嘘告じゃないと告白してくれないの?
「掛川さん、好きです!」
「はぁ……」
人気のない校舎裏に男女二人。
両拳を体の横できつく握り、顔を真っ赤にしながら告白する男子生徒の名は御堂 達哉。
小柄で細身で見るからに頼りなさそうな雰囲気を身に纏い、ファッションのファの字も考えて無さそうな安っぽい黒縁眼鏡をかけた男子である。
陰キャと揶揄されてもおかしくない見た目の彼の前に立つのは、高校一年生という年齢にそぐわずとても大人びた雰囲気の女子生徒、掛川 瀬里奈。
背が高く抜群のプロポーションでモデルをやっていると言われても違和感が全く無く、校則に違反しない程度の薄いメイクだけでも際立つ美しい顔立ちが男女問わず魅了し、肩口までの長さの漆黒の髪は艶がありサラサラで思わず触れてしまいたくなる。
いわゆる学校一の美少女というやつだ。
それでいて物腰柔らかで誰にも優しく空気も読める人物ということで男子からの人気は元より女子の友人も数多い。
それゆえ告白されることも数多く、この日もまた彼女にとってはよくある告白のうちの一つなのだと思っていた。
肝心の告白の結果は、瀬里奈の困ったような顔が答えである。
相手をなるべく傷つけないように断ろうと、脳内の『お断り回答一覧』の中から選んでいたら、よくある告白は唐突に予想外の流れに変わった。
「ごめんなさい。嘘告でした!」
「え?」
なんと達哉は告白の答えを聞く前に、この告白が『嘘』であるとある意味全く別の告白をしたのだった。
「酷いことをして本当にごめんなさい!」
「え?」
「しかもこんな人気の無いところに呼び出して怖がらせてしまってごめんなさい!」
「え?え?」
瀬里奈とて『嘘告』の存在は知っていた。
されたことは無いが、そんなデリカシーの無い最低な行いをされたらどうしてくれようかと考えたこともある。
しかし告白直後に速攻でネタバラシをされて、しかも畳みかけるように謝罪される流れは想定外であり戸惑ってしまったのだ。
それに瀬里奈には達哉の謝罪の中で気になる点があった。
「(分かっていてなんでここに呼び出したの?)」
何度も告白された経験のある瀬里奈だが、いつも人気の少ない場所に呼び出されて少なからず怖い思いをしていた。
仮に告白をお断りしたとして、破れかぶれで襲われる可能性が無きにしも非ず、穏便に済まそうととても気を使っていたのだ。
その瀬里奈の恐怖を目の前の男子は気付いていて呼び出した。
呼び出した後に気付いたのか、それともここに呼び出す以外の選択肢が思いつかなかったのか。
「(詳しく話を聞く必要がありそう)」
少なくともこの男子が嘘告をして相手を嘲笑うような性格が悪そうな人物には到底見えない。
むしろ命令されて嫌々ながらやらざるを得なかったと考えるのが自然である。
となるとここは具体的な話を聞いて、命令した人物を明らかにして抗議しなければならない。
そこまで考えた時、達哉が突然踵を返そうとした。
「本当にごめんなさい! 全部僕が悪いんです!」
最後にそう叫んでから、瀬里奈に向けて背を向けた達哉が走り出す直前。
「え?」
瀬里奈は彼の腕を掴んでこの場に繋ぎ止めた。
「え? あれ? え?」
女子とは縁のない生活をしてきた達哉にとって学生服越しでも触れられるのは大事件だ。
しかも相手は学園一の美少女。
パニックになり硬直するが、瀬里奈にひっぱられて強引にまた前を向かせられた。
「ちゃんと説明して」
黒幕を明らかにするため、ここで達哉を逃すつもりは無かった。
「誰に命令されたの?」
腕から手を離し、再び少し距離をとってから問いかける。
「…………」
「…………」
問いかけから数十秒、達哉はどうにか動揺から立ち直り必死に何かを考えている様子だ。
「ぼ、僕が自分で考えてやったんです! ごめんなさい!」
「は?」
最もあり得ない答えが出て来たため、思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。
「あなたはそのようなことをするタイプに見えませんが」
「僕は悪い奴なんです! ごめんなさい!」
「ごめんなさいって言えば良いと思ってるでしょう」
