ナサニエルの婚約者
「ウォーラル嬢」
「あら、マイルズ卿」
放課後、イヴェットはナサニエルに話し掛けられた。
クラス分けは成績順、オリヴァーを含め三人共同じAクラスだ。だがそもそもクラスは朝と夕方のホームルームと、休み時間、それにテスト時しか使用しない。座学の授業は講堂で行うし、男女別の授業も多いからである。
休み時間や放課後のイヴェットはモイラと大体一緒におり、交流も基本的には女子とばかり。一方のオリヴァーはクラスにはあまり留まらず、クラブや課外活動の場に交ざったりして様々な人と交流していたので、喋るきっかけ自体がなかった。
ナサニエルは必要や問題が生じない限りオリヴァーに追従するので、話すことは彼とも滅多にない。もっとコッソリ話しかけてくるかと思っていたイヴェットは意外だった。
「なんでも暫くお父上に呼ばれているとか。 陛下から、ご令嬢を王宮迄お送りするようにと申し付けられております」
「有難いお申し出ですが……マイルズ卿はお忙しくありませんの?」
「殿下も公務で取り込んでおります故、当面登校なさらないので大丈夫です。 迎えに王家から仰々しく馬車を出すより、同級生で身体が空いている私が軽装馬車で送る方がよい、と。 まあ、王宮まで近いですしね」
にこやかにそう言うが、オリヴァーの休みやイヴェットの王宮行きの建前の、他者への周知というパフォーマンスも兼ねているのだろう。
裏を読むなら、このパフォーマンスはそれだけではないに違いない。犯人がもしオリヴァーに執着しているのなら、当然このタイミングのいい『建前』を怪しむのではないだろうか──イヴェットはそう思った。
けれど、別に構わない。
(元々『囮作戦』は私が言い出したのだもの)
人の行き交う廊下、他人に話が聞き取れない程度の声でイヴェットはナサニエルに問う。
「ナッシュは私の意見に賛成なのね?」
「久々ですね、その呼び方。 いえ、全く賛成はしてませんよ。 私が貴女に気があるようなかたちを装うつもりですし。 まあ多少はその期待もしてますが、影はつけてますのでご安心を。 イヴェット様」
「むう……やたらとにこやかに声を掛けてきたと思ったら、そういう感じなのね……」
「だって貴女、危険なことをしそうですし。 それならお傍にいた方が殿下も安心でしょう?」
ナサニエルの言動の意図は、『イヴェットの近くにいる為』だと言う。ただそれには更に裏の意図がある。
「あ、ついでに影は私の婚約者ですので、そこもご安心ください」
「貴方の婚約者、影なの? やだカッコイイ……! 紹介してくださらないの?」
「ふふ、まあそのうちに」
『カッコイイ』……その言葉にナサニエルはイヴェットの趣味嗜好の方向性を改めて感じた。
ふわふわの髪に優しげな顔立ちの幼い少女は、パステルカラーの妖精の様なドレスが良く似合っていた。今もその印象は変わらぬままに美しく成長している。
だがその反面、当時から価値観が独特でどこか少年臭かった。運動は苦手なのかわかりやすくお転婆ではなかったが、カエルも虫も手掴みしたし、可愛らしいアクセサリーを自慢しあうよりも庭で綺麗な石を拾うとか、泥団子をツルツルに磨くのが楽しいという子だった。そんなところもあまり変わっていないようである。
「影なのに食いついてしまったけれど、婚約者がいたのも知らなかったわ」
「彼女の職業柄隠してますので」
「あら……勿論言わないけれど、聞いてしまって大丈夫なのかしら」
「イヴェット様は問題ありませんよ」
「? そう?」
(殿下が許したのかしら。 しかしなんだか婚約者の話が多い日ね)
モイラに続き、ナサニエルにも婚約者。
ふたりの婚約に接点などないので全くの偶然だが、続くとなんとなく意識してしまう。
「でもただでさえ大変なお仕事なのに、ちょっと今回は嫌な任務じゃないかしら……婚約者が気のあるフリをしているところを見ているだなんて……あっ、愛称で呼んでしまったわ! 違いましてよ? 昔馴染みなだけで……」
天井にいるとでも思っているのか、上に視線を彷徨わせながらそう弁解するイヴェットに、ナサニエルは小さく吹きだす。
「イヴェット様、上にはいませんから」
「そ、そうなの?」
「ていうかキョロキョロしないでください。 呼び名も問題ありませんよ、彼女はわかってますので」
──そう、どこかで見ている彼女はわかっている。
ナサニエルはイヴェットに愛称で呼ばれたいことを。
下心と言えばそうだが、それは全く別の意味であることを。
(これを機に、イヴェット様には本当に殿下の婚約者になって頂く……!)
ゆくゆくは王子妃。主の奥方なら主も同然。
『イヴェット様』と呼び『ナッシュ』と呼ばれるのは望むところと言っていい。
イヴェットへの恋心など皆無であり、オリヴァーとふたりの時間はキッチリ取らせるつもりなので当て馬と言うには些か微妙。だが、オリヴァーにイヴェットへの想いの自覚を促し、報告をしながら煽るには丁度いいポジションだ。
勿論、言葉通りにイヴェットの安全確保も兼ねているし、犯人の怪しい動きにも多少の期待が持てる……一石二鳥ならぬ、三鳥。
「デキル女というヤツね。 それとももっとロマンス的な以心伝心とかなのかしら? ああ、どちらも素敵……! 早くお会いしてお話を聞きたいわ~」
イヴェットの言葉に「そのうちいくらでも話せますよ」と笑うナサニエル。
(この笑顔と言葉の意味に、イヴェット様が気付くのはいつのことかしらね……)
気配を消してふたりを追い掛ける影は、やや天然そうな未来の主とやや腹黒の自分の婚約者を眺めつつ、そんなことを思っていた。
 




