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倭の国 まほろばツアー  作者: 葉月みこと
1/18

長い旅の始まりは能褒野(のぼの)だった

 丈琉(たける)は暗闇の中にいた。

 目を開けている事もわからないほどの漆黒の空間。


(夢か?

 それにしちゃ、俺の思考がはっきりしとるな)

丈琉はゆっくりと周囲を見渡した。

 しかし、見えるのは闇だけ。


『吾は、ここじゃ!』

爆音が耳を劈いた。その音量に吹き飛ばされたらしい。丈琉は尻餅をついていた。

 丈琉は顔をしかめた。耳鳴りがする。

 大きく息を吸い込み、顔を正面に向けた。

 暗闇の中に、ぼんやりとした、白い光が見えた。光の中に、人の姿が見えてきた。その姿は、徐々にはっきりとしてきた。


(巨人や)

山の様に大きな人間が、丈琉の目の前に座っていた。

 あぐらをかいて座っているが、185cmある丈琉と目線が同じ高さにある。

 その男は奇妙な服を着ていた。上着もズボンもアイボリーで、だっぷりと余裕のある作り。ズボンは袴の様な形態で、膝のあたりを紐で縛ってある。

 上着はVネックのTシャツ。腰の下までの長さがあり、ウェストを細い帯で絞ってある。

 首にはネックレスをかけている。歪んだ形の、深緑色の石が数個、紐に通されているだけの首飾りである。

 そして顔も強烈である。髪はボサボサ。背中まで伸び放題。上髭は口を覆い、あご髭は胸の辺りまで伸びている。

 大きな目は見開かれ、今にも目玉が落ちてきそうだと丈琉は思った。


『吾の力のカケラを携えし者よ。時は来た!』

爆音ような大きな声に、丈琉は思わず両手で耳を塞いだ。

『吾はスサノオ。これから吾の言う事をしっかりと聞くのだ』

丈琉は耳を塞いでも意味がない事に気がついた。大きな声は頭の中に響いてくるらしい。


『話を聞いておるのか?』

「ま、待っとくれ。そのでかい声、なんとかしてくれ。耳はキンキンするし、頭はガンガンするし」

(ってか、俺。こんな状況で、何、普通に話しとるんや)

ふと、我に返って思った。


『なんと、神である吾に、命令するのか。

 まぁ、良い。吾の力を持つ者だけはある。では、これで良いのか』

男の声が小さくなった。丈琉は肯いた。ホッと息をはくと、身体の緊張が解けた。ゆっくりと立ち上がり、その男の目をじっと見つめた。


 丈琉に“はた”と思考力が戻った。

「えっと、あれっ。今、神って言ったか? えっ、スサノオ?」

『そうじゃ』

「スサノオ……。 って、あのスサノオか?

 日本の一番偉い神様の一人や。

 そんな神様と話するなんて、ありえんな。やっぱこれ、夢や」


『何をブツブツ言っておる。

 いいか、お前には使命がある。

 吾の刀を救い出すことだ。

 しかしその刀には姉上の封印が施された。姉上の力は強い。その封印を解くには力が必要じゃ。


 お前には力はあるが、足りないのだ。

 故に、お前はまず、日向(ひゅうが)(たちばな)小門(おど)阿波岐原(あわきはら)に行かなくてはならない。

 そこでお前は我が父、イザナギ様の力を借りて身を清めるのだ。さらに力が増すであろう。

 さらに同じ力を持つ、強き者と出会う。

 そして、その者と二人で吾の命、天叢雲(あまのむらくもの)(つるぎ)を、姉上の封印の元から救い出せるはず!』

スサノオはそう言って、手のひらを丈琉に向けて腕を伸ばした。


 丈琉は半歩、後ずさった。そして頭を抱えながら、顔をしかめ目を閉じた。スサノオの声がどんどん大きくなっていたのだ。

「何を言っとるんか、さっぱりわからんって!

