尾張(おわり)にも、恋のライバルがいた
伊勢神宮の中を流れる五十鈴川。清らかな水が、サラサラと流れている。
オウスは対岸にある鳥居にいると、ヤマトヒメは言っていた。
オウスと再会した川原を過ぎ、玉砂利の参道を歩いて行くと、丈琉は川に渡してある木を見つけた。
「まさか、これが橋なんか」
「そうかもしれんな。向こうに渡れるの、これしかないみたいや。それに、その先に鳥居も見えるし。
きっと、オウスたちはあそこや」
岳斗が少し先にある、小さな鳥居を指差して言った。
3人は橋と思われるその木材を、ゆっくりと渡った。
鳥居の向こうに、人だかりが見えた。先頭にオウスがいる。こちらを指差す者、手招きをする者。皆が早く来いと催促をしている様に見えた。3人は思わず駆け出した。
鳥居をくぐると、3人は一斉に囲まれた。その人だかりの中に、ミヤトヒコの姿があった。身長はそれほど変わっていないが、髭がこくなり、顔には男らしさが増していた。
「ヤマヒコ様。お久しぶりでございました。
吾は命を助けて頂いた事、1日も忘れた事はありませんでした。あの時はお礼も言わず、申し訳ありませんでした」
そう言って、ミヤトヒコは岳斗の前でひざまずいた。
「おい、ミヤ。そんな事すんなって。
いや。傷が治ってよかった」
「はい。ヤマヒコ様のおかげで、生きながらえることができました」
そう言って、ミヤトヒコは岳斗に右の側頭部を向けた。岳斗は髪の毛を分けて傷跡を見てみた。傷の跡とその周囲に髪の毛は生えていなかった。傷跡は瘢痕化して、皮膚がひきつれている。
岳斗は傷跡を、そっと指で触れた。
「ひどい傷跡になってしまったな。あの後、大変だったやろ。
俺、急にいなくなってしまったらしいからな。処置が中途半端になってしまって、悪かったな」
「とんでもありません。ヤマヒコ様がおられなかったら、吾は死んでいたかもしれないのです。
それと、あの時、ヤマヒコ様が飲ませてくださった、不思議な水。あれを飲んだ後、すぐに痛みが取れたのです。体もスーッと楽になりました。誠に不思議な体験でした」
(いや、それ。水のおかげやなくって、解熱鎮痛剤の効果や)
「そして、ヤマヒコ様が残してくださった、“なんこう”とかおっしゃったベタベタする物が効いたのだ思います。
ヤマトタケル様が、ヤマヒコ様はこれを毎日塗ると言ってたとおっしゃって、傷に塗ってくださったのです。
吾が皇子様と、ヤマヒコ様に命を救っていただきました」
ミヤトヒコは興奮しながら一気に言い尽くし、また頭をさげた。
歓喜の声があがっている岳斗の周辺に反して、美殊は落ち着きなくウロウロしていた。。オウスとその腰に提げられた新しい剣をみつめた。
(あの剣が伊勢神宮から出ても、私ら元の世界に戻っとらん。
あの剣をここから出すだけじゃ、帰してもらえんって事なんかな。
でも、帰る前にはきちんとオウス君に話をしてから帰りたい。訳わからんうちに元に戻ってたとか、それだけは勘弁して欲しいわ)
そこへ1人の兵士がバックを持ってきた。美殊の大きなトートバックとリュック。丈琉と岳斗のボディバック。
「おぬし達の袋じゃ。熊襲に置いたままだった故、吾らがずっと預かっておいた。
いつか、必ず会えると信じ、常に持ち歩いていたのじゃ」
オウス達と7年間過ごしていたバック達は、色褪せ、型崩れしていた。しかし美殊はバックを受け取ると、愛おしそうに抱きしめた。
「ありがと。オウス君。ずっと持っていてくれたんや」
(みぃは、バックが戻ってきたことより、オウスがずっと持っていてくれた事の方が嬉しいんやな)
岳斗は微笑ましく美殊の仕草を見ていた。
(俺は、中身の確認や)
岳斗はバックを開いた。財布、その中のお金とカード、スマートフォン、免許証。大切な物はそのまま残っていた。
