147 母とスイ
母の部屋に到着すると、あたしは教えてもらったとおりにちゃんとノックして挨拶した。
「かあさま! ルリアだ!」
我ながら完璧だと思う。
王宮に行く前にたたき込まれたので、あたしのマナーは五歳にして完璧なのだ。
「どうぞ」
部屋に入ると、椅子に座っていた母は立ち上がって出迎えてくれた。
「ちゃんとノックできて偉いわね」
「えへへ~」
「水竜公閣下、お呼びだてして申し訳ありません」
母は偉大な竜であるスイに対する敬意を忘れない。
「な、なんの、気にしないでほしいのである」
だが、パンを無断で持ちだしたことを叱られると思っているのでスイはびくびくしていた。
スイは初めて会ったときに叱られたからか、母に対して基本的に大人しい。
「水竜公閣下、どうぞこちらにお座りください」
「う、うむ。座るのである」
「ルリアとサラも座りなさい」
「あい」「はい」
母が勧めてくれた長椅子に、右からあたし、スイ、サラの順に座る。
母が、テーブルを挟んで、あたし達の正面の長椅子に座ると、
「はっはっはっはっ」
ダーウが嬉しそうに尻尾を振りながら母の膝の上に顎を乗せにいった。
「ダーウは、大きくなっても子犬のころから変わらないわね」
そう言いながら、母はダーウのことを優しく撫でる。
「それで話なのだけど」
「ごめんなさい」
あたしは叱られる前にまず謝った。
「え? ルリア、なにをしたの?」
母は顔をしかめる。
「まさか、虫を?」
「虫はかんけいない」
そういうと、あからさまに母はほっとした様子を見せた。
「じつはパンを……食べた」「すまぬのである」
「きゅーん」
ダーウが母の足下で仰向けになった。
「どういうこと? 詳しく説明しなさい」
「えっと……。ルリアがお腹がすいて……」
お腹すいたので、スイにパンをとってきてもらったと言おうとしたのだが、
「ルリア、良いのである。悪いのはスイなのである」
そういうと、スイは頭を下げた。
「スイが散歩をしていたら、キッチンからパンの良い匂いがしてきて、つい……とったのである」
「なるほど。そのようなことがあったのですね」
「すまぬのである」
「今後は料理人に一言お願いします。料理人にも予定がありますから」
「わかったのである。…………それだけであるか?」
「はい」
母は全く怒っていなかったらしい。
「そっかー。よかったのである! てっきり、激怒しているかとおもったのである!」
「スイちゃんよかったな!」「わふわふ~」
喜んだダーウが、仰向けをやめてスイの顔を舐めにいく。
「これこれ、ダーウ。やめるのである」
そう言いながらも、スイは嬉しそうだった。
「あれ? じゃあ、ルリアたちはなんで呼ばれたの?」
「ばう~」
「あ、おやつか」
「おやつではないわ」
「きゅーん」
おやつではないと聞いて、ダーウがしょんぼりした。
「ルリアとサラにお話があってきてもらったのよ」
「おはなしかー、何のはなし?」
「水竜公閣下も是非お聞きください」
「うむ。聞くのである!」
叱られないとわかったので、スイは元気だ。
「実はルリアとサラに沢山のパーティの招待状が来ているの」
「めんど――」
「今、面倒って言おうとした?」
「いってないが?」
「まあ、確かにパーティなんて面倒なものよ」
母はあっさりそう言うと、招待状を何枚かテーブルの上に載せた。
「そして、これは特に厄介な招待状」
「ほう? やっかいな招待状とな?」
「ルリアもサラも難しいことは知らなくて良いし、考えなくて良いのだけど」
そう前置きして母は言う。
「陛下は、ルリアとサラのことが大好きでしょう?」
「そだな?」「はい」
「だから、ルリアとサラと仲良くしたい人が沢山いるのよ」
「なるほど? ルリアと仲良くなったら色々便利なのだものな?」
「ルリアちゃん、どうして便利なの?」「どして便利なのである?」
サラとスイが首をかしげている。
「ルリアとサラちゃんに言って、じいちゃんにおねだりしてもらったり」
「おおー」「ほほー」