「う゛っ」
このままだと何も話してくれそうに無いと悟った瀬里奈は、ひとまず彼が嘘をついていることを証明すると決めた。
「あなたお名前は?」
「え?」
「ですからお名前。嘘とはいえ見ず知らずの相手に告白されたなんて気持ち悪いですから。教えて下さい」
「…………御堂達哉です」
「たつや……どういった漢字なのかしら。これに書いて下さい」
「え?」
瀬里奈はポケットに入れてあった手帳とペンを取り出して達哉に名前を書くように差し出した。
奇妙な展開に戸惑いつつも、達哉は言われた通りに名前を書いた。
「それで御堂君はどうしてこんなことをしたの?」
「…………」
「なら質問を変えるね。私をここに呼び出したこの手紙も御堂君が書いたの?」
「う、うん」
「へぇ~そうなんだ」
「か、掛川さん?」
最初の頃は物腰柔らかに応じてくれていた瀬里奈が、いつの間にか口元をにまにまさせて悪戯っ子のような目つきに変わっていた。口調もフランクなものになっている。
雰囲気が変わった彼女の様子に面食らう達哉だが、そのことを気にする時間など与えられなかった。
「筆跡が全然違うけど」
「!?」
呼び出した手紙と、先程書かされた名前。
その二つの筆跡が違うことから第三者が絡んでいることを証明されてしまったのだ。
「ほらほら、さっさと吐いた吐いた。どういうことなの?」
「…………」
目に見えて焦る達哉だが、それでも口を割ろうとしない。
「う~ん、強情だね。誰かを庇ってるのかな。でも隠してもいずれは分かることだよ」
「…………」
「嘘告で定番なのは罰ゲームだよね。でもそれなら別に庇う必要なんて無いかな」
罰ゲームをやらせている以上、命じた人も命じたことがバレると思っているはずだ。
それなのに敢えて庇う必要は無いだろう。
「だとすると御堂君でありそうなのは……」
「…………」
誰かに命じられて嘘告をした。
そしてその命じられた相手を言う事が出来ない。
もしかしたらそれは庇っているのではなく、そうしろと命じられているのかもしれない。
それに達哉の気弱そうな見た目を合わせて考えると。
「もしかして御堂君、いじめられてる?」
高校に入学してすぐのこと、達哉はクラスメイトの三人の男子にいじめられるようになった。
野球部に入った彼らが日々の激しい練習によるストレスの発散相手として気弱な達哉に目をつけた形である。
恫喝、パシり、暴力、かつあげ。
地獄のような日々の中で、今回彼らは達哉を嘲笑うために嘘告を強要したのだった。
「もしかして見られてる?」
だとすると達哉をいじめている連中がどこかでこっそりとこの状況を見て嗤っているかもしれない。
そんな奴らが近くにいるということは、自分の身も危険かも知れないと瀬里奈は顔を強張らせた。
「大丈夫です。奴らは部活で呼び出されて来れなくなったそうですから」
「やっぱりいじめられてるのね」
「う゛っ」
この場を見れなくはなったが、呼び出し済なので嘘告だけは絶対にやってこいというのが彼らの命令だった。
「だったら嘘告なんてしないで事情を説明してくれれば良かったのに」
いじめられているのを知られたくなかったのだろうか。
それともさっさと嘘告を終わらせて理不尽な命令から解放されたかっただけなのだろうか。
説明してくれれば嘘告をされたと口裏を合わせてあげたり、いじめそのものを何とかする手助けをしてあげようと思えたかもしれないのに。
女子に手助けされるのが嫌だという男のプライドというものがあるのだろうか。
そんなことをつらつらと考えていた瀬里奈だったが、達哉が事情を説明しなかった理由を知り驚かされた。
「だって……掛川さんを巻き込んじゃうから……」
「え?」
もしも瀬里奈がここで達哉のいじめに対してアクションを起こしてしまったら、瀬里奈もまた彼らのターゲットになってしまうかもしれない。
達哉はそれを恐れて何も言わなかったのだった。
「わ……私の……ため?」
予想外の答えに戸惑う瀬里奈は、少し前の会話を思い出した。
この嘘告の現場がいじめ野郎共に見られているのかもしれないと思い恐怖したら、達哉がすぐに事情を説明してくれたことを。
