嘆きの海原 その2
まずは思考を切り替えろ。
良太は現状を受け入れ、与えられた情報を整理していく。
おそらくこれは脱出ゲームだ。制限時間内に部屋を脱出出来れば、プレイヤーの勝ちとなる。制限時間はこの部屋が水没するまで。そして脱出するためには、ボートを使わなければならない。ここでのボートとは部屋の奥にあるバルブ付の水密扉のことを指すのだろう。しかしボートを使えるのは一人だけ。残った二人は助からない。またボートのロックには残される二人の承認が必要となる。承認には両側の壁に現れた窪みにドッグタグをはめ込まなければならない。
つまりこのゲームでは、三人の内一人しか助からない。その一人をどうやって決めるか、その手段が重要となってくる。
話し合いか、暴力か。時間はそれほど残ってはいない。部屋が水没するまで十分といったところだろう。
「ど、どうするんだよ!? 僕はまだ死にたくないぞ!」
「そんなのあたしだって同じよ!」
上田と二葉が激しく言い争っている。良太はそれらの主張を雑音として、この世界から排除する。誰だって死にたくない。自分がどれだけ生きたいかを主張したところで、この状況でそれが何かの役に立つとは到底思えない。必要なのは、どうすれば妖精王が用意したという道具を手に入れることが出来るか、だ。
「二人とも、落ち着け。とりあえず情報を整理しよう」
「落ち着けですって?! この状況で、どうやって落ち着けっていうのよ!」
水はもう太ももの辺りまで上がってきている。このままでは、いずれ身動きすら取れなくなってしまうだろう。
「いいか、助かるための手段はさっきの放送で妖精とやらが言っていたはずだ」
「そ、そう! ボートだ! ボートに乗るんだ!」
「ボートって、そんなのどこにもないじゃない! それにボートに乗ったところで部屋が水没しちゃったら意味ないわよ!」
日常からかけ離れた危機的状況とはこれほどまでに思考を鈍らせるのか。
良太は醜く言い争う二人を冷めた視線で観察していた。二人が言い争えば言い争うほどに良太の思考はクリアになっていく。
「そうだ、ボートはこの扉のことを指してるんだ!」
上田がバルブ付の扉を勢いよく叩く。そしてバルブを回そうとするが、やはりバルブは動く気配すら見せない。
「じゃ、じゃあ、その扉を開けるには、二人の承認が必要ってこと!?」
「ああ、そしてそのためにはあの二か所の窪みにドッグタグをはめ込まないといけないみたいだな」
良太の発言に、二人の目の色が変わる。二人の考えはよく分かる。どうすれば自分以外の二人にドッグタグをはめ込ませるかだ。時間はかかったが、ようやく二人はこのゲームの意味に気付いたようだ。
このゲーム。扉を開ける方法はいくつか存在する。話し合いで助かる一人を選ぶ。くじ引きによる運任せ。暴力により相手を服従させる。様々な方法があり、そのどれを選択するかはプレイヤーの自由となる。
だが、
「ぼ、僕だ! 扉を開けるのは僕だ! お前たちは早く認証しろよ!」
「バカじゃないの!? 何であんたを助けて、あたしたちが死ななきゃいけないのよ!」
「ぼ、僕は妖精の島に行って、妖精に生まれ変わらなきゃいけないんだ!」
「妖精、妖精って本当にバカじゃないの!? ウザいだけじゃなくて、妄想癖持ちだなんて最悪よ、あんた!」
「うるさいうるさい! お前らは黙ってこの扉を開ければいいんだよ!」
中身のない会話だ。この二人がどうなろうと良太には関係ないが、いい加減鬱陶しくなってきた。良太は二人から離れ、壁に現れた窪みに自分の持つドッグタグをはめ込んでみた。先ほどとは違い、タグは力を込め続けていないと排出されるようになっていた。
つまり二人がドッグタグをはめ込み、抑え続けておかないと扉のロックが外れないということなのだろう。
これで、ドッグタグだけをはめ込み、三人で部屋を出るという選択肢は消えた。
良太は水を掻き分けるようにして、部屋の中の観察を続ける。
部屋の壁一面には何かの絵が描きこまれている。何だろうか。暗い空、大粒の雨。遠くにあるのは雷か。どうやら嵐に巻き込まれた船という状況を絵で表現しているらしい。だがそれだけではない。周囲を飛び回る人型の何か。