「なぁ、タケ、みぃ。これからは、そのリュックとかバックにきちんと貴重品入れて、肌身離さず持っていた方がいいぞ。
うーん。そのでかいバックはどうにもならんかな。いつも持って歩くってわけには、いかんか。
なにせ、俺ら、いつ移動してしまうかわからんから。気がついたら、大事なモンここに残して、現代に戻ったなんて事になったら、シャレにならんて」
「た、確かに。うん。そうするわ」
美殊は慌てて、リュックを背負った。
「おい。おい。タケ。聞いとるか」
丈琉の視点が合っていない。直立不動で立っているだけだった。
「おい?」
岳斗が丈琉を揺らしたが、ビクともしなかった。
『でかした!』
丈琉の頭の中に、再びあの大声が響いていた。スサノオは嬉しさのあまりか、声をセーブする事を忘れている。
丈琉は頭を抱えた。
気がつくと、周囲は暗闇。スサノオしか見えなかった。
『これで吾も心安らかに眠る事ができよう。
おぬしの功績に対し、褒美をとらす。十握剣である』
突然丈琉の右手に重力がかかった。気がつくと、剣の柄を握っていた。右手を挙げると、おぼろげな光をまとった剣が見えた。
「えっ。トツカのツルギ? また剣か?」
そう言ってスサノオを見ようと顔をあげた。しかしそこには暗闇があるだけ。スサノオの姿は消えていた。
「おい! どこ行ったんや! 剣を伊勢から出したら、俺ら、帰ってもいいんやろ?
俺ら、どうすれば、元の世界に帰れるんや。教えてくれんと、わからんって。おい! また、ほったらかしかい!」
丈琉の叫びは、やはり虚しく響くだけだった。
あたりがパッと明るくなった。丈琉は眩さに目がくらみ、その場に膝をついた。
「タケ!」
岳斗は一緒にかがみ込み、丈琉の顔を覗き込んだ。
「タケヒ様!」
タケヒコも駆け寄ってきた。以前よりも恰幅がよくなっている。
(あの食事で、なんで太れるんやろ)
数十分ぶりに会ったタケヒコを見て、真っ先に丈琉はそんな事を考えた。
「大丈夫ですか」
「ああ。大丈夫や。急にでかい声が頭ん中に響いてな。びっくりしただけや」
「スサノオのお告げか」
岳斗の問いかけに、丈琉はため息をつきながらうなずいた。岳斗はすでに丈琉の夢のお告げを信じ切っていた。
「タケヒ様。その剣は?」
タケヒコに言われて、丈琉は右手に握っている剣に気がついた。
「あっ。マジか。これ、本当にくれたんか」
丈琉は剣をまじまじと見つめた。
オウスも騒ぎを聞きつけ駆けつけた。
「スサノオがな、これ、褒美にくれるって言ったんや。えっと、“トツカのツルギ”とか言っとったな。
全く、こんなモンくれるより、元に戻してくれればいいのに」
丈琉はブツブツ言いながら、オウスに剣を渡した。オウスは剣をじっと見つめた。
「タケヒコ。これは十握剣で間違いないか」
今度はそれを、タケヒコに渡した。
タケヒコは恭しく剣を受け取ると、ゆっくりと剣を鞘から抜いた。そして他の剣よりもかなり長い剣を、柄から剣先までゆっくりと調べた。剣を見終わると、慎重に話し始めた。
「十握剣は、スサノオ様が出雲の地で、八岐大蛇を切り裂いた剣でございます。
その時に、八岐大蛇の体内に会った天叢雲剣とぶつかり、刃が欠けたと言われております。
それが、おそらくこれかと」
タケヒコは刃の欠けた部分をオウスに見せた。オウスは「うむ」と言って、小さくうなずいた。タケヒコは続けた。
「さらに十握剣は非常に長い剣であったと伝えられております。吾もこのように長い剣は初めて目にします。
おそらく、十握剣で間違いないかと存じます」
オウスは剣を受け取り、満足そうにうなずいた。
「タケヒ。これはスサノオ様の使っておられた剣じゃ。ありがたく使わせてもらうがよい」
そう言って、丈琉に十握剣を渡した。
丈琉は剣を受け取りはしたが、釈然としない様子。