あれもまた、瀬里奈が怖がらないように気を使ってくれたのではないか。
「(そういえば、呼び出したことをフォローされたのも初めてかも)」
告白定番の人気の無い場所への呼び出しが瀬里奈を怖がらせる要因になっていたことに気付いていたのも達哉だけだった。
「そっかそっか~ふ~んそっか~」
「か、掛川さん?」
瀬里奈はこれまで以上に口元をにまにまさせて達哉をじっと見つめた。
「あの、今日の事は」
「ねぇ御堂君」
忘れて下さい。
告白されて断ったことにしてください。
そんな感じのことを言おうとした達哉の言葉を瀬里奈は遮った。
「嘘告じゃないと告白してくれないの?」
「え?」
達哉はテンパってはいるけれど、その言葉の意味を考える余裕はギリギリ残されていた。
「(ど、どういう意味なの。まるでちゃんと告白して欲しいって言っているような……無い無い! そんな馬鹿なことあるわけないじゃん!)」
しかし瀬里奈の露骨な上目遣いが達哉の思考回路を完全に破壊し、考える余裕は消滅した。
「あの……えっと……その……え?」
「くすくす」
ただ戸惑うだけで何も言えない達哉の様子を瀬里奈は可笑しそうに可愛く笑う。
それがまた達哉の脳を焼いて混乱を加速させる。
「いいよ」
壊れた達哉では、この言葉足らずの『許可』の意味が分からなかった。
まぁ冷静であっても分からないだろうが。
「え? え? な、何が?」
「だから、告白の返事」
「え?」
「嘘でも告白は告白だよね」
「え?え?」
「これからよろしくね御堂君」
「ええええええええ!?!?!?!?」
いじめられている情けない男が嘘告なんて最低な真似をしているのに、何故か嘘告の返事にオッケーを貰い付き合おうと言われてしまった。
「ま、まま、待ってよ。あれは嘘で」
「え~ 学園一の美少女が相手じゃ嫌なの?」
「いや、そうじゃなくて……ええぇ」
「じゃあ問題無いね。くすくす」
「(嘘の告白にオッケーってことはそれもまた嘘ってことになるんだよね? あれ? 違うのかな? どっちにしろきっとからかわれてるんだろう)」
達哉は必死にこうなってしまった理由を考え、揶揄われているだけに違いないと判断した。
「それじゃあ早速だけど、一緒に帰ろ」
「え?」
だがそんな理由も直ぐに破壊される。
放課後でまだ学生がそれなりに残っている時間帯。
一緒に帰る姿を見られでもしたら男女の仲を想像されるのはおかしいことではない。
揶揄いの範疇を越えているのだ。
それすなわち、瀬里奈のオッケーは本気だったという事になる。
「それじゃあ鞄取ってくるから下駄箱で待ち合わせね。ちゃんと来るんだよ」
嘘告の強要で瀬里奈に迷惑をかけるだけで胃が痛かったのに、奇妙な展開になってしまい達哉の胃はもう限界であった。
――――――――
「~~~~♪」
「あ、あの、掛川さん?」
「な~に?」
「いえ、なんでも……」
校舎から外に出るとすぐに瀬里奈は達哉の腕に自らの腕を絡めて幸せそうに歩いている。
前から両想いだった二人ならまだしも、初対面で付き合いたての二人の行動としては明らかに変だ。
「え! 掛川さんが男子と一緒に歩いてる!」
「まさか彼氏!? なんかパッとしない人だけど、あんなのが好きなんだ。意外~!」
「嘘だろ。掛川さんが男と付き合うなんて……羨ましい!」
案の定、二人は彼氏彼女の関係として生徒達に認識されてしまった。
「(どうしよう、もう言い訳出来ないよ)」
今ごろ学内グループチャットで爆速拡散されていることだろう。
「どうしてあんな奴と」
「(そんなの僕の方が知りたいよ!)」
周囲の声に内心で反応しつつ、隣を歩く瀬里奈の方をチラリと見る。
彼女がとんでもない美少女であることを再確認してしまい胸の鼓動が破裂しそうな程に高まりながらも、どうしてこんなことになってしまったのかを考える。
どれだけ考えても答えは出ないが、考えることで周囲の事を気にせずにどうにか歩みを進めることが出来たのだった。
「御堂君、明日暇? 暇だよね?」
「いや、明日は……」
明日は休日だ。
友達がおらずいじめられているだけの達哉には、本来休みに予定など入るはずもない。
