その1
大好きなあの娘と同じ女子高に通うことになった「佐倉夏帆」。ちょっと重たいだけのごく普通の女子彼女の視線は件の娘「椎葉渚沙」に注がれている。
そんな若干病んでるっぽい女の子がたくさん出る百合っぽいもの
私、佐倉夏帆には大切な、それは大切な友達がいます。彼女はいつだって皆のリーダーで、勉強もスポーツもなんでも器用にこなせて、その美しさで誰もを魅了して、そしていつだって私を守ってくれる正義(私)の味方。それが今私の前で可愛らしく寝息を立てる椎葉渚沙ちゃんです。
「ねえ、渚沙ちゃん起きて。そろそろ起きないと入学式遅れちゃうよ??」
私は渚沙ちゃんの体を揺する。渚沙ちゃんは「うーん」と呻いて上体を起こし一つ伸びをした。
「おはよう夏帆、今日もごめんね。」
眠気から眼をこすりつつ、感謝の言葉を述べる。
「全然気にしないで、渚沙ちゃんのおかあさんとおとうさんから頼まれてるし、私も好きでやってることだから。」
私はそれにこう言う。パターン化された日常風景だ。でも、今日は少しだけ違う。
「ああ、そっか。今日だったね入学式。すぐ準備するよ。」
渚沙ちゃんは私の制服姿を見てまるで我が子の晴れ姿を見たかのように目を細める。そう、今日は新しい学び舎、高校への入学の日なのだ。
「本当にいつも悪いね。共働きの両親の代わりに家事任せちゃって。」
朝ごはんを食べながら、渚沙ちゃんは先程と同じことを言う。
「もう、だから気にしないでって。私も勉強教えてもらってるし、住ませてもらってる身だからこれくらいは当然だよ。それに……」
その先でどうしても口籠る。言えない。「渚沙ちゃんの日常のお世話ができるだけで幸せ」なんて。きっと渚沙ちゃんを怖がらせてしまうに違いない。不気味がられるに違いない。
だから私はただ無言で笑顔を作る。渚沙ちゃんは私の真意を追及することもなく。同じように笑顔を返す。それがまるで、私の気持ちを分かってやっているように見えて、一人昂る私をきっと渚沙ちゃんは知らない。
「さて、遅刻しないうちに行こうか。」
「そうだね。」
朝食を済ませ、身支度を済ませた渚沙ちゃんは一足先に家を出る。私は食べ終わった食器を片付け追従する。
「さあ、新しい一歩の幕開けだ。夏帆、行こう!」
玄関先で待ってくれていた渚沙ちゃんはどこまでも元気に拳を突き上げる。
ああ、やっぱり可愛いなあ。
渚沙ちゃんに倣って私も大きく一歩を踏み出す。結果。
「夏帆!!危ない!」
一瞬視界が眩み、直後何か暖かいものに包まれる。ほどなくしてそれが渚沙ちゃんの体であることを理解する。
「もう夏帆ったら、どうして何もないところで転ぶの??」
そう、私はまた何もないところで転んでしまっていたらしい。私にとっては別段珍しいことではない。
「えへへ、ごめんね渚沙ちゃん。」
「まったく夏帆は……ん。」
渚沙ちゃんは私を放してどこか照れくさそうにそっと手を差し伸べる。
私はその意味を知っているが、わざとらしく首を傾げて見せる。
「手、握って行ってあげる。怪我されたら嫌だし、それに……」
「ありがとう。渚沙ちゃん。」
私は満面の笑みでその手を強く握る。その時の渚沙ちゃんはやっぱり照れくさそうで、目を合わせてくれない。
「渚沙ちゃんはいつだって私を『守って』くれるね。」
私の言葉に呼応して握る手の力が強まる。心なしか、頬を紅潮させているように見える。
―――そういうところなんだよ。
「ただの友達」の言葉にそんな反応をするから、私は―――
渚沙ちゃんに手を引かれ、私達は高校の門をくぐり、クラス編成の紙の前へとたどり着いた。既に集まっていた何人かの生徒は「やった!同じクラスだ。」と喜び騒いでいる。
人をかき分け、自分たちの名前を探す。
―――あった。「佐倉夏帆」4組の6番だ。女子高だけあり、私の出席番号はかなり早い。。
そして私は全員の名簿を見た時絶句した。「椎葉渚沙」4組7番だ。
…おかしい。どういうことなのだろうか?彼女の学力であれば、高学力選抜の1組に選ばれるのは火を見るより明らかだというのに、何故彼女が私と同じクラスに…??
