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第47話 曙光〈2〉

『共には生きられぬ類』


 自らをそのように断ずることを、広元も真っ向否定できるわけではない。

 望んで孤独を選び生きる者も、この世にはいるのだ。


 ……が。


 ―――― 珖明は、違う。


 広元が目の当たりにしてきた、残忍性も含むその多くの謎と難解複雑な過去。

 それらは紛れもなく、常人とは違う異質なものであろう。


 それでも……子玖、錫青、趙雲さえも、実相すべてを知るわけではないにせよ、それぞれが珖明を慕った。


 ―――― 誰より、ぼくがそうだ。


 珖明が人として失っていないものが、そこにはある。


 泰山から消えた後の珖明が、それまで交流の皆無だった諸葛一家を宛までおとなったのは、何故か。

 単に他に行くあてがなく、趙雲に勧められたからか。


 ―――― きっと、そうじゃない。


 勝手解釈かもしれない。されど広元は思えてならないのだ。

 独りとなった命はそのとき〈人らしい生〉を、仮にわずかであったとしても、求めていたのではないだろうか。

 ……



 東空が強く白み始めた。

 薄闇は急速に去り、朝靄あさもやの空気に伴って、樹々や地形がそのかたちを次第にくっきりと現してくる。


 静謐せいひつな、夜明けの刻。


「……珖明」


 低く呼び掛けた広元は、おもむろに細い白単衣の背に寄った。

 後ろから珖明の左手を取り、ある小さな物をそのに握らせる。


「きみの内帯うちおびに縫い込められていた物だ。衣を替えたとき、破れた縫い目から落ちた」


 それはくろぎぬで作られた、四角い袋状のもの。四方が珍しい金銀糸で閉じられている。


「帯はどうしようもなかったけれど、これは奇跡的に、まったく汚れていなかった」

 

 珖明の着衣を替えさせる中でそれが床に落ちたとき、コツと微小な硬い音がした。

 手に取った広元の指感触でも、袋の中身は、やはり小さく硬質な固形物のように思える。


 なんだろうと気にはなった。……しかし。


「中身はわからないが、きみの大切な物だろう。目覚めたら渡そうと思っていた。渡せて、良かった」

「……」


 広元は気付くまい。

 このとき、珖明の喉の通りが、きゅっと詰まった。

 相手の気を感取する珖明の中で、心理の気流がざわめき始めている。


 いったいこの男は、何を言おうとしている……?


「珖明。たしかにきみは、きみの言う通り……少し異彩かもしれない」


 耳(そば)に聴く、穏やかな音吐おんと


「人は多面だ。本質なんて、外から見た者にはなかなかわからない。事の正邪判断も、立場や時代で変わってしまうだろう。……人を殺めることさえも。もちろん、何もかも肯定することは出来ないけれど」


 絡んだ結び目を、傷めずに解きほぐしていくかのような語り。

 それが、周囲の清げな風景に溶けていく。


 広元はここでひとつ小さな、しかし深々とした息をつき、継いだ。


「でも思う。……きみとぼくの深層は、実はたぶん、そう違わない」


 珖明の心悸が、ドク、と喉元で打った。

 生まれて初めて触れてきた種類の感覚に思惟が揺れる。

 己に対する他人のそんな発想は、珖明には想定外のものであった。


 聴者のそんな心緒に気付いているかいないか……広元は囁やき続ける。


「きみがどんな事情を抱えているとしても、ぼくの知るきみの秘は、生涯守ると約す。誓う。……だから頼む」

「……」


 珖明は、自身の唇に掌を当てた。

 勝手に発生した震えを抑える。震えは、寒さからではない。


 広元は、当人しかわからぬほど微細に震っている珖明の身を、背から両腕でふわり、包み込む。

 そして……偽りなきまことを以って、こいねがった。


「頼む、珖明。どうか……どうか、生きてくれ」



 陽が、東の稜線を破った。

 樹々の間を貫いた暁の射光が、朝靄の湿気を帯にして彼らを照らし射す。


 光輝に貫かれるふたりの影は、言葉を発することなく永い時間、そこに立っていた。

 ……


挿絵(By みてみん)


◇◇◇


 戦のあった翌日から、広元は趙雲と協力して、他の諸葛家の者の消息を捜索した。


 残念ながら、結果は芳しくない。

 諸葛玄の実家族、及び子玖の実母、章氏の消息は皆無。

 僅かな伝聞として、子玖の実姉である猫好きの次女については、先に荊州豪族に嫁いでいた上の姉を頼っていった、という未確認情報も得たが、真偽はここでは確かめようもなかった。


 かくて、これ以上龐聚の住居に世話になっているわけにもいかないと考えた広元達は、珖明の目覚めから七日後、襄陽に向け、龐聚(おく)を発つ。


 護衛として付いた趙雲は、約束通り三名を無事襄陽まで送り届けると、その足で何処かへ去っていった。


 後に判明する事であるが、広元たちと別れた趙雲は荊州を出、州・袁紹の許に身を寄せる。

 その地で、広元にかつて話した、兼ねてから仕えを願っていた運命の将帥と、再会することになるのだ。


 建安二年春に起きた、南陽郡宛県での曹操対張繍(ちょうしゅう)の戦は、『宛城の戦い』として後世に記録を残している。


 この戦で、曹操は自身の長子・曹昂そうこう従子おい・曹安民(あんみん)、並びに典韋てんいという猛将を失った。

 曹操自身も矢傷を負い、文字通り命辛々の敗走をする。生涯でした大敗の少なくない曹操ではあるが、この戦は最悪惨敗のひとつとなった。


 ……かれど。

 このとき曹操は存命した。

 そのことは広元達をはじめ、今後の中国総ての運命を、大きく左右することになる。

 

 広元や珖明達の物語はこの後、襄陽を主要地として、荊州の遥か東方、江東も絡んだ広大な地域へと舞台を拡げ、青春をつづっていくのであった。



<第一章「闇に囚われた白鬼」 完>

 第一章「闇に囚われた白鬼」

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


 若干のインターバルをいただいた後、第二章をスタートいたします。

 第二章では、後の三国時代の一国となる「呉国」の本拠地、江東地域へも場を広げ、新たに登場する英雄キャラクター達も迎えての、濃厚なドラマを展開していきます。


 ★作品のブックマーク登録&評価の星チェックもしていただけると、ランキングUPするので嬉しいです!

 これからもどうぞお付き合い、よろしくお願い申しげます!


 <次回〜 第二章「冥漠めいばくを裂く赤き鉤月こうげつ

     前編「異郷の琴夜」  第48話 「白霧はくむ」>

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