拾壹;助人
「澄、あと十だ!」
三の甲高い声が上擦る。
「承知!」
澄は叫ぶように言うと息を深く吸い込み、吐き出し、再び引き金を引く。もう十間も離れていない人妖がどうと斃れた。
「九!」
三の声は最早悲鳴だ。それでも彼は澄が差し出す銃を受け取り、換わりの銃を渡す。心の臓は早鐘どころの騒ぎでなく、脈を打ったまま喉から飛び出しそうだ。生唾をごくり飲み込むと進に空の銃を渡し、懐に手を入れ自らの短銃を取り出して装填しようとする。しかし、漆塗りの瓢箪から銃の筒先へ火薬を注ごうにも抑えることが出来ない震えで手元が狂い、内に入る火薬より零れ落ちる方が大きい。それでもなんとか火薬を詰め、予め口に含んでおいた鉛玉を和紙の小片に吐き出して包み、搾杖で銃口の奥へと突き固める。二連目の銃身に同じことを繰り返し、燧石式の撃鉄に異物が挟まっていないかを確認してから目を上げると、山守の姿が思いのほか大きく、ぎくりとする。先頭はもう五、六間先。その忙しない息遣いと嫌な臭いはすぐそこにあった。
「澄……」
思わず出た呟きは催促ではなく祈りそのものだった。
パーン。
「八!」
「次!」
澄は涼しい顔を続けていたが内心は叫び続ける。
(もろかみよ、まもりかみよ……)
三と同じくそれも叫びと言うより正しく祈りだった。
進はその二人の後ろで弾を込める。目の前の油紙の上にきちんと置かれたドングリ型の弾丸は六個。そのひとつを取り上げ、弾込めの棹、搾杖で銃膣に押し込む。無心に作業を続けていたつもりの彼の手が何かに気を引かれ、ふと止まる。そして震える両手を目の前に翳す。
(おれは怖がってなんかいない、こわくない、こわくない……)
広げた両手をぎゅっと握り締め、大きく深呼吸、再び見つめる手はまだ震えていたが、彼は弾押えの和紙を取ると弾を入れた銃膣に入れ、突き固めた。
カチン。
「チッ」
「な、七」
こんな時に不発。今の今まで不発はなく、それもそのはず、銃も弾も高度の技で正確に仕立てられた神弓の場合、ほとんどそういうことは起こらない。不発の場合、弾を抜かねばならないが、これは普段でも慎重を要する作業だ。外している途中で暴発することも多く、集中して掛からねばならないが、今、この瞬間に進や三にそれを求めても無理な話。もちろん進もそうするつもりはなく、筒先を安全な方向に向け、静かに置いた。
パーン。
「六!」
(兄貴……頭!)
思わず目を閉じた進の思いも祈りに他ならなかった。
暗い森の中から開けた野原へ二つの影が躍り出た。そこに甲高い銃声が響く。慣れた耳で距離を測り、影のひとつが立ち止る。耳を澄ませば再び銃声。間隔が短い。その影、笠の奥で独眼がきらり輝く男は、身体を屈め背負った長物の位置を直すと、再び脱兎の如く走り出す。
付き従うもうひとつの影は思わず見直すほどの巨体。様々な物を抱え背負って、只でさえ大きな体躯が倍以上に膨れて見える。驚くことに、そんな鈍重そうな身体に似合わぬ素早さで先を行った男を追い、走り出した。
やがて前方からざわめきと走り回る集団が立てる音。それに混じり、一度聞いたら誰もが忘れられないであろう刃物で肉を裂く音が聞こえ出す。二つの影が走る速度を緩めたその瞬間。
パーン。
先程来の銃声が大きく響く。それは遂に聞き慣れた者には火縄との違いが分かるほどになっていた。
「乃助」
先頭の男が振り返り巨躯を呼ぶ。男が右手の小丘を指し示すと巨人は頷き、そのまま指示した男を追い抜いて小丘へひた走る。残った男は笠を解き背にした長物を手にする。古い錦の袋から取り出したのは半月の明かりに鈍く光る銃。その銃を両手で支え、男は巨人を追って再び走り出す。
パーン。
