糸川雅人が投稿した動画 #4
投稿日時:2018/1/7
投稿者:糸川雅人
備考:動画ファイルを不可思議紗奈が文字起こししたもの。
「りーこ、何作ってんの」
換気扇の下で、青いエプロンを身に纏う莉子がフライパンを振っていた。カメラに気付くと「えっ、また撮ってるー。もう日課じゃん」と呆れたように笑った。
「東京の家ではそんなになんだけど、こっちにきたらなんか撮らないと落ち着かないんだよね。で、何作ってんの」
カメラがフライパンを上から映した。トマトとにんにくを炒めているようだった。食材から沸き立つ湯気がレンズを曇らせる。食欲をそそるにんにくと酸味の強いトマトの匂いが、こちらにまで届いてきそうだ。
「アラビアータ」
「なにそれ」
「パスタだよ。あと、ルッコラとモッツァレラチーズのサラダも作った。ほら、そこ」
「あっほんとだ。莉子の作る飯ってまじで旨いもんな。いつも感謝してます」
カメラがゆっくりと近付き、莉子の顔をアップで映した。「ちょっと近いって。メイクしてないし毛穴とか映ったらやだからもっと離れてよ」と左の手で顔を隠しながらフライパンを振っている。
「いいじゃん、莉子は綺麗だから」
「はいはい。もういいから座ってて。ご飯もうすぐ出来るから。あっ、フォークとスプーンだけテーブルに並べといて」
「はいよー」
こうして見ていると、ほんとにいい夫婦だ。二人のやり取りや空気感に触れているだけで、こちらまで頬が緩んでしまう。カメラは固定され、それから二人は他愛もない会話をしながら食事を楽しんでいた。雅人が二人分の食器を下げ洗い物をし始めた時、莉子は携帯を触っていた。特筆すべきことは何もないような、穏やかな時間が流れていた。
#4の動画はこれで終わりかと思い、次の動画に進めようとした時、まだ三十分以上先があることに気付いた。二人でゲームでもするのだろうか。でも、異変がないようであれば先にと三十秒ごとに動画を進めていくと、部屋のなかに「莉子! 莉子!」と張り裂けるような声が響いた。
カメラは未だに莉子を映している。椅子に腰を下ろしたまま携帯を手にし、画角の外にいる雅人に目を向けている。
「えっ、なに? どうしたの?」
「今……食後の運動をしようと思って地下に降りたら、いや、とにかくみて貰った方が早い!」
「え、う、うん」
莉子が立ち上がってから程なくして、「あっ、カメラカメラ」と雅人の手が伸びてくる。映像は大きく揺れ、それから二人揃って地下に降りていく様が映し出されていた。白い蛍光灯が、剥き出しのコンクリートに光を落としている。心做しかひやりとしたつめたさがある。
「なにこれ、どうしたの。こないだの地震でヒビが入ってたとこだよね」
莉子が目線を送る先のコンクリートは所々が剥がれ落ちていた。砂くずと石片が床に散乱してる。
「いや、問題はそこじゃない。割れてるところをよくみてくれ」
言われるがまま、莉子が壁の割れ目を覗き込んでいる。
「な、にこれ」
「分からない。木材だとは思うけど、この感じ壁一面にそれが埋まってるんじゃないか」
「家を建てる時ってそうやるの」
「まさか。これはどう考えてもおかしいよ。見た感じその木の上に薄くコンクリートが塗られてるだけなんだ。だから地震でヒビが入った」
雅人は莉子に「ちょっとカメラを待ってて」と手渡し、それから爪を立てコンクリートを剥がし始めた。だが、やはり自分だけの力ではどうすることも出来ず、一度上に上がりハンマーを持って降りてきた。
「え、待って待って。その壁壊すの」
莉子の動揺がカメラの揺れから伝わってくる。
「これ使わなくちゃ無理そうだから。莉子だって知りたいだろ、この木材が何なんのか。建築の不備とかミスなら請求も出来るかもだしな。とにかく、このままには出来ないよ」
「……分かった」
それからは、編集で映像が早送りにされ、壁が壊されていく様が映し出されていた。かなりの重労働だったろう。部屋のなかには砂ぼこりが舞い上がり、雅人は何度も汗を拭っていた。そうしてあらわになったのは、木製の扉だった。それも、何やらお札のようなものが、所々に貼られている。
「なんなの、これ」
震えた声で莉子がそう呟いた時、私も生唾を呑み込んでいた。それでも彼らの動揺からすれば、私のそれなどたんぽぽの綿毛くらい軽いものだろう。自分の家の地下に、それも壁のなかに明らかに人為的に隠されたような扉が現れたのだ。こんなの、平常心でいられる訳がない。
「あ、開けようか」
「開けるの」
「ここは俺たちの家だ。この扉がなんにせよ、俺たちの家に埋められていたなら状況を把握しとかないと。大丈夫。俺が先にいくから、莉子ちょっとカメラ持ってて」
