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倭の国 まほろばツアー  作者: 葉月みこと
12/18

霊峰富士山に、旅の無事を祈ったのだが

美殊(みこと)に俺の気持ち、ばれとらんよな)

とうとう、自分の気持ちが抑えられず、美殊を抱きしめてしまった丈琉(たける)。激しい後悔に苛まれた。

 今はまだ、誰にも会いたくない気分だった。


 しかし不意に背後に気配を感じた。丈琉はとっさに振り返った。

国造(くにのみやつこ)の息子、マシビとその他数人が、哀れな姿でヨタヨタと歩いていた。焼け焦げた衣服と、焦げて縮れた髪。ススの付いた顔。炎の側にいた丈琉よりも、酷い格好だった。

 丈琉に気が付くと、マシビは怯えた声をあげ、5歩さがってひれ伏した。

「申し訳ありませんでした!

もう、致しません。どうか、焼かないで下さい!」

丈琉とオウスが炎を出したところを、見ていたのだろう。皆、震えながら、頭を地面につけて謝った。

「焼いたりせんから。頭、上げろや」

騙され、殺されそうになった恨みはある。しかしその後に、数々の衝撃的な経験をしたためか、怒る気力が失せていた。

 それでも多少ガラが悪くなっていた。


 丈琉はマシビをタケヒコの元に連れて行った。

 タケヒコも一瞥をくれただけで、何も言わなかった。

 あれだけの火に襲われたにもかかわらず、オウスの兵士達の火傷は軽かった。逆に、駿河(するが)の者達は酷い火傷や怪我を負っていた。

 オウスも火傷自体は軽症であった。意識も徐々にはっきりとしてきた。しかしまだ動かない方が良いと、岳斗が進言した。

 丈夫な木の枝を2本、探し出してきた。その枝に焼けていない袴を数枚渡して、即席の担架を作った。

 岳斗は担架に横たわるオウスのそばに、ずっと付いていた。そして、何回もオウスの手首に触れた。


 駿河に帰り、マシビはシビに何が起きたか、全てを話して聞かせた。

 巨大な火柱は、駿河からもはっきりと見えていた。その炎が“ヤマトタケル”の剣から発生したのだと知ると、シビは恐怖におののいた。そして、息子の哀れな姿から、命があるだけ良かったのだと思った。


 シビは下手な芝居はやめた。ただ、ひたすら謝り、大和(やまと)の要求を全て飲んだ。

 そして、オウスの体調が戻るまで、オウスの兵士、丈琉達も含め、全ての人の怪我が癒えるまで、手厚くもてなす事を誓った。


 怒涛の1日が終わる。

 丈琉は砂浜で体育座りをして、海を眺めていた。何を見るわけでもなく、ただ、はるか遠くの水平線に視線が向いているだけ。

 空は徐々に茜色に侵食されていく。海は凪。静かな波音をたてている。

「タケ。ここにおったんか」

岳斗の声。丈琉は死んだような目をして振り返った。岳斗と美殊がこっちに向かっって歩いてきていた。

「火傷、手当せんでいいんか」

「大丈夫や。そんなひどい火傷やないし。さっき、冷たい水で冷やしといた」

「そっか。それで十分や。ってか、そんくらいしかする事ないもんな」

岳斗は笑った。美殊を真ん中にして、2人も砂浜に腰をおろした。海に向かって、リュックを背負った背中が、横一列に並んだ。


「オウスは?」

丈琉が元気のない声で尋ねた。

「落ち着いとる。火傷はそんなにひどくないし、それこそ、冷やしておけば大丈夫なくらいや。気道熱傷もないみたいやし。

 そう、不思議なんやけどな。大和の人たちはみんな軽傷なんや。それに比べて、離れたトコにおった駿河のモンの方が、ひどい火傷なんや。

 オウスたちには、神様のご加護があるのかもしれん」

「じゃ、オウス君も、じきに元気になるな。今は、なんか、ぐったりしとるけど」

美殊の言葉に、丈琉と岳斗の間に微妙な空気が流れた。

「えっ?」

美殊は弟たちの反応が、何か不自然に思えた。


 丈琉は美殊の口から“オウス”という名前が発せられただけで、胸が苦しくなった。

「なんでもない」

とつぶやいて、頭を掻きながら、また海を見つめた。

“1500年以上昔の人間好きなる姉かよ”