だが明日は例外だった。
「もしかしてあの人達に呼び出されてる?」
「…………なんで分かるの?」
「御堂君って顔に出るから丸分かり」
達哉をいじめている相手は休日に部活があることが多いため呼び出されることはまずない。
だが明日は珍しくその部活が無いため、今日の嘘告の結果確認も兼ねて呼び出されていたのだ。
「そんなの無視して良いから」
「そんなことしたら!」
月曜日に彼らに何をされるか分かったものではない。
「大丈夫大丈夫、私を信じて。それにすでに面白いことになるのは決まってるから。ちゃんとアピールしたし」
「まさかそれで腕組んだの!?」
「え~ひっど~い。恋人だからに決まってるじゃ~ん。なんてね、くすくす」
「えぇ」
どうやら瀬里奈は学校中に自分達の関係を知ってもらうために敢えて目立つ行為をしたようだ。
「まぁそれはそれとして、明日はデートね」
「えぇ!?」
「十時に駅前の時計塔の前集合。遅れないでよ」
「ちょ、ちょっと」
「それじゃあまた明日!」
「えぇ……」
瀬里奈は一方的に約束をすると達哉が返事をする間すら与えずに走って去ってしまった。
「どうしよう」
瀬里奈の連絡先はまだ聞いていないため、今から断ることも出来ない。
いじめ相手の元へ行くか、それともいじめ相手を無視して瀬里奈とデートするか。
達哉の性格上、選択肢は無いような物だった。
――――――――
「おはよう」
「お、おはよう。とても似合ってるよ」
「ありがとう、御堂君は0点だね」
「ぐはっ……ご、ごめん」
達哉が瀬里奈の私服姿を具体的に褒める前に速攻で自分の服装にダメ出しを喰らってしまった。
それもそのはず、女子と縁がなく滅多に外出もしない達哉がデート用の服など持っているわけが無かったからだ。
しかも昨日の今日でのデートだから準備する時間も無かった。
「くすくす、いいのいいの分かってて今日デートにしたんだから」
「え?」
「だって御堂君、来週デートだって言ったら準備するでしょ」
「もちろんだよ」
「そして適当に美容院探して、適当にアパレルショップ探して、どっちも店員さんにお願いする」
「う……うん」
「でもね、お店にだって当たり外れがあるんだよ。これがお似合いです、なんて言われてただ流行ってるだけで似合わない服や売れそうにない服を押し付けられても御堂君気付かないでしょ」
「う゛」
「美容院だってお任せだと変な髪形になっちゃうところだってあるんだよ」
「…………」
「だから御堂君が変な準備をしないように、いきなりデートにしたの」
ぐぅの音も出ないとはこのことだろう。
達哉の行動と失敗を完全に予測されていたのだった。
「だから今日は御堂君をコーディネートします!」
「ええええええええ!」
デートに相応しい服装で無いのなら、仕立て上げてしまえば良い。
またしても予想外の展開に達哉は驚く以外の反応が出来なかった。
「さぁ行くよ」
「ちょ、ちょっと……」
これまた強引に瀬里奈に連れてかれた場所は駅近くのショッピングモール内にあるアパレルショップ。
「う~ん、これとこれかなぁ。こっちも捨てがたい」
そこで達哉は着せ替え人形と化したのであった。
「それじゃあこれとこれとこれ買おう。これは今着てこっか」
「待って待って、僕そんなにお金持ってないよ」
情けない話だが無いものは無いのだ。
会計時に恥をかくくらいなら今のうちに言っておく方が被害は……あまり変わらないか。
「お金は気にしないで」
「いやいや、それはダメだって!」
「そもそも達哉君、彼らに盗られてお金持ってないんでしょ」
「う゛」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと回収するから」
「いや、それでも……って回収?」
「くすくす」
「その笑い怖いんだけど!」
瀬里奈は意味深な笑みを浮かべてこれまた強引に会計を済ませてしまった。
デートで服を女性側に奢って貰うなど、男の甲斐性ポイントがマイナスに振り切っていると感じた達哉は大いに凹んだ。
「お腹減ったね、ご飯食べに行こ」
ショッピングモールを出て二人はお目当てのカフェに向かう。
