしまうって話は残っとるんや。おとぎ話って言い切るわけにもいかんやろ」

「でも、あんなに準備万端にされて、今更、船はダメですとも言えんやろな」

丈琉は居並ぶ船を眺めた。


「オウス君にだけ、話したら? オウス君は知っとるんやもん。私らが先の事知っているって事」

「そやな。相談してみるか。でも、オウス。今日も具合悪そうや」

丈琉が振り向いてオウスの顔を見た。いつもに増して、顔が青白い様に思えた。

「そやな……」

岳斗は眼鏡のブリッジに指を当てて、目を伏せた。

「ヤマ。どうしたん。他になにか良い方法あるか?」

「……。

 オウスの事を考えたら、船の方が良いのかもしれん。オウス。歩くだけでもしんどいはずや。

 対岸に行くなら、船の方が速いし、何より歩かんで済む。船も体力使うやろけど、歩くよかましやと思う。

 ここ多分、東京湾やろ。歩いて向こうに行くとなると、神奈川から東京すぎて、千葉までや。結構、距離あるで」

「なんか、オウスの命とるか、オトヒメの命とるかみたいな話になるな」

結論は出ない様に思えた。


「なぁ、私らでオトちゃん守れば良いんやろ。

 人が飛び込んだからって、海が静まるわけないし。絶対に飛び込まんように、しっかりと言い聞かせておけばいいんと違うか。

 それに昔話って、話半分なとこあるやんか。尾張(おわり)の女がオウス君の妻になる様な話やったけど、全然違ったやんか。あれ見たとき、話違うなぁって、思ったん」

美殊の意見を聞いて岳斗は小さく何度もうなずいた。中指で眼鏡の位置を直した。

「確かに、歩く方を選択すればのはオウスの病状は悪化するやろ。これは、確実に起こりうる未来や。

 オトヒメの話は、まだ不確定な未来の可能性と考えられるよな」

「わかった。俺らが絶対に、オトヒメの事を守ろう。船旅選んだ責任として」

丈琉は力強くうなずいた。

 岳斗は空を見上げた。

「なんか、大丈夫と思うけどな。こんなに天気いいし。嵐すら起きんかもしれん。第一、ここ湾やろ。そんなに海が荒れるとは思えん」

「よし。みんな頑張ろうな」

3人でグータッチをした。


岳斗は隣の船に乗り込もうとしているタケヒコの姿を見つけた。タケヒコも岳斗の姿に気が付き、笑って会釈をしてきた。

(もしかして、タケヒコさん。オウスの事、考えて船の準備をしたんかもしれんな)


 いざ船に乗り込もうとした時、舟漕ぎのヒソヒソ声が聞こえてきた。

「女が船に乗るのか。不吉な。船が沈んだらどうする」

その声はオトタチバナヒメにも聞こえた。ヒメは下を向き、立ち止まってしまった。

「女が船に乗るのが、なんで不吉なん? 船が沈むのとなんの関係もないやろ。全くの言いがかりや」

美殊の大きな声を聞いて、オウスが歩み寄ってきた。

「女は乗れないのか」

「い、いえ! わしは何も言っていません」

舟漕ぎは慌ててその場から逃げて行った。

「ヒメ。気にする事はない。早く船に乗ろう」

オウスに言われ、オトタチバナヒメは小さくうなずいた。それでも、下を向いたまま、ゆっくりと船に乗り込んだ。


「オトちゃん。気にする事、ないんだからね。

 私のいた所じゃ、女だって普通に船に乗っていたし、だからって船が沈むとかなかったし」

オトタチバナヒメはコクっとうなずくだけだった。

「オトちゃん。この前の事、まだ気にしとるん?

