拾貳;合同
ヤブは身振りで付いてくるようにイチタへ合図すると、山守に蹴散らされた萱の原をゆっくりと進む。イチタは未だ止まらぬ震えと心の臓の鼓動に息を乱しながらもヤブの後ろに続いた。
つい先程まで群成して押し寄せた山守は、まるでヤブたちが見えていないかのようだ。組主と呼ばれる四、五体から十体ほどを束ねる長を失った山守たちは、目的も忘れ無闇におろおろと走り回るもの、蹲り全く動かないもの、二、三体寄り添い固まって何かを待っている様子を見せるものと様々で、行動に一体感がない。
斃れた組主と思われる一体を、まるで弔いのように囲み蹲る四、五体の山守。その脇、息を殺してすり抜けた後、緊張の余り足取りが覚束なくなり萱の根に足を取られて倒れ掛けたイチタは、支えたヤブにすまないと頷くと、
「どうしたんだ、こいつらは」
イチタの声は囁きだったがヤブは口に一本指を立て、喋るなと注意する。放心しているとはいえ、山守たちはいつ何時こちらに興味を持つかも知れない。こんな時にも話し掛けてくるイチタの無粋に少し苛立つヤブだった。
人妖の性質や朱ヶ原の状況にも慣れたはずのヤブでさえ神経を磨り減らす道行き。
ほんの僅かの間でさえ半時は経ったかのように思えたその時、妙に明るくなりつつある萱の原、その中をこちらと平行して進む一団が見えた。まだそこかしこに点在する山守をゆっくり避けるようにして、その一団はヤブたちの進路と交差するように近付いて来る。先頭に立つのは熊皮と火龍を背負った小柄な人物。その後に固まって三人が続いている。
ヤブが立ち止ると先方も立ち止った。ヤブは萱が途切れて下草の低い右手の草原を示し、相手が頷くのを確認するとその空き地へ乗り込んで行く。
「無事だったか」
「そっちもな」
ヤブと役者は低く抑えた声でお互いを労う。渡人たちは生死の境を綱渡った緊張がふと緩み、その場に蹲る。気を失う寸前のヒメを助け起すニタ。その顔も血の気が失せ唇が紫色。突然蹲っていたイチタが吐瀉し、カシラは放心に近い状態でその背を摩る。
ヤブは瞳の合図で役者を呼び、役者は辺りを慎重に窺いつつその傍らに立つ。
「火縄衆と合同する」
「それがいいね」
「甚の事だ、ここにいれば時機にやって来るだろうよ」
承知の意味で頷くと役者は空を見上げる。
「来るよね」
「ああ、来る」
その横顔を見遣るヤブは役者の顔に懐かしいものを見た。真一文字に堅く結んでいた口の端を緩めると、優しくその左頬を二度叩いた。
「顔色に出ているぞ」
「済まない」
役者は強いて笑顔を浮べた。
「『吟味』に耐えられそうにないか?」
ヤブの顔が優しい。役者は自然と歳を遡り、十年前のヤブの顔を重ねて行く。
「正直、怖いよ、ヤブ」
「大丈夫だ。お前は立派にやっているよ」
役者の頬をもう一度撫でると、
「奴らは弱い魂から喰い潰す。お前は大丈夫だ」
「でも、護り切れない」
視線が渡人の方へ泳ぐのを寸前に堪えた役者は、
「渡人を連れて奴らに会うのは初めてなんだ」
ヤブは大らかに肩を竦めて見せた。
「お前のせいではない。教えただろう?奴らは弱い魂の匂いに惹かれてやって来る。強い心持には仕方の無い時にだけ対する。心持など人の有様だ。俺たちがどうもこうも出来ないだろう?」
「それは分かっているけれど」
なおも悩む様子の役者にヤブは強く言い切る。
「俺たちはここまで護り切った。後は己が命、それぞれが賄う番だ」
その時。
ピューイッ。
指笛が響く。
二人が音の方に視線をやれば、大小四つの人影が萱の中から踊り出た。音も立てずに見事に二人の下へ。驚く渡人たちは思わず立ち上がった。
わたしや二人の前にあっという間に四人が並ぶ。その中で一番背の高い中肉中背の男がずいっとヤブの前へ。編み笠をぐいっと上げた男。月明かりにその顔が覗く。笑顔の男は街中での挨拶のように気楽に声を掛けた。
「よお。生き残ったか」
「久しいな、放太」
「あんたらは余り俺たちを使わないからな。毎回使ってくれるお得意も多いってえのによ。たまには使えよ」
ヤブはふっと笑むと、
「腕がいいからな」
「まあ、その腕のいいわたしやの旦那が、随分とまあ派手に渡って行くもんで、こっちも少し本気で掛からねばならなくなってるよ」
「甚が来ているのか」
「陣守全員だ」
「それは頼もしい」