その途中、歩道が狭い場所で駅から来た集団とすれ違い、瀬里奈がぶつかりそうになってしまった。
「きゃっ」
小さな悲鳴が聞こえた達哉の体は勝手に動き、瀬里奈の手を取り自分の体を盾にして何とか集団を突破した。
「あ、ご、ごめん!」
慌ててつないだ手を離して謝ったが、肝心の瀬里奈は離れた手のひらを見つめてぼぉっとしている。
「か、掛川さん?」
自分なんかと手を繋いでしまい気持ち悪いとでも思っているのだろうかと達哉は不安になった。
自分のような冴えない男が瀬里奈の隣にいることがおかしいのだと強烈に思い込んでいるので仕方ない事だろう。
少しの間だけ呆然としていた瀬里奈だが、すぐに口元を緩ませて悪戯心満載の表情でわざとらしく上目遣いになる。
「人ごみじゃないと手を繋いでくれないの?」
そう言いながら手を差し出す瀬里奈は、まるで男を揶揄う魔性の女である。
「え、ええ、あの、え、その」
達哉は差し出された手をどうすべきなのか分からず目に見えてあたふたする。
「くすくす、冗談だよ」
『今はね』と最後に小さく付け加えたのだが、達哉の耳には届いていなかった。
その日はそれからカフェで延々とお互いの話をした。
達哉の緊張も徐々にほぐれ、和やかな雰囲気になってはいたが、事前に考えていた定番デートコースには一か所も行かなかった。
今日は最初から、いや、嘘告をしたあの時から瀬里奈に振り回されっぱなしである。
しかしそのことを達哉は自分でも気づかないうちに楽しく感じており、カフェで会話をしている頃には笑顔を浮かべていたことに瀬里奈だけが気付いていた。
カフェを出たらもう夕方だ。
最後に公園を散策することにした。
とはいえカフェで今日話すべきことは大体話し終えた。
話のネタがなく無言で歩くことになるかもと達哉は思ったが、そうとはならなかった。
「ねぇ御堂君、ゲームやらない?」
「ゲーム?」
「そう、覚えながらしりとりするやつ」
突然瀬里奈がゲームをやろうと提案して来たのだ。
最初の人がリンゴと言ったら、次の人はリンゴ、ゴリラ、と最初から順番に言わなければならない記憶力が試されるゲームだ。
「うん、良いよ」
達哉は気楽に応じたが、瀬里奈は圧倒的に強かった。
何回もチャレンジして負け続け、ようやく瀬里奈が得意なゲームを仕掛けてきた負け戦だったことに気が付いた。
「それじゃあ罰ゲームね」
「罰ゲーム!?」
「そうだよ、こんなに私が勝ったんだから良いでしょ」
一瞬だけ『罰ゲーム』という言葉に体が拒絶反応を示した。
『罰ゲーム』と言いながら理不尽なことを奴らに命令されたことが何度もあるからだ。
だが瀬里奈がそんなことをするわけがないので、すぐにその嫌な予感を振り払った。
そんな達哉の内心に気付いているのかいないのか、瀬里奈は何ら気にした様子は無く笑顔のまま少しだけ前に小走りで移動し、達哉と正面から向かい合った。
「名前で呼んで欲しいな、達哉君」
「!?」
恋人になりたてのペアであれば定番のイベント、名前呼び。
それをここでやろうと言うのだ。
「(名前で呼ばれるだけでこんなにもむず痒いなんて!)」
先に名前で呼ばれた達哉は内心悶えに悶えまくっているが、目の前で瀬里奈がまだかまだかと待っている。
動揺したのが逆に良かったのか、自分でも信じられないくらいにスラッと言葉が出て来た。
「瀬里奈さん」
「~~~~♪」
その瞬間の瀬里奈の嬉しそうな表情を達哉は生涯忘れることが出来ないだろう。
「(そんなに嬉しそうにしたら僕、本当に好かれてるかもって勘違いしちゃうよ……)」
達哉にとって瀬里奈が自分と付き合おうとしていることがどうしても信じられずにいた。
だがこの笑顔を見た瞬間に、少なくとも瀬里奈が今の関係を嫌がっていない事だけは信じることが出来たのである。
その後、二人は呼び方を元に戻し、普通に会話しながら公園を散策し、デートを終える時が来た。
「それじゃあまた明日ね、御堂君」
「う、うん。さようなら、掛川さん」
それでこの日は終わり。
そのはずなのだが。
「罰ゲームじゃないと名前で呼んでくれないの?」
瀬里奈の不意打ちにより、家に帰っても胸の高まりが治まらないのであった。