 オウス君はオトちゃんの事、邪魔とか思っとらんやろ。もう、気にするのやめようよ。ねっ」

オトタチバナヒメは「はい」と、小さく言った。

「それよりな、オトちゃん。大事な話があるん。

 えっとな、船旅って、絶対に安心ってわけじゃないよね。だから、何が起きるかわからんけど、オトちゃん、船から降りようとかしないでね」

美殊はどう言っていいか、悩みながら話した。

(ストレートに言ってしまっていいのかな。海に飛び込まないでねとか。でもなぁ。急にそんな事言うのも、なんだかなぁって感じやし。

 岳斗の方が説明上手なんやから、岳斗が説明してくれればいいのに)

「はい……」

オトタチバナヒメは首を傾げていた。

「とにかく。船に乗っている間は、私らから離れないでね。もちろんオウス君でもいいけど」


 船の全長は10メートル以上はありそうだった。前と後ろが大きく高くせり上がっている。真ん中で櫂を漕ぐ様になっている。

 皆で船に乗り込んだ。

「思ったより、でかいんやな。湖の手漕ぎボートみたいなのやったらどうしようかと思ってた」

「そやけど。なんか心配やな。何しろ、昔の技術なわけやろ」

丈琉は不安そうに船のあちこちを見て回った。

「大丈夫やろ。島国日本の民族が作った船やし。安定感あるやんか。海もこんなに穏やかや」

岳斗は船べりから水面を眺めた。


 船はオウスの合図で静かに出港した。

 きょうだい3人とオウス、オトタチバナヒメは同じ船に乗り込んだ。

 海は穏やかで、航海は順調に進んだ。陽が波を反射させ、海が七色に輝く。

「すっごい綺麗な海や。これって東京湾なんやろ。信じられんわ。

 こんなに透き通ってて、海底が見えそうや。あっ。ほらほら、魚が見えるって」

美殊はすっかりはしゃいで、丈琉の肩をバシバシと叩いた。その丈琉は青い顔をして、その場に崩れ落ちた。

「大丈夫か? もしかして、船酔いか?」

丈琉は黙ってうなずいた。

「やだ。こんなトコで吐かんでよ。エチケット袋の代わりになる様なのってある? 私、ビニール袋とか、みんな使っちゃったからなぁ」

「いざとなったら、海に吐くしかないな」

岳斗は海を指さした。丈琉は這って船べりに移動し、船板に寄りかかった。

「なぁ。酔い止めの薬あげよっか。オウス君達と7年旅してきた薬。つまりは7年前の薬なんやけどな」

美殊がリュックをおろそうとした。

「いや。7年前はやばいやろ。やめといた方がいい」

岳斗はストップをかけた。

「リップとかシャンプーは問題ないけどな」

「まず外用と内服じゃ、危険度は違うやろ。ってか、そのリップも実はやばいと違うんか?」

「神経質やな。問題ないって」

美殊と岳斗は言い合っている脇で、「その薬は飲みたくない」と、丈琉が小さな声でささやいた。


 丈琉は脂汗をかいている額に、風を敏感に感じた。眉にしわを寄せながら、片目だけを開けた。

 目の前の美殊が目に入った。美殊の長い髪がふわっと、風にたなびいた。

 船は、穏やかに走っている。


「いやぁ。船とは爽快な物ですな。ミコヒメ様。一緒に水面を眺めませんか。そして、愛の語らいなど」

そう言いながら、タケイナダネは美殊の肩を抱いてきた。以前は悲鳴をあげて逃げていた美殊だが、最近はかわす術を会得していた。

 今回もスルッとその手から逃げ、スタスタと歩いてタケイナダネから離れた。

 タケイナダネは諦めなかった。「ミコヒメ様」と言って、追いかけてくる。

「軽い男は嫌いなんやって」

美殊は邪険に言い放った。

「なんと。吾は軽くなどないです。ミコヒメ樣よりずっと重い。

 ほら、ミコヒメ樣などは。軽く持ち上げられます」

と言って、美殊を抱きかかえた。

「アホか。体重の事やないって」

美殊はタケイナダネの鼻を、平手で思い切り叩いた。タケイナダネは思わず手をほどいた。美殊はその手から逃れた。

 タケイナダネは鼻を押さえて、その場にうずくまった。涙目になっている。

「そんなに痛かったかな。でも、自分が悪いんやからね。

 はー。山賊と戦って、剣を振るっていた時はカッコよく見えたんやけどな。黙っていればいいのかもしれん」