「俺、剣とかあんまり持ちたくないんやけど。それに、そんな大層な物もらっても、俺、使えんと思うし」
「何を言う。おぬし程の剣の使い手はそうそうおらぬ」
オウスは丈琉の肩を叩いた。
丈琉はため息をつきながらも、鞘のついたままの剣で、軽く素振りをした。
「うん。長さも重さも竹刀と同じくらいや」
「タケ。なんか、軽々振っとるけど、重くないんか。それ、ものすご重たそうなんやけど」
「確かにな。でも、全然重くないんや。なんて言うか、使いやすいって感じがする」
丈琉は全身を使って、思い切り素振りをしてみた。ブッ、ブッと空気を切り裂く、鋭い音がした。
「なんと見事な剣さばき!
タケヒ。これは、おぬしの為の剣じゃ。おぬしにしか使えぬ」
オウスに言われ、丈琉は覚悟を決めた。
「そやな。俺らがここで生き抜くためには必要なんかもしれん。俺、守らんといかんもんな」
そう言って、美殊に視線を向けた。
十握剣は腰に提げるには長すぎる。丈琉は背中に背負えるようにしてもらった。剣を抜く時は、頭の後ろから抜き取る事になる。
そして丈琉が持っていた、オオウスの守り刀は、岳斗が腰に提げる事になった。
ひと段落したところに、小柄な女の子がやって来た。うさぎの様に、ピョンピョンとオウスに近寄った。
小顔で色白。茶色に近い瞳の色で、目はパッチリとしている。長いまつげはカールしてある様だ。そしてピンク色の薄い唇。まだ幼さの残る顔。
(かわいい子や。こういう顔なら、モテるんやろうな)
美殊は同じ女ながら、この少女にみとれた。
「おお。オトタチバナヒメ。ちょうど良いところに来た。
3人とも、紹介しよう。吾が妻のオトタチバナヒメじゃ」
「妻! やっぱ、オウス、結婚したんやな」
丈琉は大きな声をあげ、オウスの肩をバシバシと叩いた。
美殊は呆然とした。美殊の周りだけ、時が止まってしまった。
「うむ。このヒメは戦の旅だというのに、ついて来ると言って、きかなっかったのだ」
オウスは困った様に言った。
オトタチバナヒメはオウスの腕に、手を絡ませた。そして上目遣いでオウスを見上げた。
「もう、皇子様。その事は言わないで下さい」
オウスは愛おしそうにオトタチバナヒメを見つめた。
美殊は必死で涙をこらえた。
(ここで、泣いたらいかん。絶対、泣いたらダメや)
唇を噛み締めて、目に力を込めた。
はたと気がつくと、オトタチバナヒメが目の前にいた。
「あの。ミコヒメ様ですよね。
はじめまして。オトタチバナです。
お話は、皇子様から聞いていました。こうしてお会いできて、本当に嬉しく思います。
でも、本当にお美しい。女の私でも、みとれてしまう程。
あっ。不躾な事を言って、すみません」
オトタチバナヒメはぺこっと頭を下げた。その仕草すら、可愛らしかった。美殊は、思わず視線をそらせてしまった。
「こっちこそ、よろしくね」
そう言うのが精一杯だった。
そして、目が合った岳斗の所に逃げた。岳斗は黙って美殊の背中をポンポンと叩いた。
(オウスが急にものすごくかっこいい男になって、しかも同じ年になって現れて。すっかり惚れ直した所やったのに。
それなのに、いきなり妻帯者だったってのは、きっついよな)
「オウス。人を愛する事がよくわからない、なんて言っとったのに。いきなり結婚かよ」
丈琉は姉の気持ちには、全く無頓着だった。
「えっ。吾はその様な事を言ったのか」
「オウスにとっちゃ、7年も前の事やから、忘れとるかもしれんけど、俺にとっちゃ、ほんのついさっきの会話や。間違いないって」
隣で話を聞いていたオトタチバナヒメが首を傾げた。
「やばっ」
丈琉は小さくつぶやいた。オトタチバナヒメはタイムトリップの事は知らない。奇妙な会話に聞こえたことだろう。
「いや。なんでもない。
