推察
その夜もまだ雨は降り続いていて、しとしとと静かな雨音が、闇の中に響いている。
(眠れない)
イヴェットはモイラと話したことで元気を取り戻し、抱いていた焦りは前向きになったことで力として変化したようだった。
だが同時に、持て余す感じになってもいる。余計なことを考えるのも良くないので、なにかしたい。
(そうだわ、刺繍……仕上げてしまおう!)
サイドボードのランプに灯りをつけ、起き上がる。ベッドサイドで刺繍の続きをすることにしたイヴェットは、クラヴァットと刺繍セットを運んだ。
糸を通した針を丁寧に刺す。我ながら、図案はなかなか良くできている。ランプのオレンジの光に銀糸が柔らかく煌めく。それは初めて見た、あの夜のブロードンのよう。
10年以上経った今も、あの時の感動を鮮やかに思い出せる。当時に思いを馳せながらひと針ひと針進めただけあって、ここまで刺すのにかなりの時間を要した。
だが今夜は、ただの作業と化している。
(──なにか……おかしい)
考えないように刺繍を始めたのに、どうしても昨日の王宮でのことと伝言を振り返ってしまう。
最初は反省ばかりだったが、イヴェットは今になって、小骨が刺さるような違和感を感じていた。
(褒められる期待はしていなかったけれど、やっぱりアレは、それなりに有用な情報だったのじゃないかしら?)
魔術師や魔女は有能だろうし、オリヴァーは第二王子。他にも多くの人が動いているに違いない。
自分の推察など取るに足らない、という前提で動くのは正しいだろう。
だが、イヴェットが知らない程度の学園内の些細な流行まで掴んでいたのか、というと疑問が残るように思える。確かにイヴェットは流行りに疎い方だが、友人が少ないわけでもない。薬師の父を持ち交流幅の広いモイラが詳しいだけなので、おそらく一部でちょっと流行った程度なのだと思う。
(モイラの話の感じからいっても、数ヶ月前で短い期間だろうし……それに、魔女様が来たのが昨日か一昨日の夜なら)
きっとまだ掴んでいない情報で、調べる価値もあった筈だ。
だが、その割にあの伝言──
(改めて考えると、お父様の態度も微妙な気がするわ)
普段ならイヴェットのちょっとした努力や手柄でも大袈裟な程に肯定し、褒め称える父だ。イヴェットの態度が珍しく殊勝だったにせよ、尚のこと『なんて仕打ちだ!』とか怒ったりしてくれても良さそうなところ。
なのにいつになく歯切れが悪く、機嫌を取るように話題を変えていた。
(……お父様は、なにか聞いているのね!)
それしか考えられない。
だが娘を溺愛はしていても、父は真面目だ。口止めされているなら、問い詰めたところで絶対に教えてはくれない。
口惜しい気持ちはあるけれど、ひとつ気付けたと思えばいい。
(できることはあるわ、私にも)
それは今までと同じようでいて、少し違う気持ち。
「……できた!」
いつの間にか刺繍は終わっていた。
思いを込めて刺さずとも、丁寧さはあまり変わらない。
あの夜のブロードンの凛々しい姿……には及ばないにしても、出来は上々。
完成した満足感と共に、訪れた眠気に身を任せるようにして、イヴェットはベッドに横たわった。
だが雨音のせいか眠いのに眠れそうになく、結局オリヴァーのことを考えてしまっていた。
学園で自由気ままに振舞っている風のオリヴァーだが、何気に線引きはしっかりしている。
無礼講的な態度を望んではいても、それは『学生』としての身分を逸脱しない限り。
『学生』──その多くが貴族子女。
学園内のことや勉強、同世代の流行りなど、普通の会話に親の爵位は関係ないが、子供同士とはいえ家絡みの会話には関係してくる。
彼はそこのラインを超えた振る舞いには厳しいのである。
実際、『可愛い』と男子生徒から評判の男爵令嬢が昼食中にオリヴァーに突撃し「次の夜会でエスコートしてほしい」などと吐かした時には、周囲の庇う男子ごと容赦なく理詰めで追い詰めていき、漏れなく全員泣かせたのは有名な話。
食堂だったので、イヴェットもその場にいた。
尚、謝罪反省後は調子に乗らない限り、オリヴァーが変わらず接してくれるのも有名な話だ。
ただし、家絡みの話の場合、当然保護者にも謝らせるまで決して許さない。
今朝オリヴァーと会話していた人達。そのグループ内にも被疑者の女生徒のひとりがいた。流石にバツが悪そうに小さくなってはいたが。
彼女も『婚約云々』などを口に出していたことから勿論、既に保護者である両親が王宮へ謝罪に来ている。普通の会話が許されているのは、あくまでも学園内での軽度のやらかしに対して寛容なだけ。
まあ学園は未来ある若者の成長の場。
『これも勉強のうち』という……呪いはともかく感情的になっての暴言程度は、謝罪し反省するなら許してあげることにしているのだろう。(※当然、謝罪しても許されない類の暴言もあるにはある)
家関係のことを出し問題行動をした時に、保護者に話さずその場限りの謝罪で誤魔化しても、オリヴァーは絶対に相手にしない。近付くだけで護衛による強制排除が待っている。
余談だがこれを学園も採り入れ、婚約者のいる者にせまる的な問題を起こした際に、被害者や目撃者が学園へ訴えを起こし認められれば、警備が動くことになった。問題の者が近付くと学園の警備兵が強制的に排除してくれる仕様で、そのまま反省室へぶち込まれる。学園側が保護者を呼ぶのは最終手段で、退学の時だけである。
先の男爵令嬢は反省室行きを経てようやく反省し、今はすっかり真面目になった。この件で学園の『自主性を重んじる』という校風の意味も、しっかり周知されている。
(もう殿下は以前とは違う。 王子様らしい方に成長されているわ)
昨日は冷静ではなかった。いいことに気が付いたという自信があっただけに、なんだかんだショックが大きかったのだろう。
だが冷静になればすぐわかる。『あの時のこと』とは違い、今回の伝言は一時の感情で癇癪を起こしての発言ではない。
きっと魔女が来たことで、有力な犯人像が変わったのだ。ホレイショが誤魔化したのにも辻褄が合うような相手に。
(『王宮に来るな』は『王宮は危険』の意ではないかしら……なら──)
──コン。
──コツン。
イヴェットの思考を遮ったのは、不自然なノック音のようなもの。
それは、窓の外から。
小石がぶつかったようだったが、雨は既に止んでおり風も特にない。




