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拾肆;夢洛(ムラク)

 ジンは特別な小銃、翔落を構えたまま天を見据えている。脇にはレイが立膝を突いて控えていた。

 まるで彫像の様に固まり、なかなか撃とうとしない甚の後方、背中を見せて放太ホウタが自分の得物を空に向けている。

「残念だなぁ。おれ様にお前たちの業は通じねえよ。何せおっかあをこの手でっちまったくらいだからな」

 そう呟くと熊手に似ていなくもない形をした錬鉄の先、銛状のやじりが光る代物を空に向け構える。

「もう八年にもなるが未だに夢をみるからな。おっ母の血塗れの顔やら、相手だったショウゾウの哀れな死に顔やら何やらをなぁ。おれは拝み倒して命乞いなんぞしやがった二人をざっくりと殺っちまったんだが、まあ、後悔なんざしてねえよ。おとうの無念はそんなもんじゃ賄い切れやしねえからな」

 放太は念仏を唱えるかの様、抑揚もなく淡々と物騒な過去を物語る。

「お父が奴等に殺されたと知っておさからかたき討ちの許しを得た時から、おれは地獄へ堕ちると決ってんだよ。だからお前たちなんざ怖くねえ」

 放太の告白が続くが、その実、鋭い目が空を巡る白い人妖を追い続けていた。

「まあ、おかしな話だが、感謝してるんだぜ、おっ母やショウゾウにはな。あの阿呆がどっかのおたなの番頭だか何だかだったお陰でおれは街へ降りられねえが、それで満足してらあ。なにしろ、お前たちにはおれの魂が見えないだろ?あん時におれは魂とやらを奴らの命と引き換えに置いて来ちまったんだからな」

 その時、放太は鉄の熊手から銛を放つ。


 その得物の名を『龍笛りゅうてき』という。銛には鏃を留める金輪と石突にそれぞれ火薬が仕込まれている。熊手状に開いた十の火筒に装填された銛を『龍殺りゅうさつ』といい、龍笛の引き金を引くと十ある腕に仕込まれた龍殺は石突を撃鉄で叩かれて噴進薬が点火、一斉に黒い排煙の尾を引いて空へと駆け上る。と同時に、空洞となった銛の中、石突から血止に掛けて走る導火線にも点火され、銛は一定の高さになると破裂する。運良く天守に当たれば一撃で落す事が出来る。当たらずとも近くにいれば破裂した銛の破片を浴びるという仕掛けだ。

 放太は飛び廻る天守の軌道を読んで、最も多数が寄り固まる瞬間に合わせ龍笛を放った。

 龍殺は放射状に飛び上がるとポンポンと豆が弾ける様な音を上げ破裂する。一羽が刺し抜かれると装薬で羽を裂かれ、くるくると螺旋を描きながら落ちて行った。他にも数羽が破片を浴び、ふらふらと羽ばたきながら何処いずこかへと去る。だが、残りはほんの少し乱れた飛び方をすると元通り、春を謳歌するような飛燕の舞を再開する。

「畜生め」

 満足の行かない放太は悪態を吐くと龍笛を立て、背負子に括り付けたうつぼから新たな龍殺を取り出し、素早く装填する。その間、地表すれすれまで滑り降りる天守が数羽、威嚇する様に羽ばたいて放太の脇を摺り抜けるが、放太は素知らぬ顔、気を散らすことなく確実に得物へ銛を仕込んで行く。天守は心の隙間に忍び込む、と言う。一心不乱に弾込めをする放太にはその隙が無い。

 再び熊手の様な龍笛に龍殺を込めた放太は重い得物を難なく持上げ、空を狙う。

「よしよし、来い来い」

 的は幾らでもいた。どうせ龍笛で落せるものは獲物に取り憑くことが適わなかった小物。当たっても落ちない奴は、初めから煮ようが焼こうが退治出来ない。先程数羽がわたしやの『お客』が固まる方へ降り立った。『御供ごくう』が出たようだが、それも朱ヶ原の掟。弱い者から魂を奪われるのが自然で、そもそも御供は放太の客ではない。