――――――――
そして問題の月曜日がやってくる。
「休みたい……」
と布団にくるまるものの、瀬里奈は逃がしてはくれなかった。
『おはよう』
『起きた?』
『お~い』
『休むんじゃないぞ』
デートの時に連絡先を交換し、朝からガンガンメッセージを送って来るのだ。
しかも一緒に登校する約束を強引にさせられているから、待たせたくないと思ってしまう達哉は遅れずに家を出るしかない。
「おはよう、ちゃんと来たね。えらいえらい」
「おはよう、胃が痛いよ」
「くすくす」
笑顔の瀬里奈を見るだけで元気が出てくるのは、すでに瀬里奈に心が落とされかけているからなのだろう。
だがそれでもこれから待ち受けることを考えると浮かれた気分になどなれようがない。
「はぁ……」
「激重だねぇ」
瀬里奈に心配をかけさせたくない、と思おうにも我慢できないほどの気の重さ。
どうしても深くて昏い溜息を止めることが出来なかった。
「それじゃあ元気にしてあげる」
「え……!?」
瀬里奈はまたしても達哉の腕に自分の腕を絡めた。
しかも今回は登校中だから先日の下校の時よりも多くの生徒に見られることになる。
実際、すでに二人で並んで歩いている時から奇異の目線に晒されていたのだが、その圧力が一気に高まった。
そしてこの行為により、二人が付き合っているという噂を半信半疑で聞いていた生徒達に、それが正しい情報であると確信させることとなった。
不自然に二人の周囲だけが沈黙に包まれながらもじろじろと見られるという奇妙な空間は教室に辿り着くまで続いた。
瀬里奈は自分の教室に行かずに達哉の教室に一緒に入った。
すると早速会いたくもない三人が近づいて来た。
「よぉ、御堂、どういうことか説明してくれるんだろうな」
呼び出しをガン無視されたので、いつもの彼らならば話しかけもせずにぶん殴って来るはずだ。
ドスの聞いた声で脅すように話しかけるだけなのは、そばに瀬里奈がいるからだ。
「あ……ああ……」
恐怖で声が出ない達哉に向けて男の一人が睨みつけ顔をぐっと近づける。
「なんとか言えよコラァ!」
これから骨の一本や二本折られるのではないか。
あるいは手が狂って殺されてしまうかもしれない。
最悪の想像が脳内を巡り、恐怖に体が動かず、足はガクガクで今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
「御堂君から離れなさい」
瀬里奈が彼らと達哉との間に割って入った。
剣呑な雰囲気を漂わせる男達が相手でも全く怯んだ様子が無い。
「ダ、ダメ……」
瀬里奈を危険な目に遭わせるわけにはいかないと小声で止めようとするが、瀬里奈は聞こえないふりをした。
「チッ、マジでこんな奴と付き合ってるのかよ。冗談キツイぜ」
「そうそう、止めとけ止めとけ、こんな根暗な奴」
「それより俺と付き合おうぜ。そっちの方が絶対楽しいからさ」
「バッカ、それなら俺だって俺」
「何言ってんだよ、俺に決まってるだろ」
「ならいっそのこと四人で一緒に遊ぼうか」
「そりゃあいいや」
「たっぷりもてなしてやんぜ」
「「「あひゃひゃひゃひゃ!」」」
遊ぶではなく弄ぶの間違いでは無いか。
この状況を見ている誰もがそう感じ、瀬里奈が危機に瀕していることが誰の目からも明らかだったが助けようと動く人物は居なかった。
ただ一人を除いて。
「や、止めろ!」
達哉は瀬里奈に向けて伸ばされた男の腕を掴み、彼女を守るように立ち塞がった。
「あぁ!? てめぇ、何しやがる!」
「うわ!」
思いっきり横に叩くような感じで男は邪魔者を吹き飛ばし、達哉は机や椅子を巻き込み大きな音を立てて床に倒れた。
「はっ弱ぇ弱ぇ、見ろよこんな貧弱な奴よりも俺の方が断然格好良いだろ」
「俺達は野球部の次期エースだからな。将来有望だぜ」
「こんな何のとりえもない奴なんか止めちまえよ」
男達はこれまで達哉へのいじめを特に隠そうとしていなかった。
そのため学校側もいじめの存在を知っているはずだが、特にアクションをすることはない。