あの、とにかく、結婚おめでとうって事で。
そうや。俺はタケヒや。よろしくな」
オトタチバナヒメは「こちらこそ」と、何事もなかった様に、無邪気に笑った。
(このヒメが、海で死んでしまうっていうヒメ様なんかな)
丈琉は日本武尊の伝説を思い出した。オトタチバナヒメの笑顔を複雑な思いで見つめた。
ヤマトタケルの一行は蝦夷に向かって出発した。
美殊、岳斗、丈琉の3人の、古代、日本縦断の旅が始まったのだ。
一行は20数名。大王は今回の戦にも、少ない兵士しか与えてくれなかった。それでも、一行はヤマトタケルという英雄の元、意気揚々と進んだ。
輿が2つ準備された。美殊とオトタチバナヒメの分である。途中、立ち寄ったクニで、担ぎ手を雇った。
今回は熊襲の時の様なタイムリミットがある訳ではない。輿を運ぶことが可能な速度で進んだ。さらに、岳斗も毎日歩く事で、体力と脚力も付いてきた。そのおかげか、岳斗もついて行く事ができていた。
野宿にも少しずつ慣れてきた。伊勢を出発して、初めて天気の良い日だった。雲ひとつない夜空には、星がよく見えた。
「プラネタリウムみたいや」
「なんか、星が落っこちてきそうやな」
美殊と丈琉は寝転んで、感嘆の声をあげた。
丈琉は「そうか……」と呟いた。
「街灯もないから真っ暗やし、空気も澄んどる。だからこんなに星がよく見えるんやな。
この世界って、天体観測にすっごい適しとるな」
「そっか。そんでこんなによく見えるんやな。なんか、吸い込まれそうや。
あっ。あれ、オリオン座じゃない?
そや。北に北斗七星があるはずやな。冬の星座って、そんくらいしかわからんからなぁ」
美殊はムキになって星座を探した。
「星がいっぱい見えすぎなんや。だから、かえって分かりにくくなっとる。
あっ、でも待てよ。あれや、あれ。北斗七星っぽくないかな。
ほら、この指の先。ほら、光が強いヤツがあるやろ」
岳斗はそれと思われた星を、一生懸命に指差した。
「ああ、あれな。そうや」
美殊は指で星を繋げてみた。ひしゃくの形が描ける、7個の星を見つけた。そして、しみじみとつぶやいた。
「星座は1500年前も、変わらないんやね」
「変わったのは人間だけか」
丈琉がボソッと言った。
「なに、似合わない事、言っとんの」
美殊に一蹴された。
数日後、最初の目的地が近づいてきた。タケヒコが話しかけてくれた。
「間もなく尾張です」
「尾張って、名古屋の事だっけ」
丈琉が隣を歩く岳斗に尋ねた。
「そやな。俺ら、伊勢湾に沿って歩いて来たって事やな」
地図がわかる3人にしか、理解できない会話だった。
尾張の手前で、一時的に陣をはった。
そして、尾張には先陣として、タケヒコとタゴが乗り込んだ。程なくして、尾張の国造を伴って戻って来た。国造は椅子に腰掛けているオウスの前にひざまずいた。
「尾張の国造、オトヒコでございます。
この度は、ヤマトタケルノミコト様をお迎えできました事、感激でございます。
我ら、尾張は、これまで同様に大和に忠誠を誓って参ります」
そう言って、深々と頭を下げた。
オウスは「うむ」と満足そうにうなずいた。
その後、オトヒコの案内で尾張のクニに入った。
高い木組みが建っている広場に案内された。榊の木や、紐で囲われた結界の様なものが設置されている。神聖な場所と思われた。
一段高い所に案内されたオウスは、どっしりと構えた。その脇にタケヒコとミヤトヒコ。その後ろに丈琉と岳斗が控えていた。美殊はオトタチバナヒメと一緒に、壇の下に兵士と共に並んだ。
オトヒコの一族が壇の下に整列した。
オトヒコは改めて、オウスを迎える口上を述べた。そして、体格の良い男と、痩せた女も2人を自分の脇に呼んだ。
「我が嫡男タケイナダネと、娘のミヤスヒメでございます」
(尾張の女って、この人かっ?)