岳斗の言葉が頭の中にリピートされる。


 岳斗はオウスがすぐに元気になるだろうと、楽観的に考えている美殊に、どう説明したらいいかを考えた。

 岳斗は眼鏡のブリッジに指を当て、少しの間考え、ゆっくりと話し始めた。

「……。 あのな、オウスなんやけど。不整脈なんや」

「ふせいみゃく?」

丈琉と美殊の声がそろった。

「ああ。脈が規則正しく打っていないってことや。全くバラバラでな。もしかしたら、心房細動(しんぼうさいどう)なんかもしれん」

「しんぼうさいどう?」

また、2人同時。

「不整脈の一つや。前からなのか、1回心臓が止まったのがきっかけで、そうなってしまったのかはわからんのやけど」

「それって、ほっといても大丈夫なんか」

美殊の問いかけに、岳斗は何回か首を左右に振った。

「いや。ほっとくと、脳梗塞(のうこうそく)とか心不全になる可能性が高いんや」

「脳梗塞って。おじいちゃんがなった病気よね。おじいちゃんみたく、寝たきりになっちゃうの?」」


 若林病院の創設者である、3人の祖父は、3年前に脳梗塞を発症していた。今は、特別養護老人ホームに入所している。右の手足は完全に麻痺し、関節は曲がったまま固まってしまっている。喋る事もできず、食事を食べる事もできない。お腹に穴を開けて、胃に直接チューブを入れてある。そこから栄養剤を流し入れて、栄養を補給している。

 面会に行っても、孫のことも理解できないようであった。


「じいさんのは動脈硬化(どうみゃくこうか)からくる梗塞やったけどな。

 心房細動になると、心臓の中に血栓(けっせん)ができやすくなるんや。つまり血の塊な。それが血液の流れに乗って、脳まで飛んでしまうと、脳梗塞になってしまうんや。

 ただな、必ずって訳やない。そうなる可能性が高いってことや。

 それに、心電図とったわけやないから、心房細動って決まったわけやないけどな」

「じゃ、心不全って? 心臓が動かなくなっちゃうとか?」

「いや。心不全はな、簡単に言えば心臓が弱ってしまうって事や。無理をしなければ大丈夫なんやけど、この旅で無理しないって訳にはいかんやろ。

 それに、オウス、すごい頻脈(ひんみゃく)なんや。……、ああ、脈が速いって事な。今、1分間に120回超えとるんや。そんな状態が続けば、心不全になってしまうやろ」

「マジか」

丈琉はため息をつきながら、下を向いた。


 美殊は目を伏せ、砂浜に視線を落した。

 しばらく沈黙が続いた。

 不意に“ずずっ”と、美殊の鼻をすする音が聞こえてきた。ポロポロ涙がこぼれていた。

「だから、泣くなって」

丈琉が肩を抱えた。

「だって、オウス君。私らとおんなじ年なのに。おじいちゃんみたくなっちゃったら、どうすんのや」

「いや。だから、そうなるとは、決まっとらんって」

岳斗も困り顔だ。


 丈琉は横を向き、美殊の顔を見た。美殊は涙を拭っていた。必死に涙を止めようとしているようにも見えた。

 美殊の仕草が愛おしかった。しかし美殊は今、オウスの事を思って泣いている。そう思うと、切なくてやるせなくなった。

「なぁ。みぃって、オウスの事、好きなんか」

思わず口に出てしまった。

(アホか……。 今、この状況で、それ、聞くか?)