もしかしたら、同姓同名の別人なのだろうか、と混乱する私の手をより強く握り、
「夏帆同じクラスじゃん!!よろしくね!」
そう笑顔で言った彼女の言葉に、私は再び混乱してしまった。
「1組は課題の量が多く、女子高生らしい高校生ライフを送れない。」
渚沙ちゃん曰くそういうことらしい。若干納得できないところもあるが、渚沙ちゃんがそういうならそういうことなんだろう。
教室に入った私達は出席番号が一つ違いということもあり、中学生の頃と同じように二人で今後のことを話す。具体的には部活はどうするのか、とかだ。
「渚沙ちゃんはなんでもできるし、やっぱり運動部??」
「うーん………どうしようかなー。夏帆はどうするの?」
「私は帰宅部かな。私どんくさいからいつも皆の迷惑になっちゃうし。」
私の返答を少し楽しみな様子で待つ渚沙ちゃんに、私は言葉を返す。これは渚沙ちゃんにとってひどく残酷な返答になってしまうだろう。だって、
「そっか、夏帆が帰宅部なら私もそうする。ね、明日からも一緒に帰ろ!」
こうやってどんなに自分がやりたいことがあったとしても、私に合わせてしまうのだから。
でも、そうやって私を第一に考えてくれる姿にどこか安堵してしまう私がいた。
自己紹介も簡単に終わり、皆がそれぞれで部活見学などに行く中、
「夏帆、帰ろ!」
渚沙ちゃんは嬉々として私の腕に自分の腕を絡ませる。私は無言で頷き席を立ち、家路につこうとしたのだが、
「ねえお二人さん?今から近くのケーキ屋で親睦会があるんだけど行かない?」
一人の女子が私達に問いかけてくる。名前は知らない。確か、クラスは同じだったが記憶にない。
「ね、佐倉さん達も一緒に来なよ。そんなに可愛いんだからきっとモテモテだよ!」
彼女は難色を示す私達に詰め寄る。
「あ、あの、その、えっと、その、えっと、」
上手く言葉が出ない。初めて話すから、何を言えばいいのか、何を言ったらいけないのか分からない。
私は無意識に渚沙ちゃんの陰に隠れてしまった。
「ねえ、その親睦会ってもしかして他校の男子を交えたりする?」
渚沙ちゃんが私の言葉を代弁する。
「察しがいいじゃん!そうだよ。ついでに皆で遊ぼうって算段。」
女子はこともなげに、さも当然のように言う。
『男子』
その言葉が耳に入る、瞬間全身に悪寒が走る。
――男子――教室――密室――絶望――恐怖――痛み――
いくつかの情景が脳裏をよぎる。閉ざされた、幽閉したはずの負の記憶がよみがえる。
激しい吐き気が私を襲う。自然と渚沙ちゃんの腕に込める力が強まる。
「ね、どう?行こうよ!!絶対楽しいよ!」
私のことなど露知らず、女子は話し続ける。
………嫌だ。
行きたくない。
「じゃあ私達はパス。」
突如渚沙ちゃんが声を上げる。
「え!?なんで?」
女子は不可思議そうに訊く。
「私あまり得意じゃないんだ。男子。」
そう言い残すと、渚沙ちゃんは私の腕を引き、教室を後にする。その間際、
「じゃあ佐倉さんだけでも、」
「ダメ!!夏帆は私を家に送るっていう親睦会なんかより大事な用事があるんだから!」
その言葉の後、私達は今度こそ家路についた。
「ごめんね、渚沙ちゃん。」
「ん?なにが?」
家への帰り道、まだ震えが止まらない私は、体を渚沙ちゃんに預けるようにして歩く。
「だって、親睦会、私のせいで、」
「ああ、気にしないで。実際親睦会なんて興味ないし。私は夏帆と帰りたかったから。」
謝罪をしようとしたが、渚沙ちゃんは本当に親睦会に参加したくなかったようだ。こういう時の渚沙ちゃんは嘘をつかない。
「でも、わざわざ渚沙ちゃんが、だ、男子を苦手なんて言わなくてよかったのに。」
「それも大丈夫。私本当に男って嫌いだから。それに、」
渚沙ちゃんは私から腕を離し、正面から私を抱きしめ、
「夏帆と私だけの秘密だもん。誰にも知られたくないよ。」
と、耳元で優しく囁いた。
『男性恐怖症』