美殊の頭には、真っ先に“オウスの女”の事が浮かんだ。
「タケイナダネでございます」
まず、長男であるタケイナダネが、快活に挨拶をした。こんがりと日焼けをしていて、髪の毛も焼けた様に茶色っぽく変色していた。
(なんか、茶髪で日サロに通っとるチャラ男みたいや)
美殊は以前あった痴漢のトラウマが拭えていない。チャラチャラした見かけの男には、自然と嫌悪感が湧いてくる。
タケイナダネは一通りの挨拶を終えると、まっすぐにオウスに顔を向け、一歩前に進み出た。
「ところでヤマトタケルノミコト様は、剣に長けておられると伺っております。
どうか、吾に剣の手ほどきをしていただけませんか?」
この発言に慌てたのは、オトヒコだった。タケイナダネの腕を後ろに引っ張った。右手で息子の頭を思い切り叩き、上から押して、無理やり平頭させた。
「お前は何を言っておる!
も、申し訳ありません。ヤマトタケルノミコト様。ご無礼な事を」
「ははは。なかなか元気の良いヤツじゃ」
オウスは陽気に笑った。
「良い。あとで吾の所に来るがよい。稽古をつけてやる」
「本当でございますか?
ありがとうございます」
父親の手から逃れ、顔をオウスに向けた。
オトヒコはダラダラと流れる汗を拭った。
ヤマトタケルノミコトを迎える儀式は終了した。オウスは立ち上がり、壇から降りた。
そこへオトヒコがミヤスヒメと共に駆け寄った。
「ヤマトタケルノミコト様。
こちらにご滞在頂いている間は、このミヤスヒメがお世話をさせて頂きます」
紹介されたミヤスヒメは顔を赤くしながら、頭を下げた。
「お屋敷にご案内させて頂きます。
どうぞ、剣をこちらに」
そう言って、オウスに向かって手を差し出した。
「いや。これは神剣。吾にしか持つ事はできぬ。おぬしたちでは、手を触れる事もできないであろう。
さらにお気遣いには感謝するが、吾に世話人は不要」
オウスは言い切ると、スタスタと歩き出した。
ミヤスヒメはパッと顔を上げた。目を釣り上げて、オウスの背中を睨みつけた。
「屋敷までの案内は頼む」
オウスは振り返り、ミヤスヒメに話しかけた。ミヤスヒメは慌ててオウスのあとを追いかけた。
「おい。見たか。あのヒメの顔。
マジで、怖っ。」
丈琉が岳斗の肩をつついた。
「蛇みたいやったな。
そんなに、オウスのお世話したかったんかな」
「何のお世話するんや?」
いたずらっぽく丈琉が尋ねる。
「知るか」
岳斗は丈琉にデコピンを当て、美殊と一緒にオウスを追いかけた。
きょうだい3人は、高床式の屋敷に案内された。1部屋しかないこの家に、オトタチバナヒメときょうだいがくつろいでいた。部屋の真ん中には囲炉裏があり、暖がとれる様になっていた。
夕刻、ミヤトヒコが部屋を訪ねて来た。
「タケヒ様。ヤマトタケル様がお呼びです。参りましょう」
その晩、ヤマトタケルノミコトを歓迎して、宴会が開かれる事になっていた。丈琉はその場によばれていた。