岳斗は頭を抱えた。そして、美殊を飛び越して、丈琉の頭をバシッと叩いた。丈琉は驚いて頭を押さえた。しかし、その痛みでふと、我に帰った。そして、自分の発言を激しく後悔した。

 恐る恐る美殊を見た。驚きすぎたのか、涙はすっかり止まっている。そして顔を真っ赤にして、ワナワナと震えていた。細い目を目一杯開いて、丈琉を凝視している。

「なっ、なっ、タケ、何? えっ?」

美殊のうろたえ方も尋常ではない。意味のない言葉を発するだけだった。

「全く、直球勝負やな」

唯一冷静な岳斗。

「まぁ。いいやんか。人を好きになるのは、ごく当たり前の事や。

 過去の人間やろうと、奥さんがいようと。好きになったら、しょーがないもんな」

岳斗は美殊の背中をポンポンと叩いた。

 美殊は唇をかみしめ、瞬きを何回か繰り返した。そして、藍色に変わりつつある空を見上げた。フーッと大きな深呼吸をすると、落ち着いたように語り出した。

「うん。そやね。

 確かに、そうなんやろうけど。

 でもな、オウス君って、すっごいオトちゃんの事を大事にしとるやんか。お互い、好き合っとるんやなって、思うし。私なんか、全然かなわんって思うしな。

 それに、私ら、元の世界に戻ればお別れやんか。付き合うとか、そういう対象にもならんわけやし。ずっとそばにいる事もできん」

美殊はため息をついた。

「でもな、私、このまま男性恐怖症で一生、終わるかもしれんって思っとたけど。ちゃんと男の人を、好…あ、恋愛感情をもつ事ができるってわかって。それだけでもよかったわ」

美殊は爽やかに笑った。


「すごいな。あっという間に吹っ切ったな」

岳斗が美殊に微笑みかけた。

「岳斗のおかげかな」

美殊も笑みを返した。

「それに比べて、タケ。あんたは、思った事、すぐ口にするんやから。デリカシーがないっていうか。 

 そんなんやから、女の子にモテないんや。未だに彼女できた事ないんやろ」

「それ、関係ないやろ。お前こそ、デリカシーないな」

いつもの調子が戻った2人を。岳斗は笑って見ていた。2人のやりとりは続く。

「なんか、偉そうな事、言ってるけど、気が小さいっていうか。

 さっきの事やってそうや。確かに、怖かったやろうけどな、でもそれでお姉ちゃんにしがみついてくるって、情けなくない?

 そんなんじゃ、立派なおまわりさんになれんと違う?」

「し、しがみつくって……」

思いのたけを込めた抱擁を、怖がりの子供と同じレベルにされてしまった。丈琉は口を半開きにしたまま、固まってしまった。

 そして固まったまま、美殊をじっと見ていた。

「なに。なんか文句ある? ほんとの事でしょ」

(美殊のやつ。俺の気持ちなんか、全く気がついとらん。俺、やっぱ弟なんや……)

丈琉は息を殺して笑った。そして

「おまわりさんってなんや。警察官って言ってくれよ」

そう言いながら、笑いが止まらなくなった。


 ここで滞在しているうちに、美殊は漬物作りに勤しんだ。

 漬物はこの時代の人達には、最初、少し刺激が強いようであった。味の濃い野菜は、あまり食した事がないからかもしれなかった。

 しかし、食べているうちに、徐々に癖になっていったらしい。皆、好んで食べるようになっていた。

 今回は美殊は大根を薄く輪切りにする事にした。一生懸命料理しているところに、丈琉がやってきた。

「なんか、その剣。すっかり包丁になってしまったな」

笑いながらのぞき込んできた。美殊は相変わらず、オオウスの剣を使って、大根を切っていたのだ。

「包丁にしたつもりはないんやけどな。包丁よりは使いづらいし、重いし。でも慣れれば切れ味もいいんやもん」

「今度も浅漬けか」

「ううん。今度はしっかり干して漬けようかと思って」

「って事は、たくあん漬けか。でも、たくあんって、切って作るんだっけか」

「たくあんもどきやな。糠ないし。

 ほら、浅漬けって、やっぱあんまり日持ちせんかったから。干した方が絶対にいいと思うんや。

 ここって、空気が乾燥しとるやんか。風も強いから、乾くのが絶対に早いって。でも大根1本で干していると時間かかるから、薄切りにしてから干すことにしたんや。

 塩辛くならんように、塩の量を調節せんとな」

美殊は一心不乱に大根を切り続けた。


「この前の漬物。オウスに褒められていたもんな」

美殊の手がピタッと止まった。美殊は大根から目を話すと、思いっきり丈琉をにらんだ。

「関係ないから」

ドスのきいた声で反論された。

(いや。関係ないわけない。

 オウスの事は諦めた様な事、言っとったけど。褒められただけで舞い上がるんやから。女って単純なのか。みぃが単純なのか)

