第3話 刀丈夫(かたなじょうふ)
「何者だ、若造。名は?」
すぐ左後ろ、上からの声。
「……」
広元は黙したまま、横目上にそちらを見探った……のだが、眼球を動かしただけでは、相手の姿が視界に入りきらない。
自然、顔をやや上へと仰がせる。
———— ……大きい。
そこに立っていたのは、軽鎧を着けた、身の丈八尺(約185cm)はあろうかという巨漢。
それが広元を見下ろしていた。広元の顔に当てられているのは、その大漢の持つ刀身先である。
「……」
犬の一件が無事済んだとというのに、またもや緊迫に張る背筋を作らされながら、広元は急ぎ男の外形を見定める。
男の齢は三十ほどだろうか。
背高なだけでなく、筋骨隆々、素晴らしく逞しい体格をしているのが、衣の上からでもわかる。
疑いなく、武を生業とする輩だ。
それでいて貌つきはといえば、猛々しい体躯の割には端正なつくりで、くっきりとした眉目が意思の強さを放ってはいるものの、無駄な荒々しさが見られない。
———— 凶漢じゃない。
最初の判断。
広元はなにも、今巷で流行りの月旦(人物相鑑定)家などではない。それでもその巨漢には、いかにも実直気質な印象を受けたのだ。
———— 第一、獲物の名をいちいち訊ねる賊なんていない。
加え、抜刀までされていながら不思議にも、男からは殺気らしきものが全く感じられなかったのである。
とはいえ今突きつけられているのは、どう見ても屈強そうな武人の刀。
ひ弱な広元など、男のほんの一振りで、膾にされる状況には違いなかった。
それなのに広元は動かなかった。
それとも、動けない?
……いいや。一見萎縮しているかと思いきや、そうではない。
広元に武腕の心得は無く、その持ち前気質も、外見違わず柔和である。
にもかかわらず、この様な差し迫られた場面になったとき、どういうわけか返って妙に肝が座る癖が、この男にはあった。
広元は刃先をほとんど無視して、面をしっかりと刀主に向ける。
「石韜、字(通り名)広元。襄陽の家に戻る旅途中の書生です。ですが人に名を訊ねるのでしたら、ご自分から先に名乗られてはいかがですか」
臆しもなく、かといって反発色も含まない、ゆっくりとした発声。
「……」
刀の男は我知らず、突き付けていた刀先を広元から外した。
どう見ても非力そうな相手方から、慮外にも泰然とした返答をされて、呆気に取られたように口を半開きする。
「子龍!」
声を張り上げたのは、少年。
「この方はただの旅の方だよ。いきなり刀を向けたりしては失礼でしょう!」
———— え……っ?
小さな体が発した非難口調に驚いた広元が、面を少年に戻す。状況が読めない。
刀を下げた武人は、きりりとした眉を崩さず、少年に説いた。
「わたしは城を出る前に、あなたの護衛をおおせ仕っています。このところの治安の悪さは、よくご存知のはずでは」
「それは……でも」
大柄武人と小柄少年。向き合う対照的な二人の会話に挟まれた形になりながら、広元は急ぎ思案する。
どうやらこの猛者は、少年の護衛のようだ。
となると少年は、こんな大仰な護衛がつけられるような立場の者、ということなのか……?
推測中の広元をよそに、少年はなおも不服を訴えようとする。
「でも、少しならいいと叔父上も」
「危険を承知の上で、どうしても城外に出掛けたいときかなかったのは、あなたですぞ」
主従関係と思われる二人だが、さながら親が子を叱っているような図。少年は顔を火照らせて膨れっ面をしたものの、返せる言葉がない。
縮こまってしまった小さな主人に対し、叱り役をしていた武人はそこで頰をゆるめ、ふっと軽く息を吐いた。
その目顔には、温かみが含まれている。
武人は納刀すると、広元に姿勢を正して拱手(中国式の挨拶)を施した。
「石広元どの、でしたな。突然の非礼をお許しください。わたしはこの近くにある西の城の主・諸葛様に仕えている、趙雲、字を子龍という者です」
高圧を一転しての、極めて礼儀正しい態。
慌てて広元からも拱手を返す。
「恐れ入ります。……西の城、ですか」
応じながら、心中で記憶を探る。
———— 宛県に、そんな名の城があったかな。
城名は憶えにないものの、『諸葛』という姓はどこかで聞いたような気もした。しかし直ぐには思い出せない。
趙雲と名乗った男は頷くと、人間達の脇で、一部始終をおとなしく見守っていた広元の馬に目を移し、歩み寄った。
慣れた手付きで、狐站の首筋を優しく摩る。
「驄(葦毛)馬か。もう戦からは離れているようだが……なかなか良い馬だ」
撫でられている狐站が、なんとなく安心をしているように広元には映る。
———— この武者、騎馬兵士なのかも。
事実、狐站はその昔軍馬として働いていたことがあった。引退した現在では、広元のような一般人を乗せるなどの、平穏な役目を担っている。
そのことをひと目で見抜いたこの男は、これまでに馬と生死を共にしてきた、濃い経験があるのかも知れない。
趙雲は馬を愛でながら、清高さを感じさせる眼で広元に対する。
「馬を連れた書生の方はあまり見かけぬゆえ、少々手荒な挨拶をしてしまいました。申し訳ない」
そう詫び、間が悪そうに口端を笑ませた。
持ち前の外貌の力もあるのか、言動に嫌味は感じない。
「いえ、こちらこそ。失礼な言を申しました」
広元も謹直に返す。
思うに護衛武人は、広元と少年とのやり取りを、一応は警戒しながら近くでしばらく観察していたのだろう。
殺気も持たずに刀を突きつけたのは、広元のことを『危険はない』と判断した上で、いささか揶揄ったのだ。
……まあ、なかなかに物騒な揶揄い方ではあるが。
———— いまどきの武官は、殺し合いが茶飯事だから……こんなもの、児戯範囲なんだろう。
肯定し、和らげた音吐で伝える。
「その馬は、ぼくの父の友人からの借り物なのです。書生分際で馬所有など、そんな贅沢はとてもとても、許して貰えませんから」
飾らない広元の言に、巨漢の武人は、今度は歯を見せて笑いを零した。
<次回〜 第4話 「諸葛姓」>
【用語解説】
◆字:姓名とは別に持つ、通常時に使用する呼び名。