カメラが莉子に手渡され、次の場面では雅人が扉に手をかけていた。ドアノブはない。かなり古い長方形の木材のようにもみえる。だが、明らかにそれがなにかを塞いでいる扉のようにみえるのは、雅人がコンクリートを壊したことで現れた岩肌にぴったりと収まっているからだ。
「いいか、開けるぞ」
ぎっ、ぎぃ、と金属が軋しむような音がする。扉はかなり重いようだ。力を込める雅人の手の血管が浮いている。「ちっ、くそっ、かなり重いぞこれ」と更に力を込め、最後は唸り声をあげながら開くと、扉は後ろでカメラを構えていた莉子の方に向かって倒れた。映像が大きく揺れ、すぐに身を案じた雅人の声がした。砂ぼこりが沸き立ち、それが収まったことで全貌があらわになった瞬間、二人の生唾を呑み込む声が聴こえた気がした。
「う、そでしょ」
恐らく、莉子のカメラを持つ手が震えている。映像がかなり乱れている。雅人は呆然と扉の先をみつめていた。それは、明らかに人の手が入った穴だった。扉の先には、更に地下へと続く階段があったのだ。
「よし……とりあえず、おれ、が先にいくから。莉子はカメラを持った状態で後からついてきて。危ないと判断したらいつでも引き返していいから」
「わ、分かった。雅人気をつけてね」
雅人がゆっくりと足を進めた。足場を確かめるように何度か足先で地面を蹴っている。莉子はその後を追いかけていく。だが、すぐに足を止めた。扉をくぐった雅人がすぐに足を止めていたのだ。どうやら、階段の手すりに手を添え真下を覗いているようだった。
「なんだよ、これ」
その声に莉子が反応し、すぐにカメラを真下に向けた。瞬間、「えっ」と引き攣った声が漏れる。映像に映し出されたのは、螺旋階段だった。どこに光源があるのかも分からないが、薄っすらと真下まで続いているのがみえる。それもかなりふかく、先がみえない程だった。
「雅人、私やっぱり怖い。もう戻ろ。上に上がって、それで、不動産屋さんに電話しよ」
「いや、とりあえず行ってみよう」
そう呟いた時には雅人は足を進めていた。最初は立ち止まり戸惑いを隠せない様子だったが、莉子も降りていく。湾曲に曲がった木製の手すりが、螺旋を描きながら下へ下へと続いている。二人は、それに手を添えながらゆっくりと降りていった。莉子の荒い息遣いがカメラ越しに聴こえてくる。辺りは階段が収まる程の幅しかなく、岩肌が剥き出しになっている。閉塞感はかなりのものだろう。おまけに、下はどこまで続いているのかも分からない。次第に遠くなっていくあの蛍光灯の白い光が、より不安感を強くするのかもしれない。それをみている私ですら、ぎゅっと胸を締め付けられているような心地に駆られた。
二十分程経ったのだろうか。ふいに、雅人が足を止めた。ゆっくりと腰を下ろし、何やら手でなにかをかき混ぜるような動作をし、それからその腕を持ち上げた。今は、ぼんやりとそれをみつめている。莉子が「どうしたの」と呼びかける。
「これ以上はいけねえわ」
「なんで」
「なにかがある」
「なにかって何?」
「それが分かんないから困ってんだよ。足先に触れた感触も、指先で触れた感触も水だった。でも、それが俺の目にはみえない。けど、絶対になにかがある」
「ごめん雅人、言ってる意味がほんとに」
莉子がそう呟くと、触ってみたら分かる、と莉子の構えていたカメラを雅人が手に取った。莉子が先程の雅人と同じような動作をする。
「なっ?」
「うん。水……かな、水みたいななにか。でも、手が濡れてない。なんでだろ」
二人はしばし立ち止まってみたが答えは見つからなかったようだった。だが、天を仰いでいた雅人がふぅっと息を吐き出すと、「よしっちょっと行ってみるわ」とカメラを構えたまま足を進めようとする。すぐに莉子がその肩を掴んだ。やめて。もう帰ろ。私、ほんとに怖い。そんなことを口にした莉子のことを雅人が慰め、結果二人で足を進めることになった。
「ふぅぅ、はっ、はあっ、これ、溺れたりしないよな? さっき濡れなかったもんな」
「こ、こわい」
二人の身体を包んでいるのがなにかは分からないが、そこから映像の乱れがひどくなる。さざ波を打ち始め、時折声が飛んだりする。
莉子の身体を、雅人が肩に手を回し包むようにして下っていった。だが、やがて二人は足を止めた。カメラは岩肌を映している。そこには何もない。けれど、明らかに二人はなにかを聞き、なにかをみている様子だった。
──歌だ。綺麗な歌。待って、お、おれがいる。私も。まじかよ………なん、だよ。なんなんだよっこれ。いや、っこれ、もう、私もうみたくない。莉子っ莉子っ。
瞬間、映像が反転した。カメラは一瞬莉子の身体を揺する雅人を映し、最後は岩肌だけを映していた。