それは声には出さなかった。

 そのあとも美殊は無言で作業を続けた。


 駿河はオウスの軍にとって、腹立たしい思いのあるクニである。できれば早く出て行きたいところであったが、唯一、離れがたい魅力があった。

 “お湯の湧き出る泉”である。源泉掛け流し。まさに天然温泉。

 入っているだけで、疲れが吹っ飛び、傷の治りも早い様に思えた。

 美殊の長湯は他の人たちを困らせた。しかし、これだけは譲れなかった。7年間オウスたちと旅したシャンプーを使って、洗髪もした。最初は抵抗があったが、なんともない事がわかると、大事に大事に使う様になった。

 

 温泉の効能もあってか、皆の傷も癒え、先を急ぐオウスの軍は、駿河を出発する事になった。

 穏やかな時間は終わりを告げた。

 オウス軍、一行は駿河を出発した。


 富士の山が間近に感じられる所までやってきた。進行方向の真横に見られる。富士山の一番近い所までやってきたと思われた。

 富士山は荘厳だった。山が覆いかぶさってくる様な、迫って来られる様な感覚におそわれた。

「ここから富士が見える方向に、浅間(せんげん)大社(おおやしろ)があると聞き及んでおります」

タケヒコが富士山を指差しながら言った。

「山の霊が鎮められている、神聖な大社。

 旅と航海の無事を祈願いたしましょう」

タケヒコがオウスに進言した。

「そうじゃな。ここまでも色々苦難があった」

オウスは立ち止まり富士山を見つめた。

 駿河からここに来るまでに、2回、山賊に襲われた。

 シビが言っていた、山賊が多いという話も、あながち虚言ではないらしい。


「私、新幹線の中からしか見た事なかったんやけど。富士山って、すごい山なんやね」

「うん。向こうの世界じゃ、この迫力は味わえんかもしれんな」

「向こうに帰ったら、富士山登山でもするか」

丈琉は真剣に考えた。

 3人がそんな会話をしている間に、オウスたちは祈願を始めていた。慌てて祈願に加わった。

 旅の無事と元の世界に戻れる事。そして、3人それぞれの個人的な願いも含めて一心に祈った。


 富士山祈願のご利益か、それからしばらくは、問題のない比較的平和な旅が続いた。

 丈琉は磯の香りがほのかに漂ってきた様に思った。

「なぁ、ヤマ。また、海に近いとこまで来たんかな。そろそろ、東京辺りか?」

「そやな。富士山の近く過ぎてから、結構、経つもんな。東京湾の辺りまで、来とるんかもな。

ずいぶん、長い事、歩いて来たな」

岳斗は伊勢からの道のりを考え、ため息が出た。

(静岡からも、もう随分と歩いたよな)

岳斗はふと、オウスに目を向けた。

「ヤマ。やっぱ、オウスって、具合が悪いんやろ」

岳斗の視線に気が付いた丈琉が、小さな声で話しかけた。

「うん。多分な。オウスは何も言わんけど、しんどいはずや。

 歩いていると、肩呼吸(かたこきゅう)になるし」

「肩呼吸?」

「ああ 。あんなに風に肩が上下するやろ。あれや。あんな風に息しとるって、結構、苦しいはずなんや」

「そやな。たまに(せき)するし、はぁはぁって息切れしとる。顔色も悪いよな」

「ああ……」

岳斗はオウスの顔をじっとみつめた。


 休憩に入った時、岳斗はオウスの元に駆け寄った。オウスは椅子がわりの石に腰掛けていた。岳斗はオウスの前にかがみ込んだ。オウスは微笑みながら、手を差し出した。岳斗がしょっちゅう検脈に来るため、オウスも覚えたらしい。