 それに、そのでかい声で余計わからんくなったし」

ブツブツとつぶやきながら目を開けた。

「あっ。俺とおんなじ」

丈琉は自分に向けられた、スサノオの手に視線を奪われた。


 赤く光るスサノオの手。

 その光は細長い形で、眩いほどの光を放っていた。

 丈琉はゆっくりと自分の手を目の前に掲げた。

「俺の手も光っとる」

丈琉の手にも、スサノオと同じ光が灯っていた。

「久しぶりやな」

丈琉は感慨深げに光を見つめていた。


『そうじゃ。

 その光が吾の力の証じゃ。その光を持つ者であれば、吾の剣を救い出すことができる。

 あれは吾の命とも言えるものじゃ。

 いいか……』


“ピーポーピーポー”

 けたたましい救急車のサイレンが響き渡った。

 丈琉は急激に現実に戻された。

 そしてあまりの大きな音に息が止まり、全身が硬直していた。しかし、天井の模様だけははっきりと見えている。

 丈琉は自宅の自分の部屋のベッドに寝ている事に思い当たるまで、しばらく時間がかかった。

(久しぶりにこの音を聞くと、やっぱ、度肝抜かれるわ)

丈琉は深呼吸を繰り返し、早鐘のように打っている心臓を鎮めようとした。


 救急車のサイレンは間近まで来て、ピタッと鳴り止んだ。

 丈琉は軽く息を吸い込んだ。そしてゆっくりと、深く息を吐いた。固まっていた筋肉から、フッと力が抜けた。体が動くようになっていた。

 ゆっくりと手を伸ばし、目の前に手をかざした。いつもと同じ、見慣れた自分の手だった。

(夢の中で、手が赤く光ってたよな。あの時以来、光った事ないのにな)


 丈琉は枕元に置いてある、スマートフォンを取った。

 2017年2月21日。6時2分。


 丈琉はゆっくりと起き上がった。

(隣に行ったんか)

自宅の隣には、丈琉たちの祖父が創設した、若林病院がある。

 父親の代に総合病院となり、二次救急病院の指定も受けた。この町の中では大きな病院に成り上がっていた。

 丈琉は窓を開け、少しだけ体を乗り出した。

 右側に顔を向けると、救急車の赤いパトライトの光だけが見えた。


 三重県亀山市(かめやまし)能褒野(のぼの)


 雲ひとつない空には満点の星が輝いていた。 夜空にはまだ夜が明ける気配すら見当たらない。

 3階の丈琉の部屋からは街並みが一望できる。

 自宅の脇を静かに流れる安楽川(あんらくがわ)。川の対岸には木々の生い茂った丘陵。“能褒野御陵(のぼのごりょう)”だ。

 日本武尊(やまとたけるのみこと)のお墓と言われている。

 墓の脇には“景行天皇(けいこうてんのう)皇子(みこ) 日本武尊 能褒野墓 宮内庁”と書かれた立て札がたてられている。


(アマの、ムラクモだっけか? あと、何やったっけ。ヒューガ? タチ? アワキ?

 どこに行けって言うんや。それにもう一人の力ある者って、一体、誰の事や。

 さっぱりわからんな)

古墳を眺めながら、夢の中での会話を思い起こそうとした。


 突然、家の電話の呼び出し音が鳴り響いた。その音で我に返った。

「さぶっ」

ブルっと体が震えた。2月の早朝の冷たい風が、部屋の中に吹き込んできていた。丈琉は慌てて窓を閉めた。

 そしてドアに視線を向けたが、呼び出し音はプッと止まった。

美殊(みこと)が出たな。それにしても誰やろ。こんな朝早くに電話なんて)


 丈琉はベッドの足元に置いてあるバックを開けた。昨日、帰ってきた時のままに乱雑に置かれている。中からフリースのパーカーを取り出し、そそくさと着込んだ。


 若林丈琉。

 23歳。185cm、77kg。筋肉質で、体を鍛え上げていることは一目でわかる。

 短かく刈り込んである髪。二重のはっきりした目は幼い頃から変わらず、そのためか実年齢よりも若く見られることが多い。

 昨年、大阪の大学を卒業し、今は津市にある警察学校に在籍している。

 

