ラビリンス 15層
シローの質問をぐっと飲み込むように口ごもるヒルデを見て、シローはそれ以上聞く事を止める。
「いや。やっぱり良い。詮索するのはマナー違反だったな」
シローは質問を撤回する。
「俺は、1週間の間、ヒルデをただ指導するだけだ」
ヒルデの表情を観察しながら、なかった事にしてくれと会話を閉じる。シローは、黙って歩き始めたヒルデを追う。
『マスター次の角を曲がったところに魔物です』
ラビリンスに入って2度目の戦闘が待つ。シローは、ヒルデが、魔物に気づけるかどうか少し心配になったが、今伝えてしまっては指導の意味もない。
シローは、ヒルデに気づかれないように槍を構え準備を始めた。
通路の角を曲がると同時にヒルデは、出合い頭に魔物に遭遇する事になる。やはり、ヒルデは、魔物に気づいていなかったようで、魔物に不意を突かれた形となった。
慌ててヒルデも剣を抜こうとするが、目の前のコボルトは、自らの爪でヒルデに襲いかかる分、動作はヒルデよりも早かった。その爪がヒルデの頭上を捉えようとしたとき、横合いからシローの槍が突き出てコボルトの首を串刺しにする。結果的に、シローの槍がコボルトにとっては不意打ちのように決まり、1撃でコボルトに止めを刺すことができた。コボルトが光に包まれ消えていく。
ようやく剣を抜き終えたヒルデが、槍を引き戻したシローの顔を見る。
「通路の角や部屋の入り口では、こう言う事が起こりやすい」
「あなたは、わかっていたのですか?」
「もちろんだ」
ヒルデは、自分が持っていない技術を使うシローを直に見て、その必要性を痛烈に実感する。1対1で、魔物に負けない力があっても力を発揮できない場面もあるのだとヒルデは痛感する。
「本当に私は、まだまだと言う事ですね」
少し自信をなくしたのヒルデがそう言った。
「そうだな」
シローは、慰める言葉もなく素直にヒルデにそう伝える。緊張感を持続させながら慣れないラビリンスの中を歩く事は、想像以上に厳しく、予想できないことも頻繁に起こるのだ。
「少し、休憩するか?」
さっきまでのヒルデなら大丈夫だと拒否する場面なのだろうが、今は少し気落ちしているためか素直にシローに従って頷いた。
シローは、背負い袋から水筒を取り出すと口をつける。黙ってヒルデを見ているとヒルデは、懐から小さなポーチを取り出した。それを見たシローは
「マジックアイテムか?」
「ええ。1人分の水や食料なら十分に入れる事ができます」
貴重なマジックアイテムを見たのはシローも始めてだったが、噂に聞いていた魔法の鞄の一種だ。冒険者にとっては、涎ものの一品だろう。ラビリンスの中で魔物から手に入る宝箱以外の宝箱が稀に見つかり、その中には、古代遺産であるマジックアイテムが入っている事がある。
休息を取るため通路に腰掛けるが、そこには椅子やテーブルがあるわけではない。まして、今この時も魔物が襲ってくる可能性がある。
想像していたラビリンスと現実のラビリンスの違いを肌で感じながらヒルデは、物思いにふけっている。
「想像と違ったか?」
「ええ。想像していたよりも色々と準備が必要だと感じました」
事実、今のヒルデでは、ソロでラビリンスに挑む事は、難しいとシローは見ている。だが、ヒルデにもソロで挑む理由や目的があるのだから、ここでシローが余計な事を言っても受けいれるとは思わない。
「罠や魔物の索敵、不意打ちへの警戒ができる事。ラビリンスのマッピングができるだけの技術を持つ事が必要だ。そして最も難しいと俺が考えているのが、この空間にどうやって滞在し続けるかだ」
シローは、ヒルデに本気で挑む覚悟があるならそれを自分で解決しろと伝えたかった。
「私は、戦う訓練を受けました。魔物と戦うイメージして様々な場面を想定した訓練です。それなりに頑張ったつもりでした。他にもラビリンスに関する文献もたくさん読みました。そうですねそれを暗記するくらい何度も読んでラビリンスの攻略に必要な知識を手にいれたつもりでいました」
「そうか」
「でも、私が想像していたのは、本の中のラビリンスだったのかもしれませんね」