「妖精、か?」
雨風が吹きすさぶ中、ちらほらと妖精の姿が描かれていた。妖精たちは天候を気にしているのか、その視線が空へと向けられている。
他の壁はどうなっているのか。既に水位は腰の辺りまで上がってきていた。
「良太、何してんの?! 早くボートを使う人を決めないとヤバイよ!?」
壁を調べる良太に、二葉が声をかけてくる。小柄な二葉は既に胸元まで水に浸かっている。それだけに危機感も高いのだろう。必死な形相で声を張り上げている。
しかし良太は二葉の呼びかけを無視し、壁を調べていく。やはりどこの壁も嵐の海の絵、そして空を見上げる妖精の姿が描かれている。どの壁も同じ構図だ。しかし一つだけ気付いたことがある。妖精たちは皆揃って同じ方向の空を見上げているが、壁ごとに見上げている向きが違うのだ。これが何を意味しているのか。
「そうか。そういうことか」
そして良太は気付く。今にして思えば、あの放送はどこかおかしなところがあった。その違和感があったからこそ、良太はさほどボートに執着しなかったのだ。そしてその違和感の正体も今分かった。
「悪趣味なゲームだな」
良太は壁の上方を観察する。あった。このゲームの突破口を見つけた。
「良太!」
業を煮やした二葉が良太の所までやってくる。良太は上田と二葉を見比べ、そして選択する。
「二葉、俺に力を貸せ。ここから脱出する」
「……え?」
ぽかんとした顔で二葉は良太を見上げた。
「で、でも、ここから出られるのは一人だけで。だからボートを」
「ボート、か。上田!」
良太は一人バルブと格闘する上田に呼びかけた。
「今からその扉を開けてやるよ!」
良太の発言に上田だけでなく、二葉も驚きの表情を作る。
「ちょ、正気なの!?」
「ああ、正気だ。ボートは上田にくれてやるさ」
良太の発言に、上田は嬉々とした顔で笑う。
「やっと理解してくれたんだな! 生き残るのは僕以外にありえないと!」
「ああ、理解したよ! だから俺と二葉で扉を開けてやる!」
「良太! あたしは嫌だからね!」
「いいから俺の言うとおりにしてくれ。生きて、この部屋から出たいんだろ?」
「だ、だけど……」
「俺を信じろ。必ずここから出してやる」
二葉はどうすればいいのか分からず、今にも泣きそうな顔だ。しかし良太は力強く宣言する。そこに確かな知性、そして自信を感じ取ったのか。二葉はじっと良太の顔を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「うん……協力する」
「そうと決まれば、まずはあの扉を開けるぞ」
良太と二葉は左右の壁へと移動し、ドッグタグを窪みへとはめ込んだ。
カチリと扉の方で音が鳴り、上田が歓声をあげる。
水が入り込まないためであろう、上田のいる扉付近をコンクリートの壁が覆い隠した。
「お前たちのことは絶対忘れないからな!」
壁の向こうからは水密扉の開く音。続いて響く水密扉の閉じる重い音を、二葉は絶望に染まった表情で見送った。
良太がドッグタグを取り外すと、水密扉が再びロックされる。これでもうこの部屋から出ることは出来なくなった。
「ねぇ……本当にこれで、良かったの?」
その声は恐怖に揺れていた。
「ああ、ボートなんざくれてやれ。そんなもので生き残れるはずがないからな」
「……どういうこと?」
「考えてもみろ。大嵐の海に小型のボートで漕ぎ出すなんて正気の沙汰じゃねぇ。そんなもの、拾える命も捨ててしまうようなものだ」
「でも、それしか助かる方法がないんじゃないの?」
「妖精の放送。覚えているか?」
「う、うん。妖精の王様が助かるための道具を用意したって。それがボートで、一人しか乗れなくて」
「違う」
二葉の言葉を、良太はきっぱりと否定した。
「妖精の王は確かに助かるための道具を用意した。しかしそれがボートだとは明言されていないんだ」
「ど、どういうことよ?」
「ボートがあることは確かだろう。だけど、それは元々この船に用意されていたものだ。妖精王が用意したものじゃない」
妖精はこう言った。
『でも安心してほしい。我らが王はとても慈悲深いお方なんだ。王は魔法を使って、その船に助かる術を用意してくれたのさ』