 警察学校は規律が厳しい。さらに全寮制であり、様々に制限がある。

 そのひとつは外泊に関する物。外泊は自宅だけで週末に限られている。

 丈琉は姉の美殊がほぼひとりで住んでいるこの家に、できるだけ帰ってきたいと思っている。しかし大量の課題や試験などがあると、帰宅できないことも多い。

 今回の外泊も年末年始以来だ。


 丈琉は棚に目を向けた。

 賞状やトロフィーなどが所狭しと並べられている。

 一番目立つ中央には、去年優勝した全日本剣道選手権の賞状が置かれていた。

 その隣に置かれている小さなトロフィーは、小学校1年生の時にもらった物。初めて優勝した大会だ。

 トロフィーの前にはフォトスタンドがちょこんと置かれていた。優勝記念に撮影した写真だ。丈琉はそれを持ち上げ、しみじみと写真に見入った。

 真ん中には満面の笑顔の丈琉。右に美殊、左には丈琉とそっくりな兄の岳斗(やまと)

 そして3人きょうだいの後ろで優しく微笑む母、奈美子。

(母さんにはこのトロフィーしか見せてあげられんかったな)

 丈琉は写真の母を、そっと指で触れた。


「丈琉! 起きて!」

けたたましい音をたててドアが開き、美殊が飛び込んできた。

「うわっ」

写真は丈琉の手から飛び出し、床に落ちていった。


 美殊もパジャマのままである。自慢の真っ黒なストレートヘアも若干うねっている。

 ぽっちゃりとした頬、切れ長の一重の目。写真の中の母とよく似ている。

 美殊はしゃがんで写真を拾っている丈流を見下ろした。


「起きとったんか。

 それよか、大変や。宮崎のおばあちゃんがな、危篤なんやって。

 私ら知らんかったけどな、おばあちゃん、入院しとったんやて。それが、夜中に急に具合が悪くなって、お医者さんに、今日か明日かもしれんって言われたって、伊津子おばちゃんが、今、電話くれたんや」