膝を抱えるようにして休息を取りながらヒルデは話す。その目には、うっすらと涙が毀れていた。
「なんだ。ヒルデは、もう諦めるのか?」
シローが、ヒルデを挑発するような言い方でそう言うとヒルデが、シローを睨み返す。
「諦めるならそれまでだ。こんな指導も意味がなくなるな」
さらにヒルデを追い詰めるように続ける。
「あなたに何が……」
シローに言いかけてヒルデは、すぐに口を閉ざした。どれだけ自分が言い訳しても目の前の男の言うとおりなのだと気がついたヒルデは、それ以上なにも言う事ができなかった。今、自分が、あきらめ始めていた事を目の前の男は、現実に可能として実践しているのだから。
「最初からすべてができるわけがないだろう。いいか、俺だってまだこのラビリンスに潜って日が浅い。毎日が、命がけの冒険だしここで何度も死にかけた。今だって課題が山積しているし、未だに解決できていないことも多いんだぞ」
初めてラビリンスに挑んで何も問題がないと言える冒険者はいない。
「ヒルデには、力があるんだろう? その腰の剣だってマジックポーチだってヒルデの力だ。持っている力を活かすのは、冒険者にとって重要な事だからかな。足りない物があるなら揃えるなり、手に入れるなりすれば良い」
金だって権力だって力である事には違いがない。自分に足りない物がわかったのだから、そろえる方法を考える方が建設的だとも思った。
「私の力……」
「ああ。俺には、ヒルデみたいな力はない。だから俺なりに考えた末に出したのが、今のスタイルだ。もし、ヒルデみたいな力があれば、別の手段を考えたかもしれない。間違うなよ目的を叶えるためなら手段は関係ないんだ。手段にこだわって目的を達成できないなら、そんな手段はさっさと変えた方が良い。ヒルデが、なぜラビリンスに挑むかを俺は聞くつもりはないが、ヒルデが本気でラビリンスに挑むつもりなら手段は無限にあるだろう」
シローに正論をぶつけられたヒルデは、顔を伏せ涙を拭いた後に顔をあげた。
「私が、ラビリンスに挑むのは、私自身のためです。親が決めた望まぬ婚姻を避ける条件が、自身で身を立てる事でした。子供の頃から寝物語で聞いていた伝説や冒険者に憧れ、小さな時から剣を振って過ごしてきました……。自分が身を立てるならこれしかないと冒険者になるためにラビリンスの事をたくさん調べました。周囲の者は、女だから危険だから無理だからと私を止めます。でも、私は、望まない結婚も夢を途中であきらめる事も嫌でした……」
「そうか。それでヒルデは、ラビリンスに。だがなぜソロで挑む事を考えたんだ? 親の条件は、ソロでラビリンスを解放する事じゃないのだろう?」
ヒルデが頷く。
「なら、ヒルデは、手段を変えることもできる。今のヒルデの話しならヒルデの最終目的は、一人前の冒険者になる事なんだから、確実に冒険者を続けられる道を示した方が良いかもしれないな。ヒルデは、戦闘職としてなら今の時点でも十分に役割を担う素質があると思うぞ」
シローの言葉にヒルデも反応する。
「私は、1人で何でもできなければ誰もついてこない。なんでもできなければ認めてもらえないと思っていました。戦う事しかできない私でもついて来てくれる人がいると思いますか?」
「そうだな。ヒルデは、経験さえつめば戦士として十分活躍できそうだな。それにヒルデが、パーティーを募ればついてくる奴は多いだろう。今だって、ヒルデを守るために見てくれている奴らがそばにいるんだろう。1人はスカウトだと思うが、ヒルデがそいつを仲間にできれば、浅い層ならすぐにでも挑戦できるだろうし、信頼できる仲間ならその先も一緒に経験を積んでいけば、深い層へも進めるだろうさ」
「私が、リーダーを……できるでしょうか?」
「それも手段の1つだと言いたいだけだ。自分がリーダーに向いてないと思うなら向いている奴を探せばいい。すぐにできなくても将来できるようになればよい。型にはまらず工夫していけばいいんじゃないのか? 数年後にヒルデが有名クランの代表って立場でも親には十分、認めてもらえるだろうさ」
少しその姿をイメージできたのかヒルデもまんざらじゃないようだ。