「『賄うおアシがあるのなら、きっちりみごとに渡しやしょう』ってか?今夜はちと難しいぞ、ヤブさんよ」

 放太は、わたしやが余裕のある時に謡う唄を口ずさむと、ちらりヤブのいるであろう萱の繁みの方向を見遣る。そして汚い前歯を剥き出して凄みのある薄ら笑いを浮かべ、振り返ってひとりだけの狩に熱中し出した。


 ヤブは乱れた息を整えるため、暫く両膝に両手を当てて肩で息をしていた。晩秋の夜半過ぎだというのに額から汗が滑り落ちる。

「ひでえ夢だ!」

 悪態を付くと目尻に溜めた涙を右手で乱暴に払う。たった今、十数年前井戸に嵌って死んだ歳の離れた『末弟』を叩き斬ったのだった。

 再び刀を構え、油断して近付く天守を捉えようとする。自分が夢魔に捕らわれるまで、近くに寄り過ぎた人妖を二羽叩き落していた。

 最初は嘲笑うが如くヤブの傍らを掠めて飛び廻った天守も、二羽が暫鬼の呪を施した白刃の下に成敗され、取り憑いても振り解かれると迂闊に近付くものはいなくなった。漸く落ち着きを取り戻したヤブは空に向かって吼える。

「ほら、こっち来い!相手してやる!」


 天守は心に隙のある者に取り憑き、心を奪おうとする。これをわたしやや火縄衆らは『吟味』と呼び、取り憑かれた者を『御供ごくう』と呼んだ。

 吟味は何度経験しても心乱れ古傷が疼く経験だ。ヤブの様なわたしやの手練てだれでも、ほんの少し油断しただけで取り憑かれるのだ。代々伝わるまじないで天守を忌避する火縄衆ですら魂を持って行かれる事もある。天守の事を何も知らない渡人は格好の餌だった。


「くそっ!」

 思わず悪態が吐いて出る。既にイチタが連れ去られた。ヤブは数羽の天守を相手にしていて、助けたくとも助けられなかった。いや、邪魔立てがなくても助けることは出来なかっただろう。天守が一旦取り憑いて御供になってしまっては、取り憑かれた御供自らが呪縛を解かない限り誰にも助けることが出来ない。そうとは言え、苦い敗北感がヤブを攻め立てている事に変わりはない。

 ヤブの後ろ、渡人の三人が肩を寄せ合い、憔悴して座り込んでいる。どうやらこちらも天守に憑かれた様子だったが何とか振り払ったようだ。

 ふと、視野の片隅に地表に降り立ったまま空を仰いでいる一羽が目に止まる。ヤブは舌打つと空かさずそちらに走って行き、真後ろから袈裟懸けに刀を振り下ろした。が、刀は虚しく空を切る。今一度、刀を霞に構え直して同じく背後から羽の付根目掛け突き入れる。が、これも確かに相手の背中から胸へと突き抜けたが、まるで霧を貫くかの様、手応えがまるでない。悔し紛れに廻し蹴りを入れるがこれも空を切った。

「畜生め!誰だ?捕らわれたのは?」

 ヤブの焦りの声だけが響いた。


 役者は小川の縁から水面みなもを覗いていた。遅い北国の春が盛りとなって、雪解けに冷たい水は澄んで黒くすばしっこい川魚が速い流れに逆らい、すいすいと泳いでいるのが見える。もう少し暖かくなれば役者たち子供も水に入って泳ぐことが出来る。今時はまだ心の臓も凍えるほど冷たい水。するりと右手を差し入れると痺れるほどの冷たさだった。それにしても。

(どうしてここにいるんだろう)