 岳斗は手首で脈をとり、時計をみながら脈拍を数えた。そして、顔をじっと見て、そのあとスネに触れた。

(やっぱ100超えとる。顔も、足も浮腫(むく)んどる)

「オウス。苦しいやろ。無理せん方がいいって」

岳斗の言葉に、オウスは微笑んで首を振った。

「大丈夫じゃ」

岳斗が何度言っても、オウスはいつも笑顔でそう言うだけだった。

「そんなはずはない。歩くだけでも辛いや。俺にはわかるんやからな。

 少し、休まんか」

オウスは首を左右に振った。

「ゆっくりはできん。早く、大和の統一を果たさなくては。

 もうすぐ走水(はしりみず)じゃ。そこからは、船が使えるであろう。

 ヤマヒコよ。重ねて言うが、吾は健康じゃ。

他の者には余計なことは言うでない」

オウスは強い口調で言うと、目を閉じてしまった。


 岳斗はため息をつきながら立ち上がった。下を向きながら歩いていると、後ろからミヤトヒコが声をかけてきた。

「ああ。ミヤか」

「はい。あの……」

何か言いたそうに、モゴモゴしている。

「ん? なんや」

「あの。お尋ねしたい事が……。そのヤマヒコ様は、ヤマトタケル様が……」

(まさか、オウスの具合が悪い事、気が付いとるんやろか)

言い出しづらそうにしているミヤトヒコを見て、勘ぐってしまった。じっと、ミヤトヒコを見つめた。

「……。 はい。あの、思い切ってお尋ねします。

ヤマヒコ様はヤマトタケル様に、愛執の念をお持ちなのですか?」

「はっ?」

岳斗は驚嘆の声を一言発した。そして、眼鏡のブリッジを指で押さえたまま、考え込んだ。

(あいしゅう、って言ったか? なんやそれ?

えっと待てよ。もしかして、あいしゅうのあいは、愛のあいか?

えっ? まさか)

「なぁ、ミヤ。まさかと思うけど、それって、俺がオウスの事、好きやって事か?」

「はい」

ミヤトヒコは真顔で答えた。


「まさか! そんな事、あるわけないやろ!

オウスも俺も男だぞ」

「男とか女とか、それは問題ではありません。やはり、それを気にされておられるのですね」

「それは問題やろ!

 いや、気にするとかしないとか。そういう問題でなくって……」

(昔は今より、同性愛に対して寛容なんか。イヤイヤ。そんな事、考えてる場合やない)

