表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

41/47

第41話 炎の静寂(しじま)

(✽お詫びと訂正:4/22以前に「第29話 瘡痕〈2〉」までをお読みくださっていた皆様へ。

29話が28話と同じ内容となっており、最需要といえる29話の本来文が抜けておりました。4/23に修正済です。大変申し訳ございませんが、「第29話」を読み直ししていただきたく、お願い申し上げます。)

 錫青は院子にわを抜け、さらに奥へと進む。


 横に従う広元は、火の手が邸外壁からの判断予想を超え、院子左右に並ぶ各(へや)にまで、相当に及んでいることに気付かされた。

 歩廊の欄干も所々焼け落ち、風にあおられた火の粉が、院子中に舞い飛んでいる。


 ―――― これは……思った以上に猶予ゆうよが無い。


 降りかかる火の粉を払いながら、錫青に添って辿り着いたのは、邸の最奥にある広間入口。

 中は灰色の煙でよく見えない。


「錫青……この中へ進めって……?」


 ごくり、喉を鳴らす。こめかみに、周囲の熱に反した冷汗が伝った。

 ……それでも、


 ―――― とやかく迷っている暇はないんだ。


 広元がひと足を踏み出し、内から吐出される煙に染みた痛みに泪眼なみだめこすったときだ。

 彼は右足下に、ずしりと寄りかかってくる重さを受けた。


「あっ……!」


 錫青が、遂に力尽きたのだ。


 広元の足にもたれ掛かった錫青の体は、そのまま横倒れになる。


「錫青!」

 

 広元は両手で錫青を揺り動かす。

 かすかに目を開けてする、微弱な呼吸。錫青の血に濡れた広元のてのひらの感覚が、その限界を伝えていた。


 急速にかすれて行く生の反応。

 やがてほんの寸時荒い息をしたと思うと……錫青の全ての動きが、停止した。


「……ああ」


 広元は引きずられるように、石床に腰を落とす。

 やり場のない無念さに胸中が塗り潰され、深く項垂うなだれた肩を震わせた。


 煙の痛みとは違う種の泪が、広元の眼をにじませ……まだ温かい錫青の上に粒がひとつ、落ちる。


 まだ生きられるはずだった大切な命が、また、目の前で失われた……。


「……」


 だが、しかし。

 広元は下唇をぐっと噛む。

 今、悲嘆に暮れているわけにはいかない。断末魔の錫青が、自分を此処まで連れて来た本意。


 考えられるのは、ひとつだ。


 ―――― 中に、珖明がいる。


 気を奮い顔を上げて立ち上がると、広元は煙を吐く室内に踏み込んだ。


◇◇◇


 床には几案きあん(机)や胡床こしょう(椅子)、調度品が散在して転がり、上からは火の粉がぱらぱらと散り降ってくる。


 動く人の気振りはないように見えるが、視界が酷く悪く、確認ができない。


 ―――― 奥まで行って、確かめないと。


 まだ炎の凶手きょうしゅが弱そうな、主座がある方へ進もうとした瞬息。


 ギッ……メリメリッ 、バキイッ ――!


