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陸;之森(ユキモリ)

 それまでの苦難が嘘の様な道行きだった。地面に下枝を擦らんばかりの低く捻じ曲がった貧相な松がいくらか続いた後、緩やかに下る山道は次第に植栽の種類を増やしながら、針葉樹から広葉樹そしてまた針葉樹と森の装いを様々に変えて行く。

 道は落ち葉が造った軟らかい敷物の様で、硬い岩場を越えて来た脚への贈り物になった。渡人たちは、役者が道行き拾い上げた程よい長さに真直ぐな太枝を杖に、軽快とも言える足取りで難なく道を稼ぐ。

 ヤブと役者は一定の間隔で交互に先頭に立ち、時折後ろに続く渡人たちを振り返り、その顔色を伺って歩む速度を緩めたり早めたり立ち止まり小休止したりした。わたしやの二人は幾度かの小休止毎に先頭を替わり、渡人の並びをその都度入れ替えたりもした。

 雨はほとんど気にならない程にまで治まり、風は梢を揺らす程度、あの狂暴さは微塵も感じられなくなっている。見通しの良くない森は、初めの内こそ行く者に樹々の多彩さで気を引きはしたものの、やがて杉の古木が林立する中をただ真直ぐに延びる道が緩やかに下って行く様になると、延々ひたすらに変化の乏しい姿を続け、道行く渡人たちをげんなりとさせる様になった。とは言うものの麓のやしろを模した隠れ家を出て以来、緊張の連続と体力の消耗で、どん底の気分が続いた渡人たちのこと。普段ならこんな陰気な山道をこんな天気の日に行けば誰もが鬱ぎの蟲に捉われるところだが、今は辛苦から早くも解放されたかの様な気分で、ほとんど朗らかと言ってよい心持ちになっている。

 ヤブは相変わらず周囲に目を配りながら後ろに続く者の息が上がらぬ程度の早足で先導し、一時はお互いの肩に縋って歩いていたカシラとヒメも、今は杖を頼りに独りで歩いていた。その後ろ、イチタはまだ足取りが時折乱れ、立ち止まっては後ろのニタや役者が追い付くと歩き出すことを繰り返したが、鹿滑の時の蒼白な顔色に比べたのなら雲泥の差と言えた。

 森は果てもなく続く様に思える。ここまでは、わたしやは行程について渡人たちには自ら積極的に言わないで来ていた。問われれば曖昧に答えはしたが、その訳もあの鹿滑を見れば分かるというもの、最初からあの難所を事細かに伝えていれば渡人の気分も滅入ってしまったことだろう。だからこの先のことは、渡人たちも敢えて聞こうとはしなかった。聞くとすれば、後どの位で休むのか位で済ませていた。しかし鬱蒼とした森に入り一刻ほど、これだけ変化に乏しい平坦と呼んでも良い道が続けば、渡人ならずとも先が気になり出す。案の定真っ先に問い掛けたのはイチタだった。

「なあ、『いわど』までは後どの位なんだ?」

 イチタは最後尾を歩いていた役者が追い付いて来ると尋ねた。しかし役者は苦笑いを浮かべると、

「気になるかい?」

「気になるよ」

 役者は少し不機嫌に返すイチタに爽やかな笑みを返すと、

「確かにイチタさんがこの先不安なのは無理ねえさ。こっちも敢えて説明はしねえしな。まあ、先が見通せねえんじゃあ、次は一体何が出てくるかおっかなびっくりってとこだな。けれどね、そんな余裕はあんたら渡人にはねえからな」

「何だって?」

 イチタは軽く往なされ、またぞろ短気の蟲が蠢く。役者はその顔を涼しげに見やり、

「よう、イチタさん。忘れちゃいけねえな。あんたらはここでは雛同然だ。護るものがいなければ一日も持つかどうか怪しいもんだしな。言ったよね?ここじゃ死に方は沢山あると。しかも選べねえ。まあどっちにしても死んじまったら関係ねえけどさ」