私は過去の一件によって、男性、主に同年代の男子に対して著しい恐怖心を抱くようになってしまった。
これを知っているのは渚沙ちゃんだけだ。
「うん。そうだね。私も渚沙ちゃんにだけ知っていて欲しいな。だって、」
私は頬を赤らめ渚沙ちゃんを正面から見据える。少し背の高い渚沙ちゃんに抱きしめられているから、この構図ははたから見ればまるでキスをする前兆にも見えるのだろう。でも、違う。私と渚沙ちゃんはそんな関係ではない。
「渚沙ちゃんは私を『守って』くれるんだもんね。」
かつての約束を反芻する。渚沙ちゃんは「そうだよ、」と頷き、私達は先程と同じく互いに腕を絡め合い、家へと急ぐ。
私は渚沙ちゃんの家に下宿している。本当はアパートを借りるつもりだったのだが、パパもママもそれを許してくれなかった。過去にあんなことがあれば当たり前だ。
そして家から電車で4駅離れたこの高校にどう通うかを模索している時に、渚沙ちゃんから提案があったのだ、「一緒に暮らしたらどうか。」と。幸い、ここから高校までは徒歩で20分程度しか離れておらず、暮らしているのは渚沙ちゃんとその両親だけ。私としても親としても最高の物件だった。
渚沙ちゃんの方も、共働きで忙しい両親の代わりに家事ができる人手が欲しかったらしく、丁度そんな時に私が現れたらしい。
そんなこんなで、私は渚沙ちゃんの両親が帰ってくるまでは、実質同棲している状態なのだ。
といっても、そんな浮かれた話は残念ながらなく、普段やってることといったら、
「やっぱり夏帆が作るブラウニーは美味しいね。生地がしっとりしてるのに全然べたついてないすっきりした甘さだよ。」
「ふふ、ありがとう渚沙ちゃん。」
こんな風に夕食までリビングで永遠にダラダラするだけだ。
「あ、ねえ夏帆?」
先ほどまで美味しそうにブラウニーを食べていた渚沙ちゃんの表情が急に深刻なものになる。
「どうしたの?渚沙ちゃん?」
「どうして向こうに行かないでこっちに来たの?」
ソファから身を乗り出した渚沙ちゃんから質問が発せられた。『向こう』とは私の家からほど近いところにあるまた別の女子高のことだ。
「あそこはお祖母ちゃんの家に引っ越さなきゃいけなくなるし、そ、それに………」
「それに??」
「……渚沙ちゃんと離れたくなかったから。」
口籠った先を珍しく渚沙ちゃんに急かされ、私は自分の本心を偽りなく伝えた。
「そっか、夏帆は私と一緒にいたくてこっちの高校に来たんだ。」
私の言葉を聞くと渚沙ちゃんは嬉しそうに頬を綻ばせ、私を力一杯抱きしめた。
「ああもうっ!!夏帆は可愛いなあ!!!益々守りたくなっちゃうじゃん!」
「えへへ、ありがとう渚沙ちゃん。私幸せだよ。渚沙ちゃんみたいな素敵な人から守って貰えて。」
私もまた、渚沙ちゃんの背中へと腕を回しその体を抱き寄せる。
「でも、だからこそ今日はごめんね。私を守るために親睦会断らせちゃって。」
「もう!またその話?気にしてないって言ってるじゃん。」
「でも、これでもしかしたら周りから仲間外れにっ」
「そんなのどうでもいいよ。」
私の言葉は途中で渚沙ちゃんに遮られてしまった。渚沙ちゃんは私の隣に座り、
「ねえ、夏帆。夏帆は『私以外の全員と仲良くなる』のと、『私だけと仲良くなる』のどっちがいい?」
と、真剣な面持ちで質問する。答えなんて初めから決まっている。
「私は、クラスの皆のことはよく分からない。もしかしたら、昔みたいに皆が私の敵になるかもしれない。でもね、渚沙ちゃんだけは違ったの。昔皆が私を蔑ろにする中、たった一人で私を助けてくれて、私の世界を変えてくれた。渚沙ちゃんは私にとってヒーローよりもずっと尊い存在なんだよ。だったらもう、答えなんて決まってるよ。」
私は一つ深呼吸をして、
「私は他の皆と仲良くできなくても、渚沙ちゃんがいれば幸せだよ。」
意を決して自分の本心を伝えた。もしかしたら、これで渚沙ちゃんに気持ち悪がられてしまうかもしれない。でも、構わない。渚沙ちゃんならきっと受け入れてくれるはずだから。
