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第56話  謎の竹箭

 周瑜は、傍らの珖明をみはる。


「承諾?」

「孫候(孫策)のもとに伴いたいのでしょう、子敬どのを。未来の江東覇王への手土産に」

「……」

「居巣県長など、亡命のための隠れみの。……ですが子敬どのも、あれでなかなか値踏みがうるさい」 


 視線を遠くに投げたまま語る唇は、口にしている内容とは不釣合いに淡白だ。


 あまりにはっきり言い当てられ、周瑜は即座に取りつくろう言葉が出てこなかった。


 珖明の指摘は的確。

 魯粛とは親しくなっているものの、自己信条を強く持つ魯粛は、一筋縄でいかぬ難しい相手でもあった。


 身分的には周瑜がいくら上だとしても、名声や経済力もある魯粛を、強引に孫策の前まで引きずっていくわけにも行かず、周瑜は多少、攻めあぐんでいたのだ。


 返答にきゅうした様子の周瑜を、珖明はどこか可笑(おか)しげになだめる。


「大丈夫です。今すぐではなくとも、魯子敬どのはいずれ必ずあなた様に就きます。あの方はあなた様を、相当に評価っていますから」

「……」


 自分より五、六歳も若い無名青年に励まされて、周瑜は何とも胸中の置き場に困った。


「……讖緯(しんい)(もの)(予言者)か、そなたは」


 認める代わりに再び背を幹に預け、周瑜は微息をついた。


 周瑜の念いは、常に江東に向いている。

 この夏、孫策は朝廷より正式に会稽太守の任を受け、同時に騎都尉きとい烏程うてい候の称号を得た。

 孫策が江東三郡を実質的に抑えたことを、中央が認めた証である。


 ―――― 朝廷を牛耳っているあの曹操でさえ、孫策を懐柔しようとしている。


 周瑜はそう読む。


 少年期に同歳の孫策と出会って意気投合し、孫策に図抜けた資質を感じた周瑜は思い定めた。


『この男に賭けてみよう』


 数年後、孫策が父の孫堅(そんけん)を突然失ったとき、孫策はまだ十代。

 頼るべき主柱もなく、孫策は父親と親族にならい、袁術に身を寄せた。


 そして袁術の許、若武者は大いに頭角を現し始める。


 当初は孫策を可愛がっていた袁術であったが、群を抜いての凄まじい孫策の実力に、返って警戒を強めてしまった。

 のらりくらり言い訳を繰り返し、容易に孫策を引き立てない時期が続く。


 そんな、自力兵数も財力も充分に持っていなかった時分の孫策に対し、周瑜は自ら兵と財を提供した。


 周瑜の協力を得た孫策は、以降、異常とも言える勢いで江東を制圧していく。

 自称で皇帝を名乗り始めた袁術と決別し、遂には朝廷、すなわち曹操にも(おそ)れを抱かせる実力者にまで、急成長したのである。


 ―――― これほど短期間でとは思わなかったが……とにかく見立ては、違わなかったってことだ。


 孫策への感服も含め、周瑜は胸裡に自賛した。


 孫策躍進の最大功労者の一員である周瑜だが、厳密に言うと、彼は孫策の臣下ではない。

 いわゆる同盟者である。


 ふたりの関係が成り立ってきた第一理由は、何か。


 孫一族の祖先は、兵法の大家・孫武とされている。ただし、袁術ではないがそこは自称に過ぎず、実のところ正確さには乏しかった。

 著明な名門である周氏は、家柄から見れば、孫氏より完全に格上だ。

 孫策との関わりは深い友情からだと、称す聞こえは美しいものの、何かしらのくすぶりが周瑜側にまったくないかといえば、嘘かもしれない。


 なれど治世が崩れ始めた世界では、力のしゅが変化していた。

 必要不可欠たる優先事項は、絶対的な求心力と邁進(まいしん)力なのだ。


 周瑜とて、名将と評価されているのは確とした事実。それでも彼の賢明さは認識させている。


 ―――― 孫策の圧倒さに、われは及ばぬ。


 過去の名声だけでは、この先を生き残れない。


 反対に孫策には〈名声〉が欠けていた。

 彼らはお互いを補い合える境遇であることを心得、〈断金だんきんの交わり〉を基盤として、戦国世を邁進し始めた。


 若いふたりの歩みは、始まったばかりである。


 ―――― 地盤を強化して躍進するために、一刻も早く有能人材を集めねばならない。


 周瑜の中で、魯粛はその筆頭。さればこうして、親交を深めているのだ。

 江水の対岸では、孫策も周瑜の到着を、大河に即時橋をかけたいほどの渇望の念で、待っているだろう。


◇◇◇


「ところで」


 気を取り直した周瑜は話題を変える。

 彼がここで珖明としたかった『話』は別にあった。


 周瑜は懐から布に包まれた一品を取り出し、てのひら上で開いてみせる。


「これを知っているか?」