 ふと後ろを振り返れば、母様かあさまが震えながら拝むようにしている。相手は毛無垢じゃらの熊の様な大男二人組で、仁王立ちのまま腕を組み、母様を見下ろしている。

――差し上げた金子きんす以外はこの箪笥一棹しかないのです

 母様は涙に頬を濡らし、尚も男二人に懇願する。

――どうかこれで許して下さい

 男の片割れがちらっと役者を見ると、相棒に、

――詮方なしだあな。まあ、あれを『山の民』に売り飛ばせば、多少は浮くだろうし

 母様はその言葉にびくっと身体を震わせたが、何も言わない。役者を売り飛ばすのはもう決っているのだから。こちらを見ることもなかった。

――お慈悲です、お許し下さい

 元を質せば湊の城下でも羽振りの良い回船問屋の娘、今は散在が祟って借財だらけになったと思ったら呆気なく病魔に倒れた男の妻。母様は気概も失せて、只管に残されたただ一人の男である兄と、まだ乳飲み子の妹の二人、それだけを手元に生き抜こうと図っている。そして最後に残された金目の品と役者がその代償になるのだった。

――さあさ、行くぞ

 いつの間にか母様は消えて、見上げるような男二人がこちらを見ている。

――日が暮れる前に、おめえをわたしやの銀次のとこ連れてかなきゃなんねえからよ

(わたしや?)

 わたしや、とは聞いたことがあった。はて、どこでだろう?

――それはいい考えだ

 もうひとりが合点の言ったという風に頷いている。

――火縄衆や『かりびと』んとこは最近足りてるみたいだしよ。本当はかりびとに渡しゃあたんまりもらえるんだがな。わたしやはケチだから

 かりびと?わたしや?……何だろう、この胸騒ぎは一体。するとどこかで誰かが誰かを呼んだ。

「……やくしゃ」

 (やくしゃ?)

「やくしゃ」

 (誰のこと?)

「やくしゃ!」

 さて、これも聞き覚えのある声だった。一体誰、と辺りを見渡すが、大男二人以外誰もいない。

「やくしゃ、目を覚ませ!」

 声の主を探して歩き出そうとしたその時。目前の男の姿が溶ける様に揺らぎ、再び人型に蘇ると、ひとりは女、もう一人は直前までの姿とはかけ離れた優男に変化する。

――どこへ行くんだ

 優男が言う。

――行ってはいけないよ、こっちにおいで

 母様が言う。

――おいで、おいで

 男が優しく手を振った。

――ほら、何をしているの?いらっしゃいな

 母様は右手の甲で口元を隠して忍び笑う。機嫌の良い時、必ずそうするのだった。

「か、かあさま……」

 役者はふらりと一歩、そして二歩、そちらに歩み寄る。母様は優しい笑顔で頷いている、優男はその隣、そうだそうだとでも言う様ににこにこと笑んでいる。

「やくしゃ!」

 また声だった。

「誰?」

――さあさあ、早くこちらへお出でなさい

 母様の顔が少し曇る。役者は更に二歩、そちらへ。

「ばかやろう!そいつは――」

――聞いてはいけないよ!あれは魔物の声だから

「役者!目を覚ませ!」

 必死な様子の姿無き声が役者の全身を貫いた。はっと歩みを止めた役者の手に、ずっしり重い何かが握られていた。今まで気付かなかった何か、重い……

「見ているんだな、見えているならそいつを斬れ!」

――いけない!聞いてはいけないよ!

「斬れ!」

――だめよ!だめだめ!

――だめだ、だめだめ!

 母様と優男の二人が声を揃える。役者は初めて見るかの様に二人を見つめた。

 母様と、優男。物心付いた時には母様の横にいて、父様の代わりをしていた。微かな記憶にある、酔ってばかりいた父様と違い、いつでも優しく膝の上に抱き上げてくれた。名前は――はて、名前は何と……名前?

「役者!」

 (役者……わたしの、名前?)

「やくしゃ!」

 役者はその瞬間、唐突に思い出した。思わず身震いする程の冷たい風が吹き抜けると、たちまち麗らかな春の光景が晩秋の枯れ野へと変わる。

「おれは……役者だ!」

 全てを思い出した役者は手にした刀を八双に構え、目前の二人に向かう。

――なにをするの!

――なにをするんだ!

 口を揃えた母様と優男の二人は恐怖の表情を浮かべた。一瞬役者に躊躇の兆しが訪れるが、

「南無サン!」

 己を鼓舞し迷いを振り払う様に大きく首を振った。そして刀を上段に構えるや、役者は二人に向かって一気に斬り掛かった。



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