第11話 闇迷路の木扉
邸内に入った錫青は、広元の知らない入り込んだ通路を、よどみなく進んでいく。
———— どこへ……?
疑問符を抱えながらも、広元は後を追う。
やがて、ずいぶんと奥まった行き止まりらしい暗がりに、ひとつの中振りな大きさの木扉が見えた。
「錫青?」
近付いたその扉前に、錫青は坐り姿勢で広元を待っていた。
木扉は大人が一人、少し屈んで入れるほどの大きさだ。
錠器具は付いているものの閉められておらず、細い隙間が空いている。
かなりな板厚みのある扉と壁との隙間に覗き見える黒闇からは、冷んやりとした空気が漂ってきていた。
扉脇には種火と、手燭や炬火道具が置かれている。
———— 普段から、人の出入りがあるってことか。
錫青が片前足で扉を掻く。早く開けろ、との要求だ。
腕組みをした広元は、ふう、と鼻から息をついた。
「おまえね。ぼくには他人様の邸なのだし、そんな勝手は出来ないだろう」
会話のできるはずがない相手に向かって話しながら、しかし、多少の興味が無いわけでもない自身にも気付いている。
子玖を呼んできた方がいいだろうか。
痺れを切らした錫青が、今度は両前足で激しく扉を掻き始めた。隙間に顔を入れようとまでしている。
広元は苦笑した。
「わかった、わかった。開けるよ」
観念した彼は、隙間に片手を差し込むと、もう一方の手で扉の把手を掴み、引く。
ところが想像以上に重い扉だ。びくともしない。
よし、と気合いを入れ、今度は両手共を隙間に入れ、扉の厚みをしっかり捉えると、もう一度力を込め、思い切り引っぱった。
ギ、ギギィィ……。
錆を含んだ鈍く低い引きずり音と共に、扉が動いた。
地上の風が、広元の背後からさあっと扉向こうへ、吸いとられるように流れ込む。
「……」
広元の目の前に、闇より濃い真っ黒な空間が口を開けた。
———— 洞穴?
上下左右がどうなっているのか、広いのか狭いのか、そもそも空間なのかどうかさえわからない。
暫時をおいて闇に慣れてきた視力が、中の形を薄暗くとらえ出す。
———— 地下階段だ。
そこは洞窟のような空間で、足元には、人工的に造られた奥へと下る階段があるのが確認できた。
だが底は見えない。これに足を踏み入れるのは、さすがに勇気がいる。
躊躇している広元の足元脇を、すっと錫青が抜けた。そしてそのまますたすたと、階段を降り始めてしまうではないか。
「あっ!? お、おい、ちょっと待って」
止める間もない。
犬の錫青は夜眼が効くのかもしれないが、広元には無理だ。
急ぎ種火から炬火を灯し、錫青の後ろ姿を追って、足元を探りつつ恐る恐る、広元は階段を降り始めた。
◇◇◇
段数は思ったより少なく、広元の足裏は比較的すぐに、底らしき平らな場所に着いた。それほど深い地下ではないようだ。
降りきった場所から六尺(約140cm)程幅の狭い道が、より光の届かない奥へと続いている。
———— 人が掘ったものだ。
地上入口から見たときは、自然地形を利用したものかと思ったのだが、中に入り壁面を見れば、それが明らかに、人の手で造られたものだと判別できた。
———— どこかへの抜け道かな。
先を行く錫青に続き、広元は一歩一歩、注意深く進んでいく。
道は一筋ではなく、途中所々で枝分かれをしていた。もしかしたら、迷路になっているのかもしれない。
錫青は時々振り返って広元の存在を確認しながら、彼に歩調を合わせてくれていた。
はぐれないように広元も追う。
万が一錫青を見失ったら、きっとここから出られないだろう。すでに元の入口へは、広元一人では戻れなくなっている。
一刻(約15分)ほど歩いただろうか。
