(*)約束 ー「春」「笛」「見えないメガネ」ー
うっかりくらい方面の話になってしまうのが悪い癖。。。
申し訳ありません、今回におわせ程度ですが、死にネタです。
苦手な方はそっと閉じて頂けると幸いです。
とある春のこと。吹き付ける風はおだやかで、微かに花々の甘い香りを纏っている。心地よい風をその顔に受けながら、しかし、少年はうつむいて足元を見ながらゆっくりと歩みを進めていた。見上げれば美しい青空が広がっているが、まるで見たくないと言わんばかりに俯いて、足元に広がる美しい桜色の花びらの絨毯を踏みしめるように歩く。命綱かのように、その手に竜笛を握りしめながら。
ゆっくりとした足取りで向かった先。少年はおもむろに立ち止まり、ズボンのポケットを漁った。取り出した眼鏡をかけると、静かに顔を上げ目を閉じた。
「約束、果たしに来たよ」
小さく呟くと、同年代の少年が頷いた気配がした気がする。それを受けて、少年は大きく息を吸い込んだ。
少年が同年代の少年――彼と出会ったのは、そこまで昔の話ではない。
少年は、穏やかな性格をしており、殊の外家の中で出来る事を好んだ。所謂、インドア派である。生家も比較的裕福な家系で、好きな事をやればよいさと自由に育ててくれた事もあり、アレコレと自由きままに楽しんでいた。
その時も、少年は当時のマイブームであったピアノのレッスンを受けていた。個人で開いているピアノ教室に通い、自由にのびやかに引くのが好きだった。特にピアノは音の数が多い。極めるのは相当大変だが、趣味レベルで楽しむには没頭できるレベルとなり、少年は足繫くレッスンに通っていたのだ。一通りのレッスンが終わり、師に礼を言ってそと出た。それが、運命の出会いになった。
「なあ!今のってお前が弾いてたの?!」
太陽の様な眩しい笑顔で、彼は鮮やかに現れたのだ。
彼は、少年とは全くと言っていい程対照的だった。明るく活発で、エネルギーの塊の様な少年。アウトドア派、と言ってもいいだろう。シングルの家系という事もあり、お金をかけて何かをするのではなく、校庭や公園などお金がなくとも思いっきり遊べる環境でお金がないなりに楽しむ術を見出すのが彼の趣味だった。
「だって、お金ないからって諦めるのつまらないじゃん!お金なくても、俺、めっちゃ楽しいもん!」
あるいは、彼自身にいい聞かせていたのかも知れない。でも、彼は真っすぐな笑顔で言い切った。その強さが、少年には眩しかった。
その日も、彼は近くの公園で走り回っていたらしい。そんななか、微かに漏れ聞こえたピアノの音に惹かれ、向かった先で少年がレッスンを受けている姿を目にしたのだという。ある程度とはいえ、防音の施されたレッスン室から漏れ聞こえる音は大きくなく、必死に耳を澄ませてたんだと彼は胸を張った。
「で、何をどうしたらそんなに泥だらけになるわけ?小学生?」
「悪かったな!俺は中学生だ!泥だらけなのはほっとけ!」
あれよあれよという間に連行された公園のベンチで、呆れ顔の少年にたいし、彼はいーっと歯を剥きだしにして威嚇する。その子供じみた表情に、思わず少年は吹き出し。彼もつられたように大きく口を開けて笑った。
それが、何もかもが対照的な二人の出会い。
そこから、思いのほか二人は親しくなり、いつしか親友として付き合うようになっていた。全く正反対の二人なので、話が合わないかと思いきや、反対方向に振り切れたのが功を奏したのか、中々どうして馬が合ったのだ。話をするうちに判明した、同中学の同学年である事も要因なのかもしれない。
「君の事、知らなかった」
「俺だってそうだよ。しょうがなくない?人多いし」
「それもそうか」
複数のクラスがあることを思い浮かべ、少年はうなづいた。決して、インドア特有の友好関係の狭さのせいではない、と少年は内心で自分に言い聞かせる。ニヤニヤと笑っている彼に対しては、一発お見舞いしてやったが。
