185 ビト
◇◇◇◇
死を覚悟したナザニンの目の前に、ヘドロの塊が立っていた。
「む、む」
そのヘドロの塊は、以前ナザニンが矢で射た化け物である。
「ば、化け物! 俺達がみた化け物はこいつです!」
狩人父が震えながら、耐えがたい悪臭を放つヘドロの塊を指さした。
「GIYAAAAAAA」
ルリアが呪者と呼んでいた化け物が、おぞましい叫び声をあげた。
ナザニンは恐怖のあまり、お腹の底と、背筋が冷たくなった。
体がブルブルと震えるのを止められない。
呪者が叫びながら、ナザニンを食らおうとするが、
「むっむ!」
ヘドロの塊が止める。
呪者の爪がヘドロの塊をえぐる。ヘドロと血が飛び散った。
「むうう!」
ヘドロの塊は呪者の腕を掴んで捕らえると、かみついて押さえつける。
「GYAAAAAA!」
「むむむむ」
戦っている様子を見た狩人父が叫ぶ。
「化け者どもが仲間割れか? い、今のうちに」
そして、震える手で矢を弓の弦につがえる。
トマスも剣を構えて、化け物に向かって斬りかかろうとする。
「ま、まって」
ナザニンにはヘドロの塊が自分を助けてくれたように見えていた。
それに、どこか声に懐かしさを感じていた。
だから思わず止めたのだが、ナザニンの声は狩人父にもトマスにも届かない。
狩人父は弓を引き絞り、剣を構えたトマスは馬を操り突進を開始する。
「むっむっ」
ヘドロの塊は呪者を倒すので一生懸命だ。
狩人父にもトマスにも反応しない。
「ま、まって――」
そのとき、ナザニンの目に、呪者を殴るヘドロの塊の右腕が目にはいった。
元の色などわからないヘドロまみれの布らしき物が巻かれている。
「ま、待ってください」
ナザニンはヘドロの塊に背を向けて、狩人父とトマスに向かって両手を広げた。
「あぶない!」
「なにをしている! どきなさい!」
トマスと狩人父はそう叫びながらも止まらない。
二人とも呪者とヘドロの塊が仲間割れしている今が、仕留める最高の機会だと信じている。
「この子は私の友達です!」
「馬鹿なことを言うな!」
狩人父が苛立ったように叫ぶ。トマスも狩人父も止まらない。
あと少しでトマスが斬りかかり、狩人父が矢を放とうというとき、
「とまれ!」
周囲に凜とした声が響いた。
ナザニンの言葉では、止まらなかったトマスと狩人父がビタッと止まる。
「とまりなさい。ナザニン。お友達なの?」
それは幼い領主サラの声だった。
五歳とは思えぬ、逆らいがたい声だ。
「は、はい。お友達です」
「馬鹿、お前は何を訳のわからないことを――」
「しずかに」
狩人父の言葉をサラが遮る。
「その子がビト?」
「はい!」
そのとき、呪者を倒したヘドロの塊が体を起こす。
そして、ナザニンに向かってゆっくりと歩き始めた。
「閣下、危険です!」
トマスが剣を構え、
「ナザニン、危ない!」
娘をかばおうと狩人父がヘドロの塊に矢を放とうとしたが、
「まちなさい」
サラが改めて止める。同時にナザニンがヘドロの塊に抱きついた。
「お、お前! すぐに離れろ!」
狩人父が慌てて駆け寄ろうとするが、
「止まりなさい」
サラに止められる。
「ごめんね? ビト、気づけなくて、ごめんね」
ビトはかわいらしい以前の面影など全くなかったし、耐えがたい悪臭を放っていた。
だが、ナザニンは気にしなかった。
「ごめんね? 気づけなくてごめんね。矢で射てしまってごめんね」
泣きながら謝り続ける。
「む? む~」
ビトはヘドロまみれで悪臭を放つ右腕をナザニンに見せる。
「うん、私も持ってるよ」
ナザニンは髪をくくっているリボンを見せた。
「む~~む!」
ビトは両手を縦にぶんぶんと振った。
それは昔からビトが嬉しいときにする仕草だった。
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