銃声と目標が倒れるのが同時。相手は殆ど筒先から二間に迫っている。それでも澄は三から次の銃を受け取り、ゆるり構える。と同時に引き金を絞る。狙う必要などはない。山守は目の前にいて澄の方へ手を伸べたと同時に倒れる。その後ろに続く一匹は、こと切れてふらりしな垂れかかった仲間を無造作に脇へと放り投げ、その鋭く醜い爪が黒光る右手を振り上げた。
(ああ、ここまでか)
三が渡した次の銃を手に、構える間もないことを悟った澄は動きを止める。不思議と穏やかな心持で迫る爪を凝視した。
(やるだけはやったんだ……サブ、にげろよ)
そこで三を見遣ると、彼は涙を浮かべながら短銃を自分に迫る一匹へ放つところ。
ターン。三は銃声と共にその人妖が二つに身体を折って悶える様をぽかんと見ている。
「ばか、にげろ!」
それは自分の声とも思われぬ皺枯れた声。途端、ガキッという嫌な音を立てて山守の爪が澄の持つ神弓に当たり、澄は離すまいと握り締めたことで前のめりとなり、顔面から大地へ強か叩き付けられた。その衝撃で吸い込み掛けた息を吐き出し、痛みで次の息が出来ずに足掻く。目の前が暗くなり、すると何かがシュルシュルと音を立て――
ドカーン。
暗くなった澄の視界が途端に赤く燃え上がる。
「澄!」
進の声と同時に再び、
シュルシュル……ドカーン
うつ伏せの姿勢から顔を上げた澄の視界が再び赤く染まり、そこに黒い影が幾つも吹き飛ぶ様が目に焼き付いた。
「兄貴!」
澄ははっと身を起こし掛けるがすぐさま隣に伏せた進に頭を押さえられ、
「ばか、伏せていろ!」
押さえられたまま、ふと横を向くと身を伏せた三と視線が合う。
「無事か、三」
「うん。澄は?」
「なんともないよ」
シュルシュル……ドカーン
「起きろ、ずらかるぜ!」
澄を庇っていた進が素早く立ち上がり、澄に手を差し出す。大筒の三連射、その後ゆっくり十数えるまでの間合い。援護する者とされる者、火縄衆暗黙の仕来りだった。瞬時に状況を理解した澄は進の手を便に立ち上がり、山守の爪を受けて彼女の身代わりに銃把が削ぎ落とされ銃身に生々しい爪痕を残す神弓を調べた。進は立ち上がる三の肩を叩いて励ますと、
「荷物は置いておけ、今は」
澄は大切な銃をそっと地面に置くと進に頷く。
「行くぞ!」
再び聞こえるヒュルヒュルという砲弾の風切音。三人の少年少女は斃れた山守、吹き飛ばされたままのた打ち回る幾多の人妖、そして新たな爆発で吹き飛ぶ人妖の間を一目散に駆け下った。
パーン。
目の前の山守が頭を撃ち抜かれ、吹き飛ぶ。その人妖は正にこちらの喉笛を食い千切らんと牙を剥き出し、血糊に滑って尻餅をついたニタに圧し掛かっていたのだ。重みが去ると、深い溜息が自然と漏れる。しかし、息を吐く間はなく、新たな山守がこちらに爪を振るおうと迫った。すると横合いから白刃が伸び、くるり回転するとその切っ先が人妖の腕を掠める。ニタは、その腕がすとんと落ち、腕をなくした山守が悲鳴を上げて転がりのたうつ様を呆然と見遣るだけだった。
「助人が来た」
人妖の腕を落とし、ニタを引き摺るようにして傍に寄せた役者。その言葉を裏付けるかのような銃声。それは次第に間隔が狭まり、斃れる人妖の数はうなぎ上りに増え出す。すると近くで何かが破裂する音が。空を掠めるシュルシュルと言う音に続く炸裂音。それと共に左手に上がる真っ赤な光と鼻を突く硝煙の臭いが漂って来た。
「ニタさん、少し下がるよ。カシラ!」
最後はカシラに声を掛けるとカシラは震えながらも顔を上げ、頷く。ニタは痺れる左肩を一度ぐっと握るようにすると懐刀を鞘に納めて立ち上がり、カシラの脇で身体を丸めるようにしていたヒメを抱え起こす。
「大丈夫か」
こくりと頷くヒメの顔は蒼白だったが、まだ目は死んでいない。励ますように肩に手をやるとニタはその右手を握って立ち上がらせる。山守は次々に斃される仲間に気を取られたのか彼らに向かうものはなくなり、一様に身を屈め、猿のように両手をだらりと下げて辺りを走り回っている。
「こっちだ!」