暗い中をゆっくりだから、それほどの距離ではないとは思われたが、だとしても、
———— いったい、どこまで行く気だ。
先導者をさすがに止めようと、声を発する。
「錫 ——」
言い掛けて、止めた。
前方に、こちらを向いて坐っている錫青を見留めたのだ。
追いつくと、道はまだ左手に折れて続く空間もあるように見えるものの、坐している錫青の背側である正面方向は、そこで行き止まりになっていた。
そして……その行き止まり壁には、またひとつの新たな、外から閂が嵌められた、分厚そうな木扉があった。
◇◇◇
———— 地下室……それとも出口か。
その扉、地上口にあった扉よりは高さがあった。大人一人分は充分通せる。
扉横の両壁には、炬火を固定できるような形の穴が造られており、また、右側の腰高さ辺りにも平らに掘られた小穴があって、そこには小さく灯された燈皿が置かれていた。
錫青はくるりと身を返し、扉を向いて坐り直すと、嵌められた閂に向かい、鼻を鳴らし始めた。
切なげな鳴き声。
錫青のそんな声を、広元は初めて聴いた。明らかに扉先へ進みたがっている。
「……」
広元は迷う。果たして、開けて良いものかどうか。
こちら側から錠が嵌められているのだから、向こう側からは開けられないし、錠がされているということ自体、『安易に開けるな』という意味とも取れる。
錫青は、地上口で見せた扉を掻くような動作はせず、ひたすら細く鳴き続けている。
その様子を少時見守っていた広元は、
———— ……とりあえず、危険はないだろう。
そう判断した。
恐怖心を抱えつつ、なるべく音を出さないよう慎重に閂を外す。
炬火を手にしたまま、ゆっくりと扉を引いた。
意外にもこの扉は、片手で開けられる範囲の重さだ。軸穴を擦る細い音が、地下道の闇に響く。
開けた、先。
「……」
そこは野外ではなく、小さな室のようであった。
上方に小窓がひとつあるのが確認できる。そこからは、ごく薄い月光の帯が指し込んでいた。
左手奥の方、三叉の柄先を持った燭台が床几上に一台置かれ、それぞれの柄先に乗った小皿には、一本ずつ燈が立っている。
それらは細暗く、ほとんど燈自体の存在しか示さないものではあったが、おかげで辛うじて、側らに牀台のような物の縁が見てとれた。
———— 倉庫か。
牀台らしきものの他には、壁沿に少しの荷か床几らしき物体の輪郭があるだけで、燈はあるのに、室に人の気配はない。
「……錫青?」
広元は、扉を開けたと同時に室に入った錫青を呼んだ。
錫青の暗色の体は、すぐ闇に溶け込んでしまう。ここが出口でないことが判った以上、何はなくも彼女を見失うのは、広元にとっては一大事だ。
「錫青」
もう一度呼ぶ。
と……暗闇にぼんやり黒く浮かぶ、牀台と思われるものの形辺りに息差がした。
灯をかざし見れば、そこに錫青らしき大きさの影が見える。
影はそこでじっと動かずにいるようであったが、何のつもりでそうしているのか、広元にはわからない。
ともあれ、ここにいても仕方なかった。
「戻ろう、錫青。ここは出口じゃない」
そう促し、扉へ戻ろうと広元が身を返した —— 瞬息である。
彼の目端に、ゆらり、わずかに動く白い影が入った。
「——!?」
刹那、広元の息が止まった。
人は、そこにいるはずがないと思い込んでいるものの気配を感じとると、反射的に猛烈な恐怖を覚える。
広元は首筋後ろに、氷が当てられたような寒気を感じた。
炬火を握る手に、力と汗がこもる。
「……」
身を硬直させ、喉を小さく鳴らした彼は、腰から上をゆっくりと背後に回し返す。
そうして広元の視界に映った、室奥の牀台上。
そこには、白い鬼がいた。
<次回〜 第12話 「白鬼」>