「な、なんで、そんな事、突然言い出すんや」

「ヤマヒコ様は、この頃、しょっちゅうヤマトタケルの所へ行っているではないですか。そしていつも手を握っておられます」

「いや、あれは、脈をみてるだけや。手ぇ、握っとるんと違うって」

「みゃく、とは?」

「心臓の鼓動っていえばいいのか? 心臓の具合って、いうのか」

「しんぞう?」

「あーー、説明できん」

岳斗は説明するのを諦めた。

 それを説明しようとすると、オウスの具合の悪い事をばらす事にもなりかねない。今しがた、オウスに釘を刺されたばかりである。


「それに、ヤマヒコ様は、手を握りながら、ヤマトタケル様を愛おしそうに見つめられています。

それなのに、最後には難しいお顔をして、ヤマトタケル様から去られます」

ミヤトヒコは汗をかきながら話を続けた。

「ですから、ヤマトタケル様に受け入れてもらえず、悲しい思いをされておられるのならば。

もしよろしければ。吾でよろしければ……」

「っうわぁぁーー! なに、言っとんのや! 俺、そういう趣味ないし。勘弁してくれ」

岳斗は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。

「あのな。マジで、オウスの事、好きとかないから」

屈み込んだまま、ミヤトヒコの顔を見上げて言った。

 ミヤトヒコも、気が抜けた顔をして、しゃがみ込み込んだ。汗は滝の様に流れている。

「そ、それは申し訳ありませんでした。それなら、良かった。わ、吾は葛城(かつらぎ)に妻がおりまして。実は、愛する妻に、申し訳が立たないと思っておりました。

 また、吾の早とちりでございましたか」

慌てて汗を拭い、バツが悪そうに笑った。しかしすぐに真剣な顔となり、両手を地面につけて、顔を近づけてきた。

「ヤマヒコ様。吾はヤマヒコ様には富士の山よりも高い恩を受けております。吾はヤマヒコ様のためなら、なんでもする所存でございます」

必死に訴えてくるミヤトヒコに岳斗は、ニコっと小さく微笑んだ。

「ミヤ。そんなんちっぽけな事や。

 俺らがこの世界に迷い込んで最初に会ったのはミヤや。オウスの他に俺らの秘密を知っとるのもミヤだけや。途方に暮れとる俺らを助けてくれたのもミヤや。

 俺らこそ、ミヤから、富士山よりもずっと高い恩恵を受けとるんや」

「ヤマヒコ様……」

ミヤトヒコの涙腺が緩んだ。岳斗はミヤトヒコの腕をつかんで、2人で立ち上がった。

「それよりも、焦ったわ。

 俺、女の子から(こく)られる事はあるけど、男に告られたんは、初めてや」


 岳斗とミヤトヒコが笑っていると、前方から敵襲を知らせる声が上がった。

 ミヤトヒコはパッと表情を変え、即座に駆け出した。オウスの軍はあっという間に戦闘態勢になった。

 このあたりを根城にしている山賊の襲撃だった。 狭い山道で待ち伏せされ、オウスたちは行く手を塞がれれた。

オウスの軍は20人足らず。それに対して、山賊は50人以上はいる。数では圧倒的に不利だった。

 

 美殊とオトタチバナヒメ、そして男ながら剣が使えない岳斗は、後方に連れて行かれた。警護は丈琉だった。

 丈琉は十握剣を鞘から抜き、剣を構えて周囲に目を配った。特に無防備な道の後方にも注意していた。

 美殊は岳斗の腕にしがみついていた。岳斗も念のため、剣を鞘から抜いて、慣れないながらも剣を掲げた。


 オウス軍は強かった。オウスとタケヒコとミヤトヒコ、そして尾張の剣の達人、タケイナダネの4人で、攻撃してくる敵のほとんどを、あっという間に倒していった。

(イナダネさんって、普段はおちゃらけているけど、ホントは強いんや)

美殊は少し見直した。


 オウスは途中で、後方に向かって走ってきた。オトタチバナヒメの側に来ようとしていたのだ。しかし、その途中で激しく咳き込み、苦しそうに胸を押さえ、膝をついた。

「オウス」

皆の視線が集まる。その時。悲鳴が響いた。

 道の後方からも山賊が襲ってきたのだ。最初から挟み撃ちにする計画だったのだ。美殊とオトタチバナヒメが狙われた。2人は腕をつかまれ、引っ張られた。

「みぃ!」

岳斗は美殊に左手を伸ばした。その瞬間、岳斗の手が緑色に光った。光を灯した岳斗の手は、ギリギリで美殊をつかまえた。美殊は両手を引っ張られる形になった。

 岳斗は敵に向かって、右手に持っていた剣を振りかざした。岳斗の光は剣に宿り、剣から緑色の光が噴き出した。その威力で美殊をつかんでいた男は、後方に吹っ飛んだ。

 岳斗の緑色の光が見えない者にとっては、男が勝手に飛んだ様にしか見えなかった。吹き飛ばされた男自身、何に飛ばされたのかさっぱりわからない。一瞬、戸惑ったが、男はすぐに立ち上がった。再び、オウスの軍を狙おうと身構えた時、戻ってきた丈琉の剣の側面で、腹部を平打ちされた。男はゲエェっと音をたて、その場に倒れ込み動けなくなった。