手招く役者の後、三人の疲れ果て生気の失せた渡人は、それでもどうやら小走りと呼べる速度で人妖の群れの中を突っ切って行く。
ピュウーィ。
山守が立てる興奮した鳴声と枯草を踏み拉く音や、神弓の甲高い発射音と大筒の腹に響く発射音が交差する中、よく通る指笛の合図が響き渡る。
それを聞いた乃助は今、正に装填しようとした大筒を静かに置き、その場に並べていた火薬の小樽や握り飯大の爆裂弾の入った木箱を、まるで飯事の道具を片付けるかのように軽々と集める。あっという間に道具を背負子に纏め背負うと、その巨体に似合わぬ素早さで指笛のした方向へ駆け下りて行く。
同じく指笛を聞きつけた重吉が、狙撃を行っていた萱の茂みから神弓片手に走り出すと、いつの間にやって来たのか、放太が併走した。
「群主は落とした?」
場違いなほど明るい声で問う放太に重吉は首を横に振り、
「いや。だが組主は七体全部斃した」
「そう。じゃあ動きは止めた訳だ」
放太はそこで不敵に笑む。
「残りは貰っていいかい?兄貴」
しかし重吉はにこりともせずに、
「戯言を言っていられるのも今の内だぞ。月を見ろ」
走りながら放太は空を見上げる。半月はほぼ中天に達していて、雲は多いものの所々には明るい星が瞬いている。その半月は湿度の高い空気を通して朧に見え、その周囲には円形の虹が何重にも見える。
「月虹は天の扉が開いた徴、ってか。ありがたくねえなぁ」
呟く放太の笑みも消えた。
山守の群れの中、無我夢中で突っ切って丘を駆け下りた三人は、四町ほども走って漸く足を緩める。普段なら起伏の大きな陣の森を駆け抜けても息を切らすことなどない三人も、この時ばかりは激しく肩を上げ下げして貪るような息をしていた。すると彼らの前にぬっと大きな身体が立ち塞がる。ぎょっとして立ち止った進がすぐに緊張を解いて、
「ああ、乃助の兄貴」
するとその巨体の後ろから二人の男が現れる。
「重吉兄、放太兄……」
澄が一歩進み出ると、すたすたと歩み寄った重吉は音高く彼女の頬を張り、続けざま、進と三の頭に拳固をくれる。
「ごめんなさい……兄貴」
叩かれた頬に手をやり、頭を垂れて声を上げずに泣く澄の後ろ、進も三もしょげ返っている。
「神弓は」
「置いてきた」
進が下を向いたまま答える。
「それでいい」
ぽんと進の肩を叩くと、
「これが終わってから拾いに行く。さあ、考えるのは後だ」
「重吉の言う通りだ」
声の方を三人が見遣ると甚が二人の供を連れてやって来た。
「今夜はまだ終わっちゃいない。始めたからには最後まで。いいか、きっちり始末をつけるぞ、澄」
「はい」
甚は頷くと供の方を振り返り、
「ご苦労だったな、ここでいい。降ろしてくれ」
背負子に火薬樽と火龍油樽を乗せていた男が荷物を降ろし、樽の上、括り付けていた油紙に包まれた細長い棒状の物を慎重に外す。恭しく差し出した油紙を隣の女が受け取る。
「帰っていいぞ。まもなくここは戦場だ」
「助太刀しますぜ」
「いいってことよ、ヨシゾウ。こいつはおれたち陣守の仕事だ。それより里に帰ったら長老に、之森サンを鎮めるために奉ってくれと伝えてくれないか?朝になったら神サンのご機嫌を伺いつつ総出で道を直しに掛からねばならない、とな」
「承知」
荷を運んだ男は一礼すると音も立てずに萱の原に消えた。見送った甚は手下を振り返り、野太い声を張る。
「さあ、まずは山守を鎮めるぞ」
「オイラに任せてくれねえか、頭。今夜はまだなんも働いてねえからな」
前に出た放太に甚は、
「許す。だが派手にやるなよ、まだ続きがある」
「承知」
満足げに頷くと放太は、
「怜」
「あいよ」
「後見を頼む。それから澄、進、三」
「はい」
放太は一様に神妙な顔を上げる三人に歩み寄ると、それぞれの額を順番に人差し指で小突き、にんまりと笑った。
「小童ども、ついて来な。お前らにも一働きしてもらうからな」