第60話 龐統
―――― そう言えば御子息の人相について、父親の龐当主、どういうわけか、あまり具体的には伝えてくれなかったな。
『地味』とか『飾り気がない』とか、妙に抽象的な表現ばかりをされたのだ。
あのときの当主心緒を、ここで広元はちょっと推察できてしまった。
その地味な当人が周瑜に向かって。
「お客人は言葉も出ないようですぞ、周県長。驚かせも、やり過ぎは意地悪さと捉えられまする」
今度は龐統からの窘め口調。といっても、表情は緩やかだ。
「人聞きの悪い言い方をするな。驚かせようなどと思ったのではないぞ。しかし、広元どのには詫びねばだな」
尋ね人について、周瑜が『情報は持ち合わせていない』としていたのは、どうやら周瑜の意図的な演出だったようである。
「捜し相手がこの龐士元だと、実はすぐに判ったのだがな。貴君の体調が今少し落ち着くまでと、子敬どのにも口止めしていたのだ。知れば貴君は無理を押してでも、動いてしまうだろうと思ったゆえだった。まあ、騙すつもりではなかったんだが。すまなかった」
言上は謝しているものの、やや悪戯っ気のある面様だ。
「あ、いえ……そのような」
憎めないその美麗さに、広元は反言なぞ浮かばない。
「お気遣い、恐縮です。その上本日、こうして龐家ご子息に引き合わせていただけるとは。感謝しかございません」
なにかなし、旅目的の最重要段階が叶ったのだという状況に、広元は謝意を伝える。
事実、広元がまともに出歩ける様になったのはここ数日なのだ。
龐家の母堂から預かっている龐統への文も、人伝でなく直接渡したいと広元は思っていたから、龐統との出会いが今頃になったのは、まったく責めるものにあらず。
周瑜の配慮は、十二分に有難いものであった。
されど一方で、広元の心端にチラと素朴な疑問が浮かぶ。
常時動ける珖明もいたのだ。龐統の存在をここまで引き延ばす必要は、あったのだろうか……?
「広元どの、ご挨拶が遅れました」
注目の龐統は、あらためての拱手を施す。
「我は龐統、字を士元と申します。こんな遠方まで某を探しに来てくださったとは、感謝の言葉もない。返し文は出していたのですが、この世情、どうやら届いていなかったようですな」
先ほどまでの喋りとは打って変わった、落ち着いた口調。
「寿春に滞在の折に周公瑾様の風聞を聴き、お会いしたいと思いましてな。某から居巣まで追っかけて来たのです。要は、押し掛けです」
襄陽の家族への弁解を代理の広元に、とでも言いたげに、龐統は低姿勢で後頭部に手を当てる。
「で、それから結局、公瑾様にご厄介になっている次第です」
「……そうでしたか」
かなりの資金を掛けてまで息子を案じている龐家の両親には申し訳ないが、強い好奇心を優先したがゆえの龐統の行動言い分が、広元には理解出来てしまう気がした。
「広元どのの名は、以前に少しだけ聞いておったのですよ。従兄の山民から」
「え、山民が」
山民、すなわち龐徳公の子息、龐聚。広元の旧友であり、珖明と出会った折にも多大に世話になった恩人だ。
龐統は龐徳公の従子であるから、龐聚とは従兄弟同士ということになる。
―――― なるほど、それで。
広元は合点がいく。
冒頭の龐統の畳み掛けは、従兄から以前に聞いた広元の名を、龐統が記憶していたからであろう。戯言感で出迎えたのは、この男の歓迎癖かも知れない。
広元も龐統に拱手を返す。
「龐士元どの、お会いでき恭悦です。御母堂より文を授かっておりますが、本日まさかお会いできるとは思わずに持ち合わせておらず。お詫び申し上げます」
「いやこちらこそ、騙しまがいになって。立場がござりませぬ」
己のために重症まで負った相手に対し、龐統は一層身を低くした。
広元は龐氏への想いを込めて伝える。
「山民どのには、宛で世話になったばかりではありません。命の恩人でもあります。ここ半年ほどは連絡をとっておりませんが」
「いや、あれは親の威光ばかりで。父親に倣って人物鑑定の真似事はしているようだが、あまりものにはなっておりませんな、はっは」
謙遜ではない態で、龐統は軽妙に笑う。この男、身内贔屓意識はそれほどないらしい。
「ですが失礼ながら、広元どののことはあやつもだいぶん評価っていました。見識も見処もある男だと」
そう言った龐統の視線が、自分には向けられていないことに広元は気付いた。
龐統の視点……それは広元の斜め後ろに立つ、ここでまだ一言も発していない珖明を刺している。
その鋭さに押され、広元は邪魔をしないよう右へと一歩外した。
続き珖明の紹介に口を開こうとした、瞬時。
「……!?」
広元の背筋にほんの幽か、奇妙な緊張が走る。
龐統と珖明。ふたりの視線間に、ぴし、と乾いた音が鳴った気がしたのだ。
―――― 何だ……?
「諸葛亮、字を珖明と申します。龐士元どの、逸材だと伝聞していた方とこうしてお会いできるとは。光栄です」
先に珖明が、涼やかな挨拶を発した。
つい今しがた広元が感じた幻の緊張は、すでに散霧している。
―――― 『逸材だと伝聞』?
珖明の台詞に、広元は気持ち首を傾げた。
そんな話題を珖明と交わしたことはない。龐統の名は、龐氏と付き合いのある広元でさえ、司馬徽から聞かされるまで知らなかったのだ。
いったいいつ、どこから?
……それとも、単なる社交辞令か。
「諸葛どの。龐統、字、士元でござりまする。こちらもお会いでき、光栄です」
龐統は何とも微妙な破顔を浮かせ、珖明をまじまじと凝視つめた。
<次回〜 第61話「江東の箒星」>