「私もね、夏帆と同じなんだよ。他がどうだって、夏帆が近くにいてくれればそれでいいんだよ。」
案の定渚沙ちゃんは私の期待通りの言葉を返してくれた。
私はその真っ直ぐな言葉がどこか恥ずかしくて、目を逸らしてしまう。
「あっ!もうこんな時間だ!!私晩御飯の準備するね!!」
私は適当な理由をつけてキッチンへと駆け込む。あのままあそこにいたら、気持ちを抑えられそうになかった。
渚沙ちゃんの言葉は確かに私の期待通りだった、でも渚沙ちゃんはきっと、友達として、親友としてああいう風に言ってくれたんだ。だから厳密には私と渚沙ちゃんの言葉は意味が違う。
―――私は、渚沙ちゃんのことを―――
あらかたの家事を済ませ、私は就寝するため自室へと向かう。
部屋の中には実家から持ち込んだぬいぐるみと、渚沙ちゃんと一緒に撮った写真くらいしかない。
私は日課となっている日記をつけて眠った。
今日は入学式でした。渚沙ちゃんと同じ学校に通うだけでも夢のようなのに、まさか、同じクラスになれるなんて夢にも思っていませんでした。でも、本当にあれだけの理由なのでしょうか?もしかしたら、私と同じクラスになるためにわざと自分のクラスを変えたのでしょうか?なんて、流石に勘違いも甚だしいですね。
相変わらず男の人は怖いままで、そのせいで渚沙ちゃんに迷惑をかけてしまいました。でも、やっぱりどうしても男の人ってなると、渚沙ちゃんがいないと息が苦しくなってしまいます。こんなに渚沙ちゃんに依存しきった私でも、渚沙ちゃんは嫌わないでいてくれるでしょうか??もし、嫌われたら私はどうなってしまうのでしょうか??考えたくありません。明日から、本格的に授業も開始されます。この高校は私には少しレベルの高い学校なので、ついていけるように頑張りたいです。
また明日、明日も渚沙ちゃんと幸せな時間が過ごせますように。
―――――――
今日は入学式だった。下らない。本音を言えばこんなレベルの高校に通うのはひどく不本意だ。本来ならば、もっと上のレベルの高校に進学できた。が、仕方ない。これも全ては夏帆と同じ高校に通うためだ。私には確信があった。夏帆は必ず私と同じところを受験するという。だから夏帆がぎりぎり受かるラインのここを選んだ。
親戚連中からはひどく呆れられた。期待を裏切ったと。でも構わない。私には一人、夏帆だけがいればそれ以外のものなど必要ない。私は夏帆を愛している。あの子を守るためなら全てを敵に回してもいい覚悟だ。でも、夏帆は違う。あの子は私に好意を向けているが、私からは好意が向いていないと思い込んでいる。私の庇護はあくまで友情の延長線だと思っているのだ。知ったらどんな顔をするのだろうか?こんな劣情にまみれた私の本心を知ったら夏帆はなにを思うのだろうか?それとも私の全部を受け入れて、私のモノになってくれるのだろうか??
分からない。でもきっと夏帆なら
「いやあああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
日記を書いている最中、隣の部屋から轟くような絶叫が響く。
「夏帆!!!!」
私はあわてて部屋を飛び出し、隣の部屋のドアを壊れるほどの勢いで開け、中に入る。
そこには半狂乱になった夏帆が、うわ言のように「助けて」と呟いているだけだった。
「夏帆、もしかしてあの夢?」
私は夏帆へと歩み寄り優しく彼女の頭を撫でる。
「な、ぎさ、ちゃん??う、うううう……」
私の姿を認めた夏帆は安堵からかそのまま泣き出してしまった。
「今日は一緒に寝よっか。大丈夫だよ。私が守ってあげるから。」
夏帆は何度も何度も頷き私の体にしがみ付く。
「大丈夫だよ。『今度』は私が守る番なんだもん。」
私は力なく締め付けられる体の感覚と、ほのかに暖かい人肌の感触を感じながら瞳を閉じた。
「お休み、夏帆」
くう~疲れました。
読んでくださり有難う御座いました。