美殊はそう言い捨てて、船尾に向かった。

 周りからは笑いが起きている。のどかな時間が過ぎた。


 丈琉の感じた風は、徐々に強くなってきた。服がはためく様になっていた。船の揺れも大きくなった。

 空には灰色の雲が次々に湧いてきた。

「波が大きくなっている。もしかすると、嵐になるかもしれんぞ」

船の舵取りが空を見上げながら言った。船内がざわめいてきた。

 雲が勢いよく流れていく。黒い雲が追いかけてきた。

「みぃ。オトヒメ。こっちに来い」

岳斗が叫んだ。美殊はオトタチバナヒメの手を掴み、岳斗の元に向かった。そして3人は船べりにしがみついている、丈琉の元に集まった。

「オトちゃん。いい? 私から離れたらダメだからね」

そう言って、美殊はしっかりとオトタチバナヒメの手を握った。


 急に風が強くなった。船が激しく揺れ始めた。丈琉は口を押さえたが、出てくるものはなかった。

風は一層激しくなり、空は一面、黒い雲に覆われた。

雷鳴が轟いた。ゴロゴロと、途切れなく鳴っている。突然、雷光が瞬いた。そして、ドン! と激しい音を響かせた。

その直後、大粒の雨が降り出した。

風で体が吹き飛ばされそうになる。高波が白波をたてて襲ってくる。


「オウス! こっち来い。船にしがみつけ!」

丈琉は声の限りに叫んだ。船尾にいたオウスは這って真ん中までやってきた。そして、真っ先にオトタチバナヒメを抱きしめた。

5人は団子状態になり、船板にしがみついた。揺れ動く船の中で、おしくらまんじゅうをしている状態だった。


「やはり、女である私が船に乗ったのが、悪かったのでしょう」

オトタチバナヒメのささやきが聞こえた。

「ほら、出た!」

美殊は聞き逃さなかった。

「そういうの、なしって言ったやろ。そんな事、言ったら、私だって女や」

「でも、ミコヒメ様と違って、私は役立たずですし。

この身を龍神様に捧げるしか、役割りはありません。それで、嵐がおさまるなら」

「そんなんで、嵐はおさまらん!」

3人は一緒に叫んだ。丈琉と岳斗にも聞こえていたらしい。

それでもオトタチバナヒメはひかなかった。船板につかまって立ち上がろうとした。

「何をしている!」

オウスと美殊同時にがオトタチバナヒメの服を引っ張った。オトタチバナヒメは後ろにひっくり返った。

 勢いづいて一緒に倒れた美殊。その時に、自分の手が青く光っている事に気がついた。

「えっ? やだ」

そして、美殊は頭の中に浮かんだ予感に、思わず声を出してしまった。


 美殊が考える時間もなく、次の瞬間、船は大波に乗り上げた。船の前方が高く持ち上がり、船が海に対して垂直近くまでせり上がった。船内の人や物品、全てが船尾に落ちて行く。ひと塊りになった5人も、転げ落ちた。

 丈琉と美殊と岳斗の体が触れ合った一瞬の間に、丈琉と岳斗の手も光った。3色の光が合わさり、白い光が生成された。

 それと同時に、船は横からも波を受けた。激しい揺れで、ひと塊りだった5人は、あっという間に2つに分解された。

 そして白い光も、2本に分かれて、天に向かって伸びた。


 ザザァ、ザザァ。

 心地よい音が聞こえてきた。

(なんの音やろ)

美殊は考えた。海に数回しか行った事のない美殊が、波の音である事に思い当たるまで、しばらく時間がかかった。

 水が繰り返し、体にかかってくる事にも気がついた。

(ああ、波がかかるんか。そっか、ここ、海か。どうりで寒いわけや)

と思った時、ようやく、ついさっきまで嵐の中にいた事を思い出した。

 ぱちっと目を開けた。真っ青な空が目に入った。白い雲がポツンポツンと浮かんでいる。

(助かったんか)

仰向けに倒れていた事も、ようやく理解できた。背中のリュックを敷いていて、背中が痛かった。ふと、傍に人の気配を感じた。ゆっくりと顔だけを右側に向けた。

「オウス君!」

すぐ隣にはオウスの顔があった。頬が触れ合うほどの至近距離。オウスの腕に抱かれて、横たわっていたのだ。

 それに気がついた時、美殊は頭の上から、足の先まで真っ赤になってしまった。そして息が止まったまま全身硬直してしまった。

 