 頭上からした硬質な鈍い悲鳴音。何か重量のあるものが剥がれるような音だ。


「―― !!」


 反射的に見上げた先、天井の一部か、火の付いた大きめの塊が、広元めがけて落下してきた。


「わ・あ……っ!!」


 咄嗟とっさに避けた広元の目前の床に、塊は凄まじい轟音を立て衝突し、砕ける。


 弾き飛ばされた格好で直撃を逃れた彼は、塊が砕けた勢いでぜ舞う火粉と煤煙を腕で払いながら、腰をついた上半身を起こした。


 ―――― ……息が……。


 たもとで鼻と口を抑える。

 火災で恐ろしきは煙だ。呼吸が浅くしか出来なくなってきている。

 気を失う前に、脱出せねば。


 ―――― これ以上、此処は無理か。


 たった今看取(みと)ったばかりの錫青の最期を脳裏によぎらせつつ、広元は半ば諦めも覚悟して、前方の首座方向を視た。


 ……その、次瞬だ。

 奇態なことが起きた。


 彼を囲っていた燃焼や物の破壊音のいっさいが、突然沈黙した。

 不思議な静寂しじまが、広元の聴覚を塞ぐ。


「……」


 時が刻みを止めたかのような間の中で、広元の視力は、前方のある一点に集中した。

 見開いた眼で凝視する。


 広間奥にある首座の右手やや奥……幾分煙霞の薄い暗がりにある、太い室柱。

 炎と煙に揺らめく陽炎かげろうの中、背をその柱に預けて立つ、人の横容よこすがたがあった。


 細高い背丈、白っぽい単衣ひとえ、乱れ落ちた長い黒髪……。


 広元は叫ぶ。


「 珖明!」


 張り上げた声と同時、無音の呪縛が解けた。

 勢いを増した火災が建物を蹂躙して暴れまわる音が、一斉に耳を襲う。


 広元の声が届かないのか、珖明はまったく動かない。


「珖明!!」


 もう一度呼び、広元は駆け出す。

 と、夢中だったために下をよく見ていなかった広元の足は、数歩踏み出したところで重く大きな物につまずき、膝を折って、その物体に手を付いてしまった。


「――?」


 感じた違和感。

 柔らかい感触……()()ではない。これは……。


 膝をついた足元には、血海が広がっていた。

 自分が掌をついているのが屍体の背だとすぐに理解し、その面相を確認した広元の息が固まる。


 ―――― し、諸葛玄……!?


 それは間違いなく、城主の諸葛玄であった。


「な……ん……」


 この場で、敵にやられたのか。


 伏臥位で絶命している諸葛玄の後ろ首には、細く短い竹矢のようなものが突き立っていた。血溜りの場所と量からすれば、おそらく喉元も割かれているだろう。


 知人の屍と夥しい血量を前に、広元の身が粟立った。心悸が耳元で鳴る。


「……」

 

 広元はそこで、はたと過ったある考えに思い至り、目前の珖明に眼を移す。


 背を柱にもたせ掛けた姿勢の珖明は、自力で立ち眼も開けているのだが、抜け殻の如くうつろであった。

 生気のない冷えた横顔……地下室で初めて出会ったときのように。


 続き広元の視線は、珖明の左手に吸い寄せられる。

 その手には匕首が握られており……刃には、まだ新しいと思われる血が滴っていた。白っぽいと見えた単衣も、直に浴びたと思われるほど、赤く穢されている。


 否応無しの推定が、広元の中で働いてしまった。

 しかし……まさか、そんなことが……?

 


 ぱん! と木の爆ける大音。はっと広元は我に返る。

 そうだ。事の検証など後でいい。


 死体を跨ぎ越え、彼は珖明の両腕を強く掴む。


「珖明!」


 相手は目覚めない。


「珖…… 亮っ!!」


 字でなく、通常口に出すのを避けるべきいみなで呼んだ。

 珖明の上半身を激しく揺すぶり、腹底から渾身で。


「ばかっ! 焼け死ぬ気かっっ!!」

「――!」


 大喝に、抜け殻だったひとみがふっと生気を宿した。ふたりの眼が合う。


「……広……?」


 見定め、こぼれた呟き。

 珖明の手から匕首がすべり落ち、床に刃と柄の当る音が響く。


 珖明の躰から、すう、と力が抜けた。上から吊っていた糸が切れたように、まっすぐ崩れ落ちる。広元はその身を支えた。


「珖明……!」


 珖明は気を失していた。


 広元はすぐさま珖明の痩身を両腕に抱きかかえ、出口へ一気に駆け向かう。

 火熱が迫っているのだ。一刻も猶予はない。


 しかれど室を出、入口に横たわる錫青を目にしたときには、広元の足が止まった。


「……」


 死した体とて、錫青をこんな場所に残しておきたくはない。

 ……だが、不可能だ。


 ―――― すまない……錫青。


 無念さに唇を固く結び、広元は珖明を抱え直すと、その場所から己を引き剥がすように、邸門外へと走った。



<次回〜 第42話 「神異しんい〈1〉」>

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