私、不可思議紗奈の記憶から書き起こしたもの
2018年の1月27日、私はついに糸川雅人と接触する機会を持った。彼にはあのようなDMを送ってしまったが、正直本件に関しては分からないことも多々あった。ただ、紗南村に纏わる伝承や彼らを苦しめている全体像は掴んだ為にそれを土産話に向かったという訳だ。
「うぅ、長野って寒いっすね」
私の後ろをあるくフィグは大きな身体を震わせながら後ろを歩いていた。その日の気温はマイナス五度。周りにそびえ立つ山々から降りてきた風が身体を突き刺し、体感だともっと寒かったように思う。連日降り続いた雪で山や木々は白く染まり、所々に深い緑の葉を残しながらも一面が銀世界に染まるその様はとても幻想的だった。足を一歩進める度に、かたくり粉を踏み鳴らしたような音がちいさく鳴る。きゅ、きゅっきゅっ。フィグがふいに声を放ったのは、私がその音に耳を澄ませていた時だった。
「あっ、糸川雅人ついにライブ配信やるみたいっすよ」
「今から? 私たちがいくのに?」
「なんか、ほら」
フィグが手にしていた携帯には、糸川雅人が五分後にライブ配信を開始しますと確かに表示されていた。アンチコメントに対する密かな抵抗だろうか。彼のコメント欄には動画の真偽を疑うコメントが多々あった。SNSが主流となり情報が氾濫している今の時代、大半のものは投稿されて数分もすればネットの海に沈む。だが、仮にそれが一過性だったしても話題になったものには大勢の人間が群がり、貪り、食い荒らす。まるで池にパン屑を落とした時の、それに群がる鯉のように。最後は食べカスしか残らず、味のしなくなったものは吐き捨てられる。その頃には、人々の目は別のなにかに向けられているからだ。糸川雅人の投稿した動画は少なくともこの数週間は台風の目にあった。一番間近にいた彼は凄まじい暴風雨に吹かれていたはずだ。
そんなことを考えていたら、彼の住む洋館が目に入った。特徴的な青い屋根は白く染まっている。一歩、また一歩と雪を踏み鳴らし、チャイムのベルを鳴らした時「うわあぁぁぁ」とフィグが情けない声をあげた。なに?っと苛立ちを込めながら振り返ると、フィグの顔が恐怖に歪んでいた。ぱく、ぱくと魚みたいに口をもごもごと動かしてはいるが声が出ていない。ただ、携帯を手にしたまま、なにかを私に必死に伝えようとしている。その時だった。ドアが開く音が鼓膜に触れた。
「不可思議さん、ようこそいらっしゃいました! 外は寒いでしょう? どうそ中に」
糸川雅人だった。何故か頭に莉子と同じような包帯を巻いている。それに、動画内でみた時よりもかなり痩せているようだった。頬はこけ落ち、目は落ち窪んでいる。ただ、声だけは明るい。その歪な組み合わさに一瞬たじろぎながらも私は促されるまま洋館に足を踏み入れた。瞬間、私は「ひっ、いやぁぁぁぁ」と自分でも聞いたことのない声色で、叫んでいた。
まず目に入ったのは壁紙だった。これまでにも何度も映っていたあの青い壁一面に螺旋の模様が刻み込まれていた。油性のマーカーでただひとすらに殴り書きしたような、乱雑さが漏れ出ており、所々色が滲んでいた。そして、次いで視界に入ったのが莉子だった。数が、増えていたのだ。彼女の妻である莉子が、増えていたのだ。これは比喩ではない。文字通りの意味だ。恐らく十四、五人。いやもっといただろうか。一階のリビングの床は、体育座りをしながら虚ろな目で天井を見上げる莉子で埋め尽くされていた。あぁあぁぁ、と低くくぐもった声で部屋は満ちており、全員が似たような白いワンピースを身に纏っていた。年齢はばらばらだったように思う。大人の莉子。それよりも一回り若い莉子。動画内に映っていた幼少期の莉子。赤ちゃんを抱えているものまでいた。
何なんだこれは。私はこれでも心霊現象や怪異を生業としてきた。だが、そんな私ですら自分が目にしているものが現実かどうか疑った。それに、と思う。家に入った時からずっと鼻を突き抜けるような匂いがしたのだ。なにかの、オイルのような。あとから入ってきたフィグは腰を抜かして倒れており、私はこれが自分にだけみえている訳ではないのだと、ようやく認識する事が出来た。
「すみません不可思議さん。アンチの奴らがあまりにもうるさいので実は今この瞬間もライブ配信をさせて頂いています。ほら、カメラが天井のあそこに。いやあ、取り付けるのに苦労しましたよ。部屋の全体を映し出さなくちゃですからね。あっ、配信しても良かったですか?」
「え、いや私は」