 波は穏やかで、静かに砂浜に打ち寄せていた。海面は太陽の光を反射させて、キラキラと光っていた。しかし冬の海である。水は冷たく体が凍りつきそうだった。しかし美殊は動けなかった。

 オウスの顔をこれほどの至近距離で見た事はなかった。寒さも忘れて、オウスの顔に釘付けになってしまった。

「んっ?」

オウスは小さな声をあげ、顔を歪めた。そしてゆっくりと眩しそうにして目を開けた。

「ミコヒメ様……」

オウスの声が耳元で聞こえてきた。美殊は「ひゃっ」と、変な声が出てしまった。それと同時に、跳ね上が流ようにして起き上がった。心臓がバクバクと音を立て激しく鼓動し、全身が脈打っていると思った。


 オウスはゆっくりと体を起こし、美殊の隣に座った。そして不思議そうにあたりをキョロキョロと見渡した。

「ミコヒメ様。ここは、一体……。

 嵐は治ったのか。いつの間に吾らは海岸にきたのじゃ。

 オトタチバナヒメは? いや、皆どこに行ったのじゃ」

オウスは大急ぎで立ち上がった。もう一度周囲を見渡した。しかし、見た事のない景色に、戸惑うだけだった。

「吾ら。2人だけか」

オウスは声を絞り出して言った。

 オウスはペタンと座ったままの美殊の腕をつかんで、立ち上がるのを手伝った。2人は冷たい海から上がった。

 美殊は全身びしょ濡れで、服が体にピタッと張り付いている事に気がついた。ボディラインが露わになっていた。慌てて手で胸のあたりを隠した。


「ミコヒメ様!」

オウスの大きな声に美殊はビクッと反応した。

「向こうに、煙が見える。船もじゃ」

オウスは海岸の対岸を指差した。

「ホントや」

美殊は恥ずかしがっていた事も忘れ、オウスに駆け寄ろうとした。しかし、濡れた服の裾が足に絡みついて、その場に転んでしまった。

「ミコヒメ様。失礼します」

オウスはそう言って、美殊を軽々と抱き上げた。美殊、人生初のお姫様抱っこ。頭の中は真っ白で何も考えられない。体を棒のように硬くして抱かれるがままになった。

 水に濡れて冷えていた体が、瞬時にほてった。顔からは汗が出てきた。

 オウスはそんな美殊の変化に気づく事なく、そのまま走り出した。

 オウスの息の音が耳元に聞こえる。すぐ前にオウスの横顔。丈琉と岳斗以外の男性にこんなに近づいた事はない。美殊は目が開けられなかった。


 しばらくして、美殊はオウスの呼吸音が変わった事に気がついた。ヒューヒューという音が聞こえ、オウスの息遣いが荒くなってきた。美殊はパッと目を開いた。オウスの顔が、苦痛に歪んでいる。