『ここからが重要だよ。よく聞いてね。この船にはボートがあるんだ。だけどボートには一人しか乗れない。小さいボートだからね。仕方ないんだ。そしてボートのロックを外すには、ボートに乗れない二人の承認が必要となるのさ』
「巧みな言葉による誘導だよ。つまりボートはフェイク。ボートでは助からないんだ。助かるためには妖精王の用意した道具を使わなければいけない。そしてそれは」
良太は壁に描かれた妖精を指差す。
「こいつらが教えてくれる」
二葉はどうすればいいか分からず、ただ戸惑った視線を向けてくるのみ。 こうして話している間にも水位はどんどん高くなっている。
「二葉、お前泳げるか?」
「え? う、うん……泳ぎは得意だけど……」
「そうか。なら、しばらくこのまま水位が上がるのを待とう」
「でも、ちゃんと説明してよ! 何をどうすれば、あたしたちは助かるの?」
「ああ、そうだったな。答えはこの妖精の絵が教えてくれるんだ。この妖精たちは何をしていると思う?」
「えっと、空を見上げている?」
「違う。こいつらはある物を俺たちに教えてくれているんだ。この部屋の壁全てに妖精が描かれている。そして彼らはどの角度から見ても常にある一点を見ているんだ」
妖精たちの視線を辿って行くと、天井よりやや下方位置の壁の一部に視線が集中しているのが分かった。そこに何かがあり、妖精たちはそれを見つめているのだ。
「それが妖精王の残した道具だって言うの?」
「そうだ。だから俺たちはそれを手に入れる。そのためには協力者が必要だったんだよ。よく見ると分かる。あそこにも窪みが二つあるんだ」
そして窪みが二つということから、道具はおそらく二人分。だから道具を手に入れる段階で三人の人間がいてはまずかったのだ。その道具を奪い合うような展開だけは避けたかった。そのためのボートという罠なのだろう。
つまりこのゲームは、いかにして邪魔な一人を排除して、妖精王の道具を手に入れるかというゲームなのだ。
「ひどい……」
「ひどい、か」
正直、良太にはこの程度のこと、ひどいとは感じられなかった。社会は常に弱肉強食なのだ。弱き者、愚かな者は淘汰されていく世界。上田はそれに落ちた。ただそれだけのことだ。
「でも、道具を手に入れたとして、出口なんてどこにもないじゃない……」
「いや、出口ならある」
「え?」
「壁に空いた穴があっただろ? 水が溢れてきたあの穴だ。実は一か所だけ水が流れていない穴があったんだ。そこから外に抜けられるはずだ」
そしてそのために必要な道具。良太には大方の予想が付いていた。
既に部屋の半分以上は水没していた。完全に水没するまで、あと三分といったところか。
「そろそろいけるか」
「窪み、見つけたよ!」
手を伸ばせばなんとか届くという高さに窪みがあった。良太と二葉はドッグタグを窪みへとはめ込んだ。
ガコンと音がして、窪みのあった壁の横が反転する。中は空洞になっているようだ。そしてその中にソレはあった。
「酸素ボンベ!」
スキューバーダイビングなどで用いられる酸素ボンベの小型化されたものがそこには収められていた。
時間は残り少ない。良太は急いで酸素ボンベを装着する。二葉も焦りから時間はかかったが、なんとか装着を終えた。
「俺の後ろをついて来い。行くぞ」
そして良太は水の中へと潜った。穴はなんとか人が一人泳いで進める程度の広さだ。二葉が後ろをついてきていることを確認しながら、良太は慎重に穴を進んでいく。
やがて穴は上へと伸びていき、水面が見えてきた。出口だ。
そして良太は浮上する。そこはやはり建物の中だ。縦に伸びたトンネル状の空間。奥には梯子が見える。
良太に続いて、二葉が水面から顔を出した。
「やったな」
良太は笑いながら、二葉の肩を叩く。
しかし二葉は憔悴しきっているのか、気だるげな視線のみを返してきた。
「あそこに梯子がある。とりあえず上へあがろう」
ゲームがこれで終わりとは思えない。しかし良太は生き残った。
(沙織、お前は今どこでどうしているんだ……)
沙織も良太と同じくゲームに巻き込まれているのか。
良太は沙織の無事を祈りながら、梯子に手をかけた。