 乗せられている物は、長さ六寸(約14㎝)ほどの、細い棒状物。

 削いだ竹で作られた、太さは矢軸より細く短いに似たもので、先端の方にいくつかの逆鉤かえしねずみ返し)が加工されていた。

 一見して明らかに、人工的暗器(隠し武器)の類だ。


 しかもそれには、まだつい最近使われたと思われる生々しい痕跡があった。

 傷口から無理矢理引き抜かれたのだろう、本体にも包んでいた布にも、所々、まだ乾ききっていない黒い肉切片らしきものが付着している。


「例の賊案件の折、わたしが二名を斬った場所から少し離れた場所に、もう三体、屍体が転がっていた」


 賊とはいえ、そこにあるとわかっているしかばねを、役目上放置しておくわけにもいかない。

 通常は部下の県尉に任せる事例なのだが、今回自ら手を下したことに加え、やや気になる点もあって、県長自ら検分に出向いたのだ。


「三体中一体は、服装の毛色が賊とは違っていた。あれは賊仲間ではあるまい。……聞いたところ居巣到着時、そなた達にはもうひとり、護衛従者がいたそうだな」


 顔確認はしていないが、一体はおそらくその従者であろう。

 護衛でありながら腕が立たなかったのか、気の毒にも逃げ切れなかったらしい。


 この竹箭(ちくせん)は、周瑜が手を下した以外の屍体検分の際、彼自らが押収したものだ。

 こんな形状の武器は、各地で戦歴経験のある周瑜でも、見かけない代物であった。


「賊の一体にこれが突き立っていた。……首にな」


 まず、即死だ。箭は正確に、首血管急所を突いていた。


 検分後、周瑜はあれこれ考えを巡らせる。

 これを使ったのは、負傷した広元ではないだろう。屍体の発見状況からして、殺された従者とも考えにくい。

 だとすれば……。


 珖明は、示された竹箭を最初にさらり一瞥(いちべつ)しただけで、あとは周瑜にも視線を遣るこことなく黙っている。


「珖明」


 周瑜は、じわじわと締めつける無言圧をかけていく。

 彼は ―― 自身で信じ難いとは思いながらも ―― ある推測に行き着いていた。

 実を、確かめねばなるまい。


「そなたが()()で、()()したのか?」


 ふた呼吸ほどの間の後。


「どこでだったか。旅中で偶然拾ったのです」


 ようやく、珖明が口を開いた。


「少し珍しかったのでそのまま所持していましたが……あの騒ぎで、落としたのかもしれませんね」


 抑揚のない声音で語るしろい頰には、微塵みじんのゆらぎも見られない。

 珖明の臈長ろうたけた横顔を、周瑜はめつけた。


 無愛想とは種類の違う意味で、この者が表情に乏しいことは周瑜も既に知っている。

 なれどこうまでも徹して、感情気配を消せるものだろうか。


 ―――― 嘘つきめ。


 どう殺ったのかは不明だが、この暗器、単に突き立てるにしても、相応の力か要領こつがいるはずだ。

 まして相手は、正規兵でないといっても手練れ賊。こちら側も何かしらの訓練を受けている者でない限り、あんな危急事態には対抗し得ない。


 それだけでない。賊もう一体の致命傷は、刃物で首元の急所を裂かれたことによるものであった。


 ―――― この細身の、むしも殺さぬ女とも見間違いそうな者が、か。


 殺しに懸ってきた野賊相手、ましてこんな世情下。

 罪がどうのという突き詰めをするつもりなどは、周瑜にない。


 ただ元来真っ直ぐな気質で、疑念を溜め込むのが得意でない彼は、確認したかったかなめのことを率直に問うた。


「賊二名をたおしたのは、そなたか」

「……」


 さわさわという葉擦れ音が、ふたりの間を通る。

 珖明の緇撮しさつ(頭頂部で結った髪を布で包む型)のきんが、風に柔くそよいだ。


「……さあ。どうでしたか」


 珖明はもたれ寄っていた背を幹から起こすと、樹に繋いでいた自身の馬の綱を解いた。

 動作も面様も相変わらず、焦りや苛立ちとは無縁を保っている。


「お役に立つ情報をお伝えできず申し訳ございませんが……必死だった故、あの折の記憶は定かでないのです」


 他人事のように弁じ、足元の土を払う。早くに散り落ちた枯れ葉が、珖明のくつ下でさくりと鳴った。


 手綱を取りふわり騎乗した珖明は、いぶかり心を隠せないでいる周瑜に、馬上から薄っすら静謐せいひつな笑みを向ける。

 そして反言を封する、穏やかな声音で告げた。


「何か思い出したら、真っ先にお話しいたします。……県長様」


挿絵(By みてみん)


<次回〜 第57話 「県長の招待」>

【用語解説】

◆断金の交わり:非常に固い友情、深い絆。

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