放太は首を傾げて、
「なあに、こっちも商売だし、それに」
月を見上げ、呟くように、
「天からお使いが降りてくるんじゃあ、仕方がなかろう」
ほんの一瞬だったが、放太の顔に陰が浮ぶ。それをやれやれと振り払うと、
「この後は、ちいっとばかしきついからな。その前に雑魚どもを払う。ここで固まっていろよ」
鋭い目で頷くヤブに、放太は欠けた前歯を覗かせて笑う。
「御代は何時もの三倍増しだぜ」
月が異常なほど明るく輝く中、迸る炎と銃声、大筒の音が競うように響く。逃げ惑う人妖は成す術もなく次々に斃れて行った。
放太は帯に火龍油のたっぷり入った竹筒を数本突き刺し、火龍を放つ。炎の舌は湿った萱を炙り燃え立たせる。火龍を諸に浴びた数体が、焼ける己が身体をのたうちながら醜い奇声を上げる。放太は前進しながら次第に炎の壁を狭めて行き、人妖を牽制し退路を塞いで行った。
先ほどのように見晴らしのよい小丘に登った小童三人衆。炎に追われて次第に寄り固まる山守を澄と三が神弓で狙い撃つ。二人の動作はカラクリのようで、一方が構え狙い撃つ間に、片方は銃膣を清掃し新たに弾を込め、撃った者が片膝を付くや立ち上がり人妖を狙う。銃声は十数える毎正確に鳴り響き、殆ど仕損じることなく人妖の数が減って行く。
二人からやや離れた場所では進が大筒を揮う。彼が両手に大筒を捧げ持ち、両足を踏ん張り下手に突き出して放つと、榴散弾が群の中で破裂し、あっという間に数体纏めて始末する。進は棚引く砲煙の中、水を張った小桶から突き棒に絡めた雑巾を取り、砲膣を拭い、小樽から和紙に包まれた装薬を取り出し、砲口から奥へ突き入れる。そして足元に置いた背負子の籠から砲丸を取り出す。予め三十を数える長さで燃え尽きるよう導火線を切り取った砲丸は、濡れた和紙に包まれ点火されると慎重に砲口から収められる。そのまま砲身を擡げ、ぐっと地面を踏み締めると、人妖が固まる場所を見据え、抱えた砲身の右後ろの握りにある火打石式の引き金を絞った。これは五十を数える間に一回、ほぼ正確に繰り返された。
群を八つ裂かれた山守たちは蜘蛛の子を散らすように散り散りとなり、元の棲家、萱の原に穿たれた多数の竪穴へ飛び込み、闇の奥深くへと消えて行く。
火縄衆の火力は田舎領主の遥か上、都を窺う有力大名誇る鉄砲隊に匹敵する。百体余りの人妖が蹴散らされるまで僅かの時も要さなかった。
「終わったか」
ヤブが辺りを見回しながら呟く。
それまでの派手な爆発音や銃声が途絶え、人妖の上げる奇声やざわめきがぱたりと止むと、青白く照らされた萱の原は不気味に静まり返る。
と、萱を分け行く音がして、わたしやの二人が身構える中、一団の人々が広場に姿を現せた。その中央の人物を認めるとヤブの構えが自然と緩む。
「苦労を掛けて済まない、甚」
大股で近付く男に声を掛けた。
「全く、とんでもないことだ。天が怒っちまったぞ」
三歩の距離で立ち止った男、甚は腕を組んで口をへの字に曲げた。ヤブはぺこりと頭を垂れると、
「之森の神サンには申し訳ないことをした。後で必ず奉げ物をするから取り成してくれ」
甚はやれやれと首を振り、
「お前は変わらずだな、ヤブよ。命の心配はないのか?」
「そんなものとっくにねえよ。今こうしていることが天の配剤ってやつだ」
甚はもう一度首を振る。
「ではその天がお前の運を食い潰さないかどうか、見守らないとな」
すると騒々しく萱の原を分け下る者がいる。
「終わった、終わった」
火龍を肩に放太がぶらりと近寄る。澄、進、三の三人はその後ろ、自らの得物を捧げ持って大人しく従っている。
「ご苦労だった」
甚が労うと、その横からヤブが、
「澄、助かったぞ。進と三もありがとうな」
少し照れ気味に面伏せる三人だった。
「ヤブ、この人たちが?」
イチタが胡散臭そうに甚たちを見遣りながら近付く。
「助っ人だ。他言無用ですぜ?イチタの旦那」
「無用も何も私たちはこれから」
誰の前でも『いわど』の事を言ってはならない、言えば渡人全員を始末する。ヤブから最初に掟を言い渡されたのを思い出し、寸でのところで言葉を飲み込むイチタだった。
「そうそう。それでいい」
ヤブは苦笑を押し殺し、ぶっきら棒に言う。一斉に頭を下げるカシラたち渡人に、甚は鷹揚に頷いた。