「オウス君。私、歩けるから。ねぇ。おろして」

美殊の言葉が聞こえないのか、オウスは返事もしなかった。「ねぇ」と、声をかけたが、オウスはただひたすらに走り続けた。美殊は視線を下に向けるしかなかった。

「おーい」

突然、オウスが立ち止まり、叫んだ。美殊は目を開いた。ずっと向こうだが、人影が確認できたのだ。

 その時、オウスは美殊をおろした。そして突然、胸をおさえて膝をついた。大きく肩を上下させ、急に激しく咳き込んだ。手を地面について、倒れこみそうになった。

「大丈夫か。だから私、おりるって言ったのに」

美殊は泣きそうになりながら、オウスの背中をさすった。


 オウスが叫んだ声はかすれており、向こうには聞こえていない。こちらに気づいた様子もない。

「おーーい。こっち、こっち」

美殊が代わりに叫んだ。

美殊の透る声は届いたらしい。向こうから走ってくる人が見えた。タケヒコとミヤトヒコだ。

「ヤマトタケル様!」

タケヒコの大きな声がはっきりと聞こえた。オウスは膝に手を当て、立ち上がろうとした。しかし顔をあげるのが精一杯だった。

 ミヤトヒコの方が足が速かった。いち早くオウスの元にたどり着き、かがんでいるオウスにの前に平伏した。

「ヤマトタケル様。よかった。生きておられて」

ミヤトヒコは涙を流していた。遅れて駆けつけたタケヒコはすでに泣いていた。そしていきなりオウスに抱きついた。

 ミヤトヒコは美殊に近寄り、「ご無事で何よりでした」と言って、微笑んだ。


「お、オトタチバナヒメも、向こうに、おるのか」

オウスは息を切らしながら問いかけた。

「いえ。

 ……。ヤ、ヤマトタケル様。大丈夫ですか。顔が真っ青です。苦しいのではないですか」

「吾の事など、どうでもよい! オトタチバナヒメはどこにおる?」

オウスに睨まれ、タケヒコは1度、ミヤトヒコと目を合わせた。が、すぐに頭を下げて話し始めた。

「オトタチバナヒメ様は、吾らの所にはおりません。吾らは皆様がご一緒だと思っておりました」

「皆様って。タケとヤマも入っているの?」

美殊が心配そうに尋ねた。

「はい。ヤマトタケル様とミコヒメ様。それにオトタチバナヒメ様とタケヒ様、ヤマヒコ様の姿だけが見えず、皆、必死で探しておりました。

 てっきり、5人御一緒に、どこかにおられるものと思っておりました」

「じゃ、タケもヤマもオトちゃんも、行方不明って事?」

美殊は両手を重ねて口に押し付けた。目を見開いて、しばらく瞬きもせずに、一点を見つめ続けた。

「なんと。オトタチバナヒメ……」

オウスは胸を押さえ、がっくりとしたを向いた。

「それと、オウス様」

タケヒコが顔を曇らせて、言いにくそうに話し出した。

「あの。タケイナダネ様が、お亡くなりにまりました」

オウスは息を飲んで、その場に崩れ落ちた。


 オウスは歩くのが困難なほど疲弊していた。ミヤトヒコに支えられながらゆっくりと歩き、皆が待つ砂浜に向かった。

 タケイナダネは砂浜に横たわり、布がかけられていた。同じように布をかけられた遺体が3体、並んでいた。

「ヤマヒコ様がおられたら、助けていただけたのかもしれません」

ミヤトヒコが悔しそうにうなった。

 タケイナダネを覆っていた布が外された。日焼けをしていたタケイナダネが、蝋人形のように真っ白になっていた。美殊は思わず目を逸らしてしまった。

(さっきまで、私の事をからかっていたのに)