 役者はふと顔を歪め、不敵に笑うと、

「あんたには関係ないかも知れねえけどさ、おれたちはこれで飯喰ってるんだな。あんたらを送ったらそれで仕舞いじぁねえし、また、あんたらの様な人を送らねえといけねえからな」

「そんな大そうな事言っても、私たちが死んだら死人に口無し、だろうが。危なくなったら放り出すに決まっている」

 イチタも負けじとやり返す。

「そりゃ当然だ、イチタさんよ」

 そう声を上げたのは、いつの間にか先頭から外れて並んだヤブ。

「おれたちだって、たった金四匁で命まで差出しはしねえよ」

 イチタは思わず拳を作ったが、どう見ても適うはずもないヤブにそれを振り上げる訳にもいかなかった。

「ひどいかね?」

 そんな憤懣遣る方無いイチタを見てヤブが続ける。

「確かにひどいと思うよ、人の弱みに付け込んで言いたい放題だからな。でもね、こいつは人助けじゃあねえから。金儲けでもねえさ。あんたらは金四匁も取って置いて金儲けでねえとは何事か、と言いたくなるだろうけど。金儲けする気ならもっと一杯ボッタくってるよ」

「え?」

「四人で四匁。人一人の命、たったの一匁。おれたちのまっとうな暮らし三年分。高いと思うかね?」

 ヤブの物言いは皮肉に聞こえる声音だがその目は笑っていない。それをさすがに察したイチタは口を閉じる。そんなイチタを見てヤブはひょいと肩を竦めると、

「命を賄うなら安いもんだろ。それにちいっと前までは二匁だった。あの頃はあちらへ消えたがる人が引っきりなしだったからな。近頃はこの辺りもめっきりおとなしいからね、安くしとかねえと、あんたらみたいに渡ってくれる人もいねえしな。まあ、そんな次第だからこっちはこっちの都合で動かせてもらう。ああ大丈夫、きっちり渡してやるから。あんたらは後なんぼの間おとなしく付いてくればいい。そうさな、あと一刻もすれば『祈りの森』に着く」

「なんだ、その祈りとやらは?」

 イチタの問いにヤブは顔を綻ばせ、

「『いわど』は時間になんねえと開かねえからな。しかも簡単に通られたらこっちのおまんま食い上げだしな。そんなことで隠してあるが、そんな秘密の場所でのんびり待っている訳にもいかねえだろ。だから時間になるまで待つ場所も必要なんでね。渡人が渡る時間まで行く末を案じ、戻れねえ事を惜しむ。祈りの森とはそんなところだ」

 いつの間にやらカシラ、ヒメ、ニタも二人に近寄り、役者はその後ろに付いて寄り集まって歩いていたが、ヤブの話に自分たちの姿を重ね、しんみりとしてしまった。イチタですら拳を解き、俯いて黙る。ヤブはそんな彼らを優しげと言っても良い眼差しで見やり、今までの皮肉な口調が嘘の様に優しく締め括った。

「まあまあ、そんなに落ち込まねえで。『彼方』も『此方』と大して変わらねえんだし、そんな中、生まれ変わる様にやり直せるんだしな。全く持って結構なことじゃあねえかね?」

 暫らく誰もが沈黙し何の合図もなく指示も無かったが、つと先に動き出したヤブを追って全員が黙って歩き出す。わたしやの二人は無表情のまま淡々と行き、イチタは時折吐息が漏れ、カシラやヒメは面伏せて静々と進んだ。ニタだけがほとんど最後方に役者と並びながら前を向いて歩いて行った。


 更に一時が過ぎた。相変わらず杉の森は続き、わたしやは半時も行くと小休止し、隊列を入れ替え、再び歩き出す事を繰り返した。これにはカシラは何か理由があるのだろうとは思ったが、余計な事であろうと聞きたいのを抑えた。しかし多少元気を取り戻したイチタには遠慮がなく、五回目の小休止でヤブに声を掛ける。