「そうですか。それは良かった。いやあ、嬉しいなあ。僕、不可思議さんの大ファンなんですよ。 あっ握手してもらっていいですか? ありがとうございます! ほら、奴らにみせつけてやりましょう。カメラにピース!!」
まるで水のなかで糸川雅人の放った言葉を聞いているかのようだった。声が遠い。心做しか、頭もぼんやりとする。私の身体のなかにもう一人の自分を宿しているかのような錯覚を覚えた。五十キロの身体のなかに、更に五十キロ。とにかく、身体がとてつもなく重かった。そんな私を察したのか、糸川雅人が私とフィグを椅子に座らせてくれる。机を挟んで向かい合うようなかたちになった。程なくして「あー妻も同席させましょう」と思い出しかのように席を立った。部屋の片隅で、カーテンとカーテンの隙間に身体を縮こませ、天井を見上げていた莉子を連れてくる。
「ぁぁぁぁぁ」
同席した莉子はずっと低い唸り声をあげていた。
それから私は調査の過程から結論に至るまでを全て話した。糸川雅人は全てを聞き終えたあと、「それが、あなたの答えですか」と満足したような、それでいて悲しそうな歪な笑みを浮かべた。話し終えるまでに時間にして二時間程かかったと思う。大勢の莉子に囲まれながら、彼女に関する話をするのは異様な光景だった。螺旋。その単語を口にした時、ずっと天井を見上げていた彼女たちがぐるりと首を傾げ、地下室がある方向へと一斉に指を差した。あの瞬間の恐怖ったら無かった。
何故こんな人数に。そう疑問を投げかけた時、糸川雅人はこの家具はどこで買ってきたのと聞かれたような、なんてことない表情ですらすらと話し始めた。動画内で莉子があの螺旋階段から引き連れてきた少女。全ては彼女から始まったらしかった。あの日以来、莉子は何度も螺旋に向かおうとした為に、糸川雅人は一時期莉子をずっと部屋に閉じ込めていたらしい。その間も少女は家のなかにいたが、正直彼女に関しては存在すらも不可思議な為どう取り扱ったらいいか分からず、自由にさせていたらしい。少女はそれから夜な夜なあの螺旋階段へと降りていくようになった。やがて、少女は新たな一人を引き連れて戻った。二人が四人になり、四人が八人に。指数関数的に増え続け、今の人数に至るまでに三日もかからなかったという。諦めにも似たような境地で部屋に閉じ込めていた莉子を外に出した時には、彼女のなかから言葉というものがごっそり抜け落ちていたそうだ。
私は糸川雅人にこう提案した。動画内に映っていた少女を含めたあの螺旋階段から連れてきたものを全員元の場所へと返すべきだと。勿論その前に民俗学に長けた助教授の話はしている。あの場所は、私たち人間が関わっていい場所ではない。もし以前の生活に戻りたいなら、彼女たちを帰しあの螺旋階段の穴を塞いで存在すらも忘れてしまうべきだと。だが彼は首を横に振った。丸一日粘ったが、結局私はその意思を変えることが出来なかった。
一ヶ月後、あの家は廃墟となった。たった一ヶ月で壁に穴が空き、蔦が生い茂り、森の中で青々と存在感を示していたあの屋根も、灰色にくすんでしまった。そして敷地の周りにはテープが引かれ、四隅にはみるかに普通の職種ではない男たちが門番のように立っている。糸川雅人も、彼の妻である莉子も、今となってはどうなったのか分からない。
もしかしたらあの家の螺旋階段は、なにかの禁忌だったのかもしれない。選ばれたごく一部のしか知ることすらも許されない禁忌。私は、運命に導かれるようにしてそれに触れてしまったのかもしれない。最初にも記述したが、私は現在あの件に関わったせいで活動休止に追い込まれている。彼らに関する情報をまとめた該当動画は削除。新たな動画をあげようにも、ものの数分で管理者権限による制限、あるいは削除となる。もはや、廃業寸前にまで追い込まれてしまったという訳だ。だが、ここで歩みを止める訳にはいかない。
この世界は、全て二進数で構成されている。0と1。男と女。表と裏。私たち人間が生きている世界を表とするならば、心霊現象や怪異といったものはある種世界の裏側を垣間見た瞬間なのかもしれない。今回のような禁忌もそれにしかりだ。
私は、これからもそんな世界の裏側を探求し続けるだろう。どんな障害があろうとも、そんなものは踏み越えてやる。口封じをしたければ、いつでも私の元へと来るがいい。探してみろ。探し続けろ。相手が存在も所在も分からない影ならば、私も影となってやろう。互いに影だ。面白いじゃないか。
世界の裏側を探求する。
それが、私の仕事だ。