顔を覆っていた両手の指の間から、嗚咽がもれた。


 唇を噛み締め、震えていたオウスの元に、白髪の男が駆け寄ってきた。

「上総の国造、カジクルムでございます。

 英雄、ヤマトタケル様をこの地にお迎えしまして、我ら、感激でございます」

カジクルムは頭を深々と下げた。

「オウス様。この者は、吾らの危機を察知し、いち早く駆けつけてくれました。

 海岸に流れ着いた者の手当、そして行方不明者の捜索もしております。タケイナダネ様も発見してくれたのです」

タケヒコに説明を受け、オウスはあたりを見渡した。

 漁師と思われる土地の者が海岸を歩き回っている。行方不明者を捜索してくれているようだ。海岸の数カ所には大きな焚き火が数個たいてあり、オウス軍の一行が温まっていた。

 そして土地の女は暖かい汁物を準備してくれ、皆に振る舞ってくれていた。

「世話をかけた。そして数々の手配、本当に感謝いたす」

オウスはカジクルムに頭をさげた。

カジクルムは皇子に頭をさげられ、困惑した。国造に頭さげる皇族など、聞いたことはなかった。

「とんでもございません。

お役に立てて何よりでございます」

さらに深々と頭をさげた。


「しかし、吾の大切な人がまだ行方知れず。引き続き捜索をお願いしたい。

吾とミコヒメ様は向こうの浜に流れついていたのだ」

オウスは今までいた砂浜の方を指差した。

「向こうの浜の捜索はどうなっている?」

「ヤマトタケル様は東の浜に流れ着いたのでございますか。しかし、それは不思議な話でございます。

この海の潮流ですと、この浜に流れ着くはず。この通り、船の残骸などはすべてここに流れ着いております」

この土地に先祖より住み続け、海と共に生きてきた者の言葉である。


「ヤマトタケル様は龍を従えし、勇者。何か不思議な力が働いたとも、考えられます。

我は龍の姿を始めて目にしました。真っ白な2匹の龍でございました。まっすぐに天に昇り、あっという間にそのお姿は見えなくなりました。

海でその龍を見た時、我は、はたと思い出しました。龍を従えるヤマトタケル様の事を。

それで、我はヤマトタケル様がこの地においでなのではないかと思いました。それで、慌てて駆けつけた次第でございます」

「龍?」

オウスが繰り返した。

「はい、それは吾も見ました」

タケヒコが大きな声で同調した。

「ヤマトタケル様の乗った船が転覆する直前です。船から2匹の白く輝く龍が現れ、天に昇って行きました。

 のう。ミヤトヒコ」

「はい。吾も確かに見ました」

ミヤトヒコは大きくうなずいた。

 オウスは顎に手を当て、黙りこくった。


 カジクルムは何も言わなくなったオウスの顔をのぞき込んだ。

 オウスとカジカルムの様子を見ていたタケヒコが、カジクルムに声をかけた。

「では、引き続き捜索を頼む。ヒメ様と、体格の良い男、2人じゃ」

「ははっ」

カジクルムはひれ伏し、勢いよくその場から駆け出した。


 オウスと美殊は焚き火の前に座った。美殊は服とリュックとその中身も乾かした。

(スマホは防水やから大丈夫と思うけど。もう充電もないし、確かめることもできん。

 電話が通じればなぁ。丈琉も岳斗も無事かどうかわかるのに。電話って、便利なアイテムなんやな)

美殊は中身を確かめながら、元いた世界に想いをはせた。

 そこへミヤトヒコがナナツカハギ特製のお粥を持ってきてくれた。温かいお粥を一口、口にすると体の芯から温まった。気持ちも少し落ち着いてきた。


 美殊はおかゆを食べ終え、チラッとオウスを見た。表情は暗く、思い悩んでいるようだった。

 美殊はオウスにそっと近づき、小さな声で話しかけた。

「オウス君。私な、船の上で、手が青く光ったん。船が沈んでしまう、ちょっと前に。

 そん時、一瞬なんやけど、タケとヤマと離れてしまう。私、1人になってしまうって思ったん。青く光っている時の話やから、未来を予知したと思うんや。

 それは2人が死んでしまうって感じやなくって、離れてしまうって感じ。だからな、2人はきっと生きているって思う。

 だから、もしかしてオトちゃんも丈琉たちと一緒にいるんじゃないかって思ったんや。ううん、きっと一緒や」

伏せていたオウスの目が、美殊の瞳と合った。美殊はまた真っ赤になった。

「ミコヒメ様の予言は必ず当たる。お二人はきっと生きている。そしてヒメも」

オウスはニコッと笑った。美殊も慌てながらも、努めて明るい顔で微笑んだ。


 その後でオウスは顎に手を当てた。オウスが考え事をするときにする仕草である。

 しばらくの間黙り込んでいたオウスだったが、おもむろに顔をあげミヤトヒコを呼んだ。ミヤトヒコはすっとオウスの前に来て、片膝をついて頭を下げた。オウスは考えを確認しながら、ゆっくりとは話し出した。

「今回のことには、おかしなことがいくつもある。

 まずはいつの間に嵐はおさまったのかということじゃ。吾らは嵐の中にいたはずなのに、あっという間に嵐はおさまり、晴れ上がっていた。

 そして吾とミコヒメ様は流れ着くはずのない浜にたどり着いていた。

 さらには、吾らは海に投げ出されて、気がついたら砂浜の海の浅瀬に倒れていたのじゃ。しかし海の中にいたのはそれほど長い時間ではないと思う。吾らの体は、それほど冷え切っていなかったのがその理由じゃ。

 吾は気がついて、すぐにここに駆けつけた。しかしここでは上総の者たちが集まり、捜索が進み、火がたかれ、食事もすっかりできあがっている。この海岸では向こうの浜より時が進んでいるように思えてならない。

