第2話
交差点の中央で衝突した2台の車両は、野次馬を集めるのに十分なアクシデントだった。一方、リムジンの車内にいた楠正人は、姿を消している。いや、座っていた席を拡大して見ると10cmほどに小さくなった彼の身体が横たわっていた。その隣には、彼と同じぐらいの年齢に見える少女がいた。
「起きて」
彼女は正人の肩を摩り続ける。揺らされている彼は、手の甲に魔法陣のような刻印が刻まれていた。
「……うっ」
正人はゆっくりと瞼を上げ、銀髪の少女を眺めた。そして、周囲を見渡す。彼の視界には、ひしゃげた車窓が崖のように高く感じた。また座っていた場所も、端が見えないほど広くなっている。
「こ、ここは? 俺は生きてる……のか?」
正人は夢のような光景に困惑し、寝ぼけたような眼を覚まし始める。
「私が邪印で助けた」
「……何だそれ?」
さらに頭を悩ます彼を差し置き、銀髪の少女は縄のようなものを破れた車窓へ投擲した。2、3度縄を引っ張り、返しが外れないことを確認すると、彼女は軽々とよじ登っていく。
「早く逃げないと危険」
彼女の忠告を聞くと同時、正人はガソリンの臭いに気づく。
「な、何がどうなってんだ!」
正人は悪態をつきながらも、彼女の後を追うように縄を掴んだ。彼女のような身軽さはないが、着実に上へと移動していた。既に頂上に立っていた彼女は、「ほー」と動ける彼へ感心する。
「引きこもってそうな見た目なのに、やるね」
「はぁはぁ。楠家の人間と知って言っていってるのか?」
「はいこれ」
「あっ、おい!」
彼女は何かを手渡すと、躊躇いもなく外へと跳躍した。彼に渡したものと同様のものを背負い、そこからはみ出る紐を引いていた。その瞬間、パラシュートのようなものが展開して彼女はゆらゆらと地上へと降りていく。その姿を見様見真似で覚え、正人もジャンプした。
「た、高すぎだろ」
正人はゆっくりと下降しながら、50階立て相当の高さから落ちている感覚になっていた。その最中、ボンと爆発が起こる。漏れ出たガソリンが引火し、2台の車両は黒煙を上げる。彼も爆風に巻き込まれ、安全な着地とは言い難い様になっていた。
「さ、ここは騒がしい。場所を変えよう」
着地と同時に転倒した正人に駆け寄った少女は、淡々と口にした。
「ちょ、ふざけんな! 今説明しろ!」
荒い呼吸のまま、正人は少女を睨み付けた。
「無礼な奴。まぁいい。私は琴葉、君を邪印と呼ばれる魔法で助けた」
少女は説明しながら移動を始める。正人は苛立ちを露わにしながらも、咄嗟に後を追った。
「だからなんだよそれ」
「邪印は人の身体に刻印を描き、小人にする魔法。小人になる過程で怪我とか病気とかも完治する。だから助けた」
「……もう何でもいい。じゃ、とりあえず元に戻してくれ」
「無理」
「……は?」
「君は一生、その姿で生きていかなければならない」
正人は目を点にし、その場に立ち尽くした。
「ふ、ふざけるな! 俺は楠ホールディングスCEO•楠正信の息子、楠正人だ! 馬鹿にするのも大概にしろ」
琴葉は詰め寄る正人の脚を払い、手首を締めた。痛がる彼を無視するように、彼女は口を開く。
「私はあなたの命の恩人。恩知らずは嫌い」
「あぁ? 誰が助けてくれって頼んだ? お前が勝手にしたんだろ! って、早く放せ!」
彼女は冷たい目で正人を見下ろし、「ふん」と呆れたようなため息と共に拘束を解く。手首をさする彼は、懲りずに舌打ちを吐いた。
「長らく庶民と接してこなかったが、ここまで野蛮だとはな。はっ、役立たずは消えろ」
正人がそう発言する最中、琴葉は背を見せる。
「言われなくても。あっ、言い忘れたこと教えてあげる。私たちは人には認識されないから。家族に頼るのは無理だからね」
「なっ、見えないだって? これからどうすれば……いや待て、もう俺はブサイク呼ばわりするゴミとも、いつまでもガキ扱いする親とも、関わらなくていいんだ。そうだ、俺は自由だ!」
落ち込みかけた正人は、ポジティブに考えを改めてバンザイして喜んだ。
「自由ね……君は手にする資格ない。あ、きちんと謝れば今からでも手を貸してあげるよ」
「うるせぇ。さっさと行け!」
こうして正人と琴葉は別れた。直後、彼のお腹は「グゥ」と音を立てる。
「まずは飯か。どうするか」
彼は悩みながら歩いていると、ふいに周囲に影が生まれたことに気づく。その影は足の形をしており、見上げると靴底があった。
「……!?」
正人は咄嗟に全速力で走り出し、ギリギリで影の外へと脱出した。直後、ズシンと足が地面に落ちる。その衝撃でビュンと風が吹き付け、彼の顔に当たった。
「おい、よく見て歩……け」
再びその靴底は足によって持ち上げられ、正人の周囲に影を生む。その時彼は気づいた、この身体で生きる過酷さに。
「はぁはぁ」