「聞いてもいいか?」

「なんだね?イチタさん」

「どうして歩く並びを替えるんだね?」

 するとヤブは、にやりとして、

「はて、そう言われればどうしてかな。深く考えた事はねえが、この辺を行き来する時には大抵入れ替える。昔からの仕来りだな」

「分からないでやっているのか?」

 呆れてイチタは言うがヤブは涼しい顔。

「済みませんな」

 イチタは杖に保たれて首を振り、カシラも誰にも分からぬ様吐息を付いたが、ニタは一人微かに頷いていた。

 ニタは歩きながら暫くすると、絡繰り仕掛けが動いている様な、自分が自分でない様な単調な動作で歩いていて、気分はふわふわと夢見心地に陥っているのに気付いた。 まるで転寝うたたねをしていて何かの拍子にはっと目覚める、そんな感覚に良く似ている。幾度も意識を混濁させ、石に躓いたり滑ったりしては自分を取り戻す、そんな事を繰り返していた。難所を越えた安心感と積もった緊張と疲労、それが原因なのは直ぐに分かる。役者は腹に力入れて、と言うが、それは油断するな、と言う事にも繋がる。実際、この単調な風景と雨風も凌げる森に入った事で、緊張を解かない方が無理と言うもの。

 ヤブたちは時折、渡人へ声を掛けたり歌ったり並びを変えたりすることで、この区間の『魔』、単調を少しでも紛らわそうと言うのだ。

 だったら、とニタは思う。いぬの場合と同じで危険な何かを演出した方が手取り早いのではないだろうか?そこまで考えるとニタは、自分が狗の件を暴いたのは間違いだった、と反省する。わたしやは、危機的状況に慣れず体力も余り無い渡人を時に叱り時に宥め励まし、過酷な自然奥深くにあるという彼方への入り口、『いわど』へと送るのが仕事。動かぬ馬には鞭が必要な様に、渡人にも何か刺激が必要な時がある。それが白骨の墓所であり、幻の狗であり、並び替えなのだ。

 多分、とニタは思う。この一見穏やかな森にも何か怖ろしげな話が用意されていたのだろう、それを私が止めさせてしまった。私が狗の件を取り沙汰しなかったら、熊なり何なりが出現したのだろう。すまないことをした、彼らの有様ありようが見えて来たと得意がり、余計な話で彼らの仕事の邪魔をした。これからは黙って付いて行こう――

「おい」

 突然、袖を引かれ、思わず仰け反り反動で尻餅を付く。両手を後ろ手に地面に付き、はっと見やると役者が腕を組んで見下ろしていた。

「よく見て歩かねえと、な」

 顎で指し示す先、この森の中、一体何処からか転げてこの場所に落ち着いたのか、見上げんばかりの溶岩の大岩が先を塞ぎ、道はそれを避けて急角度に曲がっていた。役者が止めなければ、ニタはまともに岩と激突していただろう。

「申し訳ない」

 力なくニタはいう。

「なあに、そのためのおれたちさ」

 歯を見せて笑う役者は、男のニタが見ても見惚れる様相、その笑みは女ならずとも大層魅力的に見え、何故かニタはその笑みに妖艶なものを感じ、思わず目を伏していた。そんなニタに手を貸して立たせると、

「けれど、気い付けるに越した事はねえなぁ。しっかり目を開けてよく見て歩かねえと、せっかく鹿滑を越えたと言うのに、こんなつまらんところで怪我することになるよ」

 そしてぽん、とニタの肩を叩くと先に歩き出した。

(今のは一体なんだろう?)

