第59話 周瑜の食客
「貴君が、周県長に救われたという石広元どの、ですな?」
案内された庁舎の応接室に入るなり、待ちかねたと言わんばかりに近寄ってきた若い男に、広元は大仰な声をかけられた。
「何でも襄陽からいらしたと。これは偶然、我も生まれが襄陽でしてな。かような遠地まで遊学とは、はて、目的はやはり周公瑾様ですかな。それとも魯子敬どので」
男は早口で一方的に捲したてる。
「は、ま、まあ……」
誰かもわからない男の圧に押され、広元は舌の縺れた返事をさせられた。
男は背が低く、縮れ毛髪に燻み色の肌。その肌張りから、広元とおそらく大差ない齢とは見て取れたが、その顔は痘痕で覆われている。
本人に罪はないとはいえ、気の毒なくらい風采は良くない。
それでも、そのときの男の喋りに広元は不快を覚えなかった。
声振りや表情、仕草に清濁を併せ持つというか、どこか愛嬌があるというか。
風体とは別の、言ってみれば〈人間臭さ〉的なものを、第一印象で感じたのだ。
よく言えば人懐っこい。悪く言えば……まあ少々、馴れ馴れしい。
「こら、もう少し行儀よくできんか。初対面の客人に対して失礼だろう」
早口男を軽く咎めたのは、室入口に姿を見せた県長・周瑜。
「ようこそ。怪我人なのに呼び立てした形になって申し訳なかった」
文官服の周瑜は、ゆるりとした歩調で広元達の側まで寄った。
広元は珖明とともに挨拶の礼を施す。
「本日はお招きに預かり、光栄至極です」
「徒歩ではかなりあっただろう、体に無理はなかったかな。車迎えを出そうと思っていたのだが」
「城門までは牛車で参りましたので、歩いたのは城内のほんのわずかです。ご心配、恐れ入ります」
そうか良かったと機嫌よく頷く周瑜に、広元もまた笑み返す。
周瑜の見映といえば、衣の上からでもわかる鍛え抜かれた躰の上に、相変わらず男らしい創りに恵まれた貌を構えている。
その容姿に加えた好感が持てる点として、彼はその《《気》》に歪みがなかった。
ときおりの口調や物腰に、いわゆる貴公子育ちの誇りを持っているためであろう、特有の強引さが見え隠れはするが、基本的に嫌味がない。
その為人に、広元はとある人物が度々重なる。
―――― どことなく、子竜どのを憶い出すな。
諸葛軍の伯長(50人の兵を束ねる指揮官)だった趙雲。
階級の低さが納得できぬほど、見るからに剛傑を思わせる体躯でありながら眉目に険しさを持たず、言行すべてが、爽快な風を思わせる佇まいであった。
それでいて、胸奥には揺るがぬ情熱も秘めていた男。
宛の乱で、まさに神異と言えるその凄まじい武力を目の当たりにしたとき、広元は腹底から震悚して、『この人が敵でなくてよかった』と天に感謝したものだ。
―――― ぼくらの前では穏やかな周瑜も、戦ではやはり鬼神の気を放つんだろうな。
初見で見せつけられた周瑜の鮮やかな、だが容赦なき刀技を思い出す。
戦場とは詰まるところ人と人との殺し合いだ。周瑜のこれまでの実績からすれば、その峻烈さは趙雲場面の比ではないかも知れない。
そういう状景を勝手に想像して、広元はこれまでも時折、微少な鳥肌を立てたりしていた。
「広元どのの体調がそこまで回復したとは何よりだ。珖明どのも安心したろう」
持ち合わせる風格に、荒々しさの欠片も感じさせぬ周瑜。
しかれど彼が早口男へと次に発した言は、広元を一驚させた。
「彼らに礼を申さねばな、士元。はるばる命懸けで、そなたを訪ねに来てくれたのだぞ」
そして若干したりを含んだ目元を広元に回す。
「黙っていてすまなかった、広元どの。この者が龐士元。そなた達の捜し人だ」
「……は?」
なんだって?
不意打ちを食らった如く、広元はぽかんと口を半開きにした。
『龐士元』
広元が捜索を請け負った龐家の子息は、名を『統』、字を『士元』という若者である。
それが目の前のこの男だと、周瑜は言ったのか……?
展開が飲み込めない広元は目を瞬かせ、『士元』と呼ばれた相手を凝視してしまった。
たしかに、龐家から聞かされていた背格好とほぼ合致しているようにも見える……が?
周瑜が補足する。
「士元は周家に入り浸っているのだよ。官吏ではないんだが、こう見えても仕事はなかなか出来るのでね。庁舎で少し働いてもらっている」
「ただ働きですが」
士元 ―― 龐家長子・龐統は、肩をすくめる。
「なんだ、不満なのか。食客扱いだぞ」
「そうでした、そうでした。もちろん、身に余るご厚意に感謝しておりまする」
龐統は並びの悪い歯を見せて舌を出した。
気が合っているのが広元にも伝わる。
ただふたりの姿貌隔たりが激し過ぎて、外からは率直、なんとも不釣り合いに映ってしまうのだった。
<次回〜 第60話「龐統」>