しかし、美殊がストップを出した。
「だめ。宴会なんか行ったらあかん。
ヤマもや。この時代の宴会って、節操ないんやもん。あんなふしだらなトコ、行ったらあかんって」
丈琉は困った様に笑った。
「俺は宴会に出席するわけやないから。ミヤと警護に当たるんやって。宴会の最中に攻め込まれたら、大変やろ。
酒も飲まんし、悪い事もせんから。心配すなって」
丈琉は十握剣を背中に担いで、ミヤトヒコと部屋を出た。
丈琉と入れ替わりに、ナナツカハギが入って来た。夕食を作って持って来てくれたのだ。
「あ、ありがと。ナナっち」
美殊にお礼を言われたナナツカハギだが、照れ臭そうに苦笑いをした。美殊が呼びやすい様にと名付けた“ナナっち”というあだ名に、いつまでも慣れてくれなかった。
食事が終わり、部屋を出て行こうとしたナナツカハギを、美殊が呼び止めた。
「ねえ。この野菜って、ここの物なの?」
「はい。オトヒコ様からいただきました」
「そう。ねえ、ヤマ。明らかに大根っぽいのと、カブっぽいのがあったよね」
「そやな。大根やったな」
美殊は少しの間、考え込んだ。そしていきなり立ち上がった。
「ナナっち。この野菜余っている? そしたら、ちょっと使いたいんやけど」
「は?」
ナナツカハギが戸惑った声を上げた。
「試してみたい事があるん」
美殊はそう言うと、トートバックの中から、レジ袋を取り出した。そして、あっという間に外に駆け出した。ナナツカハギは慌てて追いかけた。
「全く、いつもいきなりなんやから。
ちょっと、俺も行ってくるけどな、オトヒメはここにおれよ」
岳斗も後を追いかけた。
大根とカブっぽい野菜と塩を分けてもらった美殊は、満足そうに水場にやってきた。
「うーん。これじゃ、浸かるまでに時間かかるかなぁ。これ、切った方が早く漬かるよね。
包丁はないのかな」
美殊はブツブツとつぶやきながら、周囲を見渡した。
「あっ。ヤマ。それ借りてもいいかな」
岳斗の腰に提げてあるオオウスの守り刀を指差した。
「まさか、これで野菜切るんか? これ、剣やで。人、切ったかもしれんのにか?」
「いえ。それは、オオウス様が母上のお守りとして持っておられました。人を切った事はありません」
ナナツカハギが教えてくれた。
「うん。タケも熊襲で、人、切っとらんし。大丈夫や」
「でも、オオウスさんが大切にしていた剣やろ。そんな大事なもんで野菜切るって、バチ当たらんか」
岳斗はあくまで反対した。
「そんなんいっても、それが一番切れそうなんやもん。
これが成功したら、みんなの命を守る事になるかもしれん。そうなれば、オオウスさんも、それをくれたお母さんも浮かばれるやろ」
「一体、何する気や」
「漬物、作ろうかと思ってな」
美殊はニコッと笑った。
「だって、野宿とか続くと、食べるもんがなくなるやんか。そんな時にな、漬物って役にたつと思わん?