 ミヤトヒコよ。お前たちは嵐の後、どのようにしてここまで来たのだ?」


 ミヤトヒコはオウスの掲げた疑問について、ゆっくりと答えた。

「嵐がおさまったのは、オウス様の船が沈んで、まもなくです。徐々に風がおさまり、雷も遠のいて行きました。

 波も穏やかになり、船を漕ぎながら上総に到着しました。

 吾らがここに上陸してから、おそらく1刻(2時間)ほどの時間が経っていると思われます」

「1刻。吾とミコヒメ様は海の中に倒れていたのだ。1刻もの間、冬の海に入っていれば、凍え死んでいるであろう」

その推測に、3人がうなずいた。


「そして、白い2匹の龍。これには思い当たる節がある」

オウスは美殊の手を取った。美殊の心臓は破裂寸前であるが、そんな事はお構いなしだった。

「もしかすると、船から現れた白い龍というのは、ミコヒメ様たち、お三方の光だったのではないでしょうか? 転覆する前にミコヒメ様の手が青く光っていたというのであれば、なおのこと」

美殊の手は今は光っていないが、オウスは美殊の手をしかとみつめていた。

「そ、そうかもしれん」

美殊は手を握られていることから、意識が離れた。オウスの言葉を噛みしめながら考えた。

「うん。私らの3色の光が合わさると、白い光ができるのよね。私は見たことないけど。

 そうだ、ミヤ君。ミヤ君もその白い龍っての見たのよね」

「はい」

「それって、私らが初めて出会った時と同じじゃない?

 ほら、アワキハラでオウス君がみそぎをしていた時、白い光と一緒に私らが現れたって言ったよね」

ミヤトヒコは何度も頭を縦に振った。

「はい。はい。そうです。同じ光かもしれません。

 ただみそぎ池で見た光は1本の太い光の柱です。今回は2本の光の柱がありました」

「ってことは。これ、推測なんやけど……」

美殊は意識していなかったが、オウスから手をは離し、手を口に当てて考え込んだ。


「……。 もしかしたら、1本だった光が、2本に分かれたのかもしれない。

 タケが言ってたけど、私らの青と緑と赤い光が合わさると、白い光になって、時空を超える力となる。みたいな事、スサノオが言ってたんでしょ。

 つまり、白い光が出たって事は、私らはまた移動したんやと思う。

 そう考えれば、私らが突拍子もない場所ににいたり、知らないうちに時間が経っていたのも説明がつくはずや。

 で、それが2本になったってことは、2組に分かれちゃったんや。

 私とオウス君。そしてヤマとタケとオトちゃん。オウス君だって、私と一緒に移動したんやから、オトちゃんもタケたちと、どこかに行ってしまったって。そう考える事ができると思わん?」

「うむ。確かに」

オウスは手を顎に当て、うなった。

「では、オトタチバナヒメはどこに行ってしまったのか。

 時をも移動してしまったというのなら、いつの時に」

「そや。時空を移動したってわかっても、どこに行ってしまったのか。全然、予想もつかない」

美殊は急に絶望的な気持ちに陥った

(まさか。2人だけ、元の世界に戻ってしまったとか。私、1人、この世界に取り残されたとか……)