 宮崎は母、奈美子の実家で、伊津子は母の姉だ。


 丈琉は写真に手を伸ばしたまま、美殊を見上げた。美殊の瞳からは、ポロポロと涙がこぼれてきていた。

「なんで、今から泣いとるんや。もう、相変わらずやな」

丈琉は写真を拾い、立ち上がった。

「私ら、ずっとおばあちゃんに会っとらんのに……。急にこんな知らせ……」

美殊は両手で涙を拭ったが、次から次へと涙はこぼれ落ちた。

 丈琉はフォトスタンドを元の場所にそっと置いた。


 華奢な肩を震わせて泣いている美殊。丈琉は姉である美殊を抱きしめたい衝動に駆られた。

 丈琉はゆっくりと美殊の背中に腕をまわした。

 “前ならえ”の体勢のまま、手が硬直した。

 丈琉の中で感情と理性が戦っているのだ。


「おばぁちゃん……」

美殊の嗚咽する声が小さくもれてきた。

 丈琉はぎゅっと目を閉じ、息を止めた。

 時間にして5秒。

 丈琉は大きく息をはいた。そして震える手で美殊の背中を軽く、ポンポンと叩いた。

 理性が勝利した。


「大丈夫やから。みぃ、泣くな。

 これからおばあちゃんのトコ、行くしかないやろ。

 はよ、準備しよ」

丈琉は努めて冷静に言った。


 美殊は「うん」と小さく言うと、涙を拳で拭った。

 そして丈琉にまっすぐ顔を向けた。

 150cmしかない美殊は、真上を向いている。

「そやな。早く行かんとな。

 岳斗にも声かけんとな。土曜日やから休みやろ」

「でも、岳斗は無理かもしれん。医学部って土日も忙しいって言とったか……」

「あっ。スマホ、部屋や」

丈琉の言葉など、全く耳に入っていない様子。美殊は長い髪をなびかせて振り返り、あっという間に部屋から出て行った。


 丈琉は2階のダイニングキッチンに降りた。

 キッチンは木の家具で統一されている。奈美子が選んだ家具だと聞いている。

 丈琉は落ち着いた雰囲気の、このキッチンが好きだった。

 丈琉はヒーターをつけ、テレビの電源を入れた。テレビは朝の情報番組を放送していた。テレビの音声を聞きながら、やかんに少しだけ水を入れ、火にかけた。

 食器棚には高校時代から使っている自分のマグカップが置いてあった。美殊の修学旅行のお土産だ。カップをゆっくりと取り出し、インスタントコーヒーの顆粒を入れた。

 椅子に腰掛け、ぼんやりとテレビを見ながら、お湯が沸くのを待った。

 

 カップにお湯を注いでいると、美殊が勢いよくキッチンに飛び込んできた。

「ここにおったんか。部屋にいないんやもん」

「うわっ。あ、あちっ!」

突然で騒々しい美殊の乱入に、丈琉は手がぶれてお湯を手にかけてしまった。美殊は構わず、話を続ける。

「岳斗も今日は大丈夫やって。

 でな宮崎に行くんなら、やっぱ飛行機やって。時間とか、チケットとか、岳斗がみんな調べてくれるって」

「いや、調べさせるんやろ」

丈琉は火傷した手を水で冷やしながら、ボソッと言った。

「あっ、私にもコーヒー入れて」

美殊は自分のカップを丈琉に差し出した。

「はいはい」

ため息交じりに返事をして、カップを受け取った。

 美殊にはブラックのまま渡し、自分のカップには砂糖とミルクをたっぷりと入れた。


「でもな、セントレアやと、岳斗は大変やから、伊丹空港にして欲しいって。京都からやと大阪の方が近いし、交通の便もいいしな。

 私らは遠くなるけど、私の車で行けば、あっという間や」

「ぶっ」

丈琉の口からコーヒーが少量吹き出た。慌ててテーブルに飛んだコーヒーをティッシュで拭き取った。口元についたコーヒーは手の甲で拭った。

 ちょうどその時、タイミングを測ったかの様に、テレビが交通事故のニュースを流した。

 高速道路での自損事故。大破した車が映し出された。運転手は意識不明の重体とアナウンサーは言った。

 丈琉は背筋を伸ばした。そして美殊を真正面に見た。小さな咳払いをして、一呼吸おいた。

「……。 いや。あのな、電車とか、他の手段にせんか」

「私、電車は嫌いや。それに、電車じゃ間に合わん。バスなんかもっての他や。タクシーじゃ高すぎて話にならんし」

「いや。でも、大変やろ。

 俺、学校の規則で運転できんから、代わってやれんし」

「大丈夫やって。

 2時間位やから、大変なことないって。

 伊丹空港って行ったことないけど、車にナビ付いとるし。迷うことないやろ」


 丈琉は深い、深いため息をついた。

(覚悟、決めんといかんか……)