中学の頃から野球の実力だけはあると地域で有名な彼らのおかげで甲子園に出場して学校の名を売るチャンスがあると考えた教頭が放置を指示したのだ。
この程度で彼らのストレスが発散させられて試合に勝てるのなら問題無いとの鬼畜の思考によるものである。
「御堂君、大丈夫?」
倒れた達哉の元に瀬里奈が心配そうに駆け寄った。
「掛川さん……逃げ……て……」
達哉は体の痛みに顔を顰めながらも、瀬里奈を教室から逃がそうと手を伸ばす。
「大丈夫、安心して」
だが瀬里奈は相変わらず達哉の思う通りに動いてくれない。
立ち上がり達哉に背を向けて問題児達に向かい立つ。
「「「っ!?」」」
その姿を見た問題児達は何かに驚いたかのように一歩後ずさった。
彼女から発せられるオーラが屈強な野球部員である彼らを怯ませていたのだ。
「私が野球部の次期エースである貴方達よりも御堂君を選んだ理由が、良く分かったでしょう」
いつもよりもやや低く、それでいて一音一音をはっきりと発音することで明瞭でとても聞きやすい。
だがその言葉に言いようのない力を感じ、教室内はもとより廊下まで含めて誰もが強烈なプレッシャーを感じ取って指一本動かすことすら出来なくなっていた。
「暴力を振るわれ脅されている相手に立ち向かって私を守ってくれようとする男性と、恫喝するかのように迫ってくる男性のどちらが好ましいかなんて明らかでしょう」
何故学園一の美少女の瀬里奈の恋人が冴えないいじめられっ子の達哉なのか。
ほとんどの生徒がそう思っていた。
だがこの瞬間、瀬里奈が納得出来る理由を提示したことで誰もがその印象を塗り替えざるを得なくなった。
誰も止められなかった問題児達にただ一人立ち向かう姿を見てしまったのだから。
「それに私、誰かをいじめるような人、大っ嫌いなの」
「なっ!」
瀬里奈の妙な迫力に押されていた問題児達だが、強く非難されたことでようやく我に返った。
「こっちが黙ってれば好き勝手言いやがって!」
「タダで済むとは思うなよ!」
達哉に対する時と同様に瀬里奈を恫喝し始めた。
だが瀬里奈はまったく意に介していないような様子だ。
「ふ~ん、どうなるのかしら。御堂君にやったように暴力を振るうの? それとも大金が欲しいのかしら」
「はん! それだけじゃねーさ、分かってるだろうが」
「暴力を振るったり大金を盗ったことは否定しないのね」
そして瀬里奈相手にそれ以上のことをやろうとしている。
達哉が慌てて立ち上がり駆け寄ろうとするが、机にぶつけて痛めた体が思うように動いてくれない。
「覚悟しろよ。俺達を怒らせたこと後悔させてやる」
彼らは怒りのままに瀬里奈に近づこうとする。
「ケイ!」
だが瀬里奈は彼らが近づく前に廊下の方に向かって誰かを呼んだ。
その声に反応して男達の動きが止まり、周囲の人達も揃って瀬里奈の視線の先を確認する。
「はいは~い、ちゃんと撮れてるよ~」
そこにはスマホを手に教室内の様子を撮影しているような格好の女生徒が立っていた。
「やべ!」
学校側がもみ消してくれるとは言え、流石に証拠となる動画があるのはマズいと思ったのか、問題児達が今度はケイと呼ばれたその女生徒の元へと駆け寄ろうとする。
「こっち来ても無駄だよん。だってこれ録画じゃなくて配信だからね~」
「「「は?」」」
つまりもうこの場面は世界中に拡散されているということ。
彼らは自分達が達哉を暴行して金を盗ったことを否定しなかった。
詰みである。
が、自暴自棄になった彼らが何をしでかすか分からないため、瀬里奈達は他にも準備をしていた。
「み~!」
瀬里奈はまた別の女生徒を呼んだ。
今度は動画配信していた女子の隣に立っていた女子が答えた。
「警察呼んだ。すぐに来るって」
彼らがこの場で暴れてももう彼らが詰んでいると知らない学校側はお茶を濁そうとするかもしれない。
そうとなれば学校が動くまでに時間がかかりその間に達哉が病院送りになるなど甚大な被害を被る可能性がある。
そのため第三者である警察を呼んだのだ。
配信での詰みと警察呼びのコンボがあれば学校も動かざるを得ないだろう。
「先生連れて来たッス」
今度はさらに別の女子が体育教師をこの場に連れて来た。
「お前ら何やってる!」
