172 ※呪術師の企み
◇◇◇◇
ルリア達が領民の案内で出発したのを、遥か上空から見ていた者がいた。
それはルリアの手のひらほどの大きさの呪者だった。
普段ならば、ルリアに近づこうとする呪者は守護獣達に倒されている。
だが、今は守護獣達が毒によって活動できていない。
それゆえ、今のルリアの周囲には、呪術師が遣わした呪者がうごめいていたのだ。
上空だけでなく草むらや木の陰、そこら中に呪者がいた。
呪者達はルリア達から相当な距離をとっていたので、気づかれなかった。
山の頂上付近。
前男爵だった物から離れた場所に、小さな呪者達と視覚と聴覚を共有している呪術師がいた。
「……おお!……おお」
その呪術師はルリア達が出発したのを見て、領民との会話を盗み聞きして歓声をあげる。
ルリア達の周りに潜む呪者は弱く小さいが、耳と目が非常に鋭かった。
ルリアとサラ達のひそひそ話は聞こえなかったが、ルリアが領民に発した言葉は聞こえていた。
「どうなされましたか? 教主。何か面白いものでも見えましたか?」
教主と呼ばれた呪術師は「北の沼地の魔女」の長である。
教主は、呪いの文字と図形の書かれた紙を右目と右耳に貼っていた。
そして、教主の周りには二名の呪術師がいた。
一人は、男爵だった物をここに運んできた呪術師。
もう一人は「北の沼地の魔女」の幹部である呪術師だ。
「ああ、ヴァロア大公の末娘がこちらに来るぞ」
教主は右目と右耳を呪者との共有につかい、左目と左耳を会話に使っている。
「なんと! それは僥倖! 神は我らを見捨てていなかった!」
少し前から始まった王国による「北の沼地の魔女」への取り締まりは苛烈を極めた。
ヴァロア大公の指揮の下、強力な騎士団と魔導師団が動いていた。
それにヴァロア大公配下の「南の荒れ地の魔女」が加わったのだ。
蛇の道は蛇。
同じ呪術師集団である「南の荒れ地の魔女」が取り締まりで大きな功績を挙げていた。
「南の荒れ地の魔女」は呪術師の戦い方、逃げ方、隠れ方を熟知している。
逃れるのも隠れるのも難しい。
「北の沼地の魔女」は、あっという間に追い詰められ、壊滅寸前となっていた。
生き残った呪術師達は各地に散った。
そして、教主と幹部の一人は、ディディエ男爵領へと逃れていた。
「あれが、思いのほか役に立ちましたな?」
前男爵をここに運んできた呪術師が、前男爵だった物を指さして言う。
前男爵はぼそぼそと恨み言をつぶやきながら、毒を垂れ流し続けている。
「ああ、お手柄だデニス。うまくいけば、お前は副教主だ」
「ありがとうございます」
デニスは恭しく頭を下げる。
デニスというのは、前男爵だった物をここに運んできた呪術師の名だ。
「毒が守護獣にこれほど有効だとは思いませんでしたな」
幹部が嬉しそうに言うと、教主は大きく頷いた。
「ああ。守護獣がいれば、呪者による情報収集もままならぬからな」
幹部が、離れた場所でうめく前男爵だった物を見る。
「それにしても、人の呪物化に成功するとは。デニス殿、さすがですな」
「ありがとうございます」
「うむ。北一の学者と称えられただけのことはある」
幹部はデニスを惜しみなく称えた。
それほど呪物化というのは難しいことだった。
そもそも呪物というのは、呪いをまき散らす物体だ。
一般的に呪物化というとき、物を呪物にすることを指す。
生物を呪物にすることは、物の呪物化より遥かに難しい。
「ただの生物ではなく、人を呪物にすることが可能だとは……」
ただの生物を呪物にするより、人を呪物にする方がはるかに難しい。
「あやつは呪われていたうえ、非常に強い恨みを持っていましたから」
強い恨みというのは、呪いにつながる。
前男爵は、何もしなくても、周囲に呪いをばらまきかねないほどだった。
だからこそ、術がうまくいったのだ。
「デニス。その功績は偉大と言うほかない」
「もったいないお言葉」
「人の呪物化は、精霊の結晶化にも応用できよう」
精霊の結晶化。
それはルリアの前世ルイサが死ぬ原因となった悪しき技術だ。
ルイサがその命と引き換えに研究員と施設と研究資料を消滅させた。
その技術の復活は「北の沼地の魔女」悲願だったのだ。
教主が逃亡先にディディエ男爵領を選んだのも、人の呪物化に成功したと聞いたからだ。
「精霊の結晶化にさえ成功できれば、ヴァロア大公だろうと恐るるに足らず」
結晶化した精霊を使えば、強力な魔法を無尽蔵に使えるようになるだろう。
そうなれば、国どころか、世界を相手にだって戦える。
「人を呪物にすること、精霊を結晶にする方法は似ておりますからな」
実は、呪物化した人は結晶に近い状態なのだ。
「守護獣達が毒に侵された今なら、守護獣達を呪い、呪物にすることも不可能ではありませぬ」
「おお!」「なんと!」
デニスの言葉に教主と幹部は歓声をあげる。
「守護獣の呪物化に成功すれば、精霊の結晶化まであと一息でございましょう」
「うむ。素晴らしいな」
守護獣の呪物化の理論自体はほぼ完成した。あとは試すだけだ。
それを精霊の結晶化に応用するのは、多少の時間があれば難しくないはずだ。
その時間は、大公の娘を人質にすればたやすく稼げるだろう。
精霊の結晶化がうまくいけば「北の沼地の魔女」に勝てる者はいなくなる。
「大事なのは、ヴァロア大公の末娘を確実に人質にすることだ」
教主は左目だけで幹部とデニスを睨むようにみた。
「はい。呪いと呪者をつかいましょう。守護獣の呪物化理論も実践いたしましょう」
ヴァロア大公を警戒し、これまで呪いを使ってこなかったのだ。
だが、今はもう動ける守護獣はいない。
それどころか、これから守護獣達は、呪物となるのだ。
失敗する要因が無い。
「大公は娘を溺愛しているからな。人質さえとれれば、手出しできまい」
大公が呪いの存在に気づいたとて、人質さえいれば問題ない。
教主は勝利を確信していた。
だが、教主は知らなかった。
ヴァロア大公の異常なまでの呪いと呪者への強さは、ルリアに起因することを。
そして、毒に苦しむ守護獣達も、無力ではないと言うことを。
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