丈琉が考え込んでいると、美殊のスマートフォンが着信を告げた。

「岳斗や」

美殊は慌ただしく電話に出た。

 美殊が話をしている間、丈琉はボーっと美殊の横顔を見つめていた。


「丈琉ってば!」

「なんやっ?」

丈琉は突拍子もない声をあげた。

「なに、ぼんやりしとんの」

美殊と岳斗の話は、すでに終わっていた。丈琉は頭をぽりぽりと掻きながら、コーヒーを一口飲んだ。

「悪ぃ。岳斗、なんやって?」

「うん。

 ネットでチケット手配できたって。9時45分の出発の便やって。

 9時までに向こうに着けばいいってことやから、7時にここ出れば、楽勝やな。

 丈琉。ちゃっちゃと、したくしてな」

「したくが遅いのは、美殊やろ」

美殊には聞こえない声でつぶやいた。


 丈琉はコーヒーを飲み干し、カップを洗ってキッチンを出た。

 美殊はぬるくなったコーヒーをゆっくりと飲んでいたが、突然思い付いたように立ち上がった。飲みかけのコーヒーをテーブルに置き、丈流を追いかけた。

「なぁ。お父さんに、おばあちゃんのこと、言っといた方がいいよね」

一瞬で丈琉の顔が不機嫌な表情になった。

「どうせ、あっちの家なんやろ。別になんも言わんでいいんと違うか」

“あっちの家”とは、父、景治(けいじ)の愛人の家の事。今では、景治の生活の拠点は“あっちの家“になっていた。

「でも、そういう訳にはいかんやろ。

 私、おばあちゃんの具合が悪い事と、私らが宮崎に行く事だけメールしとくな」

「任せた」

そう言い放つと丈琉は足早に階段を駆け上がった。


 若林家の父子(おやこ)の間には、大きな溝がある。

 最近は顔を合わす事も少なくなった。用がある時はほとんどメールで済ませている。

(父さんの顔。最後に見たのって、いつやったろ)

丈琉は階段を登りながら考えた。

(でもなぁ。父さんが俺ら避けるのも無理ないかもしれん。

 俺ら、手が光る “不思議な三つ子” やもんな。

 一般的な、ごく普通の人の反応なのかもしれん)


 1993年4月28日。午後2時。

 若林病院の手術室には緊張感が漂っていた。


 若林病院では数年に1回程度しかない、三生児の帝王切開が行われる。

 しかも副院長、若林景治医師の子供が生まれるのだ。つまり、院長の孫である。

 祖父となる院長は手術室に入り、手術の経過をじっと見つめている。医師や助産師、看護師たちはプレッシャーを感じていた。

 父、景治は循環器内科の医師。帝王切開の手術には携われない。しかも、緊張するからと手術室にも入らず、副院長室で待機していた。

 実はこの時、既に景治には子供がいた。

 ほんの2週間前に愛人との間に、男の子が産まれていたのだ。

 奈美子にはもちろん、父である院長にも言ってはいなかった。

 景治は複雑な思いで、自身の2回目の子供の誕生を待っていた。


 手術が無事終了したと、副院長室に電話が入った。

 景治はゆっくりと奈美子の病室に入った。

 麻酔の影響か、奈美子は夢を見ているような顔つきをしていた。しかし、目だけはキラキラと輝いている。

「景治さん。この子ら、お伊勢さんのご加護を持っちょるんよ」

奈美子の第一声に、景治は首を傾げた。

「ほら、去年、夏にな。2人でお伊勢さん、お参りしたやろ。

 この子ら、きっと、その日に授かったん……。 だって、あんなに綺麗に手が光っとる……」

 奈美子はそのまま眠ってしまった。


 景治は子供達のいる、NICU(新生児集中治療室)に入った。

 3人の子供達はそれぞれ保育器に入っていた。産婦人科医から手術は順調に終わったと報告を受けた。そして小児科医からは「3人共、特に異常は認められない。医学的な処置も不要である。三生児で低体重児にしては問題がないが、体重も2000g以下であり、保育器に入っている」と説明を受けた。

 しかし、景治はその言葉が耳に入っていない様子。3つの保育器をかわるがわるに、食い入るように見つめている。

「副院長?」

声をかけられ振り返った景治の顔は、恐怖に怯えているように見えた。

 2人の医師は訝しげに景治を見た。父親になって喜んでいるとは思えない表情だった。

「あっ。いや。そうか。何にも、問題ないのか。ご苦労だった」

景治がそう言うと、医師達はその場を離れた。


(問題ないだと?

 赤ん坊の手が光っているというのに、何ともないとは、どういう事だ!)

3人の赤ちゃんは手に光を灯していた。

 最初に産まれた女の子は、青くて丸い光。2番目の男の子は胎児の様な形をした緑色の光。そして最後に産まれた男の子のては、鮮やかに赤く輝いていた。

(見えていないんか? 他の人間には見えないんか。

 奈美子が言っていたのはこの事か。だとすると、俺と奈美子だけに見えるのか?)

