第51話 龐氏の尋ね人
広元が司馬徽からその説明を受けたのは、江東について問われてから間を置かずであった。
「龐公(龐徳)の従子御、ですか」
龐公の一族である龐氏は、襄陽でも屈指の名家。
その龐氏が、家族に関するある要望を叶えてくれる人物を、探しているという。
具体的な内容は、
『ここ一年近く音信不通となっている龐家長子を訪ねあて、出来れば襄陽に連れ帰ってきて欲しい』
「先生、その……」
受けた広元は、返答に窮している。
尊敬する司馬徽から直接指名されたことは、広元にとって無論光栄であるし、依頼自体にも複雑さはない。
しかし、事始めの前から大きな問題があった。
訪ねるべき相手の現在いる詳細な場所が、正確には判っていないというのだ。
「先生、龐家の皆様のご心痛は、心よりお察しいたします。ですがお探しするにしても……」
広元ならずとも、これはずいぶんと無責任な依頼と考えるだろう。
ところが司馬徽の方は、なんとも長閑な態で顎髭を撫でる。
「本人から届いた最後の文には『寿春を出て廬江郡|居巣県に向かう』とあったらしいから、まずはそこへ向かえば、何らかの消息もつかめよう」
「! 居巣に?」
司馬徽が出し抜けに掛けてきた問の趣意を、広元はそこでやっと理解した。
再度、落ち着いて一考する。
―――― 襄陽から居巣か。……かなり遠いな。
居巣県の属する揚州は、荊州と隣接した州である。
ただしお隣といっても、両州共に広大面責。居巣と襄陽の距離は相当なものだ。
水路を活かせば、ある程度短縮も可能かもしれないが、いくら若さの勢いがあったとて、やはり安易に引き受けていい類の話ではない。
龐家子息は独りで本当に、そんなにも遠くまで行ったのだろうか。
「路銭は龐家で持つと言っておる。護衛の従者も一名付けると。しかしまあ確かに遠方ゆえ、無理強いする話ではないぞ」
「……」
強要を避けた言い方はされたものの、向学心を抱える広元にとって条件は必ずしも悪くないことにも、彼は気付いている。
捉え方よっては、またと無い好機かもしれない。
そのうえに、龐氏は宛でとことん世話になった龐山民の一族だ。石家の父とも懇意にしており、無下には出来ない心境もある。
広元はその場でしばし熟思すると、丁寧に答えた。
「先生、よく理解いたしました。塾生としても未熟なわたしにこのようなお話、この上無い感謝です。もちろん、父の許しも得た上でとはなりますが」
実は本人、もう腹を決めている。
「ただ……厚かましいことなのは重々承知の上で、ひとつだけ」
司馬徽の穏和さに乗せられ、ある思い切った条件を申し出た。
「旅にあたってのわたしの希望を、龐家様にお聞き届けいただけませんでしょうか」
「ほうほう、何かな。遠慮せず言ってみなさい」
「はい……」
そのとき伝えた広元の希望は、司馬徽を経て依頼主の承諾を得られた。
結果、彼は龐氏依頼を請け負う形で、遠路に旅立つことになったのである。
―――― まあ最初から、水鏡先生の作戦だったのかも知れないが。
襄陽を旅立った後、広元はやりとりを思い出して苦笑する。
広元が宛の戦場から諸葛兄弟を救い出してきた話を、司馬徽はどこぞで……恐らくは龐山民経由で、耳にしたのだろう。
そうして、かなり意図的に広元の興味を刺激しつつ、彼を選抜したのだ。
◇◇◇
「ちょうど同年代の遊学希望者が二名いるから、初めだけでも共に行くとよい」
旅次計画が決まった広元は、司馬徽から旅仲間を引き合わされた。
穎川時代からの旧友徐福と、やはり司馬徽塾同門である、汝南出身の孟建である。
徐福と孟建の目的地は、曹操による昨年の遷都により漢の新たな京城となった、豫州穎川郡・許県(河南省許昌市)。許は、襄陽の北東方向にある。
連れ立って出発した四名の若者は、途中の分岐点で、旅路を分かつことになった。
「ここからきみは東へ向かうわけだな、広元」
広元の目指す地が揚州方面だと徐福らも当初から聞いていたから、ふたりとも特段の意見は述べない。
だがそのときの彼らの顔には、どちらにも、
『本気で行くのか?』
そう書いてあった。
揚州も含めた江水流域以南地域は、漢図に入っているとはいえ、現実には、独自勢力を持つ地方豪族や不服従異民族、はたや海賊までもが割拠していると聞き及ぶ地である。
その治安不安定さは、未だ黄巾残党が暴れている中原・河北方面と、比較しても劣らない危険な荒廃地なのだ。