 ニタは靄の中から突然、崖っ淵が覗いたかの様にどきり、とした。それは勿論、危うく怪我をするところだった事もあるが、今の触れ合いで役者に外側からは感じられない性的な何かを感じたからだった。

 ニタはこの戦乱打ち続く世にあって、つい先日までは平穏で恵まれた生活を送っていたが、その彼には男色など入り込む隙などなかった。当然それが何かは知っており、彼が勤めた場所にもその趣向を示す者も複数いて、その整った顔立ち故か暗に誘いすらあったが毅然として受け付けないでいた。

 今この非常時、疲れ切った自分にそんな感情が湧くなど、信じられない思いで一杯となった。彼は首を振ると、腰に下げていた雨にぐっしょりと濡れた手拭いで顔を擦り、顔を二度三度ぱんぱん、と両手ではたくと役者の後を追った。その直後。

「おい、役者!」

 切迫したヤブの声が聞こえる。役者は素早く走り、ニタがぶつかりそうになった大岩に視界を遮られていたその先、ヤブやカシラたちが見やる光景を目の当たりにして歩みを緩める。

 杉木立の先、突然開けた視界。そこにはただ赤土と石榑いしくれそして薙ぎ倒され切り刻まれて運ばれた杉の木の山があった。

 土砂崩れが道を塞いでいる。右手に聳える山の斜面がざっくりと割れ、そこにあった植栽ごと大量の土砂が押し寄せ森を潰し、荒れ果てた空虚を創っていたのだ。

 既に雨はこの半時ほどは完全に止み風も凪いでいる。冷えて行く一方の空気が再び靄を呼び、それは風景を紗の向こう側の様に、現実とは思えない墨画の様に見せていた。

 ヤブは一行を振り返るや、

「待っていろ」

 そう言うなり、まるで猿の様に土砂崩れで出来た赤土の壁をよじ登り、たちまち視界から消える。不安そうに眺めやる四人の渡人を他所に、役者は腕を組んで、その大量の土砂に断ち切られた道を透かし見るかの様に睨んでいた。

 やがて、唐突に土砂の壁を崩しながらヤブが現れ、ずぶずぶの赤土に身体を汚しながら滑り降り、彼らの前に立つ。

「だめだった。この先へは行けねえ」

 こんな状況だというのに、ヤブは信じられぬほど落ち着いてそう言うと、

「ぐずぐずしてたらここも危ねえな。戻るぞ」

「戻るって?」

 思わずイチタが身を乗り出すと、ヤブは、

「一里ほど道を戻るんだよイチタさん。道が二股に別れとったのを覚えてるかい?そこにある目印の岩の前で休んだけどね」

「ああ、下に沢が見えていた」

「そうそう。で、反対側の道を沢沿いに行くと、この先の森の淵に辿り着く」

「廻り道か」

 溜息交じりにイチタがぼやく。

「まあ、仕方がない。元気出して行こうや」

 ヤブは土砂の上でにっこりと笑む。

 しかしヤブはその時、鹿滑を前にした時以上の葛藤に捉われていた。それは役者も一緒で、土砂の山を下るヤブを見て微かに眉間の皺を増やした。

「さあ、戻るぞ」

 表面上では変わらず、渡人の隊列を整えると、さあ、と来た道を辿り始めた。役者も、

「気持ちを切り替えて行こう、いくらか遠回りするだけだからね」

 カシラにそう言うとさり気なく先頭のヤブに並ぶ。

「腹括らねばならねえのは、おれたちになったな」

 役者は前を向いたまま、ほとんど聞き取れない囁きでヤブに言う。

「まあな」

 ヤブはそう言った切り。暫く黙って歩いた後にちらりと後ろを確認し、渡人たちが一塊りで付いて来るのを確認した役者は、

「泊まるしかねえよな?」

 これも囁くと、意外な返事が。

「いや、泊まらねえ」

「何で?」

「待ったら危ねえ」

「かりびとが?」

「そうだ」

 役者はふと辺りを窺って、

「臭うか?」

 ヤブは吐息と共に頷く。

「ああ、さっき山崩れの先から『山守ヤモリ』の臭いがした。もう暮れに近い。これ以上遅れれば朱ヶ原がしんどいことになる」

 その時、再び雨が激しく振り出した。

「今夜はちいっと辛いかも知れねえな」

 溜息交じりのヤブの呟きは雨音に掻き消えた。


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