 

 翌日、景治は恐る恐る保育器の中を覗き込んだ。

 3人とも手の光は消えていた。普通の赤ん坊と何ら変わりはなかった。

 景治はほっとして息を吐いた。一安心はしたものの、昨日の赤ん坊の手の光は、しっかりとまぶたに焼きついている。それは少なからず景治に恐怖を植え付け、トラウマの様にずっと心に残ってしまった。

 景治は父親になった瞬間から、子供達に対して一線を引く様になってしまった。


 2001年、5月5日。

 子供達は小学校2年生になっていた。

 8年前のあの時以来、子供達の手が光ることはなかった。景治は「子供達の手が光っていたのは、気のせいだったのだ」と思うようになっていた。


 この日、奈美子は大学時代の友人と出かける予定だった。

 学校が休みだった子供達は、同じ部屋でそれぞれに過ごしていた。3階に子供部屋は2個あるが、子供達はまだ、3人で1部屋しか使っていなかった。

 子供部屋で美殊は溜まっていた学校の宿題をしていた。岳斗はとっくに宿題は終わらせており、自分の好きな本を呼んでいた。見ていたテレビ番組が終わった丈琉は、廊下に出て日課の筋力トレーニングを始めた。


「お母さん。出かけてくるわね」

階下から奈美子が声をかけた。 

 その時、美殊に異変が起きた。

「ね、ねぇ。岳斗。私、手が光っている」

美殊の声は震えていた。岳斗は本から目を離した。そして青色に光っている美殊の手を見て、驚きの声をあげた。

「えっ? なんで」

「わからんよ。なんで、私の手から明かりが出とんの? なんや、これ!」

部屋の中から大きな声が聞こえてきた。丈琉はいつもと様子が違うことに気がつき、「どうしたん」と部屋のドアと開けた。

 すると中から、美殊が勢いよく飛び出してきた。丈琉と正面衝突をして、二人同時に尻餅をついた。しかし美殊はすぐに起き上がり階段を降りて行った。


「行っちゃ、ダメ!」

美殊は奈美子の腰に抱きついた。美殊は「ダメ、ダメ」と必死に叫んだ。

 奈美子は美殊の手を優しく握り、自分に絡みついている美殊の腕を解いた。美殊と目の高さを合わせ、真正面から美殊の顔を見つめた。

 美殊の顔は紅潮していた。目には涙が浮かんでいる。

「どうしたん。いつもはそんな、わがまま言わんのに。夜には帰ってくるんよ。お伊勢さんの近くでご飯を食べてくるだけだから。

 そうだ、赤福、買ってきてあげる」

美殊の手を取り、指切りをしようとした。


 その時、奈美子は美殊の手が青く光っている事に気が付いた。

 奈美子の顔が一瞬、嬉しそうに輝いた。そして美殊に優しく語りかけた。

「この光はね、美殊の事を守ってくれるお守りなの。お伊勢さんのご加護やから、何の心配もいらんのよ」

奈美子は美殊の手をそっと撫でた。

「違うんや!」

美殊は声を枯らして叫び、とうとう泣き出した。

 美殊の声は家中に響き渡った。

 美殊を追いかけてきた丈琉と岳斗は、階段からその騒ぎをのぞき込んでいた。そして珍しく家にいた景治もダイニングから顔を出した。


「丈琉、岳斗。美殊の事、お願いね」

奈美子は美殊の背中を、ポンポンと2回、優しく叩き、急いで玄関を出た。

 美殊は後を追いかけようとした。

「わがまま、言うな!」

景治が怒鳴った。

「わがままやない! 

 お母さんに車が、おっきなトラックがぶつかってくるんや。お母さん、車にひかれちゃう」


一瞬、その場の時が止まった。


 美殊が沈黙を破った。

「お母さん、止めてくる」

裸足のまま玄関に降りた。

 美殊の動きに景治が反応した。

「なに、バカな事、言っとるんや」

美殊の腕を乱暴に掴み、引っ張った。美殊は勢いよく引き戻され、廊下に転がった。


 横たわった美殊に、丈琉と岳斗が駆け寄った。

 3人は憎しみの視線を父親に向けた。

 その時に景治は、3人の手が光っている事に気が付いた。

 子供達が産まれた時と同じ、“青” “緑” “赤”、3色の光。


 景治は恐怖で体が震えた。

 しかし自分を睨みつけている3人の瞳には、憤怒の念を抱いた。

「やめろ、やめろ! 何や、その目!」

景治は我を失った。子供に向かって、乱暴に手を振り上げた。

 とっさに岳斗が美殊を抱えて庇い、丈琉は2人の前に両手を広げて立ちはだかった。

 

