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第19話 趙雲という男

「趙伯長(はくちょう)はさ、ほんとは由緒ある貴族の出なんだぜ」

 

 広元が西の城に迎えられてから、まだそう日数の経っていなかった時分のこと。

 城の厩舎きゅうしゃ馬丁ばてい(馬の世話係)男が、広元に対して聞けよとばかりに、自身の顔前に立てた一本指を振った。


「へえ……貴族の方なんですか、趙子龍しりょう様は」


 なんとなく納得を感じながら、広元が相槌あいづちを打つ。


 広元は日に最低でも一度、預けている狐站こたんの様子を見に行く日課を欠かさない。必然、担当馬丁と交流するようになっていた。


 広元より数歳年長の馬丁は、狐站とは別の馬の磨き作業をしながら続ける。


「趙伯長は、生れ郷里の常山じょうざん国(河北省石家荘(せっかそう)市)から孝廉こうれん(地域から推挙される制度)を受けて、公孫瓚こうそんさんに仕えてたんだよ」

「孝廉!?」


 広元の一驚。孝廉とは、人格に秀でた者が高官から推薦を受けて中央官吏に登用されるという、後漢で最も重要視されている人材登用制度である。


 推挙であるから、受ける方はもちろん、相応しい人物でなければならない。

 闇も多くある制度だとの指摘はあるにせよ、いわゆる立身出世への最有効道程であることには違いなかった。


「孝廉まで経ておられたとは、すごい。それに公孫瓚といえば、州の大勢力武将ではないですか。……そうか、常山国はゆう州に近いから、自然な流れなのか」


 公孫瓚は『白馬将軍』という勇名も持つ、武勇の誉れ高い北の有力者である。

 公孫瓚の本拠地である幽州と、趙雲の郷里だという常山国の属する冀州は、隣り合わせの地だ。


 広元の解釈に、馬丁は汗を拭ってひと息ついた。


「まあそうだ。でもな、趙伯長の兄君が亡くなって、喪のため退官した。三年間も故郷で服喪ふくも生活を送ったんだと。今どき立派だよな」

「三年……」


 儒教思想にった服喪制度は、非常に厳しい制約生活を余儀なくされ、長期となれば、精神面でも資金面でも非常な負担となる。

 そのため昨今では、遵守そんしゅされなくなりつつある制度でもあった。まともに行う人の方が、美徳と称されて目立つくらいである。


 いわんや、治世が瓦解がかいし始めたこんな時代。

 古来習わしを律儀に尊重出来るということだけでも、趙雲が相応の名門出身者であろうということは、広元にも推知出来た。


「じゃあ子龍様は、兄君の喪が明けて故郷を発ったのでしょうね。……けど、公孫瓚のもとへは戻らなかったんでしょうか?」


 通常なら、元主君の所へ還るだろう。

 馬丁も顎を上向きにして、首を傾げる。


「だよなあ。何が不満だったのか知らないが、戻らなかったんだな。……で、どういう経緯かここに落ち着いた。なんでも、自分から諸葛様に名乗り出てきたらしい」

「自分から」

「ここの訓練で見るには、《《がたい》》だけじゃなくて腕っ節もめっぽう強い。公孫瓚のとこでも、充分重用される気がするけどな」


 馬丁は脇に用意していた竹水筒を取り、喉へと流し込む。


「ま、俺らにしちゃあ、心強い味方ってことで」

「……そうですね」

「それはいいんだが、趙伯長、馬管理にはとにかく厳しくてな。しょっちゅう見回りされるから、俺らも気が抜けないよ」


 やれやれ、と馬丁は嘆息すると、馬の手入れ作業を再開した。


 人にとって重要な動物である馬は、破格に高価で、手入れの労力もまた大変なものである。

 少しでも怠ると病気になったり、神経質な性格から、役に立たなくなったりしてしまうのだ。


 馬丁の彼が馬に乗ることはないにしろ、戦で馬を使う上層兵の働きは、即、下の者の生死に関わってくる。

 そのことを、多分この馬丁も理解しているだろう。


 懸命に働く馬丁に、狐站の世話をしてもらっている広元は、感心と感謝の思いで礼を伝える。


「軍馬でもない狐站の世話までしていただいてしまって。申し訳ありません」

「いいさ、ついでだから。狐站はおとなしくて扱いも楽だし。それに狐站のことは、趙伯長も気に入ってるみたいなんでな。手え抜いたら怒られちまう」


 手を休めず馬丁は笑った。気のいい男だ。


 馬丁とのこのときの会話から、広元は趙雲という男に良い意味で興味を感じ、気に掛けるようになった。

 

 とはいえ、軍人である趙雲とまともに会う機会はなかなか得られぬままに、日々は過ぎてしまう。

 やっと迎えられたのが、今日のこの対話であった。


 久々に趙雲とじっくり会話を交わし、先の馬丁の話を憶い合わせた広元は、あらためて深考している。


 ———— 彼はどうして、ここに渡ってきたのだろう。


 孝廉を経、初出仕が公孫瓚だったほどの男。

 それが今はこの小さな古塢ふるおで、ほとんど知名度のない主人に付いて、寡兵の将をしている。


 ———— 良士は主君を選ぶというけどな……。


 広元はまだ仕官経験が無く、また、趙雲の武勇を自身の目で確かめたわけでもない。

 それでも、どう見ても趙雲かれは、このような狭隘きょうあいな場に収まる資質ではない。そう感じられてならなかった。


 ———— 何か、特別な思惑でもあるのだろうか。


 諸葛玄には失礼過ぎる話で、世話を受けている広元としてははばかられつつも、猛烈に気にはなる。


 ここで思い切って、広元は趙雲にそのことをやんわり問うてみた。


「仕えてみたい方はいる」


 察しの良い趙雲の即答。

 彼は己の過去を顧遣みやるかのように、深々と語る。


「その方と再会できる機会を待っている。えにしが濃ければ、いずれまみえられるだろう」 

「……」


『今、何故ここに』という広元の問い趣旨とは、若干ずれた回答ではあったが、広元は彼の未来展望に感興かんきょうをそそられた。


 この男がそれほど念う人物とは、いったい誰であろう?

 その名を訊ねてみたい思いが湧く。

 ……しかし何となくそれは差し出がましい気もして、広元は控えた。

 代わりに至心を込め、短く添える。


「そうですか。子龍様ならきっと、その方との再会の日が来るように思います」


 言を受けた趙雲は、広元の意に見合う至誠しせいな眼を細め、うなずいた。



<次回〜 第20話 「寒月の悔恨かいこん」>

【用語解説】

◆孝廉:漢代に、朝廷が各郡に推挙させた人物の徳目の一つ。

◆公孫瓚:後漢末期の群雄の一人。北平(現在の北京)を中心に勢威を振るった。

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