とは言え、学校で二人がつるむ事はなく。ただ、約束もなく公園をふらりと訪れて、会った時には一緒に遊ぶという関係だった。それはまるで秘密の関係のようで、別に秘密にする必要はないのだが、そのちょっとした秘密感が年頃の少年達の心を擽ったのだろう。二人とも、だれにもこの関係を告げる事はなかった。
溢れるエネルギーを発散したいのか、何処からともなく取り出したサッカーボールで一人遊び出す彼。少年はそれを横目に取り出した小説を読みだした。その姿に、彼は嫌そうに顔を顰めた。
「うへぇ。よく本なんて読めるよなぁ」
「小学生かよ。楽しいじゃん、本」
「ええー、嫌い。国語の授業でもお腹いっぱいだしー」
器用に頭の上でサッカーボールを保持しながら、彼は遠い目をした。
「古典とか、マジ意味不明。なんなの、もはや異国語じゃん。いとおかし、ってなにって話じゃん」
「確かに翻訳は面倒だけど、中身は面白いじゃん。異世界みたいに感じるから結構好きだけど。このシーン、どんな景色だったのかとか、どんな味の食べ物だったのかとか、竜笛ってどんな音なんだろうとか」
「でたよ、真面目ちゃん」
「馬鹿よりかマシだろ」
呆れ顔をする少年に、彼は拗ねたようにそっぽを向く。そんな態度取ったら次のテスト手を貸してやらないぞ、何て揶揄うと慌てるのが面白い。ニヤニヤ笑って揶揄っていると、彼は顔を真っ赤にして叫んだ。
「あー、もう!なら俺にもっと面白いって思わせてみろよ!ほら、竜笛吹いて、このシーンこんな感じだー、みたいな!」
そしたら馬鹿な俺でも理解出来る!と全く自慢にもならない事を堂々と宣言する彼。少年はがっくりとため息をついて頭を抱えた。
「無茶いうなよ。というか、意味分からん。そもそも竜笛くらい、ネットに動画上がってるだろ」
「あー!もしかして吹けないんだー。自分なんでも出来ます天才ですーみたいな顔して出来ないんだー!」
「はぁ?あのな、竜笛ってそんなに簡単に出来るようなものじゃないの。笛を手に入れるのも大変だし、教師を見つけるのも大変だし、そもそも」
「いいのいいの。人間出来ないこと、一つや二つあるもんねー?竜笛出来なくてもしょうがないよねー?」
弱点を見つけた!とばかりに仕返しを目論む彼。ぐふふ、と非常に鬱陶しい笑顔でたきつけられて、少年は頭の片隅で何かが切れる音がした。
「みてろ、やってやろうじゃねぇの!絶対、マスターしてみせる!」
「お!言ったな!出来なかったら罰ゲームだぞ!」
広く美しい青空に、竜笛の美しい音が高らかに鳴り響く。少年は慎重に指を運びながら、ふっと思い浮かんだ過去の光景に笑みを零した。売り言葉に買い言葉、じゃれ合いの延長線上で始まった二人の賭け。その結果は、今こうして堂々と披露されている。拙く、短い曲。それでも、少年の心全てがその音に乗せられていた。
最後の一音まで丁寧に吹き切り、少年は目を開けた。その視界は真っ黒に染められていた。――少年のかけていたメガネは、真っ黒に塗りつぶされて見えなくなっていた。きっと演奏中に前が見えたら、吹けなくなってしまうから。それでは、あの小生意気な親友に、ここぞとばかりに弄られ、笑われるだろうから。何より、賭けに負けるなんてまっぴらごめんだったから。
「僕の、勝ちだ。どうだ、罰ゲーム、どうしてやろうか」
小さく呟いた少年は、そっとその見えないメガネを取った。眩しい光に目を突きさされ、細めた視線の先にあったのは、物言わぬ墓石。真面目に赤信号待ちをしていた彼を、居眠り運転の車が襲ったその結果。完璧主義の少年が、吹けるようになるまで聞かせない!と宣言し、練習していたその最中だった。それなら最初に聞かせるのは俺にしろよ、と約束を交わしたその直後であった。
約束は果たした。いつか、長い時間のその先で、もう一度会ったらどんな罰ゲームにしてやろうか。
少年は小さく微笑んだ。