(*)本当の英雄は ―「朝」「悩みの種」「最後の殺戮」―
テーマは「朝」「悩みの種」「最後の殺戮」
三題噺の恋愛Verにも、全く同じテーマで投稿しています。
恋愛VerとファンタジーVerでどのように違うのか楽しんでいただければ幸いです。
なお、少し残酷表現があるのでご注意くださいませ。
「それでも僕は、人の心ってものを信じているんだ」
ゆったりと膝を抱えた彼は、そう言って微笑んだ。今にも消えてしまいそうな、儚げな雰囲気と透明な気配。捕まえておきたいけれど、手が触れたら消えてしまいそうで。俺はぐっと拳を握りしめた。
後に後悔した。繋ぎ止めるべきだったのだと。
何処か落ち着かない雰囲気が払しょくされないとある夜。夜闇に紛れて、一人の男が酒瓶を片手に歩いていた。光の乏しいその一角は、ともすれば歩けたものではなかったのだが、男は表情一つ変えず迷いのない足取りだった。暫く進んだ先で、男は立ち止まった。チラリと手元を見下ろし、小さく息をつくとおもむろに目の前の扉をノックした。
「空いてるよ」
すぐに帰ってきた返事には驚きの色も警戒の色も無かった。むしろ、当然の様な声色に男は苦笑した。
「よぉ」
「いらっしゃい。なんて、言っていい御身分じゃないんだけど」
スルリと扉を開けて入り込むと、開いた窓の外を眺めていた青年がふわりと振り返って困ったような微笑みを浮かべた。青年としては、こんな所に来るべきじゃないと言いたいところなのだろう。しかし男はそんな事は一切聞き入れない事も理解しており、結果として訪れてくることを察していつつもどうしようもないと言わんばかりの微妙な姿勢になったのだろう。男はニヤリと笑って酒瓶を掲げる。男もまた、青年が最後の最後で自分に弱いことを把握していた。
「いい酒が手に入ったんだ。偶にはいいだろ」
「偶には、ならね。毎日はたまにはじゃないよ。いろんな人に嫌味は言われるし、そもそもその底なしの体力はどうなってるわけ?」
「もと騎士なんでな」
「そうだった。脳筋騎士の体力を心配するなんて意味ない事、僕も焼きが回ったかな」
「のようだな」
「ちょっとは否定しなよ」
軽口を叩きながら、男は勝手知ったる小さな部屋を物色してグラスを引っ張りだす。我が物顔で部屋に陣取って酒を開け始める男に、青年は諦めたように肩を竦めて対面に座る。すぐに差し出されたグラスを手に取り、すっと掲げる。そして、小さく首を傾げた。
「何に対して?」
「そりゃ決まってるだろ」
男もまたグラスを掲げて、皮肉げな笑みを口元に刻んだ。
「革命に。そして、消えていった命たちに。」
――乾杯。
長年にわたる王侯貴族の横暴政治に、民は疲弊し、国は滅びの道を進んでいた。だれか、この地獄を終わらせてくれ。誰もがそう願い、そして誰もがその「だれか」になる事を拒んでいた時代。変わる事のない地獄に、諦観の空気が漂うその最中、一人の男が立ち上がった。
男は国に使える騎士であった。同時に、貴族でもあった。幸か不幸か、彼の生まれ育った家は古き良きノブレスオブリージュを誇りとする貴族だった。両親は男を慈しみ、同時に厳しく育てた。男は両親を敬愛していた。
優しい立ち居振る舞いと、端正な顔立ち。高貴な品位と、弱きを助け強きを挫く姿勢。女性と子供に誠実に対応する紳士な振舞い。人々は男を憧憬の眼差しで見つめ、女は熱のこもった眼差しを向けた。そうしてもてはやされても、男の態度は変わらなかった。 両親が両親であることが誇りであったし、周りの愚かな貴族連中を嫌悪していた。国を憂う両親を尊敬していたし、当時の男は国に対して思う事もあった。
そしてある日、男の両親は国に処刑された。男がその事実を知ったのは、処刑が実施された後だった。
男は嘆き悲しんだ。そしてその怒りを糧に、王を討つ事を決意したのだ。
そして立ち上がった男の隣には、ひっそりと華奢な青年が寄り添っていたという。
何処からともなく男が連れてきた青年は、怖ろしいまでに頭がきれた。わずかばかりの男の仲間は、最初はいぶかしんだ青年の存在だったが、その頭脳を目の当たりにして青年の存在を喜んだ。そして、すぐにその喜びは畏怖へと塗り替わった。青年は淡々と、表情を変える事なく残酷無慈悲な作戦を立案した。
仲間達を数字としてとらえ、淡々と命令をくだした。暗殺すらも青年は簡単に実行に移した。「正義」の大儀名分のもとに立ち会がった男の仲間達はその行為を唾棄した。人によっては、卑怯な行為だと糾弾し、正々堂々と戦って勝つべきだと叫んだものもいたという。しかし青年は変わる事はなかった。
「愚かですね。正々堂々?それで勝てるんですか?腹は膨れます?実にくだらない、それだから変わらないんですよ、何も」
冷笑して言い切った青年は、革命軍のメンバーからも忌み嫌われた。青年が後ろ暗い策を立てて実施するたびに、男は青年を叱った。それでも男は青年を手放さなかった。誰に何を言われても手放さず、重用し続けた。その姿に、男は慈悲深いと人々は感じ入ったという。
そして、決定的な瞬間が訪れる。最後の闘いとして挑んだ、王都決戦。青年は、王都に火を放った。男の制止を振り切って。全てを燃やし尽くし、流れた血を最後の殺戮と称してそれまでに散っていった命へと捧げた青年を、人々は恐れた。