……というのが、徐福達中原人の一般認識。
徐福と孟建が見せた表情の所以である。
「しかしまあ、広元は穏やかそうに見えて強情だし、望外に実行力もあるからな」
広元の本性質を、日頃から交流の濃いふたりはよく理解している。
「強情ってことはなかろう」
軽妙に反言しつつも、心を決めている広元は涼笑で返した。
広元の意をあらためて確かめた徐福と孟建は、次に、広元の隣にいるもうひとり、旅仲間中で一番年若い珖明に目を移す。
再度、ふたりの無言の面が尋ねた。
『きみも、行くのか?』
龐家からの依頼に対して、広元が引き受け条件として付け加えたのは、友一名の同伴希望であった。
その当人、諸葛亮、字を珖明という者とは、徐福、孟建のふたりとも、今回旅路の一部を同行する形にはなったとはいえ、そもそも知り合ってまだ日が浅い。
漢帝国の東端にある瑯琊国(山東省臨沂市)出身だという珖明は、極端に口数が少なく、感情起伏もほとんど現さない、外からは心底が読めない型であった。
加えて、誰もが初見時に惑うほどの美麗容姿を湛えている。
同様感想を持ったのは、徐福と孟建も例外ではなかった。
故に両名共、珖明とはどうも取り付く接点を見出せずに、未だに接し方がよくわからないでいたのだ。
旅別れのそのときも、珖明は凪いだ面様で黙したままである。
顔を見合わせるばかりの徐福達に、広元が補佐を入れた。
「ぼくは江東へ行くよ。危険をともなうかもしれない長旅だ。……珖明、いいか?」
珖明は、小さく首肯だけをした。
◇◇◇
徐福、孟建と別れた広元と珖明は、襄陽からの護衛役従者一人と共に、陸路と、細かな水路の乗り継ぎを繰り返しながら、東へと向かった。
河水、江水に次ぐ第三の大川・淮水(淮河)に出たところで、魯粛話をしてくれた船乗りの伝手を使い、淮水を下る。
やがて船は、揚州に入った。
揚州。広元にとって未踏の地。概略地図を持ち合わせていたとて、当然ながら土地勘は皆無だ。
それでも未知の世界との接触への期待の方が、不安を超えていた。
夏蝉の最後の声を後にして襄陽を発ち、手探りの長き旅時を経た果てに。
「見えたぞ、珖明。巣湖だ」
対岸の見えぬ巨大な水鏡を眼前にした広元は、感無量の息をつく。
「とうとう来たな」
居巣は揚州の北部徐州寄り、江水系の淡水湖・巣湖の東ほとりにある、戸数的には中小規模に分類される県である。
広元の嘆息に、同じ景色を目にしている珖明が応じた。
「小県だが、巣湖から出る濡須水は江水と繋がっている。居巣は重要拠点と言っていい」
広元とは違って興奮色は表していないものの、多少は感慨深げに見える。
そうだな、と広元。
「人流物流に水路は陸路より効率的だ。ぼくらの旅もそれで叶ったわけだし」
「効率というより不可欠というべきだろう。ことに今後は」
寸瞬意味がわからず、広元は珖明を見る。
「今後?」
「軍隊の渡河と物流は、一番頭を抱える難点項目だからな」
「……」
どうやら珖明、水脈を戦と繋げた話をしているようであった。
特別な観点ではない。事実、荊州牧・劉表も優秀な水軍を持っている。荊州にも、沔水という大水脈があった。
けれど、そのことと巣湖とを直に結びつかせる発想が、広元にはなかった。
河北での戦といえば、基本的に陸上戦が主であって、水上戦は知識としても馴染みが薄かったのである。
―――― 珖明の着眼と思考回路は、ぼくみたいな一般人とは、ちょっと違うな。
ともに遊学をするなかで、広元は日を追うごとに、そんな印象を深めるようになっていた。
そしてその都度、自身の未熟さを痛感させられる。
……
日に日に朝晩の気温は下がり、深まる暮秋の風を感じ始めた方今に、やっと居巣まで辿り着いた彼ら。
そこで待ち構えられたごとく遭遇してしまったのが、白霧の賊災禍であった。
広元に深手を負わせた賊どもは少数人であり、組織のない野盗類に過ぎなかったろう。しかし南方治安の現実を、広元達は到着早々、その身で味わわされたわけだ。
この上ない奇禍だったが、幸運にも命は助かった。
しかもなんという縁であるか、広元が担ぎ込まれたのは、広元が遭遇を願った、あの魯粛の手許らしいという事実。
―――― 強く念えば叶う、ってことか。
そんな実例ともなりそうな展開に、一驚を喫してしまう広元ではある。
何か無し、禍運幸運相照らす現象に乗り、広元達は旅の目的地に居た。
<次回〜 第52話 「魁偉当主」>




