第57話 県長の招待
「広元の身体は、見かけによらず頑丈に出来ているんだな」
「見かけによらずは余計だ。そっちの見かけは、ぼくよりよっぽど華奢だろう」
受け返した広元に珖明は気持ち口端を上げ、ふっと短く息を零した。
普段怜悧な澄まし顔しか見せぬ珖明にしては、表情が柔らかい。広元以外は気付かぬだろう、それでもそれは、珖明が素直に笑っている表現なのだ。
野賊事件からひと月あまりが経ったこの日、ふたりは居巣城内の中央大路を、県庁舎に向かい歩いている。
魯粛の厚意により、あの後も療養生活を得られた広元は、周囲が驚くほどの回復力をみせた。
深傷だった左肩の完全な癒えには、まだ相応の時間を要しそうなものの、自重に気を配りつつ長距離でなければ、歩行も充分出来るまでになっている。
そのため、広元は数日前から積極的に歩くようにし始めていた。
居巣城からそれほど遠くない郊外にある魯粛邸から、広元がここまでの距離を外出したのは、床上げしてからこれが初だ。
「薬がきみの体質に合ったか。さすが富豪商人、お抱え医者も腕がいい」
珖明の声色はこの晴天空さながらに穏やかで、今だから込められる洒落っ気が混じっている。
「そうだな……子敬どのには、一生足を向けられないよ」
不甲斐なさげに、広元は額を指で掻いた。
同じ災難に見舞われながら、無傷だった珖明。見掛けがやわでも、身を守る力は自分より格段に上である事実を、こたびの件で痛感させられた広元である。
……ただしそれが、以前より広元が推知していた事項であることは、彼独りの心に秘事としていた。
野盗事件の詳細については、広元も周瑜から説明を受けている。
広元達の護衛を殺害したのは賊側であったとして、その賊を周瑜以外に殺った者がいったい誰であったのかは、結局判明しない形で捜査は打ち切られたという。
一件の終止符はつけられのであるが……広元には真相がわかっていた。
―――― 諸葛玄と、同じ。
広元の記憶に生々しく焼きついている、西の城、炎の広間で目撃した光景。
あれからまだ時をそう経ていない。というより、あの惨状は生涯忘れられるものではないだろう。
―――― あんな手腕……珖明はどこで。
払拭できぬ疑問。
高度な殺人までもの技能、そんなものを、珖明はいつどこで身に付けたのだろうか。
珖明とは、短期間とはいえ、極めて濃密度なかかわりを持ってきた間柄だと、広元は思っている。
……しかれど。
―――― 実際には珖明のこと、ほとんどわかっていないんだよな。
こういう事件があるとそこを自覚させられて、広元の胸底がもやもやしてしまう。
「……」
珖明に気付かれぬよう、広元は胸裡で首を振り、思い出してしまった不吉なものを払い除けようとした。
もやもやしても埒はあかない。独りいくら考えたとて、答えは見つからないのだ。
そう、振り切ったとき。
「厄除けが、わたしには効いたみたいだな」
唐突に珖明。
「厄除け?」
疑問符の広元を珖明はちらり一目すると、右手を自身の胸元に添えた。
―――― ? 何を……あ!
仕草の意味を、広元は記憶と符合させた。
襄陽から旅に出る直前、広元は『長旅の守りに』と、数個の小さな玉を珖明に贈っていた。
南陽産出の希少玉、南陽玉。
上流界で、美飾品というだけでなく、魔除けとしても重宝されている石である。緑色がかった物が多く、透明度の高いものほど貴重とされていた。
広元が珖明に贈った玉は、彼がある事情で幼少期から所蔵していたもので、最高級とまでは言えぬまでも、良質と言える品だった。
今回ほどの未知の地への長旅に縁起物はつきもの。たとえそれほど迷信深くなてくも、あって困る物でもないだろう。
そう言って、小恥ずかしさを覚えながらも、珖明に贈ったのだ。
……そんな高価なものを所有していた謂れまでは、話していないが。
「あれを、ずっと身に着けてるのか?」
自ら贈っておいて妙な問だと、広元も我ながら思う。
「身につけてなければ、厄除けにならないだろう」
珖明、今度はわかりやすい呆れ顔。
「はは、まあ言われてみればそうだな。しかし……へえ」
その玉は、もと頸飾(首飾り)を成していた物で、玉のひとつひとつには紐通しの穴が開けられている。
珖明はいつも首元を薄絹で覆う服装をしているから、どんな形に活用しているのか、広元には現物が見えない。たぶん糸を通して、やはり頸飾にしているのだろうと想像した。
「だけど、ぼくも同じものを持ってるんだけどなあ」
苦笑いした広元は、一方で珖明の言動に意外さを受けている。
厄除けとか魔除けとか、そういう類いを信じる印象が、珖明にはどうも薄い。終始肌身につけていたとは、望外な一面だったのだ。
「玉も人を選ぶのかな。ともあれ、効果があったのなら良かったよ」
軽口っぽく返しつつも、贈り主としては結構嬉しい。
「襄陽に帰ったら、ぼくももう少し真面目に剣技を磨かないとな」
素直な自省で、広元は話題をまとめた。
こんな時代なのだ。いくら不得手だろうと、最低限の武は身に付けねば、自身も友も守ることはできない。
念いから腹につい入れた力が瘡に響いて、広元は口を歪めた。
<次回〜 第58話「変化と意図と」>
【用語解説】
◆南陽玉:河南省南陽市周辺で採掘される鉱物。複数色あるが、緑色が最も一般的。