「よし。伊勢に行く」

オウスが突然言い出した。美殊とミヤトヒコは目を合わせてしまった。

「オウス君。なんで、突然」

「吾らは人の力を超えた、神の力に導かれたのだ。

 オトタチバナヒメたちはきっと、安全な場所に移動したはずじゃ。伊勢は神の力がもっとも強い所である。そこで吾を待っていてくれるはず。

 いや、たとえ、ヒメ達がそこにいなくても、伊勢にはアマテラスオオミカミ様の御杖代(みつえしろ)である、ヤマトヒメ様がおられる。

ヤマトヒメ様がきっと吾を導いてくれる」

オウスはすくっと立ち上がりタケヒコの元に向かった。

 美殊も今のこの状況では、不思議な強い力を持つヤマトヒメに助けを求めるのが一番良いと思えた。


その夜、上総のクニでは宴が催された。

オウスはカジクルムに最上級の礼を述べ、感謝と賛辞を送った。

その席でオウスは蝦夷の統制と監視役は、このカジクルムに任命すると伝えた。カジクルムは突然の昇進に戸惑った。しかしその任務を引き受けると、オウスに伝えた。

 そしてこれから伊勢に戻ると発表した。

 オウスの兵士たちは、突然の進路変更に驚いた。しかし故郷の纒向に近づくことができるのだ。反論する者はいなかった。

 死者の出た旅であり、宴は質素に進んだが、皆の気持ちは少し浮かれていた。


 宴も終わり、皆が眠るための屋敷に案内された。

 美殊には美殊一人のための家が準備された。小屋のような小さな物であったが、中は暖かく快適に過ごせた。しかし美殊は寝付くことができず、外に出てきた。

 満月と満天の星。月明かりと星明かりで景色を見ることができた。

 しかし鳥目の美殊には、ほとんど見えていない。家の壁に寄りかかって座ってみた。

 正面から漂ってくる潮の香りと、聞こえてくる波の音。正面に海があるのだろうと、美殊は思っていた。

“ざっざっ”と、砂浜を歩く音に気がついた。

「ミコヒメ様も眠れませんか」

オウスの声だった。

「お、オウス君か?」

美殊は目を細めて。声の方向を見た。

「はい。ミコヒメ様も眠れませんか」

オウスの低く響く、穏やかな声に心臓がバクバクとしてきた。

「うん。オウス君もか」

「もう少し、海の見える所に行きましょう」

オウスが差し出した手が、美殊の目の前に見えた。美殊は手をとり、立ち上がった。

 2人は寄り添うようにして歩いた。


 オウスは急に立ち止まった。砂浜を右から左に見渡した。海岸には船の残骸が流れついたままになっている。ゴミで埋め尽くされていた。

 オウスは美殊の手を離した。

「座りますか」

そう言って、オウスは美殊の背中を抱えて、2人で砂に腰掛けた。

 波の音が静かに響く、夜の海。

(少女まんがやったら、最高のシチュエーションかもしれんな)

そう考えたものの、亡くなったタケイナダネの事。1人、古代の世界に取り残されてしまっている不安。好きな人が、妻を思って悲しんでいる事。浮かれる要因は一つもなかった。


「櫛が見つかりました」

オウスは手に握られた木の櫛を美殊に見せた。

「吾が、ヒメに差し上げた物です。吾が髪につけてあげると、ヒメは嬉しそうに笑っていました」

オウスは櫛をしっかりと手に握った。

 美殊にオウスの顔ははっきりと見えなかったが、オウスが泣いているのではないかと思った。


 しばらく、2人は黙って海の音を聞いていた。

 オウスが突然に、咳き込んだ。苦しそうな息遣いも聞こえた。

「オウス君。ここ、寒いからさ、家に戻ろ。風邪ひくと悪いし」

美殊がオウスの肩を叩いた。

 オウスと美殊はゆっくりと立ち上がり、歩き始めた。オウスが先を行く。

 美殊はぼんやりとしか見えないオウスの背中を、瞬きもせずに見つめた。思わず、その背中に手を伸ばし、服をつかんでしまった。

 オウスは立ち止まり、美殊の顔をのぞき込んだ。美殊は意思に反してとってしまった行動に、困惑した。慌ててつかんだ服を離し「ごめん」と、小さな声で謝った。


「どうされました」

オウスの優しい声。美殊は下を向き、泣き出してしまった。

「ごめん。怖くて。寂しくて。不安で。1人ではおれんかったんや」

 オウスは美殊の背中をポンポンと叩いてくれた。家族の愛とは違う、温かさがあった。美殊の涙はとめどなく流れた。どんどん激しくなる嗚咽に、美殊自身、どうしていいかわからなくなった。

「では、吾と共に来ますか」

オウスは美殊の頭を抱きかかえた。

 美殊は涙を流したまま、オウスの顔を見上げた。オウスのまっすぐな澄んだ瞳が見えた。

「ご、ごめん。今の、なし。なしや」

美殊は服の袖で必死に涙を拭った。

「大丈夫。1人でも、大丈夫やから」

美殊は見えない砂浜を駆け出そうとした。しかし腕をオウスにしっかりとつかまれた。腕を引き寄せられ、2人は向かい合った。やはり、美殊にはオウスの瞳しか見えなかった。

「ミコヒメ様だけに申し上げます。

 吾も本当は、胸が苦しい。1人が辛いのです。

 どうか、吾と一緒に、共にいてください」

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