「皆の衆。我等は陰の者だ。こうして面突合すのも本来ご法度とされている。これから我等が為すことを一切口外せず無視しておいて頂きたいが、良いかな?」
「わかりました。よろしくお願いいたします」
カシラがもう一度頭を下げると甚は、
「礼には及ばない。これも商売だ」
凄みと威厳を漂わす甚とその背後の火縄衆を見遣り、安心して顔を見合わせる渡人たち。しかし火縄衆やわたしやの顔付きは厳しいままだった。
「役者の。どうした、元気が無いな」
今まで黙って甚の後ろに控えていた重吉が役者に歩み寄る。
「ああ、重吉さん、いつぞやは」
役者は肩を竦めて、
「いや、ね、みなさんがさっさと方を付けるから手持ち無沙汰でね」
その声はいつもの調子だった。
「そうだな。この後の始末も俺たちに任せるのだから、お前の取り分も少しこちらに頂きたいものだな」
重吉は強いて明るく言うが独眼は鋭いまま。役者がこちらを見据えて微かに頷くのを見て、こちらも顎を引く。
「それはこの後の顛末で考えさせて貰うよ」
半月にしては妙な具合の月光だった。それは暗闇に穿たれた光の洞穴。あれだけの雨風を呼び込んだ荒雲は去り、所々千切れた筋雲が見える。が、これだけの月の光、ほの白く浮かび上がろうはずが黒一色の濃淡でしかない。人妖の消えた萱の原も次第に視界が狭まって、天の月はまるで人の集うこの空き地にだけ光を投げ掛けているようにも思える。それは雨戸の節穴から差し込む光の帯、周囲の闇を際立たせた。
言葉も途切れたわたしやと火縄衆の尋常ではない様子に気付いたニタは、その闇を見渡し、何かが迫っていないかを探ろうとする。
「おい、今のうちに先へ進まなくていいのか?」
不安の伝染したイチタが傍らのヤブに問うが、
「シィ!」
口の前に立てた指が拒絶する。イチタが尚も言い募ろうとした瞬間。
「奏天だ……来やがった」
呟いた放太の顔は何時になく厳しい。その隣で腕組みをして空を見上げる重吉も夜空の節穴を睨んでいる。
「一体何が……」
言い掛けたイチタにもその音が聞こえ出し、その聞き慣れない音に辺りをきょろきょろと探る。
初めは微かに、吹き渡る風の音に似た甲高いヒューという音。それが何かゆったりした楽曲、例えるのなら雅楽の笙や孤笛の調のような眠気を誘う旋律に聞こえて来る。
疲れ果てた身体に鞭打つように立ち上がるカシラ。その傍らでは気力の失せたヒメを支えながら空を見上げるニタ。一同、次第に明らかとなるその光景に息を呑む。
「鳥?」
カシラの声は恐怖に震えていた。
それらは天に穿った穴のような半月から入って来るかのようだった。
月明かりの夜空に羽を広げた影、それは月を背景に白く輝いていたが、月の光を受けたというより自らが光を放つように見えた。人のかたちと鶴に似た白く大きな翼。全身白い羽毛に覆われて髪の毛だけは金色、その顔は影になってよく分からない。先頭の一羽がゆっくりと旋回を始めると、続く十羽がそれに習う。
「来た来た、来やがった」
一体何時取り出したのか、放太の得物が増えている。先程来手にして来た火龍を背負子で背にした放太が手にするものは、銛を束ねたかのような形だった。その穂先を地面に向け、ぐっと空を見上げて仁王立つ。
「翔落を」
甚が落ち着いて後ろに声を掛けると、控えていた大柄の女、怜は背負っていた錦の長物を降ろす。異国由来なのだろう、黄金の龍と紅い鳳が競う、極彩に輝く絹で織られた袋から怜が取り出したのは、一見単なる小銃。彼女は錦の袋を丁寧に畳むと、その銃をざっと一巡、素早い動作で仕掛を調べると腰の小袋から和紙で筒状に固めた装薬を取り出し銃口から落し入れ、続けて銀色の弾を入れ、搾杖で突き固めた。引き金の上の打ち金にしっかりと金輪が嵌っているのを確かめると、甚に差し出した。甚は受け取ると打ち金の金輪を外し、銃床を右肩に当て、空を狙う。そのまま微動だにしなくなった。
「あれはなんだ」
イチタの問いも虚しく、誰もが空を見上げ動かない。
「おい、ヤブ!教えてくれ、あれはなんだ!」
暫くはヤブも腕を組んで空を見上げていたが、やがて、
「あいつらは獣でも人でもない。山守のような人妖とも違う」
空を睨んだままヤブが呟く。
「おれたちはあれのことを天守と呼ぶ」
「ソラモリ?」
次第に降りてくる輝く姿にイチタは口を開いたまま固まった。