正人は顔中に汗を垂らし、膝と手を地面に付ける。落ち着こうとする彼の横で、ガサガサと物音がした。恐る恐る振り向くと、鳥がカエルの死体を啄んでいる姿が。死体の周りには血溜まりとなり、鳥の嘴からは内臓が垂れていた。
「うわぁ!」
既に体力の限界だと思っていたが、彼の身体は止まることなく動いた。走る途中、カマキリが生きた小さなセミを捕食する場面や、死骸に群がる蟻が子どもに簡単にすり潰されたり、自転車に轢き殺されそうになったりと、散々な目に遭った。
「ど、どこに行けば休めんだよ」
勝手に動いた身体も電池切れしたかのようになり、彼はすり足になっていた。しかし、力が尽きかけたその場所は歩道橋の上だ。
「ここならいいか」
周囲を警戒しながらも、彼はようやく腰を下ろした。疲労した身体は休むと即座に眠気が襲う。彼はそのまま眠りに落ちようと、瞼を下げる。しかし、目の前に鳴き声が響く。その瞬間、彼は諦めたようにスズメを見つめた。後退りしても、ジリジリと近づいてくる。キョロキョロと頭を無造作に動かすその様は、恐怖を倍増させた。
「嫌だ。あんな死に方……何で優秀な俺がこんな最期なんだよ!」
正人は端まで後退しており、車が行き交う道路を見下ろした。内臓を引きずり出されるイメージを頭に浮かべ、落ちる覚悟を決めようとしたのだ。
「落ち着け。今の俺はアドレナリンが出てる。きっと痛みはないはず。......ハハっ、俺が死のうと誰も困らないし......もう、いいか」
彼はそう自分を信じ込ませ、身体を後ろへ倒そうとした。その直前、タタタと凄まじい速さで足音が接近する。
「お、お前は!?」
突如現れた琴葉は、腰に付けていた双剣を抜刀した。彼女はスズメの下に潜り込むと、左手に持つ剣を鳥の足に突き立てる。悲鳴のような鳴き声を発し、スズメは飛翔する動作をした。しかし、楔のように突き立てられた剣によって足を地面から離せずにいる。
「だから言った。お前に自由を語る資格は……ない!」
彼女はスズメの背によじ登って首元に剣を突き刺し、そのまま飛び降りる。彼女の重さに引っ張られ、突き刺さった剣はズルズルと皮膚を裂いていく。彼女の身体が着地すると同時、喉元からはシャワーのように鮮血が噴出した。スズメは目の光を失い、静かに倒れ込んだ。
「どうして助けに......」
一瞬安堵した正人だが、剣に付着した血を一振りで払った彼女の姿を見て鼓動を早める。スズメとの背丈は大差はないが、流れ作業のような戦いぶりは彼女のサイズを一回り大きく感じさせた。
「お前、自殺しようとしたな?」
怯える正人とは対照的に、琴葉は双剣を鞘に収めると殺気だった表情を消す。
「だ、だからなんだよ。お前には関係ない」
「確かに。だが、お前は自由を履き違えている」
「は? 何言って……」
「自由とは、全てにおいて責任を帯びるものだ。生きるも死ぬも自分次第。君はその覚悟が足りなすぎる」
「くっ、それを言うためにわざわざ戻ってきたのか?」
琴葉は呆れた顔で首を横に振る。
「助けたばかりで死なれたら、目覚めが悪いだけだ。じゃ、これで本当にさよならだ。達者でな」
彼女は再び正人に背を向け、歩き出した。
「お、おいふざけるな! お前のせいでこんな危ない目に遭ったんだ! お前こそ責任持て! いや違う。た、たす……」
正人は「助けて」という言葉を言い淀む。彼の伸ばした腕と声に、彼女はピクリとも反応しない。その途中、カラスの鳴き声を聞いて恐怖を感じた。自然と涙が頬を伝い、流れ落ちる。
「何で、何で俺がこんな奴に……」
正人はカスほどの力を振り絞って立ち上がり、琴葉の前へと回り込んだ。彼女はボロボロと鼻水と涙を大量に溢れさせる彼を、真顔で見つめた。
「や、やりぁいいんだろ」
彼は額を地面につけ、唇を噛んだ。
「い、今までの無礼……大変申し訳ございませんでした。あと、2度も命を助けていただきありがとうございました。でも、俺1人じゃこの身体じゃ生きていけない。だからどうか、た、助けて……助けてください!」
正人の人生初めての、土下座だった。琴葉は彼をしばらく見つめ、黙り続ける。彼は反応のない彼女に苛つきながらも、その姿勢を崩さなかった。そして数十秒後、彼女は腰を下ろして屈んだ。彼の肩に手を置き、「顔上げて」と淡々と口を開く。
「た、助け……!?」
「そこまでしろとは言ってない!」
琴葉はドン引きした顔で、正人と見つめ合った。だんだんと彼は顔を赤くし、バッと立ち上がる。
「は、はぁ!!! こここここの野郎!」
「ハハハ。お前生意気だけどほっとけないし、ブサイクな顔がコロコロ動いて面白いな」
彼女は赤面してあたふたする正人を見て爆笑し、涙を流した。
「お前デリカシー死んでんだろ!」
「でもま、いいよ。君がこの世界で生きていけるよう、助けてあげる」
「ほ、本当か?」
「うん。ただし、私の条件をすべて受け入れたらの話」
「じょ、条件? ま、まぁ何でもいい。わかった!」
その瞬間、琴葉はニヤニヤと笑みを浮かべた。