連れてくる時に今の状況を説明されたのだろう。
体育教師は瀬里奈と達哉の味方となり問題児達を連れて教室から出て行った。
仕込みが無ければ学校を守るためという名目で瀬里奈や達哉の方が悪者として扱われていた可能性すらあった。
彼女達は皆、瀬里奈の友人である。
達哉の事情を知った瀬里奈は、急ぎ友人達にお願いして作戦を練ったのであった。
「何が……どうなって……?」
そんなことを全く知らない達哉は、呆然と床に座り込んだままだった。
「くすくす、もう悪夢は終わったってこと」
その言葉の意味を実感するにはもう少しの時間が必要だった。
――――――――
問題児達は退学処分となり、教師達は大炎上。
世間から酷いバッシングを受けることになった。
一方で達哉と瀬里奈は生徒達公認のカップルとして扱われ、堂々と恋人関係を続けていた。
「掛川さん、ありがとう」
「もう、それ何回目よ」
何回目かのデートの終わりの夕暮れ時、いつもの公園を散策しながら会話をするのが恒例行事となっていた。
「何回言っても足りないから。一生言い続けるかも」
「ふ~ん、一生言ってくれるんだ」
「うん……あ、そういう意味じゃなくて、ええと、その」
「くすくす」
なんて自然とイチャイチャする回数が増えて来たのは達哉が今の状況に慣れて来たからであり、瀬里奈が本気で達哉の事を想っていると実感しているからだろう。
だが達哉にとってそれこそが疑問であり、そのせいで自分から一歩踏み出せないでいた。
「ねぇ掛川さん、どうして僕と付き合おうと思ったの?」
これまで怖くて聞けなかったが、彼女の本気の想いと向き合うためにも勇気を出して切り出した。
「御堂君が優しい人だからだよ」
即答だった。
「優しい……のかな」
「うん、凄い優しいよ。だってあの告白の時、御堂君っていじめられて無理やりやらされてたのに私の事を気遣ってばっかりだったじゃない」
「普通じゃないかな……」
「それを普通と言えるところが好きなの」
「っ」
はっきりと『好き』と言われたことで達哉は途端に顔を真っ赤にする。
実はこれまでこの言葉を言われたことは無かったのだ。
そしてさらっと告げた方の瀬里奈もほんのりと顔を赤くしていた。
「告白される時ってみんな自分の事でいっぱいいっぱいなのか、私の都合をあまり考えてくれない人が殆どなの。人気の無い場所で自分に好意を持っている見知らぬ男子と二人っきりになるのなんて凄い怖いし、だからといってそっけない態度で断ったり怒ったら悪い噂を流されちゃう。ちょーめんどい」
告白される側の苦悩という奴なのだろう。
一歩間違えれば自慢とも受け取られてしまうため、気軽に相談出来る話題では無く、友人達にも中々言えなかった事だった。
「それに告白以外でもそう。私に近づいてくる男子はみんな、私と話がしたいだとか付き合いたいだとか下心が満載なの」
中には露骨に胸や太ももを見てくる男子もいるが、思春期なので仕方ない事なのだろうとある程度我慢していた。
「だからかな、御堂君が下心なく私のことを考えてくれたのが分かって、それでコロっと落ちちゃった」
「コロっとって……」
「くすくす、私、実はチョロいんだよ。男子って馬鹿だよね。普通に優しくしてくれれば直ぐに好きになっちゃったのに」
でもそんな男子と出会えなかったからこそ達哉に出会えたのだと瀬里奈は思っているが流石に恥ずかしすぎて口には出来なかった。
「だからチョロい私が他の男の人に目移りしないように、頑張って繋ぎ止めてね」
そう言って瀬里奈は少し背伸びして体を寄せた。
「!?」
少しの接触の後、慌てるように体を離した瀬里奈は、スカートの太もも辺りを両手できゅっと握り恥ずかしそうに俯いた。
その姿のあまりの可愛らしさに、唇の柔らかな感触を忘れてしまいそうな程に愛おしい気持ちが高まりどうにかなってしまいそうだった。
尤も、瀬里奈は達哉の気持ちが落ち着くのを待ってくれるような人ではなく、盛大な止めを刺しに来たのだが。
「私からじゃないとキスしてくれないの?」
気付けば達哉の体は勝手に動き、二人の影は再度重なった。
そしてその時間は先ほどよりも遥かに長かった。