第37話 再訪〈2〉
(✽お詫びと訂正:4/22以前に「第29話 瘡痕〈2〉」までをお読みくださっていた皆様へ。
29話が28話と同じ内容となっており、一番大切といえる本来の29話が抜けておりました。4/23に修正済です。大変申し訳ございませんが、「第29話」を読み直ししていただきたく、お願い申し上げます。)
「旅書生さん、まさか今から宛に入るつもりかね? 悪いことは言わない、やめときなされ」
襄陽を発った街道での道すがら、広元は幾度か同じ言葉を掛けられた。
それは、宛に近付くほどに多くなる。
北から南下してきた曹操軍が南陽郡に入り、淯水を挟んで宛城の対岸に陣を構えたと知ったのは、広元が宛県入りを目前にした頃であった。
宛城は淯水のほとりにある。
宛城守備将・張繍と侵略者・曹操の二者は、淯水の両対岸から、互いを睨む形になっているようであった。
宛県に入った広元は、真っ先に龐聚の居宅に向かった。
広元が龐聚を訪ねたのには、情報を得たい意図もある。
父親に及ばぬとはいえ、龐聚にもそれなりの実績はあり、居宅には有力者の往来も少なくない。正確な最新の情報が、一般より早く入りやすいのだ。
戦況はどうなっているのか。宛城は……そして西の城は。
ところが、である。
逸る気持ちで龐聚に会った広元が最初に龐聚から聞かされたのは、およそ想定外の報であった。
「張繍が、降伏した!?」
思わずついて出た唖然声。半分は拍子抜けだ。
「い、一戦も交えずに……?」
「ああ。張繍の奴、去年戦死した自分の叔父の未亡人を人質にまで差し出して、平身低頭、曹操を迎えたらしいぞ」
あまりに早期の降伏表明を知ったときには、さすがの龐聚も一驚したらしい。
しかし再考すれば、的確な判断だと言う。
「張繍の兵力のみでは、曹操軍とまともに戦っても、勝てる見込みは薄いからな」
「……」
張繍という武将の地名度は高くなく、その実力は未知数であった。
物理的な兵力も、曹操側の方が遥か上であるのには違いないから、降伏は理解できぬ話ではない。
———— だとしても、呆気なさ過ぎる。
一番そう思ったのは、意気込み乗り込んできた曹操側ではないだろうか。
「これで南陽郡は、ほぼ曹操支配下ということになる。まあ戦回避は有難いが、それでは荊州牧(総督)の劉表が、黙っておるまいなあ」
顎をさすりながらの、龐聚の如何にも隠者風な口振り。
———— 南陽が、曹操支配に。
広元の眉間が曇る。
宛、すなわち南陽郡が陥落すれば、曹操の次の標的は荊州治所・襄陽のある南郡であろう。
それは襄陽に住む広元の一家や知人達にとって、命を左右する最大の危惧ということになる。
深い憂心を持ちつつ、取り敢えず現状を把握したところで、広元は少し違う話題を出した。
……本音では広元にとって、一番の関心事。
「それで山民。西の城の諸葛氏の話は何か聞いていないか?」
「諸葛?」
意外な名を聞いたとでも言いたげに、龐聚は怪訝顔をする。
「諸葛玄を知ってるのか、広元」
広元はそこで初めて、昨年の子玖との出会いから西の城に滞在したことを、ざっくりと語った。
地下や珖明の存在には、もちろん触れない。
「そうか、諸葛玄に会ったのか。……ふふん、いけ好かぬ男だったろう」
言様にどきりとして、広元は喉元を緊張させる。
「きみも会ったことがあるのか、山民。諸葛玄どのに」
「去年、招致されて一度な。たしか、そなたがここへ来る直前だった。秋頃だったか」
「……」
おそらく諸葛玄は、龐公の息子がこの地で人物鑑定をしていると聞きつけて、興味を催したのだろう。
ただその時期が『昨年の秋』というのは、偶然の一致か。
広元の胸裡が、ちり、と軋む。
龐聚は広元の心中になぞむろん気付く様子はなく、奇妙な苦笑いを浮かべ、継いだ。
「本人には言わなかったがな……そう永くはないぞ。あの男の相は」
<次回〜 第38話 「予知夢」>