 パッと緑の光が強く瞬いた。それは岳斗の手から発せられていた。

 緑色の光は景治を襲った。

 景治は何かに弾かれた様に、後ろに吹っ飛び、尻餅をついた。

 丈琉は景治に向かって、剣道の構えを取っていた。丈琉の手からは、竹刀の様に赤い光が伸びていた。

 緊張感が漂った。

 景治がもう一度、向かってきたら、丈琉は迷う事なく赤い竹刀を景治に振り下ろすだろう。

 しかし景治に子供たちに何かしようという気力はなくなっていた。ただガタガタと震えるだけだった。


 突然、家のチャイムが乱暴に鳴った。と、同時に近所の女性が玄関に飛び込んできた。

「ああ、若林さん。

 た、大変、大変や。奥さんが、そこの角でトラックにはねられたんや。血だらけで倒れとる!」

4人は凍りつき、息をする事も忘れた。


 奈美子は助からなかった。

 慌ただしく葬式が執り行われれた。喪主である景治は子供達を気遣う余裕もなかったが、その気もなかった。近寄ることすらせず、時に憎悪のこもった視線で睨みつけた。

 3人のきょうだいの手が光っていたことが、その大きな理由であった。


 子供達は戸惑った。自分達以外、手が光っている人はいない。そして父親はこの手の光を見るたびに、にらみつけてくるのだ。

 最初はその光を隠そうと、手をポケットに入れたり、袖で手を覆ったりしていた。しかし自分達の手を見ても、誰も何も言わないことに気が付いた。

 この光は、父親にしか見えていないのだと、その時に理解した。


 葬式が終わり、奈美子が荼毘に付された。

 気がつくと、子供達の手の光は消えていた。


 葬式が終わると慌ただしかった家が、静寂に覆われてしまった。

 子供達は骨になってしまった奈美子と写真と共に過ごしていた。3人共、奈美子の笑顔を黙ったまま見ていた。

 その部屋に祖母のアヤ子が入ってきた。奈美子の母親である。

 優しい笑顔は母と同じだった。

「みんな、偉かったね。いい子にしちょったね」

アヤ子の優しい言葉。

 美殊は我慢していた涙をこらえられなくなった。アヤ子に抱きつき、大きな声をあげて泣いた。

 母を失った悲しみが改めて襲ってきた。

 アヤ子は美殊の背中をポンポンと優しく叩いてくれた。いつも奈美子がしてくれたのと同じだった。

 丈琉と岳斗もしゃくりあげて泣き出した。

 アヤ子は3人を抱きしめ、自身も泣きながら、かわるがわるに背中をポンポンとしてくれた。


 10分ほど経った頃、丈琉がまずアヤ子から離れ、手の甲で涙を拭った。丈琉は唇をかみしめ、鼻をすすった。

 涙が止まったその後に、丈琉の頭の中には様々な思いが浮かんできた。

(あの時、おれたちの手が光ったのは、何やったんや。

 お父さん、怒っとった。ううん、怖がっていたんや。おれたちの事、見てくれんし、話もしてくれん)