ほら、日持ちするし、塩分の補給にもなるし」
「そら、確かに」
岳斗は心が揺らいできた。
「瑞恵さんに教えてもらったから、私、漬物も上手なんよ。知っとるやろ」
確かに、美殊の作る、瑞恵直伝の漬物はいつも上手にできている。
「ホントは干してからの方が、日持ちするんやけど、今回は時間ないから仕方ないな。浅漬けや」
岳斗はとりあえず、納得し、腰の剣を美殊に渡した。
美殊は慣れない“包丁”で、野菜を薄切りにした。そして、野菜に塩をたっぷりとまぶして、レジ袋に入れた。袋の中から空気を抜いて、口を縛った。そして尾張からもらった、小さめの木の樽に入れた。樽は2つ完成した。
美殊は満足そうに樽を眺めた。そして岳斗とナナツカハギに1つずつ持たせて、オトタチバナヒメの待つ屋敷に帰った。
部屋に戻ると美殊は寝転んで、手足を伸ばした。
「ああ。疲れた。
でも、家っていいわね。野宿じゃ、こんなにゆっくりできんもんね」
「そうですね」
オトタチバナヒメは口に手を当て、クスクスと笑った。
美殊とオトタチバナヒメは、気の合う友人となっていた。15歳のヒメは、年の離れた妹の様だった。
彼女はいつもニコニコして、楽しそうに話を聞いてくれる。のんびり屋で、怒った所を見た事はなかった。
しかしヤマトタケルの妻として振る舞える彼女を、美殊は羨ましく、時に妬ましく思う事があった。自覚はないのだが。
仲良く話をしているヤマトタケルとオトタチバナヒメの姿を見るにつけ、美殊の胸は痛んだ。
先日、オトタチバナヒメが、“皇子様から頂いた櫛”を見せてくれた。その櫛を愛おしそうに両手に抱えている姿が、本当に可愛らしかった。
(この2人。ホントに好き合っとるんやな)
美殊は自分の気持ちに気づかないフリをした。
「オトちゃんって、よくこんな旅に来ようって思ったよね。結構、大変じゃない」
美殊は寝転んだまま、オトタチバナヒメに顔だけを向けた。オトチバナヒメはニコッと微笑んだ。
「皇子様と、離れたくなかったんです。
皇子様はこんな不器量な私を、妻にしてくれました。私、皇子様がいなかったら、どうなっていたか。きっと、生きていなかったかもしれません」
「オトちゃんが不器量って。やっぱ、美人の基準が違うんやな。
だから私なんかが、美しいって言われるんや」
「いや。自分でそんなに卑下せんでも」
岳斗が笑った。
2人のやりとりは気にせず、オトタチバナヒメは話を続けた。
「でも、女の身で戦の旅に同行するなど、許されない事だと。正妃様にも、妃様、皆様に言われました。でも、私、おそばにいたかったのです」
「えっ?」
美殊は飛び起きた。
「待って。オウス君の妻って事? 正妃様やとか、妃様とかって」
「だから、前にも言ったやろ。この時代、一夫多妻制やって。多分、正妃ってのが本妻で、妃ってのが側室やないか」
岳斗が素っ気なく言った。
「そやけど。じゃ、何? オトちゃん。本妻やないの? 正妃様って誰。一夫多妻って、オウス君、そんなに奥さんがおるんか?」
「正妃様はフタジノイリビメ様です。お世継ぎの皇子様もおいでですし。
私はまだ、お子を成してはおりませんが」
オトタチバナヒメは小さな声でつぶやいた。
「あっ、妃様は皆で、4人です」
「えええっ! なに、それ! そんなに沢山、奥さんがおるんか。それに、えっ。オウス君、もう子供もおるんか!」
美殊の衝撃は大きかった。
「そうですね。皇子様ですし」
「皇子様とか、関係ないやろ。奥さん、5人ってなに?」
「あのな、オシロワケノ大王、オウスのお父さんなんか、妻が10人以上もおるんやって」
「そう言えば、そんな事、前に言ってたな」
「そう。皇室は妻を大勢持つのがステイタスなんかもしれんし。
でも、10人も妻がいたら、子供も大勢おるんやろな」
「はい。確か、80人くらいかと。私もはっきりとはわからないのですけど」
