私、不可思議紗奈の受信BOXより抜粋
不可思議紗奈様、改めて初めまして。当方、○○○大学にて助教授をしております、及川健と申します。
早速ですが、あの村について私が知っている限りのことを話させて頂きます。残されていた文献によると、あの村が紗南村と呼ばれるようになったのは今から五百年程前のことだそうです。当時から人口はそれ程多くはなく、何分周囲を山で囲まれている為に冬は凍てつくような空気に襲われますし、当然ですが身体を温めてくれるような今のような暖房器具も無かった。真冬に、眠りについたまま目を覚まさなかった者は毎年のように現れたそうです。
雪は、死を引き連れて舞い落ちる。
このようなニュアンスの言葉が、当時の文献には何度も登場してきます。彼らは常に死と隣り合わせで人生を歩んできたのでしょう。だからこそ彼らが残した書物には生と死を表すような絵、図、単語が多く点在しています。その中でも私が興味を引いたのは、螺旋という単語。渦巻きのようなその模様は古代から命の流れ表すものとして象徴されてきました。それは、紗南村だけではなく世界各地で発見されています。我々人間は、いえ全ての生物はこの世に生まれ落ち、そしていつかは確実に死に至ります。昔の人たちは少なくとも現代で生きる我々よりもずっと、それを神聖なものだと捉えていたのでしょう。
紗南村は、そのひとつに過ぎません。彼らの残した文献を読むと、あの村にはある穴が存在していたことが記されています。底がみえず、闇すらも呑み込もうとする程の深い穴。彼らは亡くなった人たちを、また村の意思にそぐわない者をその穴に投げ入れていたそうです。再び会わんことを。これは、まだ再び会えることを祈るというような意味になりますが、投げ入れた者たちにはその言葉を捧げたそうです。まさに螺旋です。輪廻、ともとれますか。
既に亡くなっている人や、穴に落とされすぐに息絶えた者はまだいい。けれど、生き延びてしまった人もいるはずです。音も光もなく、心臓が動きを止めるその瞬間まで、無限に続く闇を生きるというのは言葉にするのも怖いです。恐らくあの穴に投げ込まれた何百人もの人間が、痛みに悶えながらも憎み、恨み続けたはずです。だから、なにかが開いた。
約二百年程前の文献から、その時期から不可思議な出来事が立て続けに続いたことを記す記述があります。鳥の歌に誘われ、自ら穴に飛び込む者が現れただとか。自分ではない自分をみたとか。なかには一刻経たずうちに日は落ちた、というような時の流れすらもおかしくなったという記述まであります。
先程私があえて開いたという言葉を使ったのは、私はこれを何かの扉のようなものだと思っているからです。数百人もの怨念が、私たちには想像も出来ないような次元を超越したものとの、ある種の緩衝材になってしまった。
正直SNSに呟かれた内容をみて、不可思議様の調査能力を改めて流石だと再認識させて頂きました。現在各種SNSで話題となったあの洋館は、文献に残されていた記述それから位置関係から推察するに恐らくその穴が存在していた場所だと思われます。
実は、今から約十年程前なりますがに私も自分なりに調査をし、あの洋館を一人で尋ねた事があるのです。当時は恐らく三十代くらいの女性が一人で住まれていました。研究の為に家をみせてくれないか、なにか痕跡があるかもしれない、と私はその女性に懇願しましたが断られてしまいました。でも、去り際、彼女に「待って」と呼び止められたんです。
「気を落とさないで。もしあなたが本気でそれを望んでいるのなら、待つことです。ただ、待つのです。無関係な人がそれを聴いても身体が強張るだけ。でも、もしあなたがこちら側に来るにふさわしい人材なら鳥の歌が再びこの家に呼び寄せてくれる」