 美殊は助けられたが、オトタチバナヒメは敵の手に落ちてしまった。

「皇子様!」

オトタチバナヒメは必死にオウスを呼んだ。しかしオトタチバナヒメは頬に剣を突き立てられてしまった。

「ヒメを離せ!」

オウスは息を切らしながら駆けつけ、オトタチバナヒメに手を伸ばした。

「オウス。手が光っとる!」

丈琉が気がつき、オウスの元に駆けつけた。

「俺の手も光っとるんや。それに、石もや」

オウスは胸元を見た。服の下から赤い光が透けていた。

「ここで、また、火を起こせというのか」

「そうかもしれん。でも、あんな炎が出たら、また吹っ飛ばされるかもしれん」

丈琉とオウスに、駿河での炎の威力が思い出された。

「ヒメを助けるためじゃ。やるしかない!」

オウスは勢いよく首にかけられた革紐を引っ張り、皮袋を手にした。そして中から石を取り出した。


 オウスは意を決して、2つの石を力強く打ち付けた。石から炎が放出された。炎はオウスの腰に提げられた天叢雲剣と、丈琉が手に持っている十握剣に宿った。

 オウスは石を足元に落とし、剣を鞘から抜いた。

 丈琉とオウスはまた意識が遠のく感覚に襲われた。2人は申し合わせた様に同時に剣先を合わせ、同時に剣を振り上げた。

 2本の剣から、激しい炎が噴き上がった。


 炎は林の草や木を一瞬で焼き払い、轟音と共にあっという間に昇天した。

 その直後に、上に向かって暴風が吹き荒れた。全ての物が空に向かってバタバタとはためいた。

 その光景を初めて見た山賊は魂を抜かれた様に、全く動けなくなった。


「ヒメ」

真っ先に意識を取り戻したオウスが、オトタチバナヒメの元に駆けつけた。と同時に、オトタチバナヒメの手を取り、しかっと抱きしめた。

 オウスに抱きかかえられたオトタチバナヒメは、腕の中でガタガタと震えた。


「く、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の、ヤマトタケルか!

 引け、引け。この一行。ヤマトタケルだ。かなうわけがない。引きあげろーー」

山賊の頭領の声が響き渡った。動ける者はあっという間に逃げ帰った。

 焼け焦げた草木を除いて、何事もなかったかの様に静まり返った。


「すごい。火やったな」

岳斗が感嘆の声をあげ丈琉に駆け寄った。しかし丈琉は真っ青な顔をして震えていた。

「どうした?」

「いや」

丈琉は胸に拳を当てて、気持ちを落ち着かせようとしていた。

「いや。この前の時のより、ずっと小さな火やった……」

「そやけど、こんなに、間近で見とらんかったからな。えらい迫力やった」

岳斗は何度も目を開いたり、閉じたりを繰り返した。

「そっか……」

「タケ。どうしたんや」

岳斗はこれほど挙動不審になっている弟を見たことがないと思った。丈琉の震えている手を握った。

 丈琉は目を閉じて、大きな深呼吸を繰り返した。最後に大きく息を吐くと、岳斗の顔をじっと見た。

「……。 怖かったんや。あの炎」

声を絞り出した。

「駿河での事か。トラウマになったんかな」

「そうかもしれん。

 でも、きっと大丈夫や。あんなにでかい炎じゃなかったし。吹っ飛ばされることもなかった」

必死に平静を取り戻そうとしている丈琉に、岳斗は背中をポンポンと叩いた。

「そやな。その剣。適材適所ってか、その時のニーズに合わせた炎を出してくれるんと違うか。いつもバカでかい炎を出すってワケじゃないらしい」

「そっか。そやな」

岳斗の言葉に丈琉の緊張も少し緩んだ。


 丈琉は自分の脇で呆然としている美殊に気がついた。美殊も巨大な炎に衝撃を受けたのだろう。丈琉は十握剣を鞘に納めると、美殊の腕を握って「大丈夫か」と、声をかけた。

「だ、大丈夫や」

美殊の声も震えていた。しかし気を取り直したかのように、きゅっと唇を噛みしめた。

(丈琉の方が駿河で大変な思いしたんや。これくらいで私がめげてちゃあかん)

