第58話 変化と意図と
青空の下、大路を歩んでいるふたりの肌をなでる風は、心地よい程度の冷たさであった。
孟冬(陰暦十月)の小春日、陽のあるうちはそこまで冷え込まない。短い秋のやさしい置き土産だ。
居巣城内は、それぞれの生業に勤しむ人々が往来していた。
皆、忙しそうだ。……が、全体にどことなく、大らかとでもいうのか、中原地域の雰囲気とはだいぶん違うと、広元には見える。
江水以南の人口密度は、中原のそれよりずっと低いはずだから、単純にそこからくる差だろうか。
それとも、中原はやはり戦乱で荒廃した疲弊度が顕現している、ということなのかもしれない。
江東住人を左右に歩を進めながら、広元は先ほど珖明と交わしていた話題とは、別の事を考えて始めている。
―――― このところの珖明……少し変わったな。
今しがたの発言でも感じたのだ。
口数が増えたとまではいかなくとも、微少にその気が、これまでにない明るさを含んで来ている。
広元が動けぬ身であった間、珖明は『見聞』と称して、独りで頻繁に邸外へ出掛けていた。
珖明が元来、向学心旺盛な質だとの認識はある。されどそれは室内でひとり几案に向かい、長時間静かに勉学をしている印象しか、広元にはない。
しかるに居巣へ来てからというもの、珖明は自ら好んで、外に足を向けているのだ。
これまでにないその様子には、広元、心中に驚きを隠せない。
―――― 居巣の地が、よっぽど性にあったのかな。
広元に対する弄りめいた口調、そんなものを発するようになったのも、魯粛邸に来てからだ。
旅出以前、極端に人付き合いの悪いこの友人を案じていた広元からすれば、もちろん望ましい傾向ではある。
ただ……居巣に来てからの変化の起因が、見聞行動の影響だけではないのでは、という気もしてならない。
ならばそれは、いったい何が所以で?
「……」
広元の胸裡に、心当たりが皆無なわけでもなかった。
周瑜だ。
◇◇◇
「だいぶ顔色も良くなったな、広元どの。経過は順調と子敬から聞いているが」
「起き上がることもほとんど苦ではなくなりました。ですが……病床まで御見舞いいただくなど、まこと痛み入ります、周県長様」
「はは、いつもついでなのだ。気にせんでくれ」
県長という立場にもかかわらず、周瑜はよく魯粛邸を訪れる。
このひと月の間に、広元は三度ほど周瑜に会っていた。
療養中だったため、周瑜とはいつも短い会話を交わすだけであったが、この若き将が、名門出に見合う品格を備えていること、魯粛の評価に違わぬ才華を持つ者であることは、広元にも容易に伝わった。
加え、会うたびに嘆称してしまう。
―――― しかし、なんと美男か。
男の広元でも、つい凝視してしまう瞬間がある。
筆でくっきりと描き込まれたような男眉。
濃い黒目を持つ眼は英気を湛え、大きく開かれながら目尻が切れ上がっていた。
整った顔骨格しかり。
まったく『眉目清秀』とは、この男を形容するために生み出された言葉ではなかろうか。
その造形物が、これまた人一倍雄偉な体格の上に乗っかっているのだから、完璧だ。
―――― 子敬どのが、繰り返し言うだけのことはあるな。
容姿は血統同様、政界でも戦場でも重要視される要素。なるほどこれは、世の将帥達が挙って求める偉才に違いないと、広元も納得させられる。
県長という立場も、言うまでも無く心強い点だ。
此度の任務である探し人について、広元は尋ねてみた。なれど残念ながら、周瑜、魯粛共に、芳しい情報を持っていないようであった。
「今後の協力は惜しまずしよう。焦らず、まずは自身の身体回復に努めたまえ」
爽やかな周瑜の笑貌。声色までが、ほどよい低音で耳に心地よく響いた。
そんな周瑜から突然、
「広元と珖明を、客人として庁舎に招待したい」
という案内が届いたのである。二日前のことだ。
よってこの日、広元と珖明は庁舎に向かっているのである。
「居巣は水上交通の要害地だし、剣吞地域のひとつと言っていいのにな。公務にも関わらない外部一般人を、招き入れてくれるとは」
案内を受けたときと同じことを、広元は口にした。
昨今、どこの誰が間者かもわからない。長ならば当然、監視の目を光らせているだろう。
しかも広元達の居住地・襄陽のある荊州牧(州知事)の劉表と、居巣の属する蘆江郡支配者・袁術の関係は険悪なのだ。
珖明はこともなげに返す。
「周瑜から見れば、我々はあまりに部外者だから、警戒は要らないと判断したんだろう。だいたい、到着早々雑魚賊にやれているような者を危険とは考えない」
「そ、そりゃまあ……そうか」
二の句が告げぬ見解に、広元はまた額を掻く。
周瑜の行為は、単なる親切心からかも知れない。
なんにせよ、広元の本来の向学心からすれば有難い話だった。
……有難いのではあったが。
「……」
周瑜が珖明に強い興味を持っていること。
そして珖明もまた、ある程度周瑜に反応していること。
今回に限って、広元は何とも微妙な想いを抱えながら、沓裏で大路の凹凸を捉え続けていた。
<次回〜 第59話「周瑜の食客」>