人々は男と青年を、慈悲深き優しい騎士王と冷酷無慈悲な冷血軍師と呼んだ。
――青年の策とそうでないもので、闘いの規模ごとの仲間の損害割合が著しく変わる事に気付いたものはいなかった。
くいっと酒を煽り、男はクツクツと嗤った。
「しかし、国が傾くのも当然だな。頭がクズだったのはともかくとして、民自体が愚かものしかいない」
――なにせ、本当の英雄が誰なのか気付いていないのだからな。
そう言って心底楽しそうに嗤う男を、青年は何処か悲し気な顔で微笑んだ。
「英雄は君だ。だから、明日、君は王となる」
「言ってろ。というより、そう仕立て上げたのはお前だろう?」
やがて堪えきれなくなったとばかりに大笑いする男。青年はそっと目を伏せて酒で唇を湿らせた。
「分ってる。君が革命なんて欠片も興味ない事も、王座を嫌悪している事も。なにより、この国と民を憎んでいる事を」
誰もが敬愛する立派な騎士。それが幻想であることを、青年だけが知っていた。
男は革命など興味がなかった。両親が処刑されたことを嘆いたのは嘘ではない。だが、その時に直面した事実が、男を絶望に叩き落としたのだ。両親の度重なる諫言を国王は疎い、奸臣たちのでっちあげの罪と証拠を元に、後宮たちの女にそそのかされた体で、処刑した。わずかばかりの心ある者達は、見てみぬふりをした。誰も、両親を助けてくれなかった。両親は正しいことをしたにもかかわらず。民もまた、嘆くだけ、恨むだけで何もしない。極めつけに、男本人もまた、ぬるま湯につかって満足していた自分に気付いた。国に対して思う事がある、と偉そうにしておきながら、無意識のうちにそのぬるま湯がここちよかったのだろう。結局、男もまた嘆くだけで動かない、「誰か」を望む他人本願だったのだと。
男はそんな国も民も、己自身をも憎み。そんなものを助けるものかと吐き捨てた。
そんなときに出会ったのが青年だった。彷徨い歩いた先の古本屋で出会った青年は、男の正体を即座に見抜き、同時にその苦悩と絶望をも見通した。そして、僅かな逡巡な末にかけた言葉は。
「復讐に正当な理由を付けて復讐出来る、その機会を僕なら作れる。だから、新しい未来を創りたい僕に手を貸して。」
誰もが男に高潔な騎士のイメージを押し付け、両親の死に何も見出さなかった中、だた一人エゴの為に闘え、その対価として僕の望みをかなえろと声を掛けた青年に、男は興味を持った。そして、これが最後だと青年に手を貸す事を決意したのだ。両親の最後の願いをかなえる為、と表向き立ち上げた革命軍。しかし、その実は青年の優しい救いの願いをかなえる為だったのだ。
青年は男の想像以上に有能だった。うまくいくものか、と高みの見物をしている間に、あっという間に有利な状況を作り上げていった。青年が後ろ暗い行為をしてまで、被害を減らした勝利を掴もうとするたびに、傷ついて影で泣くくらいならばそんな行為はするなと叱った。優しい気質に嘘をついてまで、命を数字としてとらえた。
「戦争の指揮官は3つのタイプしかいないよ。命の重みを理解できずに数字としてとらえる愚者と、命の重さを理解した上で勝利の為に敢えて数字とみなして罪を背負う高潔な者と、命の重さに耐えられなくて数字として見ないと戦えない軟弱者。僕は軟弱者なだけ」
そう言って泣く青年は、人々の前では決してその苦悩を見せなかった。
そして、王都決戦の日。青年が最後の最後まで悩んだ結果、人の強さを信じた。火をつける事で、城下の人間をさっさと逃がす事、一度全てを灰にすることで、新たに始める事が目的だった。その為の策をギリギリまで練って実行した。結果、王都全体を燃やしたわりには、被害者は少なかった。青年は、人々に恨まれた。
男は燃やす事に反対していた。男は人の弱さが本質だと考えて居た。その後の荒廃した場所で再興することなど不可能だと思っていた。人道的だと周囲からはもてはやされた。
「周囲から崇められる人間不信の王と、周囲から嫌悪される人の強さを信じる軍師。本当の英雄って誰だろうなぁ?」
ようやく嗤いを収めた男は、それでもその口元に皮肉気な嗤いを刻んでいた。青年は、静かに微笑んだ。
「周囲から見て、そうと信じるものが真実だよ。実際にあった事実は真実にはなり得ない。真実は作られるものだ。だから、英雄は君なのさ」
それきり黙り込んだ青年は、静かに窓の外を眺めて目を細めた。夜になってなお、忙しなく動き回る革命の熱に浮かされた人々を、愛おし気に眺めていた。男はじっとその横顔を眺めていた。
男はふっと目を覚ました。チラリと窓の外に視線を投げると、水彩画の色が滲んでいくように、徐々に青い空が滲みだしていた。ゆっくりと立ち上がると、開きっぱなしの窓を静かに閉めた。そしておもむろに振り返ると、つい数時間前まで青年が座っていたからの椅子に目を向けた。
誰もいない静寂に支配された小さな部屋の中、男はじっと椅子を見つめ。暫くして黙って部屋を後にした。
足繫く通ってまで青年を引き留めようとした。どうしたら手元においておけるのか、――あるいはどうしたら青年を手放せるのか。ここしばらくの悩みの種が、解決することなく腐り落ちていったのを感じた。
その朝、男は王に即位した。国を憂い、人々を愛した優しく繊細な青年を欠いたままに。