「私は大丈夫。ヤマが助けてくれたし。

 タケの方こそ、ちと休んできたらどうや」

精一杯平気なふりをした。


 しかしその後で、抱き合っているオウスとオトタチバナヒメに気がついた。

美殊はとっさにその光景から目をそらした。そしていつの間にか、服の胸元をぎゅっと握っていた。


 一行は落ち着きを取り戻すため、もう少し休憩を取ることにした。軽症ではあるが、数人のけが人が出ていた。岳斗はけが人の手当に当たった。

 オウスは石に腰掛け苦しそうに呼吸をしていた。オトタチバナヒメが背中をさすっていた。

「すまぬ。ヒメよ。タケヒを呼んできてはくれまいか。そうじゃ。水を持ってきてくれる様に言ってくれ。

 ヒメも疲れたであろう。向こうで休むがよい」

オウスの笑みは、消え入りそうに弱々しかった。オトタチバナヒメは心配ではあったが、オウスに言われた通り、丈琉を探しに出かけた。


 丈琉は美殊と一緒に一番後方で、木の根元に腰掛けていた。

 丈琉はオウスに呼ばれている事を聞くと、すぐに駆けて行った。今まで丈琉が座っていた場所には、今度はオトタチバナヒメが腰掛けた。

 美殊はオトタチバナヒメが隣に腰掛けても何も言えなかった。オウスと抱き合っていた姿が思い出される。

 しばらく二人は黙ったままだったが、美殊はオトタチバナヒメの肩が震えている事に気がついた。横に目を向けた。オトタチバナヒメは声も出さずに、ポロポロと涙をこぼしていた。

「どうしたん。もう、大丈夫や。泣かんでもいいよ」

ようやく美殊はオトタチバナヒメに声をかけた。

「は、はい」

と、言いながらも、オトタチバナヒメの涙は止まらなかった。

「うん。怖かったな」

美殊はオトタチバナヒメの頭を、ポンポンと叩いた。

「いえ、いえ。そうではありません……。

 私、皇子様の足手まといでしかなかった。

 ミコヒメ様のように皆を導く力もないのに、女の身でこの旅に同行するのは大きな間違いだったのです。

 フタジノイリビメ様のおっしゃった通り、私のわがままでしかありませんでした」

そう言って両手で顔を覆い、激しく泣き出した。美殊は細かく震えているオトタチバナヒメの小さな肩をそっと抱いた。


 オトタチバナヒメの泣き声が、途切れ途切れになってきた。美殊はゆっくりと話し出した。

「大丈夫か。

 さっきの事やな。オウス君たちに迷惑かけたと思っとるんか」

「はい」

オトタチバナヒメはうなずいた。

「確かに女は狙われやすいもんな。私やって、捕まりそうになったもん。

 でも、オウス君はオトちゃんがいてくれて、嬉しいと思うよ。だって、オウス君、オトちゃんの事、すっごい大事に思っとるやんか。好きな人が…」

そう言うと、美殊の胸がズキンと痛んだ。

「その、好きな人がそばにいてくれるだけで、全然違うと思う。だからな、泣いとらんで、笑ってあげた方がいいって。

 オウス君にお礼言った? オウス君、一生懸命オトちゃんの事、助けに来てくれたやろ。

 ほら、櫛がずれとる。オウス君からもらったヤツやろ」

美殊はオトタチバナヒメの髪に飾ってある木の櫛を直してあげた。

 オトタチバナヒメは必死に笑おうとした。美殊はガザガザに乾いたオトタチバナヒメの唇に気がついた。リュックの中からリップクリームを取り出し、オトタチバナヒメに塗ってあげた。オトタチバナヒメは上唇と下唇を合わせて、リップクリームを馴染ませた。そして涙で頬が濡れたまま、ニコッと笑った。

「ありがとうございます。笑っても、唇が痛くないです。皇子様に笑ってきます」

オトタチバナヒメはオウスの元に駆け出した。

 美殊は複雑な思いで、素直なオトタチバナヒメを見送った。


 美殊は一度目を伏せ、お腹の底から深いため息をついた。

 そして顔を上げ、後ろに小さくなった富士山を見た。

(富士山。も、一回お願いします。

 無事、旅が終われる様に。みんな無事に、けがもなく、帰られる様に」

手を合わせて、目を閉じた。

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