「は、80人……。桁が違うわ」
「その父親。自分の子供ん事、全員把握しとらんのと違うか。
しっかし、そんだけ大勢おると、後継者争いとか、色々面倒な事があるんやろな」
(そういえば、伊勢で、オウス言っとったな。他にも皇子はいるのに、自分ばかりが厳しい戦さに行かされるって)
岳斗は目を伏せて考え込んでしまった。美殊はこの話は、考えない事にしてしまった。
急に黙ってしまった2人を、オトタチバナヒメは不思議そうに見ていた。
そこへ丈琉が戻って来た。
「オトヒメ。オウスはあっちの大きな屋敷に行ったで。今、ミヤが迎えに来る。送ってくれるって」
オトタチバナヒメは頬をほんのりと赤くして、小さくうなずいた。美殊の胸がズキンとした。
丈琉は疲れた様にため息をついた。
「宴会は難なく終わったけどな。まぁ、確かに、節操ないんやな。この時代」
「そやろ」
美殊は憤慨した様に言った。
「でもな、オウスは何もせんと、食べたり飲んだりしてただけや。
それだってのに、あのヒメがな」
「ミヤスヒメの事か」
「そや。あのヒメ。オウスにしつこく迫ってたんや。明らかにオウスは引いとったのにな」
「おお。諦めてないんか」
岳斗が愉快そうに笑った。
「ミヤスヒメ様が、皇子様をお慕いしていると言う事ですか?」
オトタチバナヒメが尋ねて来た。
「いや。オウスは何もせんかっんやで。酒、ついでもらっていただけや。あのヒメが一方的に言いよってきていただけやからな。……、って、何で俺が焦るんや」
丈琉は頭をかいた。
「皇子様はあの様に素晴らしいお人ですもの。そうですか。ミヤスヒメ様は、皇子様の素晴らしさをご理解されているのですね。
ヒメ様とは、一度ごゆっくりお話をしてみたいものです」
オトタチバナヒメは嬉しそうに言った。
そこにミヤトヒコが外から声をかけて来た。オトタチバナヒメは飛び跳ねる様にして、オウスの元に向かった。
「一夫多妻制って、怖いわ。思考回路が違う気がする」
美殊がボソッと言った。
その後、オトタチバナヒメの出て行った扉がわりの布をじっと見つめ、また黙りこくってしまった。
岳斗は苦笑いしながら美殊に話しかけた。
「でもな、あの尾張のヒメは、オトヒメみたいにのんきやないからな。あれは狙った獲物は逃さないって言う、肉食女子の目や。気ぃ付けや」
「さすが。大勢の女子と付き合ってると、女を見る目が違うんやな」
丈琉がやっかみ半分に言う。
「人を“たらし”みたいに言うなって。俺、そんなに大勢の女と付き合っとらん。そりゃ告られる事は結構あるけどな。でも、好きでもない女とは付き合わんから」
「それ、自慢かい」
丈琉は岳斗の肩を裏手で叩いた。
尾張を発つ日、オトヒコを先頭に、一族が見送りに集まった。
オウスに心酔したタケイナダネが、一行に同行する事になった。
「タケイナダネよ。ヤマトタケルノミコト様の助けになりのだ。足手まといになるでないぞ。しっかり精進するのだ」
オトヒコは長男の身を心配しつつも、笑って送り出した。
笑顔の父親の隣で、ミヤスヒメは恨めしそうな形相をしている。そしてつり目の細い目は、呪い殺すかの様にオトタチバナヒメを追っていた。
その光景を、美殊はじっと見ていた。
(なんか、オウスくん。ミヤスヒメさんには、全く興味ないってか、好意のかけらもないようなんやけど。
古事記とかの話って、言い伝えらしいから、話半分に考えとけばいいのかな)
オウスの事を思案している美殊の元に、タケイナダネがいそいそとやって来た。
「ミコヒメ様。よろしくお願いします。
いやぁ。この様に美しいヒメ様がご一緒とは、嬉しい限りです。
ヒメ様は殺伐とした荒野に咲く、艶やかな一輪の花の様です」
(なんのこっちゃ。
チャラいだけやなくって、女たらしやった)
美殊は冷めた目で、タケイナダネをにらみ、黙ってその場を後にした。
そして、漬物樽と一緒に、輿に乗り込んだ。