 母の死に隠れてしまったが、3人共、自分の手が光った事に衝撃を受けていた。

 初めて体験した、身体の変化。

 そして景治がその光を嫌悪している事も、子供ながらに察していた。


 みんなで大泣きした、その夜。3人は部屋に集まっていた。

「この事は、誰にも言っちゃダメなんだ」

岳斗は今は光っていない自分の手を、じっと見ながら言った。

 丈琉と美殊は同時にうなずいた。同じ事を考えていた。

「でも、なんで光るんやろ」

丈琉がつぶやいた。

「お母さんがな」

美殊は話し出そうとしたが、涙で言葉が詰まった。

しばらく、しんとなった。

「あ、あのな」

美殊は泣きながら続けた。

「この光はな、美殊を守ってくれるものやって。お守りで、お伊勢さんのご加護なんやって言ったんや」

「そうかもしれん。

 だって、お父さんが怒って、おれたちの事叩こうとしたら、岳斗の緑色の光で、ぶっ飛んだやんか。

 あれって、おれらの事を守ってくれたんやと思う」

「うん。丈琉の赤いのもそうやった。竹刀みたいで、剣道しとるみたいやったもんな」


 3人は必死に考えた。

 これまで味方をして守ってくれた母親はもういない。残った父親は自分たちを嫌っている。

「おばあちゃんには見えとらんかったよね。この光。

 おばあちゃんには知られたくない。だって、おばあちゃんに嫌われたら、私、どうしていいかわからんもん」

「おばあちゃんは、おれらの事、怒ったりしない。でもな、絶対に内緒にするんや。

 手が光ったら隠すんや。見られないようにしないと」

そう言いながら、丈琉はブルっと震えた。

「大丈夫や。おばあちゃんには見えてなかったから。大丈夫」

岳斗がふたりを落ち着かせるように言った。

 

 アヤ子が宮崎に帰るまでの1週間、3人はアヤ子と伊津子と一緒に過ごした。特にアヤ子から片時も離れなかった。

 しかしそれが、景治の気持ちを逆なでした。

 子供に暴力を振るおうとした事は棚にあげ、近寄りもしなくなった子供達を憎々しいとすら思った。

 アヤ子たちが帰る時、景治はチクリと皮肉を言った。アヤ子たちは、人相まで変わってしまった景治に恐怖を感じた。

「伊津子。子供たち、大丈夫じゃろか」

アヤ子は大きな心残りを残して、亀山を後にした。


 後日、景治は多忙を理由に、住み込みの家政婦を雇った。

山本(やまもと)瑞恵(みずえ)。恰幅の良い、いつもニコニコした元気な女性だった。バツイチで子供はなく、3人の子供達を自分の子供の様に可愛がってくれた。

 丈琉の剣道教室や岳斗と美殊の塾の送迎もしてくれた。子供達も瑞恵を母親代わりと思っていた。


 子供達は瑞恵が大好きだった。

 しかし、子供達は成長し、家族が離れ離れになる日がくる。

 子供達は高校生になった。丈琉は大阪の剣道の強豪校に進学したため、家を出て寮に入る事になった。

 大学進学の時。岳斗は京都の大学に合格し、丈琉はそのまま大阪の大学に進学することになった。家に残るのは、地元の大学に進む美殊だけだった。

 瑞恵自身も親の介護をしなくてはならない状況になり、若林家の家政婦を辞める事になった。

 完全に瑞恵と別れることになってしまった。瑞恵と過ごす最後の日。美殊と瑞恵は泣きながら別れた。


 景治は自宅にはほとんど帰って来なかった。美殊は病院の隣に建てられた豪邸に、ほとんど1人で生活していた。

「父さんなんて、いない方が気が楽」

と言って、笑っていた美殊。

 しかし、ある日、丈琉が帰ってきた時に美殊が言った一言。

「この大きな家に1人でいると、どうしようもなく怖くなる時があるんや」

丈琉はこの時の、美殊の悲壮な顔が忘れられなくなった。

「俺、帰って来られる時は、なるべく帰って来るからな。

 なんかあったら、すぐ連絡するんや」

「何言っとんの。剣道の練習も忙しいんやろ。無理せんでいいって」

「大丈夫やから。そんな顔のみぃ、ほっとけんから」

丈琉は思わず、美殊を抱きしめていた。

「た、丈琉?」

美殊の戸惑った声で、ハッと我に帰る事ができた。

 慌てて、美殊の背中をポンポンと叩いた。

「あ、いや、そのな、無理するなって事や。俺らにまで強がらんでええ」

丈琉は頭を掻きながら美殊に背を向けた。

(アホか。俺は)

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