「ルリアとサラちゃんと仲がいいってことを他の人に見せてアピールしたり」
「なんでアピールするの?」「わからないのである」
「じいちゃんと仲が良いルリアと仲が良いって思われたら他の人が気をつかってくれるからな?」
「なるほど~」「なるほどである」
あたしがサラとスイに説明していると、母は少し驚いていた。
「ルリアはなかなか鋭いわね」
「そかな?」
「他の人へのアピール効果に気づける五歳児はそうそういないわ」
「えへへ~」
母に褒められて、あたしは嬉しくなった。
「それでほとんどの招待状は私とグラーフがブロックするのだけど」
「中にはブロックしにくいのもある? あ、サラちゃんは男爵だものな?」
あたしがそういうと母は目を見開いた。
「…………本当にルリアは鋭いわね。やっぱりグラーフの子ね。五歳児とは思えないわ」
「えへへ」
「そこで、しばらくの間、ルリアとサラは田舎の方に遊びにいったらどうかしらと思って」
それはいい手な気がする。
物理的な距離を置けば、接触が難しくなる。
それに時間をおけば、あたしとサラが王のお気に入りという噂もおさまるに違いない。
「もちろん、マリオンも賛成してくれているわ」
サラが男爵位を継いでから、マリオンは領地の引き継ぎとか経営で忙しくしている。
「ママはいっしょにきますか?」
「少し難しいかも。でも、なるべく会いに行くようにすると言っていたわ」
「はい」
「サラ、大丈夫? どうしてもさみしいなら、別の手段を考えるけれども」
「ママが会いに来てくれるなら、サラは大丈夫です! ママは忙しいし」
サラは力強く言った。
「サラ、こっちにいらっしゃい」
母はサラを呼び寄せると、膝の上に乗せて優しく抱きしめる。
「さみしい思いをさせてごめんなさいね」
「サラは大丈夫です」
母はサラの頭を優しく撫でた。
「ルリアもいらっしゃい」
「ん」
あたしが隣にいくと、母にぎゅっと抱きしめられた。
「私もなるべく会いに行くからね」
「うん。ねね、かあさま。田舎ってどのあたり?」
「どこがいい? グラーフの領地のどこかなのだけど。希望はある?」
「……希望。ふむ」
「海が近い方がいいとか。山が近い方がいいとか」
「…………そうだな? 将来のことを考えて……」
「将来?」
母は怪訝な表情を浮かべる。
「ルリアは大きくなったら、田舎でもふもふと暮らす予定だからな?」
「結婚もせずに?」
「うん。しないで田舎でくらす」
田舎に引きこもったあたしとの結婚に政治的な意味はあまりなくなるだろう。
それでもいいという相手はいない気がする。
「ルリアは動物がたくさんいるところがいいな? ヤギとか」
「……ヤギ、ね。考えておくわ。サラはどういうところがいいかしら?」
「ママが来やすいところ」
「そうね、その方が良いわね。考えておくわ」
そして、母はスイを見る。
「水竜公閣下。もし、よろしければ、ルリアとサラをお願いいたします」
「うむ、任されるのである……だが……」
「なんでしょう?」
「ん。いや、何でもないのである」
言い淀むスイを見て、あたしは気がついた。
あたしは立ち上がって母の隣を開けて、スイに言う。
「スイちゃん、ここにすわってな?」
「むむ? なぜであるか?」
そういいながら、スイは母の隣に座る。
「かあさま。スイちゃんを抱きしめてあげてな?」
「え? 水竜公閣下にそんな」
母はためらうが、
「いいから抱きしめてあげてな?」
「では失礼して……」
母はスイを抱きしめる。
「えへ。へへへ」
スイは嬉しそうに頬を赤くして、ゆっくりと尻尾を揺らした。
スイは幼い頃から長い間ずっと一人で閉じ込められていた。
今でもあたしに抱きついて寝ているぐらいだ。ものすごくさみしかったに違いない。
もっと、甘えた方が良いのだ。
「アマーリア」
「どうしました? 水竜公閣下」
「スイと呼んでほしいのである。敬語も必要ないのである」
「わかったわ。スイ」
「えへへへ」
母にスイと呼ばれて、本当に嬉しそうだった。





